78
外に出ると新雪が積もっていた。フィズと話している間にいつの間にか降っていたようだ。
雪は、降っている間よりも、その前後が格段に冷える。チェルシーが寒風に身を縮ませると、隣のフィズを呼ぶ声がした。
「……レオくん」
チェルシーが顔を上げるよりも早く、フィズが声の主に駆け寄っていく。そこには、入学式の日に見たレオーネが居た。
鼻が赤くなっている。もしかして、ずっと外に居たのだろうか?
「話せた?」
「うん」
頷くフィズを見て、レオーネはゆっくりと目を細めた。
どきりとした。レオーネは、ぱっと見目を引くような容姿ではない。だけど、今の確実に色を含んだその表情は、子供のチェルシーには刺激が強かった。
鈍いチェルシーにも分かる。この人は、フィズのことが特別に好きなのだ。
レオーネがこちらを向いた。思わず心臓が跳ねたが、その時のレオーネは、マスターと同じように人好きのする笑顔を浮かべていた。その目にはもう、チェルシーを動揺させたあの色は含まれていない。
「レオーネです。チェルシーちゃんだよね?」
「あ、はい。初めまして」
若干残念な気もしつつ、チェルシーはほっとした。
なんというか、フィズが恋する気持ちが分かる。コニーが心配になる気持ちも分かる。
あの笑顔は、自分に向けられたら、全く彼を知らないチェルシーも好きになってしまいそうな、そんな危険なものだった。
「無事でよかった。送るよ」
オマケに優しいときた。
さっき連絡した母によれば、ほとんど初対面なのに、心配して捜すのを手伝うと言ってくれたらしい。フィズやコニーに聞いていた通り、底抜けに優しい人だ。
どぎまぎしながら、首を振る。
「あ、いえ。あの、ロイが、友人が近くまで迎えに来てくれるらしので。ありがとうございます」
「そう。じゃあ、そこまで一緒に行こうか」
(うわー! 優しい! 大人だ!)
ごくりと唾を飲み込む。あまり頼りになる人ではないと聞き及んでいたのに、実際に会ってみると、ギャップがすごい。
いや、そういう一面もあるのだろうが、そこ差し引いても素敵な人だ。ひっそりと心で謝って、チェルシーはフィズの肩を叩いた。
「なんていうか……頑張ってね」
これと対決(?)することになるなんて、フィズの心臓が持つのか心配である。いや、フィズもかなり素敵な人だし、あの笑顔を前に平然としているのだから、きっと大丈夫なのだろうか。
突然のエールにフィズは首を傾げたが、彼女がなにか言う前にレオーネが質問をしてきた。
「約束は何時くらい?」
「あ、時間は決めてないけど、もう直ぐ来ると思います」
ロイはスマホを持っていない。だけど、いつも待ち合わせている場所があるので、そこにした。
いくら時間に無頓着とはいえ、あんなに心配をかけた後だ。普通に来てくれるのだろう。
そう思っていたから、待ち合わせ場所に行った時、すでに彼が待っていて心底驚いた。
「ロイ!」
慌てて駆け寄る。彼はレオーネと同じように鼻を赤くして立っていた。防寒具はコートだけで、手袋もマフラーもつけていない。
「チェルシー」
彼はチェルシーを見ると、花が咲いたように笑った。ふにゃふにゃの声に、チェルシーは片眉を上げ、マフラーを外すと彼の首にぐるぐる巻いた。
「もう。いつから待ってたの?」
問いかけると、ロイは目線を宙にやった。しばらく悩んでいたけど、結局分からないらしい。
「もー……寒くない? 大丈夫?」
色んなことに無頓着で、世話を焼いていないと心配になる。
やめようと思っていたのに。勝手にむくれて、彼の手を取った。
ロイの肩が揺れたのには構いもせず、ぎゅっと握ると、包み込んだ。手を見ているので、彼の頬が色づいたことには、気づかない。
「──レオくん、どうしたの?」
ふいに入ってきた声に、チェルシーは顔を上げた。二人のことを忘れてしまっていた。
謝ろうと二人に目を向ける。レオーネがこちらを凝視していて、チェルシーは思わず握っているロイの手に力を込めた。
レオーネは、驚いたような、それでいて何かに酷く傷ついたかのような、そんな表情で固まっていた。
いったいどうしたのだろう。こちらを向いているのに交わらない視線に眉を寄せる。もしかして後ろを見ているのかと思ったが、壁にもたれているので違うだろう。──とすると、ロイ?
「……レオくん?」
フィズが反応のないレオーネの肩を揺らす。そこでようやくこっちに返ってきたレオーネは、忙しなく目を動かし、それから蚊の鳴くような声を出した。
「えっと、ロイくん、か」
当たりだ。見るからに挙動不審になるレオーネの説明をしてもらいたくってフィズを見るが、彼女はなんだか難しい顔をしていた。
レオーネは手の平を体でしきりに擦ると、喉を上下させた。
「……そう。えっと、レオくん?」
「あ、いや……」
小首を傾げるロイに、レオーネはなにかを言おうとしたけど、俯いた。
「……そう。レオーネだよ」
だけど直ぐに顔を上げると、へらりと笑う。笑っているのに今にも泣き出しそうな顔だ。ロイは彼をじっと見たが、やがて頭を下げた。
「捜すの手伝ってくれて、ありがとう」
「いいえ……」
レオーネは頭をかいた。
明らかに様子がおかしい。だけど、フィズはなにも言う様子はないし、チェルシーはレオーネの様子を言及出来る仲ではない。
だから疑問を飲み込んで別れ、チェルシーはロイと家路を歩き始めた。
「……ごめんね」
少し温まった手を握り直し、チェルシーは眉を下げた。
「嘘吐いていなくなって。あんな後だったし、ロイは責任感じたんじゃないかと思ってさ」
だからこんなに冷たくなるまで待っていたのだ。ずいぶんと捜させてしまったし、申し訳なかった。
「……ううん」
ロイが歩みを止める。
「僕のほうが、ごめん。チェルシーはすっごく頑張ってるのに。僕、ずっとすごいなと思ってたのに」
「…………」
変わった。ここ最近彼に思っていたことを改めて感じて、チェルシーは目を瞬かせた。
あの日、フィズになにを言われたのだろう。自分が何度言っても同じだったのに。悔しくて、でも嬉しくて、やっぱり少しだけ悲しかった。
「失礼なことしたり、酷いこと言って傷つけて、ごめんね」
「…………」
手から震えが伝わってくる。いつも頼りになる彼がやけに小さく見えて──いや、実際、自分よりは小さいのだけど──チェルシーは違和感に首を傾げた。
「家に帰る前にさ。少し、座って話そうよ」
戸惑うロイの手を引くと、森の中に入る。ロイとよく登っていたお気に入りの大木の前に行くと、チェルシーはさっと木に登った。
相変わらず、特等席からの眺めは気持ちがいい。伸びをすると、遅れて登ってきたロイが隣の枝に腰下ろした。
「こうやって話すの、久しぶりだね」
前はよくこうやって二人で木に登って話した。両親に会いたいと泣くロイを慰めたり、二人でお菓子を食べたり。いつの間にかしなくなってしまったけど。
「うん。久しぶりだ」
へにゃりと笑ったロイが眩しくて、目を細める。
「あのね。私も、ごめんね」
「……さっきも言ったけど、気にする必要ないよ」
「違う違う。それもあるけどさ」
困った顔をするロイに苦笑すると、チェルシーは目を瞑った。冷たい風の音が、のぼせた頭から熱を奪っていく。
「ロイはやりたくなんかないのに、『好き』を押しつけて、勝手に期待して怒ったりとか。鬱陶しかったでしょ」
「…………」
「好きだけどさ、嫌いだったよ。ロイのこと。私のやりたいことを軽々とこなすし、その癖にそのことには執着しないし」
思い起こしてみると、自分は、他の子よりも強くありたい気持ちが大きかった。だから他の子が諦めるようなこと──ロイの相棒なんて大役も、出来ると信じて頑張っていたのだ。
「それがなんかね、私のこと見てないみたいで、自分がいないみたいで、なんか怖かったっていうか」
だから必死に繋ぎ止めようとしていたのだ。こっちを向いてくれないと拗ねたりもしていた。きっと、執着していただけだった。
「でも、もういいんだよ。私、諦めたんだからさ」
へらりと笑いかける。ロイは顔を伏せているので、どういう表情なのか判断がつかなかった。
「これからも親に頼まれたら家に夕飯持って行くし、時々なら掃除もするし。たまに近況報告したりとかしよ。ね。全然変わらないよ」
そう。変わらない。だから無理して遊ぼうとしたり、機嫌を取ろうとしてほしくないのだ。
務めて明るく話しかけると、それまで無反応だったロイがそっと顔を上げた。水面のような瞳が、自分を映しているようで、チェルシーは思わず目を逸らした。
「……でも、チェルシーが作った物じゃないし、頻度は減るんだろ」
「……まあ」
学園の勉強やコニーの研究の手伝いもある。そんなことしていられない。
肯定するチェルシーにぷくっと頬を膨らませると、ロイは泣きそうな顔をした。
「やだ」
「『やだ』って、あんたね……」
呆気にとられる。普段は意思なんてないみたいな顔をしている癖に、時々こうして小さい子供みたいなわがままを言う。今までは聞いてきたけれど、今回ばかりはそう言っていられないので、チェルシーは突っぱねようとした。
「……今までチェルシーのこと、見てなくってごめんね」
だけど、ロイがそれを遮った。
「チェルシーのことっていうか、やってくれてたこと、見てなかった。チェルシーがやりたいことも。ずっと、頑張ってたのに、知ってたのに、見ないふりしてたなって……」
「…………」
「あのね、僕もね、この頃、いっぱいいっぱい頑張ってたんだけど……だから映画に誘って……ごめん。失礼なことしたね」
「ほんとだよ」
目を眇める。精一杯話しているのを止めるのは心苦しかったが、言っておかなくちゃいけない。チェルシーは慰めるように柔らかい声音を意識した。
「見たくないならいいんだよ」
「み、見たくないわけじゃないんだ」
「うそ。見たいなら寝るわけないじゃん。寝不足ならまだしも。ロイが」
なんせ万年寝太郎だ。彼が寝不足になるのなんて見たことがない。
顔を顰めるチェルシーに、ロイは慌てて否定をする。
「違うんだ。ほんとうに、きみが楽しいと思ってるものなら、僕も見たい。でも」
「……でも?」
ずいぶん必死だったし、どんなことを言い出すのか、気になった。続きを促すと、ロイはびたんと勢いよく顔を覆った。
「登場人物が……覚えられないんだ……!」
「…………」
開いた口が塞がらないチェルシーの横で、ロイは珍しく早口で不満をこぼす。
「頑張って覚えようとしても髪型が変わったり服装変えたりするだろ。そしたらパアになっちゃうんだ。なんだってあんなに似たような顔を揃えてくるの? 全然分かんなくなっちゃうじゃないか」
「…………」
「あ、や……チェルシーは面白いと思って見てるんだよね」
ハッとしたロイが謝る。ロイの言ったことを反芻して考え、固まったチェルシーに彼がおろおろし始めたところで──チェルシーは吹き出してしまった。
「た、たしかに……俳優さんって似たような顔が多いよね。特に恋愛って、みんながイケメンだと思ってるところを揃えてるからね」
肩を揺らしてくすくすと笑う。
だって、こんなにおかしいことがあるだろうか。ずっとずっと、それこそ、彼が生まれた頃からずっと一緒にいるのに、この年になって初めてこんなに単純なことを知るなんて。
「そっか。……そっか」
とびきり愉快で、それでいて、なんだか泣きそうだった。
「ずっと、私と出かけるのは嫌なのかと思ってたや」
「そんなわけない。僕、チェルシーの、その、横にいたいだけなんだ」
「……そっか。確認もせずに拗ねちゃってて本当にごめんね」
「ううん。僕こそ言わなくて、ごめん……」
お互い、謝ってばっかりだ。もうやめようかと苦笑して、チェルシーはふと思いついた。
「あ、それなら、見るのは映画館じゃなくて、家にしようか?」
「え?」
「そしたら、お話しながら見れるもんね」
今まではロイとお出かけしたくて、チケットが余ってるのもあって強引に誘っていたが、それなら他の人に譲ったほうがいいだろう。
「ロイの言いたいことは分かった。私もさ、きっと、ロイのことを見てたわけじゃなかったんだよね。私もロイのことを見るようにするね」
木から飛び降りると、改めてロイに笑いかける。
「『私と居たい』って、頑張ってくれてありがとう。すっごく嬉しい」
ロイが目を瞠る。ぼけっとしているロイに首を傾げると、彼は遅れて降りてきた。
「なんか、みんながロイのこと『かわいい』って言ってる意味が分かっちゃった」
楽しい気分のまま、彼のほっっぺたを突くとロイは静止する。
「ロイって、なんか弟みたい」
なんか最近喉に引っかかっていることがあって、チェルシーは悩んでいたのだ。
今まで彼は目標で、恋の相手で、かっこいいとしか思ったことなかった。だから気づかなかった。
改めて気づいたことを伝えると、ロイが地面に膝をついた。
「ど、どうしたの?」
「……いや、なんか……僕って色々遅いなって思って……」
「え、え、そう?」
なんだか分からないが、辛そうだ。
「走るのとか、早いと思うよ」
「ありがとう……」
フォローをしたが、ロイはますます項垂れてしまったのだった。




