飛び級入学と、平和を愛するおばさんの「モブ徹底」作戦
「……はぁ。まさか本当に来ることになるなんてねぇ」
バレンタイン男爵家の馬車の中で、私は窓の外を流れる王都の街並みを眺めながら、深々とため息をついた。
あれから二年。
五十三歳の中年おばさんの精神を持つ私、リナ・ド・バレンタインは、八歳という異例の若さで「王立星降る学園」へと足をふみ入れることになった。
本来ならば十五歳で入学するはずの、乙女ゲーム『星降る学園と七つの恋』の舞台。
第一王子エドワード様が「リナ令嬢の溢れんばかりの知恵と品格をこれ以上眠らせておくのは国家の損失である!」と王室権力をフル活用し、特別飛び級制度を新設してしまったのだ。
「リナ様! 学園の制服、とってもお似合いでございますわ! まるで舞い降りた天使のようでございます!」
メイドのマリアが涙ぐみながら、私の制服の襟元を整えてくれる。
学園の制服は、深い紺色のジャケットにプラチナシルバーのスカート。八歳の私が着ると、確かにちょっとした「ちんちくりんの可愛いお人形さん」に見えなくもない。
「ありがとう、マリア。でも、今日からの私の目標はただ一つよ」
私はマリアの目をと直視し、人差し指をすっと立てた。
「目立たないこと。背景の壁になりきること。ただの『実家がちょっとお金持ちのモブ生徒A』として、平穏無事に学生生活を終えることよ」
「まあ……!『己の偉大な功績を鼻にかけず、学びの舎では一人の生徒として謙虚に佇む』というわけですね!? なんという奥ゆかしさ……!」
(違う。ただ面倒くさいイベントに巻き込まれたくないだけなのよ!)
相変わらずの高速勘違いを見送る中、馬車は学園の巨大な門をくぐった。
◇
学園の大講堂で行われた入学式は、まさに私の胃をキリキリと痛めつけるのに十分な空間だった。
「見ろよ……あの子が例の飛び級入学者か?」
「噂の『RINA先生』……バレンタイン家の令嬢……」
「八歳にして領地改革を成し遂げ、毒の白粉を駆逐したという美の革命家……」
上級生や同級生たちの視線が、痛いほど私に突き刺さる。
(やめて……見ないで……! 私はただの、前世でスーパーのタイムセールに命をかけていたおばさんなのよ……!)
私は必死に気配を消し、前世でPTAの集まりの時に編み出した「存在感を限りなくゼロにする虚無の顔」を維持した。
だが、運命というものは容赦がない。
「新入生代表挨拶——エドワード・ル・クレール殿下、ならびに特別特待生、リナ・ド・バレンタイン令嬢」
(なんで私まで呼ばれてるのよーーーーーっ!?)
壇上に上がらされた私は、十歳になったエドワード王子の隣に並ばされた。
二年前より背が伸び、より凛々しく王子らしい威厳を身につけたエドワード王子は、会場全体を見渡した後、眩しい笑顔で私を振り返った。
「皆、紹介しよう! 僕の隣に立つ彼女こそ、我が国の未来を明るく照らす光、リナ・ド・バレンタインだ! 彼女の叡智と気品は、学園の全ての生徒のお手本となるであろう!」
「「「ワァァァァァァァァッ!!!!」」」
講堂を割れんばかりの拍手が包み込む。
(死にたい。今すぐ穴に入って、前世の押し入れに引きこもりたい)
さらに、生徒席の最前列には、二年間でさらに洗練され「氷の貴公子」としての完成度を高めた銀髪のルーカス少年が、熱い眼差しで私を見つめていた。
(モブ作戦、初日から大失敗じゃないの……!)
◇
入学式が終わり、指定された教室へと向かう途中。
私は何とか二人の追撃をかわし、中庭の木陰で一人ため息をついていた。
「はぁ……疲れたわねぇ。やっぱり若い子のパワーは凄いわ。肩が凝っちゃう」
ベンチに腰掛け、小さく肩を叩く。見た目は八歳の可憐な少女だが、やっていることは完全に公園のベンチで休むおばあちゃんである。
「ねえ、そこの小さいの。何やってるの?」
突如、頭上から鈴を転がすような、しかしどこか生意気で高飛車な声が降ってきた。
見上げると、そこには鮮やかな赤髪をツインテールにし、宝石のような緑の目を輝かせた美しい少女が立っていた。豪華なレースの仕込みドレス(学園規定の範囲内で最大限に装飾されたもの)を身にまとい、取り巻きの女子生徒を二人従えている。
(あ……)
私の脳内の「乙女ゲーム知識」が素早く検索をかけた。
間違いない。
ゲーム『星恋』における、ヒロインをイジメ抜く典型的な【悪役令嬢】クラリス・フォン・ルヴァン公爵令嬢(十歳)だ!
「あなたが噂の飛び級ちゃん? ふん、成り上がり男爵家の分せいで、エドワード殿下の隣に並ぶなんて生意気よ! いくら本が売れたからって、貴族の格というものを分かっているのかしら!?」
高らかに笑いながら扇子を広げるクラリスちゃん。
まさにテンプレート通りの悪役令嬢ムーブである。
取り巻きの少女たちも「そうですわ!」「公爵家のクラリス様こそが殿下にふさわしいのに!」と囃し立てている。
普通なら、ここでヒロインや負け犬令嬢なら泣き出すか、意地になって言い返す場面だろう。
だが、私の中身は五十三歳のおばさんだ。
十歳の女の子が背伸びをしてマウントを取ってくる姿など——
(あらあら……可愛いわねぇ!!)
前世で、娘が小学生の頃に「〇〇ちゃんとは絶交よ!」とプンプン怒っていた時期を思い出してしまった。
高飛車に振る舞おうとしているが、緊張で扇子を持つ手が少し震えているし、ツインテールが怒りでピコピコ動いていて実に愛らしい。
「失礼いたしました、クラリス様とおっしゃるのですね」
私はベンチから立ち上がると、極上の「おばあちゃんスマイル(慈愛に満ちた笑顔)」を浮かべて一礼した。
「?」
クラリスちゃんが毒気を抜かれたように眉をひそめた。
「な、何よその顔は! 私はあなたを威嚇しているのよ!?『成り上がりのくせに調子に乗るな』って言ってるの!」
「ええ、おっしゃる通りでございますわ。バレンタイン家は成り上がりの浅い家柄。公爵家という高貴なお立場であられるクラリス様のお言葉、胸に刻みますわね」
私は優しく微笑みながら、ポケットから小さな刺繍入りのハンカチを取り出した。
「ところで、クラリス様。とっても素敵なお召し物とお髪型ですけれど……少し、お疲れではありませんか?」
「は……? な、何の話よ!?」
「朝早くからお髪をセットされて、こんなに重たいレースのドレスをお召しになって……。それに、エドワード殿下のことをとっても大切に思っていらっしゃるから、気張ってしまわれたのね。肩がガチガチに凝っていらっしゃいますわ」
私はそう言って、クラリスちゃんの肩にそっと手を置いた。
前世で、近所の奥さんたちの肩を揉みほぐし、「〇〇さん、いつも自治会の準備ありがとね〜」と労っていたあの技——【おばさんの極上ツボ押しマッサージ】を繰り出したのだ!
「ひゃんっ!?」
クラリスちゃんが変な声をあげた。
「ここ、凝っていらっしゃるでしょう? 十歳のお体で公爵家の看板を背負って、色々と大変ですものねぇ。頑張っていらして、本当にかしこいお嬢様だわ」
親指で絶妙な力加減を加えながら、私は孫を宥めるような優しい声で語りかけた。
「な……な、何をするのよ……! あ、でも……そこ……すごく気持ちい……じゃなくて! 私を子供扱いしないで……!」
クラリスちゃんの顔がみるみるうちに真っ赤になっていく。
マウントを取ろうと威嚇しに来たのに、なぜか相手(八歳)に肩を揉まれ、慈愛の言葉で労われているのだ。脳の処理が追いついていない。
「お友達とお話しするのも、殿下にアピールするのも、健康な体があってこそですわ。ほら、こちらの温かいハーブティーでも飲んで、少しお休みになりなさいな」
私はマイボトルに入れて持参していた、前世の「ほうじ茶風ハーブティー」をカップに注ぎ、クラリスちゃんに手渡した。
「……っ!」
クラリスちゃんは狼狽しながらも、差し出されたカップを受け取り、一口飲んだ。
「……美味しいわね」
「でしょう? ホッとするでしょう? 肩の力を抜いて、楽しく学校生活を送りましょうね、クラリスちゃん」
「ち、ちゃんって呼ばないでよ……!」
ツンとそっぽを向くクラリスちゃんだったが、その耳たぶは熟したトマトのように真っ赤だった。
取り巻きの女子生徒たちも、呆然としてその光景を見つめている。
「じゃあ私、次の授業がありますので失礼いたしますね。ご機嫌よう」
私はニコリと微笑み、軽やかな足取りでその場を去った。
(ふぅ……大人の対応で無事にトラブル回避ね! 悪役令嬢ちゃんとも喧嘩せず、平和に終わってよかったわぁ)
私は大満足だった。
しかし、私の後ろで、クラリス・フォン・ルヴァン公爵令嬢の頭の中では、またしても破滅的な勘違いが完成していた。
(な……なんて恐ろしい令嬢なの……!?)
クラリスは震える手でハーブティーのカップを握りしめていた。
自分の怒りや嫉妬を一切受け止めず、それどころか全てを包み込むような圧倒的な包容力。己の身分の低さを素直に認めつつも、決して卑屈にならず、敵対する自分に対してまで慈悲を与える心の深さ。
(私は……私はなんて浅はかなの……! 彼女はエドワード殿下を奪おうとするライバルなどではない……! もっと高い次元から、私たちを見守っている『聖母』のような存在……!)
「クラリス様……大丈夫ですか……?」
取り巻きが恐る恐る声をかける。
クラリスはハッと我に返ると、真剣な顔で振り返った。
「決めたわ……! 私、今日からリナ様の【第一の信奉者】になるわ!!」
「「はいぇぇぇぇ!?!?」」
「あの方の気高さ、あの方の慈愛……! エドワード殿下だけに独占させてたまるもんですか! リナ様をお守りするのは、この私よ!」
こうして、本来ならヒロインをイジメ抜くはずの「悪役令嬢」クラリスちゃんが、私のガチ勢(お母さんマッサージに落とされたファン第一号)へと爆誕してしまったのだった。
◇
一方、私はというと。
「よし、授業も終わったし、学園の図書室で静かに読書でもしようかしら」
放課後、私は学園の一番奥にある、滅多に人が来ないという古い図書室へと向かっていた。
ここなら、エドワード王子もルーカス少年も、私を探し出せないはずだ。
「ふぅ……静かで最高ねぇ」
古い紙とインクの匂いが漂う図書室の隅の席に座り、私は自分で持ち込んだ新作小説のプロット帳を開いた。
「次の話は……そうねぇ、熟年夫婦が異世界でカフェを開く話にしようかしら。派手なバトルも恋愛もない、ただ美味しいコーヒーとケーキを出すだけの、平和なお話……」
カリカリとペンを走らせていると。
「……君、何をしているの?」
静かな図書室に、低く冷ややかな声が響いた。
驚いて顔を上げると、そこには本棚の陰から私を見下ろす一人の少年がいた。
漆黒の髪に、アメジストのような紫色の瞳。線の細い、繊細でミステリアスな美少年。
(あ……)
私の脳内データベースが再び稼働する。
ゲーム『星恋』の攻略対象の一人。
王立アカデミーの若き天才魔導師にして、極度の人間嫌い&引きこもり属性——シオン・フォン・シルフィード(十二歳)!
「ここは僕の指定席だ。騒がしい子供は出て行ってくれないか」
シオン少年は冷酷な眼差しで私を睨みつけてきた。
(うわぁ……また面倒くそうな属性の子が出てきたわねぇ……)
前世の私なら「ボクちゃん、暗いところで本を読んでいると目が悪くなるわよ〜」と注意するところだ。
だが、ここで争うのはモブの美学に反する。
「失礼いたしました。すぐに移動いたしますね」
私は素早く荷物をまとめ、立ち上がった。
その時。
シオン少年の視線が、私のデスクの上に置かれていた原稿用紙(プロット帳)に留まった。
「……待て」
「はい?」
シオン少年が素早い動きで私の原稿用紙をひったくった。
「あ、ダメですよ、それは私の個人的な落書きで……」
「……っ!?」
シオン少年が原稿に書かれた「魔法陣の理論(前世の漫画で見た幾何学模様と、主婦の料理の工程を応用した架空の魔術理論)」を目にした瞬間、そのアメジストの瞳が激しく揺れた。
「こ……これは……!? 多重展開による魔力の熱効率理論……!? 従来の魔導書にはない、全く新しい演算方式……!?」
(違うのよ! それ『電子レンジで温め直す時の熱効率』を魔法っぽく書いた漫画のネタなのよ!!)
「誰だ……誰にこれを教わった!? 王立魔導院の長老か!? いや、この発想は古代魔導言語の応用……!」
シオン少年が私の両肩を掴み、狂気すら感じる熱量で迫ってきた。
「君……君は何者だ!? 僕が三年かけても解けなかった『魔力の熱拡散問題』を、なぜこんな簡単な図形(電子レンジの回転皿の図)で解決しているんだ!?」
「あ……あの……シオン様? それはただの暇つぶしのアイディアで……」
「暇つぶしだと……!? この天才的な理論が……!?」
シオン少年はハァハァと息を荒げ、私をまるで「伝説の魔導王の再来」を見るような目で見つめた。
(アカン……またやっちゃった……!!)
前世でクックパッドを見ながら「こうすれば短時間で味が染み込むのね〜」と工夫していた主婦の知恵が、異世界の魔導理論と奇跡的にリンクしてしまったらしい。
「リナ・ド・バレンタイン……! 君を……君を僕の『師』とつながせてくれ!!」
十二歳の天才魔導師が、八歳の私に向かって、図書室の床に膝をついた。
「……はい?」
「僕に……僕にその真理を教えてくれ! 君の知識の全てを!!」
(いやだぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 私は静かに読書がしたいだけなのにぃぃぃぃぃ!!)
私の悲痛な心の叫びは、静かな図書室に虚しく消えていった。
◇
学園入学初日。
モブとして静かに生きるはずだったリナ・ド・バレンタイン(八歳/中身五十三歳)。
結果。
・第一王子エドワード&氷の貴公子ルーカスからの激重執着(継続中)
・悪役令嬢クラリスを「お母さんマッサージ」で信奉者化
・天才魔導師シオンから「師匠」として崇拝される
という、地獄のようなフルコンボを達成してしまったのだった。
「お家……お家に帰りたいわぁ……」
自室のベッドでシクシクと泣く私。
しかし、彼女の「無自覚なおばさん力」が引き起こす台風は、学園全体を巻き込んでさらなる大混乱へと発展していくのだった。




