学園音楽祭の準備と、歌姫気取りのヒロインの迷走
王家主催のお茶会という名の修羅場から数日。
学園内は、間もなく開催される一大行事【秋の学園音楽祭】の準備で持ちきりとなっていた。
この音楽祭は、生徒たちが日頃の芸術的試みや魔導楽曲を披露する伝統ある行事だ。
個人演奏、合奏、そして魔法と音楽を融合させた「魔導奏楽」など、多様な演目が披露され、優秀な成績を収めた者には王立芸術院からの表彰が授与される。
当然、モブとして平穏な老後(?)を目指す私のスタンスはブレない。
「私は裏方に徹しますわ。合唱の伴奏の譜めくりか、ステージの清掃、あるいは裏方スタッフへの差し入れ担当で十分ですの」
そう宣言し、私は学園の大ホール裏で、せっせと「喉に良いハーブシロップ」と「自家製の塩分補給クッキー」の準備を進めていた。
だが、世の中というものは、平穏を望む者ほど騒々しい渦の中心に引きずり込まれるようにできているらしい。
「リナ様〜〜〜っ! 大変ですの! 大変なことが起きましたわ!!」
大ホールの重厚な扉を蹴破らんばかりの勢いで飛び込んできたのは、私の「第一信者」ことクラリスちゃんだった。
その後ろには、険しい表情のエドワード殿下、氷のような冷気を纏ったルーカス様、そしてノートを抱えたシオン様がゾロゾロと続いている。
「あら、クラリス様。廊下は静かに歩かなければいけませんわよ? そんなに慌てて、どうされたのですか?」
私が前世のベテラン保育士のような落ち着きでハーブシロップの瓶を拭いていると、クラリスちゃんが扇子を激しく振り回しながら叫んだ。
「あの……あのマリアンヌが! またしても愚かな企みを実行に移そうとしておりますの!」
「マリアンヌさんが?」
私が首を傾げると、エドワード殿下が忌々しそうに吐き捨てた。
「あの女、音楽祭のメイン演目である『全校合奏・魔導賛歌』のソロパート歌唱者に勝手に立候補したのだ。それだけならまだしも……『私の歌声は光の魔法と共鳴して、聴く者の魂を救う天上の歌声なんですぅ』などと触れ回って、練習を仕切り始めている」
「あいつの歌、聴いたか?」
ガゼル王子が窓枠からひょっこり顔を出し、心底不快そうに顔を歪めた。
「声が無駄にデカくて、キーキー甲高くて、耳がキーンとするんだよ! 俺の故郷の山奥にいるウソツキキツネの叫び声の方がまだ風情があるぞ!」
「同感だ」ルーカス様も冷ややかに頷く。
「ピッチが外れている上に、無駄に魔力を乗せて歌うため、聴いているだけで頭痛がしてくる。……はっきり言って、騒音被害だ」
「師匠!」シオン様が眼鏡の奥の瞳を輝かせる。「あのルチア男爵令嬢の歌唱は、声帯の振動数と魔力の波形が全く同調していません! ただの不完全な音波兵器です! 師匠の正しい音響理論で、あの暴挙を打ち砕いてください!」
(また始まったわねぇ……)
私は深々と溜息をついた。
マリアンヌ・フォン・ルチア。
前回の演武会、そして王家のお茶会でことごとく敗北し、プライドをズタズタにされたはずの転生ヒロイン。
普通なら少しはおとなしくなるものだが、彼女の「自分は乙女ゲームのヒロインなんだから、いつか絶対に覚醒してチート能力を発揮するはず」というポジティブすぎる勘違いは、雑草並みの生命力を誇っているらしい。
今度は「歌姫ヒロイン」としての覚醒を夢見ているのだろう。
「皆様、落ち着いてくださいな。歌の好みは人それぞれですわ。マリアンヌさんも、音楽祭を成功させたくて一生懸命になっているだけかもしれませんでしょう?」
私が宥めようとした、その時であった。
「あら〜〜〜? 皆さん、私の悪口かしらぁ?」
大ホールの入口から、あからさまに歌踏劇のヒロインを意識したような、フリルとレースが過剰にあしらわれたドレス姿のマリアンヌが現れた。
胸元には魔力を増幅させる妖しい音響クリスタルを下げ、髪には無駄にキラキラ光る粉を振りかけている。
「ひどいですわぁ! 私が全校生徒のために『光の讃歌』を歌ってあげようとしているのにぃ! ガゼル様もルーカス様も、私の真の才能に嫉妬しているのかしらぁ?」
マリアンヌはツカツカと私の方へ歩み寄ると、勝ち誇った笑みを浮かべた。
「特に、リナちゃん! あなた、お菓子作りとか怪しい科学(笑)とかで王子様たちを騙しているみたいだけどぉ、芸術の世界では誤魔化しは効かないのよ? 歌は魂の叫び! 生まれ持った『ヒロインの素質』が全てなんだから!」
マリアンヌは胸を張り、大ホールの中心で朗々と(しかし恐ろしくピッチのズレた声で)歌い始めた。
「〜〜〜♪ 聖なる光よぉ〜! 私を導けぇ〜〜〜!!(高音の裏返り)」
キィィィィィン……!
大ホール内に、ガラスを擦り合わせたような不快な高音が響き渡り、天井の水晶電球が微かに震えた。
魔力を乗せた不協和音の波が、生徒たちの聴覚を容赦なく攻撃する。
「うぐっ……!」「頭が……頭が割れそうだ……!」「誰かあの女を止めろ!」
周囲にいた合奏部の生徒たちが耳を押さえてうずくまる。
エドワード王子やルーカス様も険しい顔で耳を塞ぎ、シオン様は苦痛に顔を歪めながらノートに「音波による精神攻撃」と書き込んでいる。
当のマリアンヌは、自分の歌声で周囲が悶絶しているのを見て「私の歌声の波動が凄すぎて、みんな感動で震えているわぁ!」と完全に勘違いしてうっとりしていた。
(……あかんわ。これは本気で放っておけないレベルね)
私の中の「五十三歳のおばさんソウル」が、冷ややかな怒りとともに立ち上がった。
前世で、ご近所のカラオケ好きの奥様が、深夜に大音量で音ズレした歌を歌ってご近所トラブルになった時のことを思い出す。
あれは芸術でもなんでもない。ただの「騒音公害」だ。
それに、歌唱において最も大切なのは、無駄な自意識や過剰な魔力散布ではなく——「正しい発声フォーム」と「体幹」、そして「聴く人への配慮」である。
私は静かに歩み出で、歌に酔いしれているマリアンヌの前に立った。
「マリアンヌさん」
「なによぉ? 私の天上の歌声にひれ伏したのかしらぁ?」
マリアンヌが鼻で笑う。
私は溜息をひとつ突き、前世の「ボイストレーニング教室に通っていたベテラン主婦」の顔で、容赦のない正論を叩きつけた。
「マリアンヌさん。あなたのそのお歌……喉声になっておられますわ」
「は……? の、のどごえ……!?」
マリアンヌの歌声がピタリと止まった。
「ええ。腹式呼吸が全くできておられず、胸と首だけで息を吐いていらっしゃいます。だから高音を出す時に首筋に無駄な力が入って、声がキンキンと裏返るのですわ。おまけに、呼吸が浅いものだから拍節の途中で息が切れ、音程がぶれていらっしゃいます。それでは『天上の歌声』どころか、ただの『喉を傷める自傷行為』ですのよ?」
「なっ……ななな……何言ってるのよ! 私には『光の魔力』があるのよ!? 魔力を乗せれば歌なんて最高になるに決まってるじゃないの!」
マリアンヌが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「魔力は魔法の触媒であって、声帯を振動させるエアフロー(空気の流れ)の代わりにはなりませんわ」
私は冷静に、大ホールの黒板のところへ歩いていき、チョークで簡単な「人体と発声メカニズム」の図を描いた。
「いいですか? 声というものは、肺から押し出された空気が、声帯を振動させ、それが口腔や鼻腔という『共鳴腔』で響くことで生まれる物理現象です。魔力を無駄に流し込んだところで、喉が絞まっていれば綺麗な共鳴など起きません。……シオン様、音響理論の観点からはどうかしら?」
「はい、師匠!」シオン様が即座に挙手した。「まさにその通りです! ルチア男爵令嬢の発声は、共鳴腔の容積を自ら押し潰し、空気の流速を阻害しています! 音響物理学的に見て、最も非効率で不快な周波数帯(三千ヘルツ付近のノイズ)を撒き散らしているだけに過ぎません!」
「な……ッ!?」マリアンヌが絶句する。
私はマリアンヌの方に向き直り、優しい(しかし逃げ場のない)笑顔を向けた。
「マリアンヌさん。素晴らしいお歌を歌いたいというお気持ちは立派ですが、基本を無視した過剰なアピールは、お聴きになる方々の耳を傷めるだけでございます。……お料理も、魔法も、お歌も同じ。基礎的な『構造』を理解しなければ、何も身につきませんのよ」
「う……うそよ……。私の歌が……ノイズだなんて……そんなの……!」
マリアンヌの顔から急速に血の気が引いていく。
「よし! では、こうしましょう」
それまで静観していた音楽祭の実行委員長(高学年の貴族生徒)が、パンッと手を叩いた。
「ルチア男爵令嬢。君のソロ歌唱については、見送らせてもらう。代わりに、リナ・ド・バレンタイン令嬢の指導のもと、正しい発声法を学んだ上で、全校合唱の後列に参加しなさい」
「えええええええっ!? 私が……私が後列の合唱枠だなんてぇぇぇぇ!?」
マリアンヌの悲鳴が大ホールに響き渡った。
「リナ令嬢!」実行委員長が私に向かって深く一礼する。「素晴らしい音響指導、感謝する! つきましては、我が学園の音楽祭の【音響統括および合唱指導顧問】として、君を正式に任命したい!」
(……はい????)
私はパチパチと瞬きをした。
ちょっと待ってほしい。
私はただ、前世の合唱コンクールやボイトレで習った「腹式呼吸と共鳴の基礎」を教えただけだ。
なんで裏方の譜めくり係から、全校生徒を指導する「音響顧問」に昇格しているのか。
「お見事です、リナ様!」クラリスちゃんが感激の面持ちで手を叩く。「あのおぞましい騒音を、一瞬の理屈で鎮めてしまわれるなんて! まさに芸術の女神様ですわ!」
「ああ」エドワード殿下も満足そうに頷く。「リナの指導なら、今年の音楽祭は王国史上最高の出来栄えになるだろう。僕も合唱の練習に励むよ」
「僕もだ」ルーカス様が微笑む。「リナの隣で歌えるなら、ソプラノでもテナーでも歌ってみせる」
「おいリナ! 俺の国の咆哮も教えてくれよ!」ガゼル王子が目を輝かせる。
(……なんでそうなるのよぉぉぉぉ!!)
私の「静かなモブ生活」への願いは、またしても音を立てて崩れ去った。
◇
その日の夕方。
大ホールの練習が終わり、静まり返った中庭のベンチで、私は一人ぐったりと横になっていた。
「はぁ〜〜〜〜……。疲れた。本当に疲れたわ……」
前世のPTA活動でも、ここまで全校生徒の指導なんてさせられなかった。
いくら中身が五十三歳のおばさんだからと言って、八歳の体で高校生や中学生たちに「はい、お腹に力を入れて! 横隔膜を下げて!」と指導して回るのは、体力的にも精神的にも限界がある。
「冷たいものでも飲まないと、やっていられないわねぇ」
私は持参していた魔法瓶(前世の知識で作った二重構造の保冷効果のある筒)から、冷たい『自家製・梅シロップの炭酸割り』をコップに注いだ。
シュワシュワと心地よい音を立てる炭酸。
一口飲むと、梅の甘酸っぱさと炭酸の刺激が、疲れた身体に染み渡っていく。
「あぁ〜……生き返るわぁ……」
「……何だ、それは」
不意に、上から低く冷ややかな声が降ってきた。
見上げると、そこには第二王子のアルフレッド様が立っていた。
前回の「お茶会」以来、すっかり私の手作りお菓子とお茶の虜になってしまったツンデレ王子である。
「アルフレッド殿下。ご機嫌よう。お稽古の帰りですか?」
「ふん。兄上に無理やり音楽祭の練習に付き合わされて、うんざりしていたところだ」
アルフレッド王子はプイッと横を向いたが、その視線は私の持っているシュワシュワ浮き立つコップに釘付けになっていた。
「……なぁ。その、シュワシュワしている怪しい飲み物はなんだ? 僕を毒殺する気か?」
(相変わらず素直じゃないわねぇ……)
私はクスリと笑うと、予備のコップに梅炭酸水を注いで差し出した。
「『梅シロップの炭酸割り』ですわ。お砂糖漬けにした梅のエキスに、鉱泉の水(天然炭酸水)を合わせたものですの。お疲れの時に飲むと、クエン酸が疲労物質を分解して、お体がスッキリいたしますわよ」
「……クエン酸だか何だか知らんが、そんな子供騙しの飲み物で僕の疲れが取れるわけ——」
言いいながらも、アルフレッド王子はコップをひったくるように奪い、一気に口へ含んだ。
シュワッ……!
「……っ!?!?!?」
アルフレッド王子の瞳が、今日一番の衝撃で見開かれた。
爽快な炭酸の弾ける感覚。梅のキュッと甘酸っぱい旨味。そして喉を通った後に訪れる、す律気とした爽快感。
「な……なんだこれは……!? 口の中がシュワシュワして……甘いのに、後味がサッパリしている……! 胃が……胃が清々しい感覚に包まれる……!」
「あらあら、一気に飲むと鼻にツンと来ますわよ?」
「ツン……ッ!? くっ……! 鼻が……! だが……美味い! 美味すぎる!!」
アルフレッド王子は一気に飲み干すと、空になったコップを握りしめ、顔を真っ赤にして私を睨みつけた。
「おい、リナ! これをもっと出せ! 僕の専属『飲料調合係』になれ! 王宮の料理人どもの淹れる重苦しいお茶など、もう飲めたものではない!」
「あらあら、専属だなんて滅相もございませんわ。これは家庭の味ですもの。……でも、お稽古を頑張ったら、また作って差し上げますわね」
私が前世の孫をあやすような優しい笑みを浮かべると、アルフレッド王子は一瞬固まり、それから耳まで真っ赤にしてドレスの裾をギュッと掴んだ。
「……約束だからな。僕を裏切ったら……承知しないからな……っ!」
捨て台詞を残して、ダダダッと走り去っていくアルフレッド王子。
(まったく、可愛い反抗期ねぇ……)
私がほっこりとお茶を飲んでいると、木の陰から「公式モブ観察員」のトビー君がそっと顔を出した。
「……リナ様。今日も第二王子殿下を完璧に手懐けられましたね」
「手懐けるだなんて、そんな人聞き悪いこと言わないでちょうだい、トビーさん。ただの栄養補給ですわ」
「いえ……リナ様の『お母さん力』は、もはや国家兵器レベルです……。マリアンヌ様も、もう二度と歌で攻めてくることはないでしょう……」
トビー君が尊敬と畏怖の混ざった目で私を見つめている。
(マリアンヌさん……ねぇ)
私は遠くの女子寮の窓を見上げた。
きっと今頃、部屋で「なんでよぉぉぉ!」と枕を叩いているのだろう。
だが、正しく発声法を学べば、彼女の持つ「光の魔力」ももっと綺麗に響くはずだ。音楽祭の本番では、彼女にも後列で気持ちよく歌ってもらいたいものである。
「さて、明日からの合唱指導のために、喉に効く大根ハチミツシロップでも仕込みましょうかしらねぇ」
私は空になったコップを片付け、立ち上がった。
中年主婦の知恵と常識が引き起こす、無自覚な学園改革。
音楽祭の本番に向けて、リナ・ド・バレンタインの「お母さん外交」と「正論指導」は、さらに学園全体を巻き込んでいくのだった。




