No.7 一話 ~06~
早朝の街は静かだ。まだ外は夜の余韻を残して薄暗く肌寒い。野鳥のさえずりが申し訳程度に聞こえてくるくらいで人の営みは感じられない。この時間帯によくある独特な雰囲気だ。
昨日の晩から続く頭痛で眠れなかった俺は、鏡に映った自分の顔を眺めながら濡れた頬を指でなぞる。イキシアが言うには体は『イド・リヴァー』で顔は別の誰からしい。この顔は誰の顔なんだろうか。そして俺は一体誰なんだ。思い出せない。思い出すための糸口すら見当たらない。
「お前は誰なんだクレイマン?」
鏡の向こうで俺に俺は問いかけててみる。その問いかけに俺がこう答える。
「俺か? 俺はお前だよ」
鏡の向こうで俺が俺を指差して微笑んだ。それは当たり前なんだけど、俺がお前でお前が俺ならお前も俺も何者でもないことになりはしないか。お前が自分のことを知っているならともかく。
鏡の向こうの俺は昨日の俺と何も変わらないように見えた。本当にそうなのか。俺にはそう見えているだけで、実際は昨日の俺とは全く違っているのではないか。根拠は無いがそんな気がしてならない。
「おい、クレイマン!」
朝から男子便所の扉を荒々しく開けて突然イキシアが飛び込んできた。一応ここは男子便所なんだがそんなのお構いなしらしい。
「朝から騒がしいな。他の連中が起きるだろ」
「さっき郵便が届いた。お前宛だ」
「俺宛じゃなくて『イド・リヴァー』宛てだろ?」
「・・・・そうなる・・・な」
一瞬、手渡すのをためらってからイキシアは白い便箋を差し出した。赤い蝋で閉じられたそれはいかにもそれらしい文字であて先が書かれている。もちろん『イド・リヴァー』宛だ。むしろ俺宛だったら色々怖い。
ハンカチで手を拭きながら俺はそれを受け取り、手紙の裏を見た。予想通り送り主はルッソ・デミチェンコだ。ここで開くのもなんとなく躊躇われたのでひとまず俺は部屋に戻ることにする。
「私も一緒に見てもいいか?」
便所の扉をくぐるとイキシアが遠慮気味に尋ねてくる。
「どうせ俺が駄目って言ったところでやる事はかわんないだろ」
「一応確認だ」
「可愛くねぇ奴だぜ」
廊下は背筋が冷えるほど寒い。俺はここの連中に顔を見られないようにする為と早いところ暖かい『イド・リヴァー』専用部屋に戻るため歩調を速めた。
窓の向こうのフラエズ河には河口に向かって出向していく貿易船が見える。この時期はよく貿易船が上流のほうにある市場へ行き来する。南の大陸で取れる香辛料から東の繊細で綺麗な織物、海を挟んだ大国からは質のいい拳銃なんかが運ばれてくる。それは大層金になるのだ。おかしいな。どうして俺はこんなことを知っているんだ。
ふと浮かんだ疑問も暖房の効いた部屋で、頬の緩む暖かさに包まれるとどうでもよくなった。
「早く手紙をあけろ」
さっきから今か今かとサンタクロースを待つ子供のように落ち着かないイキシアをなだめて俺は手紙の封を開ける。中には紙が一枚。達筆な文字が並ぶ。
「なんて書いてあるんだ?」
「ちょっと落ち着けよ。みっともないぜ」
俺は達筆すぎて読みにくい文字を一つ一つ音読していく。
「『まずは先日の失礼を謝罪する。貴殿の勇気と度胸、そして誇り高さを認めここに新たなファミリーの誕生を祝したい。もっては改めて新生リヴァーファミリーとの結束式を行う。明日、再び私の屋敷に御出で頂きたい。』だってよ」
真っ白な紙の真ん中にたった数行の言葉が書かれたそれをイキシアに見せる。イキシアはそれに穴が開くのではと思うほど眉間にしわを寄せて一文字一句を精読する。何があったのかよく分からないが、いい方向に進んでいるのは間違いなさそうだった。
しかし、たった数行の文字を読むのにずいぶん時間がかかるものだ。イキシアはまだ手紙を両手で掴んで顔を埋める勢いでいる。
「やった。やったよ、イド・・・・・」
手紙を握り締める手が震えだしたと思ったらまたイキシアは泣き出していた。俺には泣き顔を見られたくないのか必死に顔を隠しているが上下する肩と嗚咽で泣いているのはばればれだ。俺はその涙がうれしさで流れていればいいと素直にそう思えた。
「クレイマン?」
「なんだよ」
「お前があの時ああしてくれなかったら今頃、私たちはばらばらになっていた。・・・・・・・ありがとうな」
「・・・・何のことかわからねぇな」
不安と罪悪感の二つが入り混じり合って余計に濃くなった居心地の悪さに、俺は両手をポケットに突っ込んだ。何故そんな感情を覚えたのか。それはイキシアに感謝されるような覚えが全く無いからだ。そう。あの日、円机の椅子に腰掛けたときから俺の記憶は無くなっていた。
第七回。
人と人との距離を描くのが苦手な私。ただ、少しずつでも登場人物が自ら動き出す物語が書けるとうれしいです。これを読む皆さんの中ではどのように彼らが動いていますでしょうか。物語は徐々に核心へと向かいます。
ご意見ご感想、お待ちしております。
青六。




