完璧すぎる伯爵令嬢と、誰も求婚できない理由〜ベテラン主婦の無自覚な高嶺の花〜
魔王軍の降伏、ヴァルハイト帝国の福祉国家化、そして神聖レスター帝国の「お弁当外交」による全面開国——。
バレンタイン男爵家が二階級特進を果たし『バレンタイン伯爵家』となってからというもの、十五才の少女リナ・ド・バレンタインの威光は、世界中の陸・海・空・地底にまで轟いていた。
だが、そんな歴史的快挙の裏で、王立学園のサロン(※現在はリナの指導により、健康的な立ち食いカウンターと竹ふみコーナーが設置されている)にて、前ヒロイン・マリアンヌはある重大な『違和感』に気づき、一人首をかしげていた。
「ねえ、ちょっとみんな……怪しいと思わないの?」
竹ふみの上で姿勢良く背筋を伸ばしながら葛湯を啜っていたマリアンヌが、眉をひそめて周囲に問いかけた。
その場には、第一王子エドワード、第二王子アルフレッド、ルチア公爵令息ルーカス、そして最高企画参謀のシャルロットと最高大司教のクラリスが集まっていた。
「何がだ、マリアンヌ?」
エドワード殿下が、リナ特製の『切り干し大根の佃煮』を噛み締めながら尋ねる。
「リナ様のことよ!」
マリアンヌは声をひそめ、サロンの奥でお手伝いさんたちに「出汁の取り方」を優しく教えているリナを指さした。
「リナ様は今年で十五才。社交界にデビューし、伯爵家の令嬢となり、これだけの美貌と……まあ、規格外の功績をお持ちなのよ? 普通なら、国中の貴族から山のような『婚約のお申し込み』や『お見合いの打診』が届いて、屋敷のポストが爆発しているはずでしょう? なのに……どうしてリナ様には、誰一人として婚約の話を持ちかけてこないの!?」
「「「…………っ!!」」」
マリアンヌのその一言に、サロンにいた全員がピク気と身体を強張らせた。
エドワードとアルフレッドは気まずそうに目を逸らし、ルーカスはハーブティーのカップをコトンと置いた。シャルロットとクラリスに至っては、急に真顔になって魔導羊皮紙を抱え直した。
「な、何よその反応……? 何か理由を知っているの!?」
マリアンヌが詰め寄ると、シャルロットが「ふぅ」と重い溜息をつき、静かに口を開いた。
「マリアンヌ様……貴女は何も分かっておられませんわ。婚約のお申し込みが『来ない』のではありませんの。『誰も申し込めるわけがない』のですわ」
「え……? どういうこと?」
◇
シャルロットはサロンの机の上に、一冊の分厚い『バレンタイン伯爵令嬢・求婚資格要件書』と書かれた書類をドンと置いた。
「まず第一に、各国の貴族たちがリナ様に求婚しようとした場合、求められる『配偶者スペック』が異次元すぎるのですわ」
シャルロットが指折り数え始めた。
「リナ様に求婚する場合、まず最低限の条件として以下の項目をクリアしなければなりません。
毎朝五時前に起床し、リナ様と共に竹ふみ運動とラジオ体操を完遂できる体調管理能力。
『手洗い・うがい・除菌』を徹底し、完璧な衛生観念を維持できる清潔さ。
リナ様の作る『切り干し大根』や『発酵味噌汁』の深みと出汁の違いを正しく見抜き、感謝して三十回以上噛んで食べられる健全な胃腸。
そして何より……リナ様の圧倒的な『お母様み(ベテラン主婦力)』の前に、甘えることなく一人の自立した夫として胸を張れる精神力。」
「……あ」
マリアンヌは口ぐせを挟むのを忘れて固まった。
「お分かりですの? 貴族のドラ息子の多くは、暴飲暴食をし、夜更かしをし、メイドに身の回りの世話を丸投げして威張っているような男たちばかり。そんな男がリナ様の前に立った瞬間、『姿勢が悪い!』『胃腸が冷えている!』『強がりはおやめなさい!』と一撃で調教され、男としての尊厳(※怠惰な生活)を木っ端微塵に粉砕されるのが目に見えていますわ」
「た、確かに……! リナ様の前に立つと、どんな暴君も『良い子』になっちゃうものね……」
「さらに言えば」
第二王子アルフレッドが苦笑いを浮かべながら言いたした。
「政治的なハードルが高すぎるんだよ。今やバレンタイン伯爵家は、ヴァルハイト帝国、神聖レスター帝国、さらには地底の魔界までをも傘下に収める『地球規模の健康最高機関』だ。もし国内のどこかの貴族がリナ嬢と婚約しようものなら、『なぜ我が国(我が魔界)のリナ様を独占するのだ!』と、周辺諸国や魔界軍が総出で宣戦布告してくるレベルなんだよ」
「魔界軍まで飛んでくるの!?」
「ええ」ルーカスが静かに頷いた。
「実際、先日どこかの子爵家の嫡男が『バレンタイン伯爵令嬢に花束を贈ろうとした』だけで、魔王バルバトス陛下から『我がリナお母様に気安く触れるな』と暗黒魔法の脅迫状が届いたそうです」
「魔王が『お母様』って言ってるの怖いんだけど!?」
マリアンヌは戦慄した。
リナ・ド・バレンタインは、あまりにも完璧すぎる「ベテラン主婦力」と「世界規模の功績」のせいで、物理的にも政治的にも、誰一人として手に届かない『究極の高嶺の花』と化していたのだ。
◇
「……でも、王子様たちやルーカス様は? 貴方たちなら、立場的にも申し分ないでしょう?」
マリアンヌが鋭い視線をエドワードたちに向けた。
一瞬の沈黙。
第一王子エドワードが、遠い目をしながらぽつりと呟いた。
「……無理だ」
「えっ?」
「私だって……男だ。リナ嬢のあの可憐な笑顔や、包み込むような優しさに心を惹かれないわけがない。……だがな、マリアンヌ」
エドワードは己の手を見つめ、苦渋の表情を浮かべた。
「彼女の前に立つと……どうしても『恋心』よりも先に、『実の母親以上の圧倒的包容力と尊厳』を感じてしまい、背骨がシャキッと伸びて『はい! 僕、良い子にします!』と膝をつきたくなってしまうんだ……! あれは『恋愛対象』という概念を超越した、『人類の母』に対する敬虔な畏怖だ……!」
「僕もだよ……」
アルフレッドも頷いた。
「リナ嬢に『まあまあ、アルフレッド様。そんなに強がって……温かいお粥をお召し上がりなさいな』と言われた瞬間、恋心じゃなくて『生まれてきてすみませんでした、お母さん』という感謝の涙が溢れてくるんだ……」
「私もです」
ルーカスも眼鏡を押し上げた。
「彼女の手に触れると、胸がキュンとするのではなく、全身の血流が良くなって肩こりが治るのです。これは恋愛ではなく……『治療』です」
「「「駄目だこいつらぁぁぁぁぁっ!!」」」
マリアンヌは心の中で絶叫した。
婚約者候補筆頭であるはずのハイスペック男子たちが、揃いも揃ってリナの「母性&整体力」によって完全に『良い息子』へと去勢(メンタル的に)されていたのだ。
◇
そんな重苦しくもマヌケな議論が交わされているとも知らず。
「ふぅ……。今日も平和で良い一日でしたわねぇ」
当のリナ・ド・バレンタイン(十五才)は、立ち食いカウンターの端っこで、お気に入りの『自家製梅干し』を頬張りながら、ほっこりとほうじ茶を啜っていた。
(あらあら、皆さん何やら真剣なお顔で話し込んでいらっしゃいますわねぇ。きっと次の『遠足のお品書き』について議論してくださっているのかしら)
リナは全く無自覚であった。
自分が「モブとして平和に老後を過ごしたい」と願い、日々の健康管理と手料理に没頭すればするほど、周囲の人間が自分を「人類の神聖なる母」として崇拝し、婚約という生臭い話からどんどん遠ざかっているという現実に。
(バレンタイン伯爵家は資産もたっぷりありますし、皆さんも健康で仲良し。婚約の話なんて出なくても、こうして美味しい常備菜を食べて、静かにモブとして過ごせればそれが一番の幸せですわぁ)
「結婚」や「恋愛」という世俗の概念を遥か彼方に置き去りにし、すでに人生二周目の達観した境地に達している十五才のベテラン主婦。
彼女が真の「高嶺の花(※ただし中身はおばあちゃん)」として世界中に愛され、誰にも手を出されないまま穏やかな日常を享受する日々は、これからもどこまでも平和に続いていくのであった。




