第七話「限界突破の交渉戦と、雪原に吼える銀の竜」
「……馬鹿な。東の海域を通らずに、陸路で我が群島連合国の特産品をホウライへ運ぶだと? グレンリードの小娘よ、夢物語も大概にしたまえ」
王城の特別応接室。 分厚い葉巻の煙を吐き出しながら、浅黒い肌に豪華な金糸の服をまとった大男――南方の巨大経済圏・群島連合国を束ねる海運王バルガス卿が、鼻で笑った。
バルデック公爵が突きつけた一ヶ月の猶予。その期限を目前に控え、私はついにバルガス卿を王都の交渉のテーブルに引きずり出すことに成功していた。 しかし、百戦錬磨の商人である彼は、そう簡単に首を縦には振らない。
「我が国の魔法香辛料は、熱帯の気候でしか育たない黄金だ。それをわざわざ雪と岩だらけの貴国を通し、盗賊や魔獣のリスクを背負ってまで東へ運ぶメリットがどこにある? 海竜の群れを避けるためとはいえ、輸送コストが見合わん」 バルガス卿が、ドンとテーブルを叩く。 「それに、東のホウライ国の連中が、我々の刺激的な香辛料を好むという保証もない。この交渉は時間の無駄だ。帰らせてもらう」
彼が席を立とうとした、その瞬間。
「お待ちください、バルガス卿」 私は一切の焦りを見せず、背後に控えていたリーゼロッテに目配せをした。 「我が国が単なる『雪と岩だらけの国』ではないこと。そして、南方の香辛料と東方の食材が交わった時、どれほどの『莫大な利益』を生み出すか……それを今、証明いたします」
リーゼロッテが恭しくワゴンを運び込んでくる。 その上に乗せられていたのは、私が外務省の厨房で昨晩徹夜して仕込んでおいた、湯気を立てる大皿料理だった。
「……なんだ、これは?」 「我が国が誇る『氷の魔導具』で鮮度を保ったまま輸送した、南洋の巨大魔海老。それを、貴国の特産品である『灼熱の魔法香辛料』と、ホウライ国の『黒き万能調味料(醤油)』、そして『白き穀物(米)』で炒め合わせた……『特製・魔海老のスパイシー炒飯』です」
前世の記憶が導き出した、南方のスパイスと東洋の醤油の奇跡のフュージョン。 強烈に食欲をそそる香ばしさと、スパイシーな香りが応接室に充満する。
「ほう……匂いは悪くない。だが、こんなもので俺の首が……」 バルガス卿は訝しげにスプーンを手に取り、一口食べた。
「――っ!?」 次の瞬間、バルガス卿の目が限界まで見開かれた。 「な、なんだこの爆発的な旨味は……! 我が国の香辛料の刺激を、ホウライの醤油のコクが完全に包み込み、そしてこの米という穀物がすべての味を吸って極上のハーモニーを奏でている! これが、東洋と南方の融合……!」
「お分かりいただけましたか」 私は氷のように冷たく、しかし絶対的な自信を持った微笑みを浮かべた。 「我が国ガートンコヨ王国は、ただの雪国ではありません。西と東、南と北を繋ぐ『文化と流通の交差点』です。我が国を中継地点とすれば、貴国の香辛料はホウライ国の食文化と融合し、これまでにない爆発的な需要を生み出します。さらに、第一竜騎士団が陸路の安全を完璧に保証する」
私は、バルガス卿の目の前に最終的な条約書を滑り込ませた。
「三国間貿易の関税は我が国がいただきます。その代わり、群島連合国にはホウライ国への専売権を約束しましょう。……さあ、海竜に怯えて東の市場を諦めるか、私と組んで歴史的な巨万の富を築くか。海運王の決断をお聞かせください」
バルガス卿は、空になった皿と私を交互に見比べ、やがて……「ふははははっ!」と腹の底から笑い声を上げた。
「恐ろしい女だ! 我が国の胃袋と商魂を、たった一皿の料理と紙切れで完全に掌握しおった!……いいだろう、氷の外交官殿! 貴女のその度胸と知略に、我が群島連合国の財力を乗せてやろう!」
「ありがとうございます、バルガス卿」 (……勝った! 勝ったわ、クラウン様!)
私は震える手で条約書にサインを受け取りながら、心の中で歓喜の涙を流していた。 これで、ホウライ国の小麦と米を買い上げるための莫大な資金が国庫に入る。バルデック公爵の「十万トンの小麦」など軽く吹き飛ばす、国家規模の絶対的な食糧確保ルートが完成したのだ。
同じ頃。 王都から遠く離れた、北方のゼノア帝国国境。 吹き荒れる猛吹雪の中、第一竜騎士団は極限の防衛戦を強いられていた。
「団長! 右翼が破られました! 敵のガラム将軍直属の重装甲部隊です! 兵たちの体力はすでに限界、物資も底を尽きかけています……っ!」 血と泥に塗れたゲイル副団長が、悲痛な声で報告する。
ゼノア帝国は、冬の寒さに乗じて一気に国境の砦を落とす腹積もりだった。 圧倒的な数の暴力。凍てつく寒さ。 前線で戦い続ける第一竜騎士団の兵士たちは、疲労と飢えで次々と膝をつきかけていた。
「……下がれ、ゲイル。右翼は俺とシロが引き受ける」 吹雪の只中、漆黒の外套をなびかせたクラウンが、静かに長剣を抜いた。
「だ、団長!? なりません、団長もすでに三日三晩、一睡もせずに剣を振るい続けて……!」 「俺はまだ倒れない。……倒れるわけにはいかないんだ」
クラウンの脳裏に、王都を出発する日にオルンが自分の胸に押し付けてくれた、あの小さな布包みの温もりが蘇る。 『これを食べて、どうか戦ってください。剣ではなく、貴方自身の未来を守るために』
あのオニギリの中に込められていた、甘辛い角煮の味。 彼女が徹夜で公務をこなしながら、自分のためだけに作ってくれた命の糧。 あの日から、クラウンの心の中には、どんな猛吹雪でも消えることのない温かい炎が燃え続けていた。
(彼女は今、俺の……いや、この国の未来を守るために、身を削って戦ってくれている。ならば、俺がここで膝をつくことなど、断じて許されない!)
「シロ!! 往くぞ!!」 『ギュラアァァァッ!!』 クラウンの咆哮に応え、巨大な白竜が大地を蹴り、猛吹雪の空へと舞い上がった。
敵陣のど真ん中へ、上空からの強襲。 「なっ、なんだあの竜は!? ひぃっ!」 ゼノア兵たちが恐慌をきたす中、クラウンは白竜の背から雪原へと飛び降り、着地と同時に神速の剣閃を放った。
「馬鹿な……あれだけ兵糧攻めにしておきながら、なぜあんな力が残っている!?」 敵将のガラム将軍が、信じられないものを見るように目を見開いた。
「俺の力は、貴様らのような略奪者に屈するほど安いものではない。……俺の背後には、守るべき愛しい日常と、帰るべき場所があるのだから!」
ザンッ!! クラウンの氷藍色の瞳が雪原の殺意をすべて飲み込み、その剣が、ガラム将軍の分厚い鎧を盾ごと真っ二つに両断した。
「が、はっ……化け、物め……」 敵将が雪に沈み、指揮系統を失ったゼノア帝国軍は、雪崩を打って撤退を始めた。 クラウンは血に濡れた剣を振り払い、遠く、鉛色の雲の向こうにある王都の空を見つめた。
(オルン殿……俺の戦いは、終わりました。貴女は……) 過酷な一ヶ月の死闘の末、疲労の限界を迎えたクラウンの意識は、そこで暗い闇へと落ちていった。
一ヶ月の猶予の最終日。王城、大謁見の間。
国王陛下が玉座に座り、周囲を有力貴族たちが取り囲む中。 バルデック公爵は、勝利を確信したような傲慢な笑みを浮かべて、中央に立っていた。
「さあ、第一竜騎士団長クラウン・ザバーグよ。約束の一ヶ月だ。……北方の戦況も限界であろう。我が公爵家の十万トンの支援と引き換えに、我が娘との婚姻を受け入れるか?」
満身創痍で王都に帰還したばかりのクラウンが、重い足取りで一歩前へと出る。 彼の顔には疲労の色が濃かったが、その瞳の光だけは決して死んではいなかった。
彼が口を開きかけた、まさにその時。
「――その必要はありません、バルデック公爵!!」
バンッ!と、謁見の間の重厚な扉が勢いよく開け放たれた。 そこに立っていたのは、一ヶ月間の徹夜の連続で目の下にクマを作り、髪を少し振り乱しながらも、氷のように気高い笑みを浮かべた私――オルン・バリランだった。
「な、なんだお前は! 貧乏男爵の娘風情が、御前会議に乱入するなど……!」 公爵が顔を真っ赤にして怒鳴り散らすが、私はそんなものには一切動じず、ヒールを高く鳴らして国王陛下の御前まで進み出た。
「国王陛下。外務筆頭補佐オルン、只今戻りました。……南方群島連合国及び、東方ホウライ国との『三国間中継貿易協定』、無事に締結いたしました!」 私は、分厚い条約書と、ホウライ国からの『食糧目録』を高く掲げた。
「な、なんだと……?」 「この条約により、我が国には今後十年間、毎年三十万トンの『白き穀物(米)』と、莫大な関税利益が約束されます。……バルデック公爵の十万トンの小麦など、もう必要ありません。第一竜騎士団の物資は、すべて国庫から最高級の品を潤沢に支給いたします!」
謁見の間が、水を打ったように静まり返り、次の瞬間、爆発したようなざわめきに包まれた。
「さ、三十万トンだと!? しかも毎年!?」 「あの南方の海運王と、ホウライ国を同時に丸め込んだというのか……!」
「ば、馬鹿な! そんな協定、一ヶ月で結べるはずが……っ!」 バルデック公爵がワナワナと震えながら条約書を覗き込むが、そこには各国の正式な王印が燦然と輝いていた。公爵の顔から血の気が引き、その場にへたり込む。 腐敗貴族による国軍の私物化という最悪の罠は、私の外交手腕によって完全に粉砕されたのだ。
「……見事だ、オルン・バリラン」 国王陛下が、感嘆の息を漏らして頷いた。
私はホッと胸を撫で下ろし、ふと、横に立つクラウン様を見上げた。 彼は、信じられないものを見るような、それでいて、狂おしいほどに熱を帯びた氷藍色の瞳で私を見つめ下ろしていた。
(あ、よかった……。これで、クラウン様がバッドエンドに行くルートは完全に消滅した……)
彼が公爵の罠から解放されたという安心感と、一ヶ月の極限の睡眠不足が、一気に私の体を襲った。
「……クラウン様、お帰りなさ……い……」 プツン、と。 私の意識の糸が切れ、視界がぐらりと傾いた。
「オルン殿!!」 冷たい大理石の床に倒れ込む寸前、信じられないほど力強く、温かい腕が私の体をしっかりと抱き留めた。 血と鉄の匂い、そして微かな雪の冷たさを纏った彼の腕の中。
「馬鹿な……こんなに軽く……貴女は、俺のために、どれほど命を削って……っ!」 クラウン様の悲痛な声が遠くで聞こえる。 私は(推しの腕の中だぁ、最高……)と限界オタクの幸せに包まれながら、深い深い眠りへと落ちていった。




