学園音楽祭の幕開けと、ヒロインの逆ギレが招いた奇跡の大合唱
学園音楽祭の当日が、ついにやってきた。
秋晴れの澄み渡る空の下、王立学園の大ホールは、全校生徒と王都中から集まった貴族や要人、そして音楽関係者たちの熱気で包まれていた。
観客席の最前列には、我が国の国王陛下をはじめとする王族の面々や、王立魔導院の重鎮たちの姿もある。
(はぁ〜……なんという大舞台。胃が痛くなりそうだわぁ)
舞台裏の控え室で、私は一人、自家製の『ペパーミントとレモングラスのハーブティー』を淹れて溜息をついていた。
本来なら、私は観客席の隅っこで「壁の花」として、ゆっくりお茶でも飲みながら若者たちの青春を眺めるはずだった。
それがどうしてこうなったのか。
気がつけば、私の首には【音楽祭・特別音響顧問】という重々しい金文字のレイ(花の首飾り)が掛けられ、舞台裏で全校合唱の最終調整を仕切る立場になっていたのだ。
「リナ様! 全員の衣装のチェック、および発声前の『喉の乾燥防止ハーブ水』の配布が完了いたしましたわ!」
控え室のドアが開き、クラリスちゃんが誇らしげに報告してきた。
今日の彼女は、公爵令嬢としての威厳と「リナ様の第一側近」としての誇りに満ち溢れており、手際よく生徒たちを誘導している。
「ありがとう、クラリス様。生徒たちの緊張はほぐれているかしら?」
「ええ! リナ様特製の『大根ハチミツシロップ』のおかげで、皆様の喉は最高の状態ですわ! 誰一人としてダミ声になっておりません!」
「それは良かったわ。お歌は喉のコンディションが一番ですからねぇ」
私がほっと胸を撫でおろしていると、舞台袖から二人の王子が現れた。
第一王子のエドワード様は、輝く金髪に合わせた真っ白な正装に身を包み、眩しい笑みを浮かべている。
「リナ、僕の歌声を一番近くで聴いていてくれ。君の教え通り、横隔膜を意識して深く息を吸う練習を毎晩重ねてきたんだ」
「まあ、エドワード殿下。素晴らしい熱意ですわね」
そして、その隣に立つ第二王子のアルフレッド様は、相変わらず不機嫌そうな顔でプイッと横を向いていたが、その耳はほのかに赤い。
「ふん……。僕がこんな学園の行事で真面目に歌うなど、本来ならあり得ん。……すべては、本番が終わった後にあの『梅炭酸水』を大瓶で用意するという約束のためだ。勘違いするなよ」
「ええ、アルフレッド殿下。最高の仕上がりにして冷やしてありますから、楽しみにしていてくださいね」
私がクスリと笑うと、アルフレッド様は「くっ……!」と短く息を呑み、逃げるように舞台袖の立ち位置へと向かっていった。
さらに、留学生のガゼル王子は「俺の野性的な声量、見せてやるぜ!」と意気込んで胸を叩き、引きこもり天才魔導師のシオン様は「師匠の音響理論を実証してみせます!」と眼鏡の奥の瞳を燃え立たせている。
そして、その大合唱隊の最後列、端っこの方に——
「……キーッ! なによこれ、なによこれぇ!!」
ぶつぶつと呪いの言葉を呟きながら、周囲を殺気立った目で睨みつけている少女がいた。
転校生ヒロイン、マリアンヌ・フォン・ルチアだ。
前回の練習で私に「喉声」と「音波公害」を正論で突かれ、ソロ枠を剥奪されて合唱の後列に配置された彼女。自慢の「光の魔法」も封じられ、プライドはズタズタなはずだが……その瞳は萎縮するどころか、怒りと執念でメラメラと燃え上がっていた。
(あらあら……ものすごいお顔をしてらっしゃるわねぇ)
私の中の「五十三歳のおばさんソウル」が、うずいた。
前世でもいたのだ。合唱コンクールで希望のパートになれなかったり、注意されたりすると、反省するどころか「先生の教え方が悪い!」「あいつが贔屓されてる!」と激怒して荒れる困った生徒が。
私が声をかけようと近づいた瞬間、マリアンヌがバッとこちらを振り返り、猛烈な勢いで食ってかかってきた。
「ちょっと! なに見に来たのよ、このチビおば……じゃなくて、悪魔!!」
「あら、マリアンヌさん。舞台袖でそんな大声を出すと、喉を傷めてしまいますわよ?」
「うるさい! うるさい! うるさぁぁぁい!!」
マリアンヌは足を踏み鳴らし、顔を真っ赤にして逆ギレの嵐を巻き起こした。
「なーにが『喉声』よ! なーにが『物理現象』よ! 私が主役なのによ!? なんで私がこんなその他大勢の端っこで歌わなきゃいけないのよ! 全部アンタのせいじゃない! アンタが変な知ったかぶりの講釈を垂れて、王子様たちや委員長を言いくるめたからでしょ!?」
「マリアンヌさん、落ち着きなさ……」
「落ち着いていられるわけないでしょぉぉぉ!!」
マリアンヌはハッと胸を張り、私を指差して叫んだ。
「いい!? 私は絶対に認めないわ! アンタの言った『地味で構造的な合唱』なんて、ちっとも可愛くないし輝いてないわ! 本番ではね、私が一番後ろから『光の魔法』を全開にして、アンタたちの地味な歌声を全部塗りつぶしてやるんだから! 主役の座は渡さないわ! 後で泣いて謝っても遅いんだからねっ!!」
怒気を含んだ鼻息を荒くしながら、マリアンヌはフンッと横を向いた。
要するに、「正論でソロを奪われた悔しさ」と「自分こそが一番目立ちたいという我儘」が限界突破した結果、「本番で大声と光の魔法を爆発させて全員を喰ってやる」という完全なる逆ギレ暴走モードに突入したのだ。
(まあ……なんて凄まじい逆ギレエネルギーなのかしらぁ)
しかし、私は呆れつつも、ふと前世のボイトレ講師が言っていた言葉を思い出した。
——『怒りや執念で叫ぶ時の人間は、無意識に腹筋が限界まで収縮し、横隔膜が完璧に落ちて、最も力強い声が出る』。
「……マリアンヌさん」
「なによ! 説教なら聞かないわよ!」
「その意気ですわ」
「……は?」
マリアンヌが怒り顔のまま固まった。
私はニッコリと、前世のベテラン主婦の懐の深い笑顔を浮かべた。
「いい勢いですわ! 歌にはね、そういう『絶対に負けない』という強い情熱と怒りのパワーも必要なのです。腹が立って腹筋に力が入っている今なら、あなたの喉声も直っていますわ。……いいでしょう、本番では思いっきり、その怒りのエネルギーと光の魔力をぶつけてご覧なさいな!」
「なっ……! アンタ、何言ってるのよ!? 私、アンタの計画をブチ壊してやるって宣戦布告してるのよ!? なんで応援してんのよぉ!?」
「おほほ、舞台の上では全員が主役ですもの。遠慮はいりませんわよ。ほら、声が出るようにこれをお舐めなさい」
「要らないわよそんな——んぐっ!?」
私が強引にマリアンヌの口へ放り込んだのは、自家製の『金柑とリンゴの強力喉飴』だ。
「ん……酸っぱい! 何これ、変な飴……っ! キーッ! 絶対に後悔させてやるんだからぁぁぁ!!」
マリアンヌは飴をガリガリと噛み砕きながら、地響きのような鼻息を立てて合唱隊の後列へと戻っていった。
(うん、素晴らしい激怒状態ね。あれなら一番後ろからでも大ホール全体に通る声が出せるわ)
私は満足そうに頷いた。
◇
「——ただいまより、王立学園音楽祭、最終演目【全校合奏および魔導合唱・天上の讃歌】を執り行います!」
司会者のアナウンスとともに、大ホールの幕が上がった。
ステージ上に並ぶ、数百人の生徒たち。
その中心にはエドワード王子やルーカス様、アルフレッド王子、クラリスちゃん、シオン様、ガゼル王子が立ち、最後列にはブチギレ状態のマリアンヌが並んでいる。
客席が静まり返る。
指揮者が静かにタクトを掲げた。
私は舞台袖の音響調整席から、生徒たちをじっと見守る。
(さあ……マリアンヌさん、あなたの『逆ギレパワー』を見せていらっしゃい)
タクトが振り下ろされた。
——〜〜〜〜〜♪
前奏のパイプオルガンと弦楽器の調べが響き渡り、生徒たちの歌声が一斉に解き放たれた。
「「「〜〜〜〜〜〜〜〜♪」」」
リナの指導によって整えられた、深く豊かな息遣い。
エドワード王子の美しいテナー、アルフレッド王子の繊細なアルト、ルーカス様の澄み切ったソプラノ。完璧な調和を奏でる生徒たち。
だが、曲が二番に入り、サビへと向かうその瞬間だった。
一番後ろに立っていたマリアンヌが、カッと目を見開いた。
(見ていなさいよリナ・ド・バレンタイン! アンタのちっぽけな調和なんて、私の『主役の歌声』で粉々に吹き飛ばしてやるわぁぁぁぁ!!)
マリアンヌは逆ギレの怒りによって腹筋を限界まで絞り込み、身体中の「光の魔力」を全開にして、大音量で歌声を解き放った!
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ♪♪♪」
ゴオオオオオオオッ!!
マリアンヌの放った歌声は、彼女の目論見通り、凄まじい声量と圧倒的な光の魔力を伴ってホール全体へと解き放たれた。
普通なら、そんな暴挙を行えばハーモニーは崩壊し、ただの「うるさいノイズ」になるはずだった。
しかし——奇跡が起きた。
リナが仕込んだ「金柑喉飴」と「腹式呼吸の意識」、そしてシオンが計算した「倍音の魔力波形」が、マリアンヌのブチギレ大音量を完璧に吸収・増幅したのだ!
マリアンヌが「全員を飲み込んでやる!」と放った激しい光と大声量は、崩壊するどころか、中央の王子たちの澄んだハーモニーを後ろから力強く押し上げる【最強のバックグラウンド・ソプラノ】へと化けたのである!
マリアンヌの放つ光の魔力が、ホール全体を神々しい金色の光で満たし、彼女の怒りの大声量が、曲全体に圧倒的なダイナミズムと生命力を与えた。
「「「〜〜〜〜〜〜〜〜♪♪♪(超絶大迫力の重厚ハーモニー)」」」
観客席の全員が、衝撃のあまり座席から身を乗り出した。
最前列の国王陛下が、震える手で膝を叩く。
「お、おおおおお……!! 何という情熱! 何という圧倒的なパワーだ!! 中央の気品ある歌声を、後列のあの少女が凄まじい光と声量で支えている!! これぞ、調和を超えた『魂の激唱』ではないか!!」
マリアンヌ本人はというと。
(えっ!? 嘘でしょ!? なんで合唱が壊れないの!? なんで私の大声がみんなの声と綺麗にハモっちゃってんのぉぉぉぉ!?)
歌いながら、心の中でパニックを起こしていた。
ぶち壊すつもりで全力の逆ギレ大声を叩きつけたのに、リナの作った音響構造のせいで、自分が「一番後ろで合唱を全力で盛り上げる健気で力強い最高の歌姫」に仕立て上げられてしまっているのだ!
だが、一度放った声は止まらない。
マリアンヌの怒りの歌声に引っ張られるように、エドワード王子たちもさらに声を張り上げ、大ホールは前代未聞の感動と光の渦に包まれた。
そして——
最後の音が、雷鳴のような余韻を残して響き渡り、静かに消えた。
静寂。
数秒の後。
割れんばかりの、地鳴りのような拍手と大歓声が巻き起こった!!!!
「ブラボーーーーッ!!」「凄すぎる! 鳥肌が立ったぞ!!」「後列の光の少女も素晴らしい声量だーーーっ!!」
「……え?」
マリアンヌはステージの上でパチパチと瞬きをした。
客席全体が立ち上がり、自分に向かって(正確には合唱隊全体に向かって)惜しみない賞賛の拍手を送っている。
「私……ぶち壊すつもりだったのに……なんでみんな……褒めてるの……?」
呆然とするマリアンヌの視線の先。
舞台袖で、リナが前世のベテラン指導者の顔で「素晴らしい逆ギレでしたわ!」と満足そうにパチパチと拍手を送っていた。
(〜〜〜〜〜〜〜っっっっっ!!! あいつ……あいつ、最初からこうなるって分かってて私を煽ったのねぇぇぇぇぇ!!)
マリアンヌは屈辱と恥ずかしさと、なぜか込み上げてくる達成感で顔をぐちゃぐちゃにして、ステージの上で「キーーーーーッ!!(大号泣)」と叫んだが、それすらも「感動の涙」と勘違いした客席から更なる大歓声が送られるのだった。
◇
音楽祭は大成功のうちに幕を閉じた。
表彰式では、王立学園合唱隊が満場一致で最優秀グランプリを受賞。
マリアンヌにも「特別声量・魔導貢献賞」なる謎の賞が贈られ、彼女は賞状を握りしめたまま怒りと涙でブルブルと震えていた。
「リナ様! あのルチア男爵令嬢の暴走すらも計算に入れて大成功に導くなんて……まさに神業ですわ!」
クラリスちゃんが目を輝かせる。
「ああ、素晴らしい導きだった」エドワード王子も感嘆する。
(いや、ただの怪力乱神な逆ギレをそのまま利用しただけなんだけどねぇ……)
私は困惑しながらも、首に掛けられた音響顧問のレイを弄った。
◇
その日の夕方。
宴の熱気が冷めやらぬ学園の中庭で、私は一人、約束の『自家製・梅シロップの炭酸水』を仕込んだ大瓶を持ってベンチに座っていた。
「はぁ〜〜〜〜〜〜……。命が削れるかと思ったわ……」
前世のPTA活動でも、あんな反抗期の逆ギレ生徒を本番で開花させるような大勝負はしたことがない。
しかし、結果として最高の音楽祭になったのだから、まあ良しとしましょうかねぇ。
「おい、リナ!」
ドタドタと荒々しい足音が近づいてきた。
振り返ると、そこには第二王子のアルフレッド様。
そして——顔を真っ赤にし、髪を逆立てたマリアンヌが立っていた。
「マリアンヌさん、アルフレッド殿下」
「ちょっと!! リナ・ド・バレンタイン!!」
マリアンヌは私の前に仁王立ちすると、ダーンッとベンチを叩いた(あまり強く叩くと手が痛いので、ちょっと手減していたが)。
「アンタ! 私をバカにしてるでしょ!? 私が怒って大声を出すのを見越して、飴なんて食べさせたんでしょ!? 私の逆ギレを利用してグランプリ取るなんて、どこまで腹黒いのよぉぉぉ!!」
「あらあら、マリアンヌさん。でも、とってもいいお声が出ていらっしゃいましたわよ? 客席の皆様も、あなたの歌声に大感動されていましたわ」
「〜〜〜〜〜〜っ!!」
正論と褒め言葉を同時にぶつけられ、マリアンヌは二の句が継げなくなった。
「う……うるさいわね! 勘違いしないでよね! 私、アンタに感謝なんて絶対しないんだから! 今回はアンタの掌の上で転がされてあげただけよ! 次こそは……次こそは、絶対にアンタを完膚なきまでに叩きのめして、ヒロインとして完全覚醒してみせるんだからぁぁぁぁ!!」
マリアンヌは捨て台詞を吐くと、本日もまた「キーーーッ!!」と金網を引っ掻くような悲鳴をあげて走って逃げ出していった。
(だから、走ったら転ぶって言ってるのにねぇ……)
私は前世の「口を開けば威勢がいい近所の女の子」を見送るおばあちゃんの温かい眼差しで彼女の背中を見つめた。
隣にいたアルフレッド王子が、呆れ果てたようにコップを差し出してきた。
「……騒々しい女だ。おい、リナ。約束のシュワシュワしたやつを早く寄こせ。あの女の金々声を聞いていたら、また胃が痛くなってきた」
「はいはい、アルフレッド殿下。お疲れ様でしたわね」
私は冷えた梅炭酸水をコップに注ぎ、アルフレッド王子に手渡した。
彼は一口飲むと、「……やっぱり美味い」と幸せそうに目を細めた。
「なぁ、リナ」
「何かしら?」
「あの逆ギレ女も大概だが……お前も相当なものだな。あんな暴走女すらもお菓子とお説教でコントロールしてしまうなんて」
「あら、私は何もコントロールなんてしていませんわ。ただ、皆さんに健康で、楽しく過ごしていただきたいだけですのよ」
私は前世のおばさんスマイルで、自分のハーブティーをすすった。
見た目は可憐な八歳の令嬢。
中身は五十三歳の元・中年主婦。
本人の「平穏に引きこもりたい」という切なる願いとは裏腹に、彼女の放つ圧倒的な「主婦の知恵」と「お母さん力」は、逆ギレするヒロインの野望すらも最高のエンターテインメントへと変え、学園の最高権力者たちをさらなる信者へと変えていく。
リナ・ド・バレンタインの意図しない「無双生活」は、まだまだ終わる気配を見せないのだった。




