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アラフォーおばさん転生令嬢  作者: 此花サギリ
学園編

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20/23

腹黒ヒロインの誤算〜デビュタントの罠と、最強の主婦力〜

王立学園での留年狂騒曲と、全土を巻き込んだ「健康指導の旅(という名の聖巡)」から数ヶ月。

十五才を迎えたリナ・ド・バレンタインの元に、王室から一通の金箔押し招集状が届けられた。


『王立デビュタント夜会および次世代乙女の集い』


貴族社会への本格的な仲間入りを果たす十五才の少女たちが一堂に会する、年に一度の社交界の開花式。

バレンタイン男爵家の令嬢として、リナも当然参加せねばならない催しであった。


貿易商人から一代で成り上がり、莫大な富を背景に爵位を買った新興のバレンタイン男爵家。魔力や伝統的な政治力こそ皆無だが、その資産規模は王国随一。本来ならば伝統を重んじる大貴族たちから「成金の成り上がり」と見下される立場にあるはずの男爵家であった。


だが、会場となる王城のグランドボールルームにリナが足を踏み入れた瞬間、異質な空気が広がった。


リナが歩くたび、周囲の公爵や伯爵といった上流貴族たちがさっと道を開け、恭しく頭を垂れるのだ。

なんと言っても、今のリナは第一王子エドワードをはじめとする最高権力者たちを「こたつの中」に従え、ルチア公爵令嬢クラリスを筆頭とする『聖バレンタイン教会』の絶対神として全土に君臨する存在である。男爵家という低い身分など、もはや誰も気にしてはいなかった。


「お父様、みなさん随分と礼儀正しい方ばかりですのねぇ」

「ああ……そうだな、リナ。我が家はしがない男爵家だというのに……あそこにいる王子たちが『バレンタイン男爵家に不敬を働いた者は一族郎党処刑する』と血走った目を光らせているからな……」


バレンタイン男爵が冷や汗を拭いながら、遠くで警戒の目を光らせるエドワード殿下たちを見つめた。


当のリナは、豪華なドレスの袖にこっそり忍ばせた『自家製・乾燥のど飴』を指で転がしながら、優雅に会場を見渡していた。


(まあ、皆さん綺麗なドレスをお召しになって……。でも、あんなに肩を出して冷えたりしないかしら。あとで温かい生姜湯でも配って差し上げようかしらねぇ)


そんな平和そのものの思考を巡らせていたリナの背後から、コツコツと可愛らしいヒール音が近づいてきた。


「初めまして、バレンタイン男爵令嬢様。……ふふ、お噂はかねがね伺っておりますわ」


振り返ったリナの視線の先にいたのは、淡いピンク色の髪をツインテールにし、大きな瞳をうるうると輝かせた小柄な少女であった。


彼女の名は、シャルロット・フォン・ローゼンベルク。

今年、満を持して社交界へデビューを果たした伯爵家の令嬢であり——この世界の続編である乙女ゲーム『星降る学園と七つの恋2』の正ヒロインであった。


だが、彼女の可憐な容姿の裏には、ドブのように濁った野心と悪知恵が渦巻いていた。


(ケッ、なんだあの女。金で買ったような成金男爵家のくせに、バレンタイン家の財産と王子どもをバックにしていい気になりやがって……!)


シャルロットの内心は、嫉妬と害意で爆発しそうであった。


シャルロットはマリアンヌのような頭の悪い突撃型ではない。

彼女の真骨頂は、『徹底的な計算と情報収集、そして他人の手を使った陰湿かつ完璧な陥れ』にあった。相手の弱みを握り、社交界のルールを悪用し、笑顔で相手の尊厳を踏みにじることこそが、彼女の最大の娯楽であった。


(『星降る学園2』のヒロインであるこの私がデビューしたからには、あんな成り上がり男爵令嬢、一瞬で社交界のゴミ屑にしてやるわ! 王子たちの愛も、男爵家の桁外れの財産も、全部私のものよ!)


シャルロットは完璧な「可憐な少女」の笑みを貼り付けたまま、リナに深々と一礼した。


「わたくし、ローゼンベルク伯爵家のシャルロットと申します。リナ様のその……男爵家とは思えない堂々とした雰囲気に、私、とても感動いたしましたの!」


「あらまあ、丁寧なご挨拶をありがとうございます、シャルロット様。小柄で可愛らしいお嬢さんですわねぇ」


リナは目を細め、まるで近所のご近所さんの孫を見るような温かい眼差しを向けた。


だが、シャルロットの罠はすでに仕掛けられていた。



「リナ様、せっかくのデビュタントですもの。私と一緒に、あちらの『特別なお飲物』をいただきに行きません? 王室秘伝の素晴らしい果実酒がございますのよ」


シャルロットが提示したのは、社交界の初心者が真っ先にかかるトラップであった。


あらかじめ彼女が給仕に手を回し、アルコール度数が極めて高い無色透明の強烈なスパークリングワインを「甘い果実ジュース」と偽ってリナに飲ませる手筈になっていたのだ。


デビュタントの場で新星の男爵令嬢が泥酔し、醜態を晒して倒れる——それだけで貴族としての価値は暴落し、社交界から追放されるに十分なスキャンダルとなる。


(さあ、飲みなさい! 一口飲めば、三分後には顔を真っ赤にして床を転がり回ることになるわ!)


シャルロットは心の中で舌を出し、毒液のような酒が入ったグラスをリナに手渡した。


「まあ、美味しいお飲み物ですの? ありがとうございます」


リナはグラスを受け取ると、ふと鼻先を近づけ、クンクンと匂いを嗅いだ。


アンド——


「……あら?」


リナの表情が、わずかに曇った。


(な、何よ……? 気づいたの!? いや、無臭の高級酒なんだから素人にわかるはずが……)


シャルロットが冷や汗をかいたその時、リナは静かに首を横に振った。


「シャルロット様。お気持ちはとても嬉しいのですが……これ、醸造酒のアルコール発酵が強すぎて、胃粘膜を痛めてしまいますわ」


「えっ!?」


「それに、デビュタントのような緊張する場で急激に体温を上昇させるようなアルコールを摂取すると、自律神経が乱れて血管が収縮し、脳貧血を起こす危険がありますのよ。特に若いお嬢さんの体には、負担が大きすぎます」


リナは親身になってシャルロットの手をキュッと握りしめた。


「シャルロット様、貴女のお顔、少し血色が良くありませんわ。まさか、普段から冷たいものばかり召し上がっていらっしゃいませんか? 若い頃の冷えは、将来の身体のガタにつながりますのよ」


「は、はあ!?」


シャルロットは完璧な微笑みを引きつらせた。

酒を飲ませて潰すはずが、なぜか「若い頃の冷え性」についてお説教されている。


「だ、大丈夫ですわ! 私はとても健康で……」

「ダメですわよ、強がりは!」


リナは表情を真剣なものに変えると、着ていた豪華なドレスの隠しポケット(※リナが特注で付けさせた)から、シュッと何かを取り出した。


「はい、これをお飲みなさいな」


差し出されたのは、王室秘伝の果実酒ではなく——『バレンタイン家特製・特濃黒糖生姜湯(保温魔法瓶入り)』であった。


「さ、温かいうちにどうぞ。生姜のショウガオール成分が血行を促進し、胃腸を内側から保護してくれますからね」


「な……何ですのこれ!? こんな社交界の夜会で、生姜湯なんて……ッ!」


「遠慮なさらないで。ほら、ズズズと召し上がれ」


「んぐっ!?」


リナの圧倒的な「お母さん力」と強力な握力によって、シャルロットの口に強引に生姜湯のカップが押し当てられた。


「んむぐ……っ!? からっ!? 熱っ!? でも……なんだかお腹の奥がぽかぽかして……って、騙されないわよ!!」


シャルロットは慌ててカップを遠ざけたが、すでに生姜湯の効果によって、彼女の冷え切っていた血流が劇的に改善され、頬が健康的なピンク色に染まっていた。


(く、屈辱だわ……! 第一の罠が破られるなんて! でも、本番はここからよ!)



シャルロットは即座に第二の罠へと移行した。


彼女は物陰に潜ませていた手下の令嬢に目配せをした。

手下の令嬢が、リナのドレスの裾を故意に踏みつけ、バランスを崩したリナが中央の巨大なシャンパンタワーになだれ込む……という恐ろしい計画であった。


ドレスは台無し、高級シャンパンタワーは全壊、王室への不敬罪すら問われかねない惨事。


(ふふふ、これで終わりよリナ・ド・バレンタイン! 成金男爵令嬢らしく、派手に転んで社交界の笑い者になりなさい!)


手下の令嬢が、背後から音もなくリナのドレスの裾を踏みつけた!


「キャッ!」


……という悲鳴が上がるはずだった。


ガシッ!!


「……ひえっ!?」


ドレスの裾を踏んだ瞬間、手下の令嬢の足首が、まるで鋼の万力のような力で掴み固定された。


リナではない。

リナの周囲を死角なく囲んでいた、影の護衛たちである。


「——誰だ。女神リナの裾を踏もうとした不敬者は」


暗闇から姿を現したのは、今年二十一才になり、冷酷な軍司令官としての威厳を漂わせる第二王子アルフレッドであった。その手には、抜身の軍刀が握られている。


さらに、天井の梁からは魔導院トップのシオンが逆さ吊りで降りてきた。

「リナ様のドレスの繊維構造に対する物理的負荷を検知。犯行におよんだ足首を即刻切断し、除菌洗浄します」


「ひいいいいいいっ! ごめんなさい! 私、指示されただけです! ローゼンベルク伯爵令嬢に頼まれてぇぇぇぇっ!」


手下の令嬢は、死の恐怖に直面して一瞬で主犯の名を吐いた。


「なに……!?」


アルフレッド殿下とシオン様の冷酷な視線が、一斉にシャルロットへと向けられた。


「ローゼンベルク伯爵家の娘か……。我がバレンタイン教会の絶対神たるリナに対し、暗殺未遂……いや、それ以上の大罪を犯そうとしたわけだな」


ルーカス公爵令息が私兵を率いてシャルロットを取り囲み、ガゼル王子が巨躯を揺らして威嚇する。


「待て! ローゼンベルク伯爵家ごと潰す! 今すぐ領地に軍を差し向けろ!」

「シオン、奴の家に伝染病のウイルス……いや、リナ様が嫌う不衛生なカビ菌を大量散布しろ!」


「「「ははっ!!」」」


二十代となった攻略対象の男たちが、血走った目で一瞬にしてシャルロットとその実家を国家叛逆罪で抹殺しようと動き出した!


(ひ、ひえええええええええええっ!?)


シャルロットは全身の血の気が引き、その場に崩れ落ちた。


腹黒い悪知恵? 他人の陥れ?

そんな小手先の社交界のテクニックなど、国家権力と軍隊と宗教を完全に統率した「リナ狂信者集団」の前には何の役にも立たなかった!


彼女たちがやろうとしていたのは、乙女ゲームの嫌がらせではない。宗教の神への不敬罪であり、相手が男爵家だろうとなんだろうと、即座に国家が滅ぶレベルの禁忌タブーだったのだ!


「お、許して……許してください……っ! 私、ただ……ただ……っ!」


シャルロットが死を覚悟し、恐怖で涙と鼻水を流して震え上がった、その時である。



「あらあら、皆さん。何をそんなに大騒ぎなさっているのですか?」


静かな、しかしすべてを鎮める温かい声が響いた。


リナが、殺気立つ男たちの間を割って入ってきたのだ。


「エドワード様、アルフレッド様。デビュタントの会場で剣を抜くなんて、お行儀が悪いですわよ。せっかくの綺麗な床が傷ついてしまいます」


「ッ……! し、しかしリナ! この女は君を陥れようと……!」

エドワード殿下が焦って弁明しようとするが、リナは優しく手を掲げて制した。


「いいえ、違いますわ」


リナは跪いて震えるシャルロットの前まで歩み寄ると、優しくその肩を抱き寄せた。


「シャルロット様は、私と仲良くなりたくて、少しはしゃぎすぎてしまわれただけですのよ。ねえ、シャルロット様?」


「え……? あ……」


シャルロットは呆然とリナを見上げた。

殺されるはずだった。実家ごと潰されるはずだった。

それなのに、リナは自分を庇っている。なぜ? 私の悪意に気づいていないの? 成金男爵令嬢の分際で、私を哀れんでいるの!? それとも、これも何か恐ろしい罠なの!?


リナはシャルロットの濡れた頬を高級ハンカチ(※除菌ハーブエキス染み込み)で丁寧に拭ってあげると、ニッコリと微笑んだ。


「若い女の子が、社交界の重圧でストレスを溜めてしまう気持ち……私にはよく分かりますわ。前世でも、孫の娘が高校に入学したばかりの頃、反抗期で荒れて大変でしたからねぇ」


(前世……孫……!? この女、何言ってるの……!?)

シャルロットの頭の中に大量の「?」が浮かぶ。


「ストレスが溜まると、つい人に意地悪をしたくなったり、暴飲暴食をしたくなったりするものです。でもね、シャルロット様。そんなことをしても、体と心が荒れるだけで、何一つ良いことはありませんのよ」


リナはシャルロットの手を優しく包み込み、母親のような、いや、もはや「おばあちゃん」のような絶対的な慈愛の眼差しで見つめた。


「自分を大切にしなさいな。美味しいご飯を食べて、温かいお風呂に入って、夜は早めに寝る。それが、一番の幸せへの近道なのですから」


「あ……」


シャルロットの胸の奥で、カチリと何かが音を立てた。


彼女は幼い頃から、厳しい伯爵家で「他者を蹴落としてでも上に行け」「社交界で勝ち残れ」と叩き込まれて生きてきた。悪知恵を働かせ、人を貶めることでしか、自分の存在価値を証明できなかったのだ。


そんな彼女の歪んだ悪意を、リナは「ただのストレスと冷え性」として完全に包み込み、無条件の母性で肯定してしまったのだ。


「リ……リナ様……っ!」


シャルロットの目から、今度は本物の涙が溢れ出した。


「私……私、なんて醜いことを……! あなたを陥れようとして……私……っ!」


「いいのですのよ、おバカさんねぇ。間違いに気づけたら、それで十分ですわ」


リナはシャルロットの頭を「よしよし」と優しく撫でた。


その瞬間——

シャルロットの脳内で、『星降る学園と七つの恋2』のメインシステムが音を立てて崩壊した。


(腹黒ヒロイン? 人を貶めるのが大好き? 何言ってるの私……! こんなに温かい……こんなに優しいお母様……いいえ、女神様がいらっしゃるのに!!)


シャルロットはリナの膝に顔を埋め、赤ん坊のように大声をあげて泣きじゃくった。


「リナ様ぁぁぁぁぁっ! 私、改心します! これからは人を陥れる悪知恵をすべて、リナ様とバレンタイン教会の布教のために使いますわぁぁぁぁっ!」


「あらあら、まあまあ。頼もしいことですわねぇ」


リナはほっこりと微笑み、男たちに向かって振り向いた。


「皆さん、シャルロット様も改心されましたし、今日のところはこれで解決ですわね。さあ、皆さんも温かいお茶を飲んで、早くおうちに帰りましょうね」


「「「は、はいっ! リナ様!!」」」


さっきまでシャルロットを殺そうとしていた国家の最高権力者たちが、リナの一言で「良い子」に戻り、一斉に直立不動で深々と頭を下げた。



社交界の隅で、その光景を呆然と見ていた人物がいた。


前作のヒロインにして、現在『聖バレンタイン教会』の末端で手洗い指導を受けている男爵令嬢マリアンヌであった。


「……また一人、狂わされたわね」


マリアンヌは哀れみの目で、リナの足元で「リナ様ァァァ!」と泣き叫んでいるシャルロットを見つめた。


「可哀想に……続編のヒロインだか何だか知らないけれど、あのお方の前では『腹黒い悪知恵』なんてただの反抗期扱いよ。これでお前も、来年から私と一緒に学園で留年確定ね……」


マリアンヌは溜息をつくと、ポケットから『除菌ハーブウェットティッシュ』を取り出し、自分の手を念入りに拭き始めた。


「まあいいわ……。シャルロットが入信したなら、来年の【魔導衛生学】の班分けで一緒になれるかしら。あの子の悪知恵があれば、手洗いの効率化が進むかもしれないわね……」


すっかり毒気の抜けた前ヒロインマリアンヌは、悟りの境地で葛湯を啜るのであった。



デビュタント夜会が終わり、バレンタイン男爵家の馬車の中。


「ふぅ……。今日もたくさんのお友達ができて、良い一日でしたわねぇ」


リナは魔導こたつの中でぬくぬくと温まりながら、自家製の『干し柿』を口に運んでいた。


(シャルロット様も、これで素直で良い子になってくれれば安心だわぁ。やっぱり、若い子には説教よりも温かい生姜湯と母性の包容力が一番効くのねぇ)


十五才となったベテラン主婦リナは、自分がまた一人、乙女ゲームのヒロインの脳を完全に破壊し、狂信者へと仕立て上げたことなど露知らず。


「バレンタイン男爵家の豊かな資産で一生遊んで暮らし、静かにモブとして老後を過ごしたい」というささやかな願いを抱えながら、今日も平和に大好きな老後生活(※まだ十五才です)を満喫するのであった。

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