第四話「戦火の爪痕と、小さな命を繋ぐ温かいスープ」
ホウライ国との歴史的な条約締結から数ヶ月が経ち、季節は色鮮やかな紅葉の秋から、木枯らしの吹く初冬へと移り変わろうとしていた。
私とクラウン様は、再び合同任務に赴いていた。 今回の目的地は、ガートンコヨ王国の北西端――敵国である『ゼノア帝国』との国境地帯にある小さな開拓村の視察と、前線砦への物資輸送路の確認である。 豊穣の谷のような豊かな自然とは打って変わり、この辺り一帯は荒涼とした岩肌と、冷たく吹きすさぶ風が支配する厳しい土地だった。
「……酷い有様ね」
視察団の馬車から降り立った私は、目の前に広がる光景に思わず言葉を失った。 かつて麦畑だったはずの場所は無残に踏み荒らされ、点在する木組みの家々は焼け落ちて黒焦げの残骸と化している。数日前に、ゼノア帝国の小規模な略奪部隊が国境を越えて襲撃してきた爪痕だった。
「オルン殿、俺の背後から離れないでください。……まだ、血の匂いが新しい」
クラウン様が、馬から降りて私の前にスッと立ち塞がった。 彼の氷藍色の瞳が、冷酷な捕食者のように周囲の廃墟を睨み据えている。その手はすでに腰の長剣の柄に添えられていた。
その直後だった。 「ギィヤァァァッ!!」 焼け落ちた教会の陰から、ゼノア帝国の残党兵たち――そして、戦場に漂う血と死の匂いに引き寄せられた凶悪な魔獣『ブラッドウルフ(血飢狼)』の群れが、一斉にこちらへ襲いかかってきたのだ。
「っ! 敵襲!!」 護衛の騎士たちが剣を抜くよりも早く、クラウン様が動いた。
「――陣形を組め。使節団の馬車を死守しろ。……前方は、俺一人で片付ける」
短く鋭い号令と共に、クラウン様が大地を蹴る。 空気を切り裂くような甲高い金属音。鞘から抜かれた白銀の長剣が、初冬の冷たい陽光を反射して眩く煌めいた。
「ガアァァッ!」 巨大な牙を剥き出しにして飛びかかってくる三頭のブラッドウルフ。 しかし、クラウン様は一切の焦りも見せず、流れるような足捌きでその凶刃を躱すと、目にも留まらぬ速さで剣を一閃させた。
ザシュッ!! 血飛沫が舞う間もなく、魔獣たちは急所を正確に両断された。 さらに、その勢いのままゼノアの残党兵たちの群れへと単騎で突っ込んでいく。
「な、なんだこいつ!? 速すぎ……ぐああっ!」 「ひぃぃっ! りゅ、竜騎士団長だ! 逃げろォッ!」
悲鳴を上げて背を向ける敵兵たち。だが、王国を脅かす刃に、最強の竜騎士が慈悲を与えるはずがなかった。 銀の髪が風に舞い、踊るように繰り出される剣撃は、無駄な動きが一切なく、ただただ恐ろしく、そして美しかった。
(……すごい。これが、作中最強の騎士の実力。画面越しで見ていた何百倍も速くて、圧倒的だわ……) 私は彼の戦う姿を、恐怖ではなく、どこか祈るような思いで見つめていた。 国を守るために、彼はいつもこうして血と泥に塗れて、自分の命を削り続けてきたのだ。
わずか数分のうちに、戦闘は完全に終結した。 クラウン様は剣の血糊を無造作に振り払って鞘に収めると、何事もなかったかのように私のもとへ戻ってきた。
「お怪我はありませんか、オルン殿」 「……ええ。クラウン様のおかげです。お見事でした」 「当然の務めです。ですが、村は完全に破壊されています。生存者がいるかどうか……」
私たちが警戒を解き、焼け落ちた村の中心部へと足を踏み入れた時だった。
『……くすんっ……ひっく……』
崩れたレンガの壁の隙間から、微かな、本当に微かな泣き声が聞こえた。 「クラウン様!」 「ええ」 彼が重い瓦礫を軽々と退けると、そこには、土埃と煤で顔を真っ黒に汚した、五歳くらいの小さな少女が、ボロボロの毛布にくるまって震えていたのだ。
「ひぃっ……! ご、ごめんなさい、ごめんなさい……!」 少女は私たちをゼノアの兵士だと思ったのか、小さな頭を抱えて悲鳴を上げた。
「大丈夫、大丈夫よ。私たちはガートンコヨ王国の人間よ。もう怖い人たちはいないからね」 私は咄嗟にドレスの汚れも気にせず膝をつき、少女を優しく抱きしめた。 少女の体は氷のように冷たく、骨と皮だけのように痩せ細っていた。何日も何も食べていないのは明らかだった。
生き残っていた村の長老の話によると、彼女の名前はアリア。 彼女の父親は、数ヶ月前のゼノア帝国との防衛戦に兵士として徴兵され、命を落とした。そして母親も、貧しさと厳しい寒さの中で流行り病に倒れ、この襲撃の直前に帰らぬ人となってしまったのだという。
「……戦争が、すべてを奪っていったのですね」 私は、腕の中で力なく気を失ってしまったアリアを抱き締めながら、唇を強く噛み締めた。
(これが、戦争のリアル。漫画では『数行のナレーション』で片付けられていた悲劇の裏には、こんなに小さくて無力な命の犠牲があるんだわ……) 絶対に、これ以上の悲劇を繰り返させてはならない。そして、クラウン様をあんな絶望的な戦場の中へ一人で死なせはしない。私の決意は、より一層硬く、冷たい鋼のようになった。
その夜、私たちは村の生き残りたちと共に、近くの安全な森の中で野営を張った。 私は、保護したアリアを自分のテントの毛布に寝かせ、すぐさま持参した調理器具を取り出した。
「オルン殿、彼女の具合は?」 テントの入り口から、クラウン様が心配そうに顔を覗かせる。 「ひどい栄養失調です。体が冷え切っていて、固形物は胃が受け付けないでしょう。……今から、彼女のために特別に消化の良い食事を作ります」
私は焚き火に鍋をかけ、ホウライ国との交渉で手に入れた『白き穀物(米)』を少量の水からコトコトと煮込み始めた。 今回は、肉は使わない。弱った胃腸に脂は毒だからだ。 代わりに、干し椎茸と昆布(これもホウライ国からの輸入品)から丁寧に、じっくりと黄金色の出汁をとる。米が柔らかく崩れ、出汁の旨味をたっぷりと吸い込んだところで、溶き卵をふんわりと回し入れ、最後にほんの少しだけ塩で味を調えた。
『特製・卵と出汁のホウライ風雑炊』の完成だ。 優しくて、どこか懐かしい出汁の匂いがテントの中にふわりと広がる。
「……ん……いい、におい……」 その匂いに誘われるように、アリアがゆっくりと目を覚ました。
「おはよう、アリアちゃん。お腹、空いているでしょう? ゆっくりでいいから、少し食べてみて」 私は木椀に雑炊をよそい、フーフーと冷ましてから、木のスプーンで彼女の小さな口へと運んだ。
アリアは恐る恐るそれを口に含んだ。 その瞬間、彼女の大きな瞳から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
「お、おいしい……あったかい……っ、あああぁぁっ……!」 張り詰めていた恐怖と悲しみの糸が切れたように、彼女は私の胸にしがみついて大声で泣き出した。 「ママぁっ……パパぁ……っ! 怖かったよぉ……っ!」
「……うん、うん。怖かったわね。もう大丈夫よ。私が、ずっと傍にいるからね」 私は彼女の背中をさすりながら、一緒に涙をこぼした。 アリアは泣きながらも、私が差し出す雑炊を夢中で、最後の一滴まで綺麗に平らげてくれた。そして、お腹が満たされた安心感からか、今度は穏やかな寝息を立てて深い眠りへと落ちていった。
「……貴女は、本当に強い人だ」
テントの外に出ると、夜風の中で焚き火の番をしていたクラウン様が、静かな声で言った。 彼は、私がアリアを抱きしめ、食事を食べさせていた一部始終をずっと見ていたのだ。
「王城では誰も寄せ付けない『氷の外交官』として振る舞いながら、その実、誰よりも温かく、他者の痛みに寄り添うことができる。……俺のような血に塗れた騎士には、到底真似できない強さです」 クラウン様の氷藍色の瞳が、焚き火の光を映して揺らめいている。 そこには、ただの護衛対象や仕事仲間を見る目ではなく、明確な『深い敬意』と、彼自身もまだ気づいていない『熱』が宿っていた。
「私は、ただ美味しいものを食べて、笑って生きてほしいだけです。……この国の人たちにも、アリアにも。……そして、貴方にも」 私は薪を一つくべながら、彼を見つめ返した。
「クラウン様。私、王都に帰ったら、彼女を引き取って育てようと思います」 「……オルン殿が? 独身の貴女が孤児を育てるとなれば、貴族たちからどんな心無い噂を立てられるか……」 「構いません。私の『氷』は、そんな噂で溶けるほどヤワじゃありませんから」 私がきっぱりと言い切ると、クラウン様は驚いたように目を見開き、やがて……ふっと、ひどく優しく、包み込むような笑みを浮かべた。
「……敵いませんね。貴女には」 彼は立ち上がり、私の前に片膝をついて、騎士としての最上級の敬礼をとった。 「ならば俺は、貴女のその誇り高い決意と、その小さな命を、俺の剣に懸けて守り抜くと誓いましょう。……これからは、王都でも、少しばかりお節介を焼かせていただきますよ」
「えっ……お節介、ですか?」 「ええ。仕事以外でも、彼女の様子を見に行かなければ心配ですからね」
(っっっ!! それって、堂々と私の家に会いに来る口実ができたってこと!? やったー!!) 限界オタクの私が心の中で盛大なファンファーレを鳴らしていると、クラウン様は少しだけ悪戯っぽく目を細めた。
「それに……俺も、貴女の作るあの温かい料理の虜になってしまった人間の一人ですから。時々は、俺にもお裾分けを期待しても?」
「っ……ふふっ。はい! もちろんです、クラウン様!」
戦火の爪痕が残る冷たい森の中。 小さな命を繋いだ温かい雑炊は、最強の竜騎士と氷の外交官の距離を、また一歩、劇的に近づけたのだった。




