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第62話 名誉魔族

 ――心地よかった。


 サウナそのものが気持ちよいのは言うまでもないだろう。だが、ヴァルディスの場合は、強さへの開放感もある。


 これまで内包していた強さの放出。檻の中の獣が草原に解き放たれるかのような気持ちだった。どれだけでも走れる。どれだけでも戦える。本当の自由を得たような気持ちだった。


 けど、それを妨げる奴がいた。


 勇者を名乗る男だった。


 ヴァルディスは、そいつが嫌いではなかった。けど、自分を脅かす唯一の敵だと思い込み、同時に自分の目標であると認識し、どうしても勝ちたかった。


 ――だから。

 だから――。


「ぬぅぅぅぅんッ!」


 城壁の外。荒野。


 ヴァルディスの豪腕から火炎が放たれる。それはまるで炎の竜だった。ベイルは剣を使って豪快に切り裂く。


 刹那、奴が間合いを詰めた。


 豪腕が、ベイルの剣を派手に弾き飛ばす。無手となった彼は、奴の身体に拳を四十発叩き込んだ。


 それらを耐え抜き、ヴァルディスは反撃。強烈なパンチ。腕で防ぐが、強引に吹っ飛ばす。ベイルは空中で態勢を立て直して着地する。


「はぁ、はぁ……どうしたぁ、世界最強の魔族さんよ。そろそろ限界じゃねえか?」


 軽薄な言葉でベイルが挑発する。その表情からは、わずかな笑みがこぼれていた。


「貴様こそ、息が上がっているぞッ!」


 お互いが呼吸を整えると、ベイルは、乾いた笑いをこぼしながらポツリとつぶやいた。


「なあ……もう、やめねえか?」


「なん……だと?」


「もう、やめようぜ。戦うの。これ以上やっても決着はつかねえよ。おまえは強い。俺と同じぐらいの高みにまでやってきた。それで十分じゃねえか。だからもう――」


「黙れ!」


 虎の咆哮の如く語気を強めるヴァルディス。


 ベイルの言いたいことはわかる。こいつはそんなに戦いが好きではない。奴が本当に好きなのはサウナだ。だが、ヴァルディスにとって、この戦いは神聖なモノ。


「この死闘に終焉を迎えるというのなら、それはどちらかの死を持ってして、だ」


「……生憎と俺はもうヘトヘトなんだが――」


「ふざけるなッ!」


 その言葉に、ヴァルディスは苛立ちを感じた。彼の言葉の裏にあるモノを徐々に感じ取っていたからだ。


 心の中がジワと熱くなる。込み上げてくる不快感。それを払拭するかのように、ヴァルディスは右腕に魔力を込める。


 消滅魔法イフリート・メテオ。漆黒の炎を極限までに圧縮し右腕に宿した。触れたモノすべてを灰塵に化す。


「おいおい、マジかよ……」


 以前とは比べものにならない魔力。こいつを食らえば、オリハルコンだろうがミスリルだろうがバターのように溶かすことができるだろう。


「ベイルよ……。終わりにしたいというのならば、全力を持って俺を倒してみろ」


「はは……マジかよ……って、おい――」


 ベイルは驚きの表情を見せた。なぜならば、ヴァルディスの目から一筋の涙がこぼれ落ちていたからだろう。


 魔人の涙。この意味は、ヴァルディスにしかわかるまい。否、ベイルも気づいたようだ。奴は苦笑した。仕方がない――といった感じに身構える。


「しょうがねえな……」


「ゆくぞ、ベイルよ。決着の時だ」


 ヴァルディスは、丹田から湧き出る魔力を右手へと集約。地面を砕かんばかりに踏み込んだ。魔力の奔流が、光速の一撃へと変貌を遂げる。それを、ベイルの顔面めがけて打ち込んだ。


「うおおおおおおおおおおッ!」


 ズゴギャンという凄まじい衝突音。次の瞬間、余波で風が巻き起こった。それは大地を削り雲を払う。それほど強烈な一撃だった。


 ――だが――。


 ベイルはビクともせず、二本の足で直立不動だった。


「ぐ……くくッ……」


 失望の笑いをこぼしたヴァルディス。次の瞬間、拳は限界を迎え、ブシュリと血が噴出。さらには膝を突いて、俯いてしまった。


「ヴァルディス……」


 無傷のベイルは、哀れみの表情で魔人を見た。


「……わ、わかっていたぞ……ベイル。ここまでの死闘を繰り広げておきながら……貴様は本気を出していないことを――」


 これが涙の理由だった。


 ベイルは手を抜いていた。これまでの死闘を演じられたのも、それはすべて彼が加減をしてくれていたおかげ。奴がその気なら、最初の一戦で終わらすこともできたはずだ。


 それでもなお戦いを継続していたのは、彼の優しさか。


 手加減されていると、傷つけまいと決着を避けようとしていたことを、ヴァルディスは戦いの最中に理解してしまっていた。


「俺は、強くなったと思っていた。貴様を凌駕するサウナ力を手に入れたと思っていた。だが、それでも足下にも及ばなかった――」


「いや、おまえは十分強い――」


「黙れッ! 貴様に俺の惨めさがわかるかぁッ!」


 これが現実だった。


 ヴァルディスは日々進化していたが、ベイルも同じく成長していた。その差は縮まるどころか広がる一方。これがサウナ魔人とサウナ勇者の差だった。


 ベイルは、ポツリと言った。


「なぁ……。なんで、俺たち戦ってるんだろうな」


「なにを言う……」


「サウナ、気持ちよかったろ。メシ、美味かったろ。こうしてよ、目一杯身体動かして、すげー気分もいい。なのに、なんで殺しあわなきゃならねぇんだろうな」


「殺し合う? 貴様にとって、この死闘などアクティビティではないか。……さぞかし滑稽であろう」


「滑稽じゃねえよ。おまえのサウナ愛は見事だ。これほどまでにサウナを極めようとした奴を、俺は知らねえ」


「ならば、本気で戦え! 全身全霊を持って、この俺を倒してみろ!」


 そう言って、ヴァルディスはゆっくりと立ち上がり、殺意を込めてベイルを睨みつけた。


「おい、まだやる気か――」


 ヴァルディスは最後の魔力を解放する。エネルギーをすべて身体能力へ。


 このまま続けても死ぬだけ。ああ、そうかもしれない。だが、ここまで歴然とした差を見せつけられ、生きながらえようなどとも思わない。


 サウナと強さの頂を目指した。だが、ヴァルディスはその景色に絶望している。せっかく登った山の頂の景観に、自分よりも遙かに高い山に上っている奴の存在があった。


 それを認めたくなくて、そんな世界を壊したくて、彼は命を燃やし、なかったことにする。


 不器用な自覚はある。己の生き方も、人生の楽しみ方も、戦いの中でしか見つけられないのだから。


「いいぜ、これで終わりにしてやる」


 魔神の気持ちを悟ったのか、ベイルは、右の拳にありったけの魔力を込める。青く光り輝き、魔方陣が腕へと巻かれた。


「――ヘルキスタ・バースト」


 文献で読んだことがある。勇者ヘルキスの開発した最強の魔法だ。あまりに強力な魔力は、ととのっていない状態だと内側から肉体を崩壊させてしまうほどだ。


「それが貴様の本気か、ベイル」


「ああ、本気だ。死ぬんじゃねえぞ」


「俺を誰だと思っている」


 ヴァルディスの肉体が、徐々に赤黒く染まっていく。魔力が全身をコーティングしていく証拠だった。


「魔族らしくなったじゃねえか」


 ニタァと笑みを浮かべるヴァルディス。魔力の増幅に会わせて、筋肉が膨張していく。まるで黒曜石のように鈍く輝いていく。


「リクエストに応えるぜッ! 俺を本気にさせたのは、おまえが初めてだッ!」


「勝った気でいるなよッ! 滅せよ、勇者ベイルッ!」


 光の速さでふたりが接近。同時に拳と拳がぶつかり合った。その衝撃で、大地が派手にえぐれた。クレーターができた。


 ベイルの魔力が一気に解放。


 青い光が広がっていく。ヴァルディスの拳からも黒い光が広がった。


「闇に飲まれろッ、ベイィィィィィルゥゥゥゥゥッ!」


 意地だった。もう、二度と戦えなくなってもいい。だから、ありったけの魔力を暴走させる。最後に自分が消滅してもいいとさえ、ヴァルディスは思った。


「サウナは奥が深いんだッ! ちょいとやそっと、楽しんだだけでッ! すべてを知った気になるんじゃねえッ!」


「俺は、誰よりもサウナに可能性を見たッ! 誰よりもサウナと向き合ってきたッ! 貴様のような才能だけの人間にッ、屈するほどッ! 弱くはなぁぁぁぁいッ!」


 光と闇が押し合いになる。ほんの少しでも気を抜いたら消し飛ぶのだろう。


「ぬぐぐぐぐぐぐぐッ!」


 だが、その時だった。身体を変色させていたヴァルディスの魔力が徐々に溶けていく。


「こ、これは……どういうことだ……ととのいが、解けていくだと……? バカな! まだ時間は――」


「――どうやら、サウナの神様に嫌われちまったようだな」


「なん……だとッ?」


「サウナってのは、気持ちよく入るものだ。一日に何度も繰り返せば、身体が状況に慣れてしまい、ととのい方も緩慢になる。おまえは慣れてないんだよ。


「そん……なッ――」


 魔力が揺らいだ。その瞬間、ベイルの蒼き光が、ヴァルディスの漆黒の魔力を貫いた。


 そのエネルギーは魔人の腹部へと突き刺さり、溶けるかの如く一気に内包していく。そして、大爆発を起こした。光の柱が天へと昇る。大気を焼き尽くすように浄化させる。


 魔力の奔流が周囲一帯に広がった。


「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」


 淡い光が周囲の淀んだ空気を吹き飛ばす。空に浮かんでいた雲も、荒野に吹き荒れる風の音も、塵も砂も消えた。


 残るのは、横たわるヴァルディスの姿。

 そして、真のサウナーの屹立する姿だった。


「――俺の勝ちだ」


     ☆


 1分か。

 2分か。


 とにもかくにも、ヴァルディスは気を失っていたようだ。目を開くことはできたが、身体はビクともしなかった。脱力感が全身を蝕み、まるで鉄塊を付けられたかのように重かった。


「う……ぐ……」


 かろうじて視線を横に向けると、そこにはあぐらを掻いたベイルの姿があった。


「よう」と、緊張感のない声を飛ばしてくる。


「ま、また俺は……負けたのか……」


「ああ。1分ぐらい寝てたな。敵を前にのんきなものだぜ」


 完全敗北だと、ヴァルディスは理解する。


「……殺せ」


「それ、前ン時も言われた」


「今度こそ殺せ。もう、俺に生きる理由はない。価値もない」


 やれることはすべてやった。これ以上、どう足掻いても、ヴァルディスはベイルに勝てる気がしなかった。


「やなこった。死にたいなら、俺のいないところで勝手に死ね」


「……なぜ、おまえはそんなにも強い……どれほど、自分を鍛えているのだ」


「訓練は、あんまししてねえよ。仕事も忙しいしな」


「じゃあ、なぜ――」


「サウナを制したものが、戦いを制した。それだけのことだ。俺の方が、おまえよりもサウナが好きなだけだったんだろ」


 そんなわけがない。と、思ったが、ヴァルディスは口にはしなかった。それが勝者の語りならば受け入れるしかない。自身、サウナを愛していたとは思っていたが、ベイルはそれ以上にサウナのことを想っていたのだろう。


「サウナってのは娯楽だ。楽しむ心こそが、究極のととのいに繋がる。学者連中はドーパミンだとかエンドルフィンだとか、交感神経だとか理屈を並べてっけど、ぶっちゃけ楽しんだ者勝ちだ。意識高い系の奴がパフォーマンスのために入るとか言ってるけど、もったいねえ話だぜ。仕事のためにサウナに入るんじゃねえ。日々を充実させるためにサウナってのは入るもんだ」


「しかし、そんなの理想論――」


「理想を現実にするのが勇者の役目なんだよ。おまえより、俺の方がサウナを楽しんだ。それが勝敗を分けただけだ」


 ――嘘だ。


 おそらく、この言葉すらも、ベイルの優しさなのだろう。御託を並べてはいるが、結局のところヴァルディスは実力で負けたのだ。


「それに――」


 町の方から、アスティナたちがやってくる。それを見て、ベイルが言った。


「仲間がいるってのはいいもんだ。サウナが終わったあと、一緒に飲み交わす相手がいるって最高じゃねえか」


「俺に仲間など――」


「ンだよ。これまでに、俺と何回メシ食ったんだよ。バーカ」


     ☆


 その後、ベイルの嘆願によって、ヴァルディスは処刑を逃れることになった。


 たしかに、彼の存在は脅威。人間を何度も窮地に追いやった。だが、事実上、魔王を倒したのはヴァルディスである。功績を称えるようベイルが進言したので、彼は名誉魔族として、これまでの咎を免除。ラングリードの市民として登録された。恩赦によって、トーレスも罪を帳消しにしてもらったのだった。

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