暗黒街の侵略者と、究極の常備菜〜脱こたつ!ベテラン主婦の立食い指導〜
バレンタイン男爵家が二階級特進を果たし、『バレンタイン伯爵家』となってから数ヶ月。
ヴァルハイト軍事帝国が『聖バレンタイン教会・極北支部』へと華麗に組織改編を果たし、全土の軍需工場が「遠赤外線こたつ」と「発酵味噌樽」の生産ラインへと強制換装されたことで、世界から「戦争」という二文字は完全に消滅していた。
だが、当のリナ・ド・バレンタインの日常は、少しばかり変化していた。
「リナ様! 今日もサロンに特注の三十人用超巨大魔導こたつを搬入いたしますわ!」
「リナ様、こたつ布団の洗い替えに、最高級のシルクハーブ生地をご用意しました!」
連日、狂信者と化したクラリスやシャルロットたちが競うように巨大なこたつを持ち込んでくるため、王立学園のサロンはすっかり「こたつに占領された宴会場」と化していたのだ。
だが、十五才のベテラン主婦リナは、腕を組んでビシッと首を横に振った。
「ダメですわ、皆さん! いくら温かいからと言って、四六時中こたつに潜り込んでいては下半身の筋力が衰えてしまいます! 姿勢が悪くなり、骨盤が歪み、便秘や腰痛の元になりますのよ! 『脱こたつ』です!」
「「「えええええっ!? 脱こたつ!?」」」
第一王子エドワードをはじめ、サロンにいた全員が衝撃のあまり叫び声を上げた。
「ええ。今日からは『シャキッと立って、正しく身体を動かす生活』を意識しますわ。こたつは封印です!」
リナはこたつをきっぱりと片付けさせ、代わりにサロンの中央に大きな木製の立ち食いカウンターテーブルを設置した。
そして、エドワードたちに特製の「姿勢矯正竹ふみ」を踏ませながら、手際よく木製トレイにおかずを並べ始めていた。
「リナ様……脱こたつは結構ですが、本日の悩みとは一体……?」
最高企画参謀のシャルロットが、竹ふみで「痛たたた」と足裏を刺激されながら尋ねた。
「ええ。最近、朝夕の寒暖差が激しいでしょう? 座りっぱなしを防ぎつつ、手軽に栄養補給ができる『常備菜のバリエーション』について考えていたのですの。『きんぴらごぼう』と『ひじきの煮物』だけでは、殿方やみんなが飽きてしまわないか心配でしてねぇ」
リナはノートに『切り干し大根の煮物』『小魚と昆布の佃煮』『梅干しのハチミツ漬け』と丁寧な文字で書き進めていた。
その横で、前ヒロイン・マリアンヌが竹ふみの上に立ち、プルプルと足を震わせながら葛湯を啜っていた。
(こたつがなくなっても、リナ様の主婦力指導は容赦ないわね……。でも、足裏を刺激されながら飲む葛湯、なんだか身体の毒素が抜けていく気がするわ……)
マリアンヌが完全にリナの健康法に馴染んでいた、その時であった。
ドグァシャアアン!!
サロンの頑丈な魔導防音扉が、禍々しい紫色の衝撃波によって粉々に吹き飛んだ。
「ハハハハハ! 見つけたぞ、この世の平穏を貪る温床を!!」
サロン内に充満する香ばしいほうじ茶の香りを打ち消すように、凄まじい邪気と紫煙が立ち込めた。
そこに立っていたのは——漆黒のローブを纏い、頭部に禍々しい二本の角を生やした、人間離れした美貌を持つ青年であった。
「報告! 地底深く眠っていた古代の暗黒魔導勢力……『魔王軍』の現・魔王バルバトス陛下です!」
「魔王……バルバトス……!?」
竹ふみの上に立っていたエドワード殿下やアルフレッド殿下、ルーカスたちが一斉に緊張走らせ、腰の剣に手をかけた。
「フハハ! 人間どもめ、怯えるがよい!」
魔王バルバトスは冷酷な笑みを浮かべ、紫色の魔力を全身から迸らせた。
「地上を調査させたところ、ヴァルハイト帝国までもが『こたつ』などという軟弱な家具に屈したと聞いた! だが、ここにはこたつすら無いではないか! 貴様ら、絶望して逃げ惑う準備はできたか! この我が直々に、貴様らの首を跳ねてやろう!」
魔王バルバトスは大鎌を振りかざし、部屋の中心でエプロン姿で立っているリナへと突進した。
「死ねぇ、バレンタイン伯爵令嬢リナ!!」
凄まじい威圧感と殺気がサロン全体を押し潰さんばかりに広がった。
普通ならば、その殺気だけで失神するか、狂乱して逃げ惑う場面である。
だが——
「あらまあ。大きな角が生えていらっしゃること。重たそうですわねぇ」
リナは全く動じることなく、姿勢良くすっと立ちつくしていた。
「そちらの魔王様? そんなに猫背になって大鎌を振り回して……背骨が歪んでしまいませんか? それに、地底から急に地上へ上がってこられたのでしょう? 地底と地上では『気圧』と『湿度』が大きく異なりますから、自律神経が乱れて頭痛や肩こりが起きやすいのですのよ?」
「……は?」
魔王バルバトスは、振り上げた大鎌を止めた。
世界を滅ぼしに来た魔王に向かって、十五才の少女が真顔で「猫背と、地底・地上の気圧差による自律神経の乱れ」を指摘しているのだ。
「ふ、戯言を! ワシは魔界の王だぞ!? 自律神経だと!? そのような人間の弱点など我が魔族には——」
「ダメですわよ、猫背は!」
リナは真剣な表情になると、すたすたと前に歩み出た。
魔王が繰り出す紫色の殺気の波動など存在しないかのように通り抜け、バルバトスの前まで来ると、その冷え切った両手をガシッと握りしめた。
「ひっ!?」
「まあ……! なんて手が冷たいのでしょう! それに、立ち姿勢が前傾姿勢になりすぎて、腰にかなりの負担がかかっていますわ! 地底というのは、そんなに冷え込んで足腰を痛める場所なのですか?」
「な……何だこの女は!? ワシの魔導結界を突破して……手を握ってきただと!? な、離せ! ワシは魔王——」
「お立ちなさい、背筋を伸ばして!」
リナの圧倒的な「お母さんの一言」が、魔王の言葉を遮った。
「姿勢が悪いと呼吸が浅くなり、血流が悪くなって心が荒れるのです! ほら、肩の力を抜いて、顎を引いて!」
リナは手際よく魔王の邪悪な重いローブを脱がせると、彼の背中にバシッと手を当てて姿勢を正させた。
「ぐはっ!? 背骨が……背骨が正しい位置に収まっていく……!?」
「そして、座り込まずに、こちらの竹ふみの上に立ちなさいな!」
ぐいっ!!
「な、なんだこの力はぁぁぁぁっ!?」
リナの圧倒的な母性力と整体的指導により、世界を滅ぼすはずだった魔王バルバトスが、立ち食いカウンターの竹ふみの上へと強引に乗せられた。
◇
「あたたたたたっ!? なんだこの足裏を突き刺す激痛は……ッ!?」
魔王バルバトスは、竹ふみの上で悶絶していた。
土踏まずを直撃する、痛烈な刺激。
だが、痛みが引くと同時に、地底の冷たく湿った暗闇で数千年間滞っていた彼の全身の血流が、怒涛の勢いで巡り始めた。
「な……なんだ……? 足の裏から……頭のてっぺんまで熱が駆け巡る……!? 地底の湿気で長年苦しんでいた我が腰痛と肩こりが……スーッと消えていく……!?」
「ほら、バルバトス様。ちゃんと立って、深く息を吸うのですのよ。そして、はいどうぞ」
リナが立ち食いカウンター越しに差し出したのは、質素だが慈愛に満ちた小鉢であった。
「『特製・切り干し大根と小魚の佃煮』に、温かい『玄米お粥』ですわ。立って正しい姿勢でしっかり噛んで召し上がると、消化吸収が劇的に良くなりますのよ」
「な……立って飯を食えだと……!? 我が魔界の礼節では考えられん……こんな地味な食べ物……ッ!」
「四の五の言わずに、三十回噛んで召し上がりなさい!」
「んぐっ!?」
魔王の口に、リナの手によって強引にお粥と切り干し大根が放り込まれた。
シャキ……シャキ……。
「……ッ!?」
魔王バルバトスの目が、見開かれた。
噛むほどに広がる、出汁の深い旨味。太陽の光をたっぷり浴びて乾燥された大根の甘みと、小魚のカルシウム。
足裏の竹ふみ刺激によって活性化した彼の胃腸に、その優しい食物繊維とミネラルが吸い込まれるように染み渡っていく!
「う……美味い……!! なんだこの身体の底から湧き上がる活力は……!? ワシは……ワシは地底の冷たい暗闇で、ただ肉を喰らい、座り込んで破壊のことだけを考えて生きてきた……! こんな……こんな健康的な立ち食いを経験したのは……生まれて初めてだ……!!」
魔王バルバトスは竹ふみの上で姿勢良く直立したまま、目からポロポロと大粒の黒い涙をこぼした。
「バルバトス様。世界を滅ぼすなんて、体力を消耗するばかりで体に悪いですわ」
リナは優しくバルバトスの頭を「よしよし」と撫でた。
「地底の皆さんも、ずっと座りっぱなしで足腰が冷えてイライラしていらっしゃるだけですのよ。今度、私がお邪魔して、地底の皆さんに『竹ふみ健康法』と『常備菜の作り方』を教えて差し上げますわね」
「り……リナ様ぁぁぁぁぁっ!」
魔王バルバトスは竹ふみの上で直立不動の姿勢のまま号泣した。
「降伏だ……! 魔界全土は今日限りで『聖バレンタイン教会・地底立位健康支部』として降伏する!! どうか……どうか我が魔界の民に、その『竹ふみ』と『常備菜』を与えてくだされぇぇぇっ!」
「あらあら、まあまあ。素直で良い子ですわねぇ」
こうして、こたつを封印し「脱こたつ」を果たしたリナの立食い整体指導により、魔王軍はあっけなく陥落したのであった。
◇
サロンの隅で、竹ふみに乗りながらシャルロットとクラリスが凄まじいスピードでペンを走らせていた。
「クラリス様! 地底魔界の併合および、魔界全土への『竹ふみ設置&常備菜普及計画』の策定が完了いたしましたわ!」
「素晴らしいわシャルロット! 魔界の全住民に毎朝の『ラジオ体操と立位朝食』を義務付けなさい!」
「……もう、こたつが無かろうが関係ないわね」
マリアンヌは竹ふみの上で綺麗に背筋を伸ばし、清々しい顔で葛湯を飲み干した。
「あのお方の『ベテラン主婦力』の前では、こたつなんてただのアイテムの一つに過ぎなかったのよ……」
◇
数日後。バレンタイン伯爵家の屋敷。
「ふぅ……。今日も背筋が伸びて、良い一日でしたわねぇ」
リナは庭園で風を浴びながら、姿勢良く『自家製梅干し』を口に含んでいた。
バレンタイン伯爵家となり、世界中がリナの「健康運動と常備菜」の下に平伏している。
父親であるバレンタイン伯爵は、今日も王室から届く「世界ラジオ体操連盟総裁」などの謎の賞状を見て、胃薬を飲みながら白目を剥いていた。
だが、リナの願いは最初から何一つ変わっていない。
(バレンタイン伯爵家の莫大な資産で一生遊んで暮らし、適度な運動と美味しい常備菜で、静かにモブとして老後を過ごしたいわぁ)
十五才のベテラン主婦リナ・ド・バレンタインのささやかな老後生活(※何度も言いますが十五才です)は、こたつを飛び出し、世界中の愛と健康的な習慣に囲まれながら、どこまでも爽やかに続いていくのであった。




