帝国の使者と、史上最強のこたつ会談〜伯爵家の平穏と、世界征服の勘違い〜
バレンタイン男爵家が二階級特進を果たし、『バレンタイン伯爵家』となってから数ヶ月。
王国の首都は、かつてない静寂と衛生に包まれていた。
街の路地裏からはゴミの山が消え去り、どこの家庭の玄関先にも「自家製ハーブの除菌スプレー」と「乾燥生姜の魔導保温瓶」が備え付けられている。
病気の発生率は前年比で九九%減少。人々は「本日も無病息災、リナ様を崇めよ」と笑顔で挨拶を交わし、世界で最も平和で不健康が存在しない「衛生ディストピア王国」が完成しつつあった。
当のリナ・ド・バレンタインはというと——
「ふぁ〜あ……。今日もお日様がぽかぽかで、良いお天気ですわねぇ」
バレンタイン伯爵家の広大な庭園に設置された特注の「十五人用・超巨大魔導こたつ」の中で、モコモコのはんてんを羽織り、ほくほくの『焼き芋』をハフハフと頬張っていた。
そのこたつの中には、当たり前のように凄まじい面々がひしめき合っていた。
リナの右隣には、王国全軍の指揮権を持つ第一王子エドワード殿下が、リナの焼き芋の皮を恭しく受け取る専用の小皿を持って待機している。
左隣には、第二王子アルフレッド殿下が、リナの淹れた『特製・黒糖生姜湯』の湯気をうっとりと浴びながら「美味い……この生姜湯が身体の隅々に染み渡る……」と目を細めている。
こたつの対角線上では、ルチア公爵令嬢クラリス(※聖バレンタイン教会最高大司教)と、ローゼンベルク伯爵令嬢シャルロット(※最高企画参謀)が、ノートパソコンならぬ魔導羊皮紙を広げて真剣な顔で密談していた。
「クラリス様、今月の『リナ様手洗い洗剤』の売り上げですが、隣国ガゼル王国だけで金貨五十万枚を突破いたしましたわ」
「素晴らしいわシャルロット。その利益で、全土の小学校に『葛湯給食システム』を導入しなさい。リナ様の慈愛を子供たちの胃袋から叩き込むのです」
「承知いたしましたわ!」
かつて悪役令嬢と腹黒ヒロインとして互いを憎み合っていたはずの二人が、今や『リナ神話の絶対的経営陣』として完璧なバディを組んでいた。
さらに、こたつの端っこでは、前作の元・仮聖女であり現在はただの苦労人枠となった男爵令嬢マリアンヌが、白目を剥きながらミカンを剥いていた。
「……なんで私が、伯爵家の庭園で王子たちと一緒にこたつに入ってミカンを剥かされているのかしら……。留年回避のための【衛生実習単位】のためとはいえ、この空間の精神圧迫感が凄まじすぎるわ……」
マリアンヌは悟りの境地でミカンの筋をきれいに取り除き、リナの小皿へと捧げた。
「マリアンヌさん、いつも綺麗にミカンを剥いてくださってありがとうねぇ。はい、お返しに干し柿ですわ」
「あ……ありがとう……ございます……リナ様……っ」
リナの無自覚な母性攻撃により、マリアンヌの毒気は今日も綺麗に洗浄されていくのであった。
そんな、平和そのものの「庭園お茶会」の真ん中に——恐ろしい事態が乱入してきた。
◇
ドカァァァン!!
屋敷の巨大な正門が吹き飛び、けたたましい警告の鐘が王都全体に響き渡った。
「報告! 報告いたします! 北方の大国『ヴァルハイト軍事帝国』より、特使団が到着いたしました!」
バレンタイン伯爵家の私兵が、顔を真っ青にして庭園へと駆け込んできた。
「ヴァルハイト帝国……!?」
エドワード殿下とアルフレッド殿下の目が、一瞬で鋭い軍人のそれに変わった。
ヴァルハイト帝国。
それは、この大陸で最大にして最も残虐とされる軍事国家であった。圧倒的な魔導兵器と無敵の鉄騎兵を率い、過去数十年で数々の小国を滅ぼしてきた巨大な脅威。
その帝国の皇太子であり、『鉄血の暴君』と恐れられるガブリエル・フォン・ヴァルハイト自らが、数百名の重装騎士団を率いてバレンタイン伯爵家の屋敷へと乗り込んできたのだ。
「フハハハハ! ここが噂の『バレンタイン伯爵家』か!」
重厚な漆黒の鎧を纏い、背中に巨大な大剣を背負った男——ガブリエル皇太子が、庭園の芝生を踏みにじりながら歩み出てきた。
その鋭い眼光は、まさに獲物を狙う猛獣そのもの。
彼の後ろには、威圧感を放つ帝国最強の鉄騎兵たちがズラリと立ち並んでいる。
「聞いたぞ、バレンタイン伯爵! お前のところの娘が、妙な宗教と薬で我が国の隣国や王国の王子たちを骨抜きにし、世界を裏から支配しようとしているとな!」
ガブリエル皇太子は大剣を地面に突き立て、凄まじい圧迫感でリナたちを見下ろした。
「我がヴァルハイト帝国は、そのような軟弱な欺瞞には屈せん! おい、バレンタイン伯爵令嬢リナ! 貴様が噂の『神聖なる怪物』か!?」
ガブリエルの怒号が庭園に響き渡る。
普通のお嬢様であれば、気絶するか悲鳴を上げて逃げ出すような恐怖の光景であった。
だが——
「あらまあ。大きな声を出されるお方ですわねぇ」
リナは全く動じることなく、こたつの中からほっこりと顔を出した。
「そちらのお客さま。外はこんなに風が冷たいのに、そんな重たい鉄の服を着ていらして……肩が凝って冷えてしまいませんか? 甲冑の金属は冷気を溜め込みますから、血行にとても良くありませんのよ?」
「……は?」
ガブリエル皇太子は呆気にとられた。
殺気立つ帝国軍の真ん前で、十五才の少女が真顔で「甲冑を着た際の肩こりと冷え」について心配しているのだ。
「ふ、戯言を! ワシは帝国の鉄血の皇太子ガブリエルだぞ! 貴様らの降伏と、バレンタイン伯爵家の全財産、そしてその『怪しい薬(※生姜湯)』の製法を我が帝国に引き渡せ! さもなくば、この屋敷ごと全軍で踏み潰す——」
「貴様……リナ様に不敬な口を叩くな!!」
エドワード殿下とアルフレッド殿下が即座に剣を抜き、シオンが怪しい魔導陣を展開し、ガゼル王子が巨躯を躍らせて前に出ようとした。
「控えなさい、殿方」
静かな、しかし絶対的な声がそれを止めた。
リナである。
「お客人をお迎えするのに、剣を抜くものではありませんわ。……エドワード様、こたつ布団をもう一枚持ってきて差し上げて」
「ッ……! は、はい! リナ様!」
一瞬で「良い子」に戻ったエドワード殿下が、猛スピードで屋敷から予備のこたつ布団を運んできた。
リナはこたつの中敷きをトンと叩き、ガブリエル皇太子に向かってニッコリと微笑んだ。
「さ、ガブリエル様。立ち話もなんですし、どうぞこちらへお入りになって。温かい『お汁粉』が入っておりますのよ」
「な……何だと……!? ワシを……このワシを『こたつ』などという奇妙な家具に誘う気か!? 罠だな! 帝国軍、構え——」
「いいから、お座りなさい」
ぐいっ。
「なっ!?」
リナの圧倒的な「お母さん力」と、バレンタイン家特製の魔法磁力(※こたつのフチに仕込まれた強力な引力)により、重装甲のガブリエル皇太子が強引にこたつの中へと引きずり込まれた。
◇
「ぐぬぬぬ……っ! なんだこの暖かさは……ッ!?」
ガブリエル皇太子は、漆黒の鎧を着たまま、巨大こたつの真ん中に強制着席させられていた。
下半身を包み込む、魔法陣による均一で絶妙な温もり。
まるで母の胎内に戻ったかのような、圧倒的な安心感と弛緩。
「な、なんだこれは……! ワシの足の先から……長年の戦場で蓄積した疲労と冷えが……溶けていく……!?」
「ほら、ガブリエル様。甲冑の兜と手袋はお外しなさいな。邪魔でしょう?」
リナが手際よくガブリエルのイカつい兜を脱がせ、ゴツゴツとした手に温かいお椀を押し当てた。
「はい、自家製の『餅入りお汁粉』ですわ。小豆のポリフェノールと食物繊維が、戦仕事で荒れた胃腸を優しく整えてくれますからね」
「お、お汁粉……!? 毒が入っているのではないか……!?」
「いいから、召し上がれ。ふーふーして召し上がるのですのよ」
ガブリエル皇太子は冷や汗を流しながら、お椀に口をつけた。
ズズズ……。
「……ッ!?」
ガブリエルの瞳が、見開かれた。
甘い。
しかし、ただ甘いだけではない。ほのかな塩気が小豆の風味を引き立て、香ばしく焼かれたお餅が口の中で柔らかく伸びる。そして、食べた瞬間に体幹から温かいエネルギーが全身の血管へと駆け巡っていく!
「う……美味い……!! なんだこの温かさは……!? ワシは……ワシは極北の戦場で、凍えて死んでいった部下たちのために、常に心を鬼にして戦ってきた……! 冷たい鉄と血の中でしか生きられなかったワシが……こんな……こんな温かい食べ物を……!!」
ガブリエル皇太子の目から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ガ、ガブリエル殿下!?」「殿下が泣いていらっしゃる!?」
外で待機していた帝国軍の鉄騎兵たちが、信じられないものを見る目で絶叫した。
『鉄血の暴君』と呼ばれ、一度も笑ったことも泣いたこともなかった冷酷な皇太子が、十五才の少女の前でこたつに入り、お汁粉を食べながら大号泣しているのだ!
「ガブリエル様」
リナは優しく包み込むような眼差しで、ガブリエルのゴツゴツした手を撫でた。
「お強いのは結構ですが、一人で何もかも背負い込んでいては、身体が持ちませんわよ。帝国は寒さが厳しいのでしょう? そんな国で、みんなが肩を寄せ合って温まれる『こたつ』や『お味噌汁』がなかったら、心まで荒れてしまうのは当たり前ですわ」
「り……リナ殿……っ!」
「戦争なんて、体に悪いことばかりですわ。怪我はするし、お腹は減るし、風邪は引くし……。そんなことをするくらいなら、帝国の皆さんに『保温下着』と『大根シロップ』を配って、みんなで温かくして寝た方が、ずっとずっと幸せではありませんか?」
リナの素朴な、しかし圧倒的な「主婦の真理」。
それが、ガブリエル皇太子の荒みきった魂を直撃した。
(おお……おおお……っ! これだ……! 我が帝国に足りなかったのは、強大な兵力でも魔導兵器でもない……『圧倒的な母性と、温かいこたつ』だったのだ!!)
ガブリエル皇太子はこたつの中から身を乗り出し、リナの前で深々と頭を床に擦り付けた。
「降伏だ……! 我がヴァルハイト帝国は、今日この瞬間をもって『聖バレンタイン教会・極北支部』として降伏する!! リナ様! どうか我が帝国に……我が帝国の寒える人民たちに、その『こたつ』と『お汁粉』を賜りたい!!」
「あらまあ。降伏だなんて大袈裟ですわねぇ。こたつの作り方なら、大工さんに教えてあげますから、みんなで仲良く作るといいですわ」
リナはほっこりと微笑んだ。
◇
庭園の隅で、その光景を見ていたシャルロットとクラリスが、素早く羊皮紙に書き込みを始めた。
「クラリス様! ヴァルハイト帝国の併合が完了いたしましたわ! これで大陸の全主要国家が、我が教会の傘下に入りました!」
「素晴らしいわシャルロット! 全軍に命じて、帝国の軍需工場をすべて『こたつ生産工場』と『発酵食品加工場』に改修させなさい!」
「承知いたしましたわ!」
「……もうダメね、この世界」
マリアンヌは半目でミカンを食べながら呟いた。
「大陸最強の軍事帝国すら、たった十分のこたつとお汁粉で陥落したわ。この調子じゃ、来年あたりには魔王軍が出現しても『寒いですから葛湯をどうぞ』で世界平和が達成されるわね……」
マリアンヌの予想は、たぶん当たっていた。
◇
夕方。
帝国軍が「こたつの作り方マニュアル」と「特濃生姜湯の樽」を大事そうに抱えて、感動の涙を流しながら帰路についた後。
静かになったバレンタイン伯爵家の庭園で、リナはふぅと大きな欠伸をした。
「ふぁ〜あ……。今日はたくさんのお客さまが来て、少し忙しかったですわねぇ」
「リナ……お前は本当に……」
父親であるバレンタイン伯爵が、震える声で娘を見つめた。
「世界最強の軍事帝国まで従えてしまったぞ……。我が家はもう『伯爵家』の枠すら超えて、世界を実質的に統治する聖家になってしまったのではないか……?」
「まあ、お父様ったら。私はただの十五才の男爵……いいえ、伯爵令嬢ですわよ?」
リナはこたつ布団を首まで引き上げると、幸せそうに目を細めた。
(バレンタイン伯爵家の莫大な資産と、この世界最高のこたつがあれば、どこへ行っても私は最高に幸せだわぁ。これからも静かにモブとして、美味しいものを食べて老後(※十五才です)を満喫するのよ)
全土を平定し、世界中の権力者を「こたつの中」に収めたベテラン主婦リナ・ド・バレンタインの、平穏で壮大なモブ生活(?)は、これからも永遠に続いていくのであった。




