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欠落症  作者: アズ
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4/5

「なぜ泣いているのですか?」

「優斗くん、広香がね……」


 優斗が広香の病室に行けなくなってからひと月ほど。広香の両親から電話があった。慌てて病院へと急ぐ。

 広香の記憶がなくなった。

 優斗に関する記憶なのか、それとも広香の両親も含まれているのか。それはわからなかったが、もしすべて忘れていたのだとしたら。また恋人に戻れるのではないかと、優斗は期待を抱いた。



「えっと、こんにちは」


 広香は病室に駆け込んだ優斗に少し驚き、あまりにも必死なように見えたので笑いながら挨拶をする。その笑い方はまったく変わらなかったために、優斗は少し安堵した。


「広香、大丈夫なのか?」


 馬鹿げた問いだった。大丈夫じゃないから優斗が呼ばれたというのに。それを自覚し、照れ隠しに笑う。


「はい、大丈夫です。何も覚えてないんですけど、これ以上悪くはならないって言われたので」


 話す内容から、何もなくなってしまったのだと優斗は理解した。恋人同士だった期間も、幼いころから一緒に過ごしてきた時間も、……拒絶したことも。

 何もわからない広香に、自分たちは恋人同士だと言い、関係を再構築することは可能だろうか。そんなことを優斗は考えていた。


「あ、あなたにこれを……」

「?」


 広香が優斗に渡したのは封筒と一冊のノートだった。


「引き出しに入っていて、あなた宛でしたから、たぶんこれでいいはずです」

「開けていいのかな?」

「たぶん」


 広香は何も覚えていない。これであっているのかもわからない。優斗は一応聞いた後、躊躇なくノートを開いた。びっしりと書いてある、日記というより記録と思われる文字の羅列。何色かのペンで装飾されている。

 優斗のこと、両親のこと、友達のこと。話したこと、忘れたことに気付いたこと、思い出せないこと。そのときどきの気持ちが書いてあるわけではないが、筆跡の乱れから推測できる。特に名前や特徴が書いてあるページには折り癖がついていて、何度もペンでなぞった跡があった。忘れないように繰り返し書いたのだろうか。

続けて封筒を開けた。



* + * + * + * + *


自分が剥がれ落ちていく感覚。

記憶があるうちに死にたいの。

あなたを忘れてしまうのはとても苦しいから。

でも毎日のように来てくれるあなたに期待してしまう。

次に会ったら、次に会ったら。

そしてまた日々を重ね、欠落していく。


あなたがこの文章を読んだときには、

私はもう何も覚えてないのかもしれない。


とても優しい時間をありがとう。

本当に好き、でした。


過去形になってしまうのがとても悲しい。


あなたは何もなくなってしまった私を好きでいてくれるかな。

恋人同士でいてくれるかな。

もしそれが叶っても、ずっと一緒にいてくれると言ってくれても、

それは私ではないんだ。

私は、今、ここにいる、あなたの記憶を持った存在。

また一から思い出を築く存在じゃない。

少しずつ忘れていく私も、既にあなたの知っている私じゃない。


さようなら。私は死にました。忘れてください。ごめんね。大好き。


* + * + * + * + *



 手紙は遺書のようだった。いや、確かに遺書なのだろう。消える記憶、思い出。確かに存在していた広香はもう過去のものとなってしまった。


「なぜ泣いているのですか?」

「ごめん……ごめんな……」


 不思議そうに優斗を見上げる広香。拒絶されても通うのを止めなければよかった。手袋を取りに戻ればよかった。あの日、笑って別れたらよかった。優斗は後悔に襲われていた。

 しかし今の彼女にとって優斗は知らない男。手紙を握りしめて泣くことしかできなかった。






 泣いている優斗の手を広香が包み込む。

 驚いた優斗が顔を上げて広香を見た。


「なんだか、安心しませんか? ずっとこうしてもらった気がするんです」


 優斗の涙は止まらない。


「……ありがとう」


 絞り出すように礼を言い、優斗は泣き続けた。


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