痛すぎるヒロインの登場と、おばさんの引くほど冷ややかな視線
学園生活が始まって一ヶ月。
私の「モブとして影を潜める」というささやかな野望は、すでに木っ端微塵に打ち砕かれていた。
朝、登校すれば「リナ様、本日のハーブティーとお肩揉みの準備はバッチリですわ!」と悪役令嬢クラリスちゃんが取り巻きを従えて出迎えてくれ、図書室に向かえば「師匠! 昨日の『余熱調理(魔法の持続熱)理論』について更なる考察を深めました!」と天才魔導師シオン少年が目を輝かせて待ち構えている。
さらには、廊下を歩くだけで第一王子エドワード様と銀髪のルーカス少年が「リナ、今日のドレスも可憐だね」「リナ、誰かに害されていないか?」と左右を固めて警護してくる始末だ。
(逃げ場がない……どこに行っても視線を感じるわ……。私、前世ではスーパーのレジの列で存在感を消すのが得意だったのに……)
八歳の私の小さな体は、連日の「高スペック男子&公爵令嬢からの重すぎる愛」によってすっかり肩こりが悪化していた。自作の湿布(ハーブと小麦粉を練ったもの)が手放せない。
そんなある日、学園の広大な庭園で、ついに『その時』が訪れた。
◇
「——きゃああっ!?」
晴れ渡る青空の下、学園の中庭にカン高い悲鳴が響き渡った。
私とクラリスちゃん、そして護衛兼お喋り相手としてついてきていたルーカス少年とエドワード王子が足を止める。
声のした方を見ると、一人の少女が派手に転んでいた。
花壇の縁に足を引っ掛けたらしい。散らばる教科書、めくれ上がるスカート、そしてわざとらしいほど可憐に「痛ぁい……」と涙を浮かべる仕草。
ピンクゴールドのふわふわした髪に、大きな桃色の瞳。学園の制服を勝手に改造したのか、丈が極端に短いスカートと、胸元が大きく開いたブラウス。
(あ……)
私の中の乙女ゲームデータベースが、警報音とともに稼働した。
間違いない。
ゲーム『星降る学園と七つの恋』の【本編ヒロイン】マリアンヌ・フォン・ルチア(特別特待生/十五歳)だ!
ゲームにおける彼女は、平民に近い貧乏男爵家の出身でありながら、稀少な「光の魔法」を持ち、その天真爛漫さと健気さで攻略対象たちの心を射止めていく主人公……のはずだった。
だが、目の前にいる「生マリアンヌ」の醸し出す空気は、ゲームのCGとは決定的に異なっていた。
「痛い……膝をすりむいちゃった……。誰か……助けて……」
マリアンヌは、周りに大勢の生徒がいるにもかかわらず、まっすぐにエドワード王子とルーカス少年の方を見つめ、うるうるした瞳で上目遣いを仕掛けている。
その手は、自分の短いスカートの裾をチラチラと捲り上げ、過剰な「可哀想な私」アピールを放っていた。
(……うわぁ)
私——五十三歳の中年おばさんの脳裏に、強烈な冷や水がぶち撒けられた。
痛い。
痛すぎる。
前世で言えば、授業参観や保護者会に過剰な若作りと露出度の高い服で現れ、「私ぁ、男の人に優しくされないと生きていけないのぉ〜ん」と他人の旦那に擦り寄っていく、あの近所で一番面倒くさいタイプの痛い女だ。
(なにあの演技……。昭和のぶりっ子でももうちょっと自然にやるわよ? 大体、転んだくらいでそんな『世界で一番悲劇のヒロイン』みたいな顔しなくてもいいじゃない)
私の中のおばさんソウルが、猛烈な「ドン引き」を起こしていた。
「な、何なのあのアバズレは……!?」
隣でクラリスちゃんが扇子を握りしめ、眉をひそめて不快感を露わにしている。
「学園の校則を無視した短すぎるスカート、品のない露出、そして殿方に対するあからさまな誘惑……! ルヴァン公爵家の令嬢として、あのような下品な振る舞いは目に入れておくだけで不潔ですわ!」
さすが公爵令嬢、言うことが厳しい。だが、言っていることは至極全うだ。
一方、狙われた男性陣二人はというと——
「……なんだあの者は。視界に入って不快だ」
ルーカス少年は氷のような冷ややかな目でマリアンヌを一瞥すると、即座に視線を私へと戻し、優しく言った。
「リナ、あんな品のないものを見たら目が腐る。あちらの温室へ移動しよう」
エドワード王子に至っては、心底気味悪そうに眉をひそめていた。
「うむ……。なぜあのように奇妙な声をあげて転んでいるのだ? 怪我をしたなら医務室へ行けばよかろう。それに、あの服装は何だ。王立学園の風紀を乱すにも程があるな」
ふたりとも、ドン引きしていた。
ゲーム本編なら、ここでヒロインが転べば「大丈夫かい!?」「可哀想に、僕が抱きかかえて医務室へ運ぼう!」となるはずだった。
しかし、現実の彼らはすでに私という「圧倒的な品格と落ち着き(おばさん力)」を知ってしまっている。
本物の落ち着きと洗練されたマナーを日々見ている彼らにとって、マリアンヌの過剰なぶりっ子演技は、単なる「品のない奇行」にしか映らなかったのだ。
◇
だが、マリアンヌもタダでは起き上がらなかった。
狙った獲物(王子と伯爵令息)が自分に駆け寄ってこないと見るや、なんと自ら立ち上がり、膝をわざとらしくガクガクさせながら、こちらへと歩み寄ってきたのだ。
「あの……! エドワード様! ルーカス様! 私、転んじゃって……とっても痛くて動けないんですぅ……!」
(動いてこっちに来てるじゃないのよ)
私は内心で激しくツッコミを入れた。
マリアンヌはエドワード王子の腕に抱きつこうと、手を伸ばした。
しかし、エドワード王子は嫌悪感を隠さず、サッと一歩身を引いた。空を切るマリアンヌの手。
「無礼者。許可なく王族に触れようとするな」
冷たい王子の声。だが、マリアンヌは懲りない。
次に彼女の視線が向かったのは……なんと、私だった。
マリアンヌは私の姿を見ると、あからさまに不満そうな顔で舌打ちを漏らしそうになり、慌ててそれを隠して涙目になった。
「あ、あなたが……噂の飛び級ちゃん? ふん……子供のくせに、男の人たちを独り占めにしてズルいよ! 私の方がお姉さんなのに……私の方が『光の魔法』を持ってる特別なヒロインなのに!」
(あ、言っちゃった)
私はパチパチと瞬きをした。
この子、自分が「ゲームのヒロイン」であることを自覚しているタイプ転生者(あるいは知識持ち)だ。
マリアンヌは私を見下ろし、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「ねえ、そこの子供ちゃん! 王子様やルーカス様は、私みたいな可憐で守ってあげたくなる女の子が好きなの! あなたみたいな小さくて色気もない子供がチョロチョロしてると邪魔なのよ! 早くおうちに帰りなさいよ!」
静まり返る中庭。
クラリスちゃんが「なっ……! リナ様に向かって何たる暴言……! 打ち首にしますわよ!?」と激怒して扇子を振り上げた。
ルーカス少年の瞳には殺気が宿り、剣の柄に手が伸びている。
エドワード王子もまた、顔を真っ赤にして「貴様、不敬にも程があるぞ!」と叫ぼうとした。
だが。
「あー……」
私は小さく声を漏らすと、すっと片手を挙げて三人(エドワード、ルーカス、クラリス)を制した。
そして、前世で「近所の公園で、よその家の子にイキり倒している痛い女子高生」を見る時のような、圧倒的に冷ややかな、そして生温かい目でマリアンヌを見つめた。
「マリアンヌさん、とおっしゃるのかしら?」
「な、なによ! 怯えたって遅いんだから!」
「お膝、痛いのでしたら、そんなに立ったまま大声を出すと余計に響きますわよ?」
「え……?」
私は溜息をひとつ吐くと、ポケットから『自家製・万能ハーブ軟膏』と『包帯』を取り出した。
「膝の傷は、土が入って炎症を起こすと大変です。可憐だのヒロインだのとおっしゃる前に、まずは水道でお傷口を洗い流しなさいな。女子高生……失礼、十五歳にもなられたお姉さんが、自分の怪我の処置もできずに男の子に抱っこしてもらおうなんて、少し恥ずかしいと思いませんの?」
「は……!? は恥ずかしい!? 私が!?」
マリアンヌの顔が真っ赤に破裂した。
「ええ、恥ずかしいですわ」
私は前世の「PTAで常識のない母親を淡々と諭す役員おばさん」のトーンで、冷静に言い放った。
「スカートの丈が短すぎて下着が見えそうですし、胸元が開きすぎてだらしなく見えます。美しさというのは、肌を晒すことでも、泣き真似をすることでもありません。自分の身だしなみを整え、周囲に不快感を与えない配慮ができてこそ、真の『可憐さ』というものです」
「な……なになに!? 子供のくせにお説教!? 私の方が年上なのよ!?」
「年齢は関係ございません。振る舞いが幼すぎますわ」
私は軟膏と包帯をマリアンヌの手にポンと押し付けた。
「ほら、これをお使いなさい。傷口に塗ればすぐに治りますから。それと……『光の魔法』という特別な力をお持ちなら、それを他人にマウントを取るためではなく、病気や怪我で苦しむ方々のために使いなさいな。その方が、ずっと格好良くて『ヒロイン』らしいですわよ?」
「〜〜〜〜〜〜ッッッ!?!?」
マリアンヌは言葉を完全に失った。
目の前の八歳の少女から放たれる、圧倒的な「大人の貫禄」と「道徳の授業」。
どんな暴言も、どんなぶりっ子演技も、まるで巨大な綿ふとんに吸収されるかのように、一切効果を発揮しない。それどころか、己の痛さ、浅はかさ、だらしなさを正確に指摘され、恥ずかしさで死にそうになっているのだ。
周りで見ていた他の生徒たちからも、ヒソヒソ声が漏れ聞こえてくる。
「……確かに、あのルチア男爵令嬢の格好、ちょっとだらしないよね」
「リナ様のおっしゃる通りだわ。十五歳にもなって、八歳のリナ様に注意されるなんて……」
「リナ様、なんて落ち着いていて大人なの……! まさに真の淑女だわ!」
マリアンヌは周りの視線に耐えかね、
「キーーーーッ!! 覚えていなさいよぉぉぉぉ!!」
と、昭和の捨て台詞を残して、怪我をしているはずの脚で爆速で逃げ出していった。
(全然走れてるじゃないの……)
私は呆れたようにその背中を見送った。
◇
「……リナ」
マリアンヌが去った後、エドワード王子が感無量といった表情で私を見つめていた。
「君は……君は本当にすごいな。あのような無礼で品のない者にまで、怒ることなく正論で諭し、薬まで与えるとは……。まさに聖母のごとき慈悲深さだ」
「違いますわ殿下、ただの常識の話でございます……」
ルーカスもまた、深く深く頷いている。
「ああ。あのような浅はかな女が『ヒロイン』を自称するなど片腹痛い。我が国における真のヒロインは、君一人だ、リナ」
「ですから違いますってば……」
クラリスちゃんに至っては、目をキラキラと輝かせて私の両手を握りしめてきた。
「リナ様! 素晴らしいお説教でしたわ!『振る舞いが幼すぎますわ』のくだり、痺れました! 私、一生リナ様についていきます!」
(なんでそうなるのよーーーーーっ!!)
私は心の中で頭を抱えた。
痛すぎるヒロインマリアンヌをあしらい、モブとして波風を立てずに過ごすはずだったのに、結果として私の「神格化」がさらに進行してしまったのだ。
◇
その日の放課後。
マリアンヌの一件で疲れ果てた私は、癒しを求めて学園の調理実習室(特別に許可を得て借りた)へと向かった。
「はぁ……もう今日は甘いものでも食べて、ストレス発散よ!」
私はバレンタイン家の財力で手に入れた小麦粉、砂糖、卵、バター、そして自家製の『発酵バター』と『イチゴジャム』を取り出した。
前世で、娘のおやつやPTAのバザーで大好評だった、手作り『イチゴジャム・タルト』を作るためだ。
オーブン(魔導具の加熱炉)にタルト生地を入れ、甘く香ばしい匂いが部屋中に満ちていく。
「ふふふ、焼き上がりが楽しみねぇ。やっぱりお菓子作りは心が落ち着くわ」
焼きたてのタルトを取り出し、冷ましていると。
「……くんくん。何の匂いだ?」
調理室の窓から、ひょっこりと顔を出した人物がいた。
ボサボサの赤髪に、野性味あふれる琥珀色の瞳。制服のネクタイをゆるめ、野性的な雰囲気を醸し出す少年。
(あ……)
乙女ゲーム『星恋』の攻略対象の一人。
隣国からの留学生にして、最強の剣士——ガゼル・フォン・バルバロス王太子(十三歳)!
「おい、小さいの。お前がその美味そうな匂いの元を作ったのか?」
ガゼル少年は土足同然の勢いで窓から飛び込んでくると、焼き上がったタルトをジッと見つめた。
(うわぁ……今度は野生児タイプの攻略対象が来たわねぇ……)
「ええ、イチゴジャムのタルトですわ。宜しければ、おひとつ召し上がりますか?」
前世で「部活帰りの腹ペコ男子高生に買い置きのパンをあげるお母さん」の感覚で、私は切り分けたタルトを差し出した。
ガゼル少年はパクリと一口でタルトを平らげた。
「……っ!!??!?」
ガゼルの目がカッと見開かれた。
サクサクの生地、甘酸っぱいイチゴジャム、そしてバターの濃厚なコク!
「美味い……!! なんだこれは!? 俺の故郷の固い干し肉とはまるで違う! こんなに美味いもん、食ったことがねぇ!!」
ガゼル少年は私の両肩をガシッと掴んだ(本日何回目かの肩掴みである)。
「おい! 名前は何て言う!? 俺の嫁になれ! 毎日このタルトを作ってくれ!!」
(速攻で求婚してきたーーーーーっ!?!?)
「ちょっと離れなさい、野蛮人!!」
バンッ!!とドアが開き、クラリスちゃんとルーカス、そしてエドワード王子が雪崩れ込んできた。
「リナに気やすく触るな!」「リナ様は渡しませんわ!」「離れろガゼル!」
「なんだお前ら!? 俺はこいつのタルトと結婚するんだよ!」
「「「意味が分からん!!」」」
調理室で巻き起こる、大騒動。
私は完成したタルトを静かに口に運び、甘酸っぱい味を噛み締めながら、遠い目をした。
(……平穏なモブ生活って、どこに行けば買えるのかしらねぇ……)
痛すぎるヒロインの撃退、そして新たなる攻略対象(野生児)の参戦。
五十三歳転生令嬢リナ・ド・バレンタインの学園生活は、平穏とは程遠い狂乱の渦へと、さらに深く巻き込まれていくのだった。




