第五話「不器用な英雄の訪問と、休日の甘い焼きリンゴ」
王都へ帰還した私は、すぐさまアリアをバリラン男爵家の養女として正式に迎え入れるための法的手続きを行った。
「……オルン筆頭補佐。貴女が戦災孤児を引き取ったという噂は、すでに王城の貴族たちの間でも格好の的になっているよ。独身の若い令嬢が孤児を育てるなど、外聞が悪すぎるとね。中には『氷の外交官の隠し子ではないか』などと下世話な疑いをする輩までいる」
外務省の執務室。書類の山から顔を上げた先輩外交官のシリルが、肩をすくめながら忠告してきた。 彼の言う通り、特権意識の塊である貴族社会において、身寄りのない平民の孤児を『家族』として迎え入れる行為は異端中の異端だ。
「言わせておけばいいのです、シリル先輩」 私は、手元の東部国境の関税報告書にサラサラとサインをしながら、氷のように冷ややかな微笑みを浮かべた。 「他人の家庭事情を詮索するほど暇を持て余している貴族には、明日から新たに始まる南方の貿易摩擦解消のための実務を、山のように割り振って差し上げますわ。……それに、外務省の実務の三割は私が回しているのです。私を外聞で切り捨てれば、この国の外交機能は確実に麻痺します。アルバート大臣も、そんな愚かな真似は許さないでしょう」
「……お前さん、本当に肝が据わってるねぇ。頼もしい後輩を持って俺は涙が出そうだよ」 シリル先輩は呆れたように笑い、それ以上は何も言わなかった。
私の「氷の外交官」としての評価は、ちょっとやそっとの醜聞で揺らぐほど安いものではない。仕事で圧倒的な成果を出し続ければ、誰も私とアリアの生活に文句は言えないのだ。 (それに、クラウン様が命懸けで守り抜いたこの国の民を、私が守らないでどうするのよ!) 私は内心で熱く燃え上がりながら、さらなる仕事の山へと立ち向かっていった。
激務の平日を乗り越え、ようやく訪れた休日。 王都の少し外れにある、バリラン男爵家のこじんまりとした古い屋敷。 かつては隙間風が吹いていたこの家も、私の外交官としての給金と、休日のDIY(前世の知識を活かした日曜大工)によって、今では見違えるほど暖かく快適な空間になっていた。
「アリア、具合はどう? 寒くない?」 「うんっ! オルンおねえちゃん、あったかいよ!」
暖炉の前のふかふかの絨毯の上で、アリアが絵本をめくりながら元気よく笑う。 保護した当初は骨と皮だけだった彼女の頬も、この数週間の私の『栄養満点・徹底的ご飯攻勢』によって、少しずつふっくらとした桜色を取り戻していた。
「よし。じゃあ今日は、アリアがいっぱいご飯を食べられるようになったお祝いで、とびきり甘いおやつを作ろうかな」 私がエプロン姿で腕まくりをすると、アリアは「あまいおやつ!?」と目を輝かせた。
その時だった。
コンコン、と。 控えめだが、どこか重厚感のあるノックの音が玄関の扉から響いた。
「はーい、今開けますね」 休日に訪ねてくる客人など珍しい。私はエプロン姿のまま玄関の扉を開けた。
「――休日の朝早くから、突然の訪問をお許しください」
そこに立っていたのは、分厚い漆黒の外套を深く被り、片手には『大人が抱えるほどの巨大な木箱』を、もう片手には『布で包まれた長細い何か』を持った、圧倒的な体格の男だった。
「ク、クラウン様!?」 「ご無沙汰しております、オルン殿」
外套のフードを外すと、陽光を弾く美しい銀髪と、氷藍色の瞳が現れた。 間違いなく、ガートンコヨ王国第一竜騎士団長、クラウン・ザバーグその人である。
「どうしてこちらに……っ、というか、その大荷物は一体!?」 「アリアの様子を見に来ると約束しましたから。……これは、俺からのほんの気持ち(差し入れ)です」 クラウン様はそう言うと、ドスッ!という地響きと共に巨大な木箱を土間に置いた。
「気持ち、ですか……?」 私が恐る恐る木箱の中を覗き込むと、そこには綺麗に解体された『超特大の魔牛の霜降り肉』がぎっしりと詰まっていた。軽く見積もっても二十キロはある。
「昨日、西の平原で魔牛の群れを討伐しまして。一番上質な部位を切り出してきたのですが……その、少し量が多かったでしょうか」 「少しどころの騒ぎじゃありません! 業者でもこんなに仕入れませんよ!」
私がツッコミを入れると、クラウン様は少しバツの悪そうな顔をして、もう一つの『布で包まれた長細い何か』を差し出した。 「では、こちらはどうでしょう。ゲイルたちにお願いして作ってもらったのですが」
布を解くと、中から出てきたのは、精巧に木で彫られた『竜騎士とドラゴンの木彫りの人形セット』だった。しかも、ご丁寧に剣の素振りギミックまでついている。
「……あの、クラウン様。アリアは五歳の女の子なのですが。この武骨すぎる木彫りの人形は、少し対象年齢というか、性別が……」 「なっ……! 女の子は、ドラゴンや剣には興味がないのですか!?」 「大半は、お花や可愛いお人形が好きだと思います……」
クラウン様は、戦場で敵の奇襲を受けた時よりも絶望したような顔になり、「俺の采配ミスだ……騎士団のむさ苦しい連中に相談したのが間違いだった……」と項垂れてしまった。
(あああっ! 不器用! 不器用で一生懸命な推しが可愛すぎる!!) 限界オタクの私は、玄関先でもん絶しそうになるのを必死で堪え、コホンと咳払いをした。
「ふふっ。でも、アリアはきっと喜びますよ。どうぞ、上がってください。外は寒かったでしょう」
「騎士さまー!」 リビングに案内すると、アリアがトテトテと走ってきて、クラウン様の分厚い太ももにギュッと抱きついた。
「……あ、あぁ。元気だったか、アリア」 戦場では死神と恐れられるクラウン様が、五歳の幼女の行動にどうしていいかわからず、迷っていたが恐る恐るその頭を大きな手で撫でた。 その不器用な優しさに、私の心臓はまたしてもキュンと鳴る。
「さて、せっかくクラウン様も来てくださったのですから、一緒におやつを食べましょうか」 私はキッチンに立ち、準備していた食材を取り出した。 用意したのは、秋の終わりに収穫された真っ赤な『魔リンゴ』。 芯をくり抜き、そこにバター、蜂蜜、そしてホウライ国から取り寄せた魔法の香辛料をたっぷりと詰め込む。 それを、魔力式のオーブン(火の魔石を利用した焜炉)に入れ、じっくりと焼き上げていく。
数十分後。 リビングに、バターの濃厚な香りと、シナモンの甘くエキゾチックな香りが充満し始めた。
「……なんだ、この甘くて、理性を狂わせるような匂いは……」 ソファに不自然なほど背筋を伸ばして座っていたクラウン様が、鼻をヒクヒクと動かし、落ち着かない様子でキッチンの方をチラチラと見ている。 「いいにおーい!」 アリアも待ちきれない様子でテーブルをバンバンと叩いた。
「お待たせしました。『特製・蜂蜜とシナモンの焼きリンゴ』です」 熱々の焼きリンゴを皿に乗せ、その上に冷たいミルクで作った特製のクリームを添える。 熱いリンゴと冷たいクリームがとろけ合い、完璧なデザートが完成した。
「どうぞ、クラウン様も」 「……いいのですか? これはアリアのために作ったのでは……」 「こんなに大きなリンゴ、アリア一人じゃ食べきれませんよ。それに、クラウン様にもぜひ食べていただきたくて」
私が微笑んで促すと、クラウン様は「いただきます」と小さく呟き、焼きリンゴをスプーンですくい、口へと運んだ。
その瞬間。 クラウン様の氷藍色の瞳が、カッと見開かれた。
「……っ!!」 「クラウン様?」
「あ、甘い……。だが、ただの砂糖の甘さじゃない。果実の酸味と、この不思議な香辛料が、口の中で溶け合って……なんだこれは、脳が痺れるようだ……!」 騎士団の携帯食料ばかりを食べて生きてきた彼にとって、計算し尽くされた「温かいスイーツ」は、未知の衝撃だったに違いない。 彼は無言になり、瞬きも忘れたように、ただひたすらに焼きリンゴを口に運び続けた。アリアも口の周りにクリームをつけながら「おいしー!」と笑顔を弾けさせている。
その二人の幸せそうな顔を見ているだけで、私は外交官としての激務の疲れが、すべて浄化されていくのを感じていた。
おやつを食べ終えた後。 「クラウン様、そんなことまでしていただかなくても……!」 「いえ、これくらい俺にやらせてください」
私が止めるのも聞かず、クラウン様は上着を脱いで腕まくりをし、我が家の裏庭で『薪割り』を始めていた。 パァーンッ! という乾いた音と共に、硬いオークの丸太が、魔法のように一刀両断されていく。 斧を振り下ろすたびに、薄手のシャツ越しに浮き上がる恐るべき背筋と、汗ばむ首筋。
(っっっ! ヴィジュアルの暴力!! 推しの薪割り姿なんて、公式ファンブックにも載ってなかった超絶レアシーンよ!!) 私は窓枠に隠れながら、目に焼き付けるようにその姿を凝視していた。
薪割りを終え、さらに立て付けの悪かった裏口の扉まで完璧に修理してくれたクラウン様。 「……本当に、何から何までありがとうございます。お茶のおかわり、淹れますね」 私が淹れたての紅茶を差し出すと、彼は縁側に腰掛け、静かに息を吐いた。
「俺の方こそ、感謝しなければならないのは俺の方です」 湯気の立つティーカップを見つめながら、クラウン様がポツリと呟く。
「……王城は、権力闘争と虚飾にまみれた冷たい場所です。戦場に行けば、血と泥と死の匂いしかしない。……俺はこれまで、それが自分の生きる世界のすべてだと思っていました」 彼の氷藍色の瞳が、庭で木彫りの竜騎士人形(結局気に入ってくれたらしい)を片手に遊んでいるアリアの姿に向けられる。
「でも、ここには……温かい光がある。貴女の作る食事の匂いと、アリアの笑い声。……ここにいると、強張っていた筋肉の奥底まで、不思議と解けていくのがわかるんです。……俺は、ずっと、こういう場所に憧れていたのかもしれない」
不器用な英雄がこぼした、本音の欠片。 前世で孤独に死んでいった彼が、今、私の家で「温かい」と言ってくれている。 その事実がたまらなく嬉しくて、私は泣き出しそうになるのを必死で堪えた。
「……いつでも、いらしてください。ここには豪華な応接間も、気の利いた使用人もいませんが、クラウン様のお腹と心を満たす温かいご飯なら、いくらでもご用意できますから」 私が精一杯の笑顔を向けると、クラウン様はハッと息を呑み、カップを持ったまま硬直した。
「……ええ。お言葉に甘えて、また……必ず来ます。貴女の、その……料理を楽しみに」 彼は顔を背けてしまったが、その耳の先が、茹でダコのように真っ赤に染まっていた。 (可愛い……!! 戦場の死神と呼ばれる男が、こんな初々しい反応をするなんて!)
こうして、最強の竜騎士様によるバリラン男爵家への「通い」が、半ば公認の習慣となった。 彼にとってはアリアの様子を見るという名目だったが、その実、私の作る料理と、私たちが過ごすこの空間そのものに惹きつけられているのは明白だった。 そして私もまた、彼が訪れるたびに腕によりをかけて料理を振る舞い、少しずつ、少しずつ二人の絆を深めていった。
だが、甘く穏やかな時間は永遠には続かない。 物語の歯車は、容赦なく私たちを次の試練へと巻き込んでいく。
数日後の外務省。 後輩のリーゼロッテが、青ざめた顔で私の執務室へと駆け込んできた。
「エ、オルン先輩! 大変です! 王城内のサロンで、とんでもない噂が流れています!」 「どうしたの、リーゼ。落ち着いて」
「あの悪名高いバルデック公爵が、自派閥の権力強化のために……第一竜騎士団長、クラウン様との『強引な縁談』を国王陛下に打診したそうです! しかも、断り切れないほどの莫大な軍資金の援助を条件に……っ!」
「……っ!」 私の手から、愛用の万年筆がポロリと滑り落ちた。
(ついに来た……! 原作でもクラウン様を苦しめた、腐敗貴族筆頭・バルデック公爵の政治介入!!) 私は立ち上がり、窓の外の灰色の空を睨みつけた。 私の愛する推しを、そして私たちが築き上げたあの温かい居場所を、権力の道具になど絶対にさせない。
氷の外交官の次なる戦いの幕が、静かに、そして激しく切って落とされたのだった。




