27.変化などささやかなものだと笑って
遅刻しました。
それは小さな嵐のように、部屋へと新しい風を吹き込んだ。
「なんであなた様がこんなところに。いえ、帝都にいらっしゃるのは聞いていましたけどね、ウィリアローナ姫の寝室にまで現れるなんて聞いていませんよ。
だいたい、おばあ様もなぜここに。シエラ様、なぜあの村から連れ出して来たのですか。おばあ様、お加減は? 気分が悪かったりしないのですか?」
「おうさま! もう! ちょっと目を離した隙にいなくなるんだから! もう!!」
エリは老女に駆け寄り、スタシアはレオンセルクに駆け寄った。
「その辺の廊下でおうさま見失ったって、半泣きになってうろたえまくってたから、連れて来たんだよ。エヴァンシーク陛下は剣の使い手だし、ちょっとくらいだ丈夫かと思って……」
エリがもごもごとシエラへと言い訳をする。その光景に、エヴァンシークとレオンセルクは謎が解けた、と思い大きくため息をついた。エヴァンシークの腹心をやめて以来、けれど城内に意味ありげに出没するこの自由な隠密が、一体誰の指示で動いているのか。かつての皇妃シエラだったと言うのなら、謎は氷解する。
「……おまえ、いつのまにこのお方の隠密に納まったんだ」
「ええと……。ちょっとお城を出て各地をうろうろしてる時に。面白そうなところへ首を突っ込んだら、出会ってしまって。それ以来」
素直に説明して、エリは誤魔化すように笑う。つくづくこの隠密の技量を前に、城の警備はザルなのかもしれないと不安がよぎった。敵に回せば、勝てる相手はいないだろう。
ごまかしつつも逃げ出すようにして、エリは老女へと向き直った。それで、身体は大丈夫なんですか。と、先ほど聞いたことを重ねて問うている。
「ええ、ええ。心配してくれて、ありがとう。ウィリアローナ姫の春が来て、私も村を出ても平気になったようなのよ」
しばらく気づかなかったんだけどねぇ、と老女は嬉しそうに笑む。シエラに無理やり連れ出されて、初めて気づいたのよ。と。
「そっか。……ところでおばあ様。こちら、ウィリアローナ皇妃ですが、もう聞きました?」
「何を?」
まだ並んだままだった老女とウィリアローナは、お互い顔を見合わせて首を傾げた。エリはシエラと目を合わせて、頷きあったり首を振って見せたりして、なるほど、と再び二人へと向き直る。
「ウィリアローナ姫様、こちら、神聖王国でかつて王太子だった方のお母様でして」
きょとんと、ウィリアローナが瞬く。目を見開いて、エリを見て、ぐるぐると何事か懸命に考えていた。
「……嘘」
本当ですよ、と、ウィリアローナの心中を察したエリは頷く。
「このお方、エリオローウェン様の正真正銘、産みの親です」
身を見開いて、ウィリアローナは老女の方を向いたまま固まった。拠り所を求めてエメリアナを抱きしめ、じっと食い入るように、見つめる。まだよくわかっていない老女は、困惑顔で、それでもウィリアローナの視線を受け止める。
「あなたの、孫娘だよ」
エリの言葉に、老女は戸惑ったようにウィリアローナを上から下まで眺めた。では、もしや、と遠い昔に置いていった息子の名を口にしそうになるのを、エリが遮った。
「誰にも証明できないし、してはいけないんだけど。……あなたの孫娘だよ」
最後の一言を、囁くようにして伝える。並んで見ると、血縁を顔立ちに感じるよねぇ、エリがシエラとうなずきあった。エヴァンシークも頷いていて、対照的に老女が弱り果てて腕の中のウィリアローナを見ていた。
「あぁ、そんな。なんてこと」
戸惑って、拒絶をしないか不安に見ていたけれど、なんてこと、と繰り返す老女は、目尻のしずくをそっと拭った。
「この歳になって、こんなに驚くことがまだあるなんてねぇ」
そう言って笑ってウィリアローナから一歩離れる。再び上から下まで見下ろして、そうなの。と、また頷いた。では、この子はわたしのひ孫かしら。そう言って、ウィリアローナの腕の中で、いつの前にか眠ってしまったエメリアナを覗き込む。
「かわいいわねぇ」
赤子というのは、いつでも可愛いわと呟いて、でも、孫の子どもと聞くと、あまりピンとこないものねと笑った。
「そう、あの子が。大人になって、親になったの」
懐かしむようにして目を伏せ、笑った。この人が、あの神聖王国先王の王太子、エリオローウェンの結末を知っているかどうか、レオンセルクは知らない。けれど、それ以上何も言わないところを見ると、もしかして知っているのかもしれなかった。
さて、と一人、心の中で切り替える。シエラに向き直って、彼女と、彼女に抱きついたままのエレオリアに声をかけた。
「ええと。その……。君とは、いろいろ話をしなくてはと思っているけれど」
はい、と答える声は緊張しているようだった。あぁ、もう、柄にも無く途方に暮れている。あんなにないがしろにして来た人に、今更、どんな顔をすればいいのか。それも、エレオリアやエヴァンシークの前で。
当時の全てを見ていたスタシアは、おろおろとレンセルクとシエラを見比べている。
謝るのも、許しを請うのも、何もかもが今更すぎた。けれどこれから何か違う関係を築けるというのなら、あの頃のことをなかったことにしてはいけないと思う。思うのに。
「……レオンセルク陛下」
見かねたシエラが、救いの手のように声かけてくる。
「エレオリア様の影武者として、私、全部自分で決めて、好きにやった結果です。あの頃を知る騎士が、何人も謝罪を口にしてきましたけど」
けどそれは、とても許容できる内容ではなく。
「全部、陛下のためでも、エレオリア様のためでもなかったんです。私自身が、私のためだけに、お二人が戻ってくるあの場所を守りたかった」
だから、本当に、いいんですよ、とシエラは言う。言うけれど。
「それで、体を壊して城を去ったんだろう。君」
「先に心を壊されたのは、陛下です。私が、あなたを支えきれなかった」
いいえ、そもそも、支えにさえなれなかった。
気がつけば、エヴァンシークとウィリアローナが、老女とエリとエメリアナをつれて退室していた。ウィリアローナの寝室に残ったのは、シエラ、エレオリア、スタシア、そしてレオンセルクだった。
ウィリアローナが気遣ってくれたのだろう。ありがたいけれど。
「エレオリ様が戻ってくるまで、そう決めて、お力になりたかったのですけれど」
不甲斐ない私で、申し訳ありませんでした。とシエラが言いかけるのを、慌てて止めた。ここでさらにそんな風に言わせたら、本当にろくでもない、人でなしになってしまう。
「君の献身に、報いることもなく、今日まで探すこともせず、うやむやにしていたことを、謝罪させてほしい」
当時の扱いについては、何を言っても受け入れてもらえなさそうだったので、レオンセルクはその後を怠ったことを謝罪した。けれど、それも、いいえとシエラは首を横に振る。
「ロードロス閣下によくしていただいて、療養先もその後の暮らしも、何一つ困らなかったので。最近になって、エリヤも送り込んでくれて、皆さんの現状を聞いてからはお役目もいただきましたし」
その何一つ、レオンセルクの知らないところで出された指示に、何も言えなくなる、本当に本当に、レオンセルクが今更シエラにしてやれることは何もないようだった。
何も言いだせず口を噤んでいると、何を感じ取ったのか、シエラが眉をさげる。
「その、私に報いるだとか、責任を取る、だとか。そういうことを考えて、側室に召上げるだなんて、言い出さないてくださいよ」
思いもよらぬ選択肢に、思わず目を見開く。あぁいやだ、私の早とちりですねと瞬時にシエラは悟り、うー、と恥じらうように目を閉じる。
側室、シエラを側室に? 考えたこともなかった。また、別の人影が脳裏にうつりそうで慌てて思考そらす。考えたくないことは色々あった。
「とにかく、私はいいんです。それよりもエレオリア様とお話ししてください」
「ちょ」
「何を逃げているかは知りませんけど、向き合うほかありませんよ」
そろそろ離れましょう。ね。とシエラが未だしがみついていたエレオリアを引き剥がしにかかる。エレオリアの今の力ではろくに抵抗できないまま、引き剥がされたエレオリアは、肩を小さくしてレオンセルクに背を向け立ち尽くした。
「……エレオリア?」
戸惑いつつも、声をかける、シエラは壁際に控えるようにして下がってしまった。壁際に控えるシエラと、目の前のエレオリア、なんだか昔に戻ったみたいで、不思議な気分だ。
あの頃とは、何もかも違うけれど。
「……あの、僕、知らないうちに何かすごく怒らせてしまった?」
この部屋に入ってから、一度も顔を向けられていない。逃げるようにして、背中ばかり向けてくる最愛に、どう接していいかわからなかった。
「ち、ちが」
否定はするけれど、振り返ってはくれない。困ってしまって、肩をたたく。
「触れてもいいかい?」
そう言って肩に手をかけても、否定の言葉はなかった。振りほどかれもしないので、そのまま掴んで、こちらを向かせる。
「………………エレオリア」
両手で顔を覆ったエレオリアが現れて、本当にどうしたの? と言葉を続けてしまった。一歩距離を詰める。エレオリアは逃げようとしない、頰に手を添え、親指で撫でて、顔を上げるように促す。
「……エレオリア? 本当に何がどうしたって言うんだい」
そっと、エレオリアが両手を離す。その顔を見て、瞬いた。なんだろう。なんだか、ずいぶん。
深海の瞳が不安げに揺れて、恐る恐る、レオンセルクを見上げてくる。目が合っても、レオンセルクは言葉を発することができなかった。お互い見つめ合って、ひとまず、レオンセルクはエレオリアの頰に口付ける。
「何を!」
ぎゃーと叫ぶエレオリアにくつくつと笑いかけて、いや、なんか、とレオンセルクは両手を伸ばしてエレオリアを抱きしめた。
「なんか、変わった? なんだろう。綺麗になったね」
ぱくぱくと喘ぐようにエレオリアが何か言いたげにして、やがて何も言えないまましゅるしゅるとレオンセルクの方に頭を乗せた。「お前の目は、節穴だ」と、低く唸るように言う。
「…………十代の容姿ではなくなったの、わからないか」
「言われてみれば」
ぎゅーっと抱きしめているので、見はしないけれど。いや、こっちを見ろ、と腕の中で力なくもがく最愛は可愛い。ぞくぞくする。
エレオリアしばらくもがいた後で、ぐったりと体重を預けてきた。なんだかどきどきして、半ば抱き上げるように支えると、目があったエレオリアは力なく笑う。
「……お前がそういうやつだってことを、久々に思い出した気がする」
そう、お前は変態だった。とまっすぐぶつけてきた言葉に、ひどいなぁ、と肩をすくめた。エレオリアに対してだけ、なんだかいろんな欲望が満たされて幸せになるだけなのだ。例えばそう、先ほどのは、支配欲というか。なんというか。
誰に言い訳するでもなく心の中でつぶやいて、肩は掴んだまま体を離す。
エレオリアを頭のてっぺんから足元まで見下ろして、あぁ、と固くこわばった心がほぐれていくのを感じた。
エヴァンシークを生んで、一年経って、眠りに落ちた。あの頃のままの容姿が今、四十代ほどの、現皇帝エヴァンシークの産みの母だと言っても差し支えぬ容姿に変わっている。
「なんて言う奇跡だい、これ」
また、ぎゅーっと抱きしめる。
「あたしにも、よくわからないんだ」
抱きしめられながら、エレオリアがレオンセルクの背中に手を回す。弱々しくも、きゅ、と背に添えられる手が愛しくて、レオンセルクは今ここでエレオリアを抱きしめ潰さないよう気をつけた。
「ただ、あの、エメリアナに触れた時に、何か音がして。鈍い、古い、鐘の音みたいな」
エレオリアの言葉に、顔を上げる。なぜだか思わずシエラを見た。シエラも、驚いた顔でエレオリアを見つめている。




