50. 世界征服する?
まさか。
リーシェは慌てて右手を翳し、収納空間の画面を開いた。淡い光のスクリーンが虚空に浮かび上がり、収納された者たちの一覧が表示される。
ガルドや黒装束の男たちに魔導院の部下たち――全員静止している。
全員が、時を止められたまま凍りついている。いつも通りだ。収納空間に入った者は時間が止まり、身動き一つ取れない。それがこの魔法の絶対のルール。
だが一人だけ。
たった一人だけ、その法則を破っている者がいた。
リリカ・アステリアの表示枠の中で、赤色の髪の少女がきょろきょろと周囲を見回し、腕を振り回し、じたばたともがいていた。凍りついた他の全員の中で、彼女だけが生き生きと動いている。
『ここどこよ! 暗いし狭いし! 早く出しなさいよぉ!』
リリカの声が、リーシェの脳内に直接響く。魔導通信の術式だろうか。収納空間の中からリーシェの意識に干渉してきている。
収納されても動ける。意識を保てる。通信すらできる。
それはいまだかつてない事態だった。
ゴブリンも、オーガも、ワイバーンも、ガルドも、精鋭部隊も――収納した瞬間に全員が時を止められ、微動だにしなかった。それが【ナイナイ】の絶対の効果だと、リーシェは信じていた。
なのにこの少女は、その法則の中で平然と暴れている。
(マズい――)
背筋に、冷たいものが走った。
(この子は、危険だ……)
恐怖だった。純粋な、根源的な恐怖。自分の唯一の武器が半分突破されているという事実が、リーシェの思考を一瞬で塗り潰す。
指が動いた。
考えるより先に。判断するより先に。本能が、生存のために最も確実な手段を選んだ。
リリカの表示枠の隣に並ぶ、小さなボタン。
【解体】
リーシェの指が、それを押していた。
バシィィィン!!
収納空間の中で、凄まじい衝撃音が炸裂した。リリカの表示枠が白い閃光に包まれ、画面全体がびりびりと震える。
しかし――。
『痛ったーーーい! 止めてよぉ!!』
リリカの悲鳴が、脳内を劈いた。
生きている。
リーシェは息を呑んだ。解体されていない。あの【解体】が、通じなかった。閃光が収まった画面の中で、リリカは身体を丸めて痛がっているが、五体満足のまま動いている。
対魔法結界。あの光の膜が、【解体】の効果を弾いたのだ。
だが――反射的に、指がもう一度動いていた。
バシィィィン!!
二度目の閃光。二度目の衝撃。
『止めてって言ってるでしょぉぉぉ!!』
リリカの絶叫が脳を揺さぶった。画面の中でリリカがのたうち回っている。対魔法結界の光の膜がちらちらと明滅し、ところどころにひび割れが走っていた。完全には防ぎきれていない。もう一発、二発やれば――。
『分かった! 分かったから! 何でも言うこと聞くから!』
リリカの声が、叫びから懇願に変わった。
『私の負け! 降参! 降参よ! だからそれ止めてぇぇぇ!!』
リーシェはハッとして、指がボタンの上で止まった。
心臓がばくばくと鳴り、額に汗が浮いている。自分が今、無意識に二度も【解体】を押したことに、ようやく気づいた。
――人間に対して。
生きている人間に対して、解体ボタンを。
昨夜、人間に押す日が来るのかと、恐れたばかりだというのに、こんなにもあっさりと押してしまっていた。
――私は、今……。
指先が、微かに震えていた。
だがその震えを呑み込み、リーシェは努めて平静な声で言った。
「私の勝ち……ね。なら、協力してもらうわよ?」
『わ、分かったわよぉ……』
リリカの声が、すっかりしおれていた。さっきまでの「キャハッ!」はどこへやら、画面の中で体育座りをして、ぶすっとした顔をしている。だがその緋色の瞳には、まだ好奇心の光が消えていなかった。負けたことへの悔しさよりも、「この魔法は何なの?」という興味の方が勝っているような目。
『……何を協力すればいいの? 世界征服?』
リリカは気を取り直し、とんでもないことを言い出した。
「何言ってんのよ」
リーシェは呆れる。
「私は静かに暮らしたいの。アンタみたいのが来ないようにして」
沈黙。
数秒間の、沈黙。
『……へ?』
リリカの声が、間の抜けた響きに変わった。
『こんな凄まじい力持ってるのよ、あんた。大陸統一すらできるのに、使わないの?』
「そんな面倒くさい事やるわけないじゃない。静かに暮らせるようにして」
『はぁぁぁ……』
リリカが大げさにため息をついた。画面の中で両手を広げ、信じられないとでも言うように首を振っている。
『もったいない! もったいないもったいない! ねぇ、この魔法教えてよ! 私がこの世界を統一してやるんだわ!』
「ただの収納魔法よ。あなたも使えるんじゃないの?」
『何言ってんのよ!?』
リリカが素っ頓狂な声を上げた。
『収納魔法に生き物なんて入らないわ。そんなの常識じゃない。こんなの収納魔法の範疇じゃないわよ!』




