おばさんの世間話、領地を救う~父のふとした疑問と知らぬ間に始まる構造改革~
王宮夜会での「コスメ爆発的ヒット」から数週間が経過した。
バレンタイン男爵家の屋敷は、王宮からの勲章の授与や貴族婦人たちからのコスメの注文、そしてRINA先生の次回作を待ち望む熱狂的なファンレターの山によって、日夜ごった返していた。
だが、当の本人は至ってマイペースである。
「はぁ〜、やっぱりお茶は緑茶(似たような異世界ハーブティー)に限るわねぇ。おせんべい(のような香ばしい焼き菓子)と最高だわ」
私は日当たりの良いバルコニーの藤椅子に深く腰掛け、縁側のおばあちゃんさながらの寛ぎモードで、まったりとティータイムを楽しんでいた。
「リナ様、お代わりはいかがですか?」
「ありがとうマリア。今日は本当にお天気が良くて、洗濯物がよく乾きそうだわねぇ」
「はいっ! リナ様のお優しい笑顔を見ているだけで、私の心もポカポカと乾いて(?)まいります!」
相変わらずマリアの解釈は明後日の方向へ飛んでいるが、害はないのでスルーだ。
私は満足そうに目を細めた。
王子エドワードや銀髪のルーカス少年からの怒涛の文通攻勢は、「まだ六歳のお子様ですから、お勉強に専念させますわ」という理由で、両親を介して適当にいなしてある。
よしよし。これでようやく、私の望んでいた「無害な大富豪の娘による自寝自惰な日々」が戻ってきたのだ。
——そう、思っていた。
ドタドタドタッ!!
「リナぁぁぁぁ! 大変だ! 助けておくれリナぁぁぁ!」
重厚な足音とともに、バルコニーの扉が勢いよく開け放たれた。飛び込んできたのは、額に滝のような汗を浮かべ、髪を振り乱した父親——バレンタイン男爵であった。
「お父様? 廊下は走らないでとあれほど……。どうぞ、そちらのお茶でも飲んで落ち着きなさいな」
私は前世の「パチンコから負けて帰ってきた夫を迎える妻」のような落ち着きで、冷えたハーブティーを注いで差し出した。
「お茶を飲んでいる場合じゃないんだ! いや、頂くけれども! ぐびっ……ふぅ。……違うんだリナ! 我がバレンタイン領が、大変な危機に直面しているんだよ!」
「危機、でございますか?」
私が首を傾げると、お父様は頭を抱えてテーブルに突っ伏した。
「ああ……我がバレンタイン男爵領は、もともと商業で成り上がった領地だ。だが、ここ数年の急激な人口増加と、近隣領地との交易摩擦のせいで、領内の流通と食料供給が完全にパンクしかけているんだよ!」
お父様が差し出してきた羊皮紙の資料には、難解な数字とグラフ(のようなもの)が書き連ねられていた。
要約すると、こういうことだ。
バレンタイン領は商人や職人が集まる「大都市」となったが、そのせいで以下の問題が発生している。
一、【食料不足と物価高騰】 領内の農村で作る小麦の生産量が追いつかず、他領からの輸入に頼っているため、主食の価格が上がって庶民の生活が苦しい。
二、【物流の渋滞】 王都への幹線道路が一本しかなく、馬車が連日大渋滞を起こして流通コストが跳ね上がっている。
三、【ゴミ問題と衛生悪化】 人が増えたせいで、街にゴミがあふれ、ドブ川が臭い。
「領地の文官たちと連日徹夜で会議をしているのだが、誰も解決策を出せないんだ!『税金を上げて輸入を増やしましょう』とか『道路の警備を増やしましょう』とか、そんな当たり前のことばかり……! このままでは、領民の不満が爆発して暴動が起きてしまう!」
お父様は泣きそうな顔で私を見つめた。
「リナ……お前は文芸の天才であり、美の革命家だ。何か……何か神からのお告げのような、素晴らしい知恵はないかい!?」
(知恵、ねぇ……)
私は冷めたハーブティーをすすりながら、内心で苦笑した。
異世界の領地経営なんて、五十三歳の元主婦に聞かれても困る。私は政治家でも経済学者でもないのだ。
だが、お父様が提示した問題は、前世の私にとって「ものすごく身近な生活の悩み」ばかりだった。
主食の値段が高い? スーパーのタイムセールで工夫すればいいじゃない。
道路が混んでいる? バイパス道路を作るか、時間帯をずらせばいいじゃない。
ゴミが臭い? 分別してリサイクルしなさいよ。
(まあ、お父さんがこんなに困ってるんだし……近所の奥さん同士の世間話レベルのアドバイスなら、言っても差し支えないかしらねぇ)
私は「助言」なんて大層なものではなく、ただの「おばさんの独り言」として、口を開いた。
◇
「お父様」
「なんだい、リナ!?」
「私、難しい領地経営のことは分かりませんわ。でも……お買い物をする主婦……失礼、お屋敷のお台所を取り仕切る者としての『素朴な疑問』がございますの」
「素朴な疑問……?」
お父様が身を乗り出す。
「ええ。まず、お食事の件ですが……なぜ我が領地の方々は、そんなに『小麦』ばかり召し上がるのですか?」
「え? それは……主食だからだよ? パンを食べるのが当たり前じゃないか」
「でも、バレンタイン領の南側の土地は、水はけが悪くてジメジメした湿地帯でしょう? 小麦の栽培には向いていないわ」
「そうなんだよ! だからあそこは不毛の地として捨てられているんだ」
私はふっと微笑んだ。
前世の日本で、主婦として何千回とお米を研いできた私だ。湿地帯、豊かな水、暖かい気候——それが何を意味するかなど、小学生でも知っている。
「湿地帯なら、小麦ではなく『お米』や『ジャガイモ(似たような塊茎作物)』をお育てになれば宜しいのに。お水が大好きな作物ですもの。それに、ジャガイモなら痩せた土地でも作れますし、連作障害にも強いわ。小麦の代わりにジャガイモのスープやコロッケを主食に混ぜれば、主婦(領民)のお財布も大助かりですわよ?」
「な……ッ!?」
お父様が目を見開いた。
この世界では「主食=小麦」という固定観念が強すぎたのだ。湿地帯で育つ「米」や「芋類」は、家畜の餌か貧民の非常食として軽視されていた。それを主食の代替品として大量生産するという発想自体が、貴族や文官たちにはなかったのだ。
「そ、そうか……! あの使えない湿地帯を、芋や米の農地に変えれば……食料の生産量は跳ね上がる……!」
「それに、お父様。主食のバリエーションが増えれば、食卓も楽しくなりますわ。ジャガイモを揚げたフレンチフライ(ポテトフライ)なんて、子供たちも大喜びしますわよ」
「ポテト……フライ……! なんだか凄く美味しそうだ!」
お父様は慌ててメモを取り始めた。
「次に、お道路の渋滞ですけれど……」
私は指を立てて続けた。前世で車を運転していた頃、大渋滞に巻き込まれるたびに思っていたことだ。
「なぜ、全員が『昼間』に『同じ道』を通ろうとするのかしら?」
「え? 昼間に働くのが普通だろう?」
「夜間に荷物を運ぶ業者に、通行税の割引……つまり『夜間割引チケット』を出して差し上げれば宜しいのに。重い荷物を運ぶ大きな馬車は夜の間に移動させれば、昼間の混雑は半分になりますわ。それと……一本道が混むなら、横に『抜け道(バイパス道路)』をお作りになればいいだけのことですわ」
「や、夜間割引……! 抜け道……!!」
お父様のペンを握る手が、ガタガタと震え始めた。
夜間物流による交通量の分散。インフラの複線化。
現代社会ではごく当たり前の「交通需要マネジメント(TDM)」の概念である。しかし、中世風の異世界においては、目から鱗が落ちるどころか、天地がひっくり返るような革新的ロジスティクス論だった。
「最後に、街のゴミ問題ですけれど……」
私は少し声を潜め、眉をひそめた。
「街が臭いのは、生ゴミと人間の排泄物を一緒にドブに捨てるからですわ。汚いし、病気の元になります。……ゴミは『燃やせるゴミ』と『燃やせないゴミ』と『食べ物のクズ』に分けるべきですわね」
「分ける……? ゴミを、分けるのかい!?」
「ええ。食べ物のクズは農家さんに持っていって、熟成させて『肥料』にすればいいのです。タダで良い肥料が手に入って、農家さんも大助かりですわ。ガラスや金属のゴミは回収して溶かせば、新しい道具に生まれ変わります(リサイクル)。そして、街の中に定期的にゴミを回収する『ゴミ収集車(馬車)』を走らせるのです」
私は前世の「火曜日と金曜日は燃えるゴミの日」という日常を、ただそのまま語っただけだった。
「ゴミを分別し、リサイクルし、肥料に変える……!? 街が綺麗になるだけでなく、農業の生産性まで上がるというのか……!? なんという循環型社会の構築……!!」
お父様は立ち上がり、机を叩いた。
その顔は歓喜と驚愕で真っ赤になり、目はカッと見開かれている。
「リナ……お前……お前は一体……!!」
「あらあら、お父様。興奮すると血圧が上がりますわよ? これはただの、お部屋のお掃除やお買い物と同じ『主婦の工夫』のようなものですから、お気になさらないでくださいね」
私は微笑みながら、ハーブティーを一口すすった。
(ふぅ。これで少しはお父さんの悩みも解消されたかしら。さ、今日はお気に入りの漫画の続きでも読もうかしらねぇ)
私は完全に「良いことをして満足したおばさん」の気分でいた。
しかし。
私のこの「世間話」が、バレンタイン領……ひいては国家全体の構造を根底から揺るがす大改革の引き金になることを、私は全く理解していなかったのだ。
◇
翌日から、バレンタイン男爵の行動は凄まじかった。
私のアドバイス(世間話)をそのまま書き写した「領地改革書」を携え、領内の文官や技師、農民の代表を集めて大号令を発したのだ。
「今日より、我が領地は『大改革』を行う! 発案者は——我が娘、リナ・ド・バレンタインである!!」
領民たちは最初、半信半疑だった。
「六歳の令嬢が考えた改革だと?」「成り上がり男爵のたわごとか?」と嘲笑する者もいた。
だが、実際に改革が始まると、領内の風景は一変した。
まず、【食料革命】。
打ち捨てられていた湿地帯にジャガイモと米が植えられ、わずか数ヶ月で爆発的な収穫量を記録した。
特に、リナの発案(前世の記憶)によって作られた「フレンチフライ(ポテトフライ)」と「ポテトチップス」は大ヒット。安くて美味しく、腹持ちが良いジャガイモ料理は、瞬く間に庶民の主食となり、食料不足は一夜にして解消された。
次に、【物流革命】。
「夜間通行税の半額化」と「バイパス道路の建設」により、バレンタイン領の物流渋滞は完全に解消。王都までの物流スピードは三倍になり、流通コストが劇的に下がったことで、領内の物価が下がった。
そして、【衛生革命(ゴミ分別)】。
「火曜日は生ゴミの日」「木曜日は不燃ゴミの日」という看板が街中に設置され、ゴミ収集馬車が巡回を始めた。
街から悪臭が消え去り、生ゴミから作られた「コンポスト肥料」によって農作物の育ちがさらに良くなった。他領で流行していた伝染病も、バレンタイン領だけは「街が圧倒的に清潔だから」という理由で完全にシャットアウトされたのだ。
わずか半年で。
バレンタイン男爵領は、「王国で最も裕福で、最も清潔で、最も食料が豊富な、奇跡のモデル都市」へと変貌を遂げた。
◇
「……え?」
ある日、自室で優雅にお菓子を食べていた私は、手渡された「領地報告書」を見て目を見開いた。
『バレンタイン領、奇跡の大発展。税収は前年比三〇〇%を記録。領民の満足度一〇〇%。王都からの移住希望者が殺到中』
さらに、報告書の末尾にはこう書かれていた。
『この全ての改革を指揮し、神のごとき先見の明で領地を救った【幼き聖導者】リナ・ド・バレンタイン令嬢に、領民一同より無限の感謝を捧ぐ』
「ちょっと待ってぇぇぇぇぇぇぇ!!」
私は思わず素の悲鳴をあげた。
「なになに!? なんでこんなことになってるの!? 私、ただ『ジャガイモ食べたら?』『夜に荷物運べば?』って世間話しただけじゃない!!」
部屋に飛び込んできたマリアが、感動の涙をボロボロとこぼしながら膝をついた。
「リナ様……! 素晴らしすぎます! 領民たちは皆様、リナ様の描かれた絵(肖像画)を家に飾り、『リナ様は神が遣わされた豊穣と知恵の女神様だ』と毎日お祈りをしておりますのよ!」
「お祈り!? 拝まないで! 私、ただの五十三歳のおばさんだから!!」
心の中で必死に叫ぶも、時すでに遅し。
さらに、最悪の報せが届く。
「リナ様! 王都より、第一王子エドワード殿下と、グランヴェル伯爵令息ルーカス様が、バレンタイン領の『視察(という名のリナ様への訪問)』のため、大規模な護衛を引き連れてこちらに向かわれております!」
「……は?」
「エドワード殿下は『リナ令嬢の治世の才は、将来の王妃として相応しすぎる。僕自らその目で見極めたい』とおっしゃっており、ルーカス様は『リナの邪魔をする奴は王子だろうと許さない』と剣を抜かんばかりの勢いで追ってきておられます!」
「ひえぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
私の「平穏な引きこもり計画」は、跡形もなく粉々に打ち砕かれていた。
小説と漫画で【文芸のカリスマ】になり、
基礎化粧品で【美の革命家】になり、
今度は領地改革で【国家を救う天才政治家(聖導者)】になってしまったのだ。
しかも、その全ての原因が、「前世の五十三年間で培った、ごく普通の主婦の知恵と世間話」だというのだから笑えない。
「どうして……どうして普通に生きさせてくれないのよぉ……!」
頭を抱えてベッドに突っ伏す私。
外からは、バレンタイン領の復興と「リナ様」を称える領民たちの歓声が、地鳴りのように響いてきていた。
知識と思考回路はアラフィフ主婦、見た目は愛くるしい六歳令嬢。
リナ・ド・バレンタインの意図しない「無双」と「大勘違い」の波は、ついに国家中枢をも巻き込んで、さらなる大混乱へと突き進んでいくのだった。




