7.北の山と災害の咆哮
故郷ガトー村への帰路は、まさに時間との戦いだった。
四人とディーンは、ギルドの特権を使って手配した快速の馬車を限界まで乗り継ぎ、夜通しで山道を駆け抜けた。途中の野営も最低限、食事は歩きながら干し肉を噛みちぎるだけという強行軍だ。
そして三日後の早朝、朝霧に包まれたガトー村へと到着した。
だが、かつての活気ある村の姿はそこにはなかった。通りに人影はなく、どの家も固く扉を閉ざし、村全体が重苦しい沈黙に支配されていた。
村長の家へ飛び込むと、老いた村長がやつれ果てた顔で彼らを出迎えた。
「帰ってきたか、ディーン、トーマ……! おお、すまぬ、儂の不徳の致すところで、リジーをあんな目に……」
「村長、謝罪は後だ。母ちゃんはどこだ。盗賊どものアジトはどこにある!」
トーマが机に身を乗り出して詰め寄ると、村長は震える手で一枚の古い地図を広げた。
「村の真北にある、険しい岩山の洞窟だ。そこに『黒い牙』の連中が根城を作っておる。……だが、問題はそこではないのじゃ」
村長の指が、地図のさらに奥、深い渓谷の走る区域を指し示した瞬間、その指が目に見えてガタガタと震え始めた。
「その盗賊の根城のすぐ目鼻の先には……あの、『黒竜』の縄張りがあるのじゃ……!」
その言葉が出た瞬間、部屋の空気が一瞬で凍りついた。
黒竜。この大陸において、単なる魔獣の範疇を遥かに超えた、生ける災害とも称される最上位の超越存在だ。一国を滅ぼすことすら容易とされるその怪物の名に、あの金剛級ハンターであるディーンすらも、深く眉をひそめた。
「……あのトカゲ、まだ生きていやがったか」
「親父、知ってるのか?」
「十数年前、まだ若かった頃に一度だけ、遠くの山脈から奴が飛び立つ姿を見た。羽ばたき一つで嵐が起き、咆哮一つで地鳴りが響く。正直に言うが——金剛級のハンターを何十人集めようが、勝てる気がしねえ化け物だ」
あの父親にそこまで言わせる存在。それが、ドラゴンという名の絶望だった。
◇◇◇
翌日、一行は一刻の猶予もないとして、北の岩山へと向かった。
深い霧をかき分け、険しい崖を登ること数時間。古地図の通り、中腹にある巨大な洞窟の奥に、盗賊団「黒い牙」のアジトを発見した。
ディーンの圧倒的な戦闘力と、トーマたちの完璧な連携により、見張りの盗賊たちを声も上げさせずに次々と無力化していく。そのまま慎重に、洞窟の最奥へと侵入していくのだが——。
「……ん? なぁ、アニキ」
通路の陰に潜みながら、ラッシュが奇妙そうに首を傾げた。
「なんか、おかしくねえか?」
「何がだ、ラッシュ」
「いや、凶悪な盗賊団の根城にしてはさ……みんな妙にソワソワして怯えてないか?」
確かに違和感はあった。すれ違う盗賊たちの顔は、どれも略奪を楽しんでいる悪党のそれではなく、まるで何かに怯え、今すぐにでも逃げ出したいかのように引きつっていたのだ。
訝しみながらも、さらに通路の奥、開けた大空洞へと踏み込む。
すると——。
「おや、あんたたち。来るのが随分と遅かったじゃないかい」
聞き覚えがありすぎる、豪快で張りのある声が洞窟内に響き渡った。
全員が我が目を疑い、その場で硬直した。
そこにいたのは、頑丈な木製の椅子に腰掛け、一応は縄で縛られているものの、机の上に置かれた山盛りの果物を美味そうにモグモグと食べている、現世の母リジーの姿だった。周囲の盗賊たちはといえば、彼女から離れた場所で、なぜか怯えるようにして小さくなっている。
「か、母ちゃん……!? お前、本当に捕まってるのか!?」
「何言ってるんだい、見ての通り縛られてるだろ? まあ、ここの連中が持ってきた干し肉がやたらと硬くてさ、顎が疲れちまったよ。ディーン、あんた後でこいつらの頭をガツンと殴っておきな」
全然悲壮感がない。むしろ、どっちが捕虜でどっちが捕まえた側なのか分からない有様だ。
なんだこれは、とトーマが頭を抱えようとした、まさにその瞬間だった。
——ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
凄まじい地鳴りと共に、洞窟全体が激しく揺れ動いた。天井からパラパラと大量の土砂が落ち、壁面に無数の亀裂が走る。そして、洞窟の外から、全人類の魂を根本から震え上がらせるような轟音が響き渡った。
——グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!
その咆哮一発で、その場にいた全員の背筋が完全に凍りついた。
ドラゴンだ。黒竜が目覚めたのだ。
「な、な、なんなんだよ一体!?」
奥から、怯えきった表情の盗賊の頭領が飛び出してきて叫ぶ。
「知るかよ! なんであの化け物がオレたちのアジトに向かってきてるんだ!」
「誰だ! 誰があのトカゲの逆鱗に触れるような真似をした!」
大混乱に陥る盗賊たち。ディーンは素早く洞窟の割れ目から外の様子を覗き込み、その顔色を一瞬で土気色に変えた。
「最悪だ……。冗談抜きで、本物が来やがった」
「親父、何が見える!?」
「黒竜だ。奴の巣はこの上の渓谷にあったはずだが、どういうわけか完全にブチ切れて、この洞窟を叩き潰そうと突進してきてる!」
トーマもディーンの脇から外を覗き見た。
巨大だった。前世の記憶にある、どんな大型重機や高層ビルよりも、その生物は圧倒的な「質量」と「恐怖」をまとっていた。光を一切反射しない漆黒の鱗、爛々と輝く黄金の双眸、岩山を一薙ぎで粉砕する凶悪な爪。まさに天災、神話の怪物そのものだ。
「おい、お前ら!」
ディーンが盗賊の頭領の胸ぐらをつかみ上げて怒鳴り散らす。
「お前らの身内の誰かが、あの竜の巣から何か盗み出しやがったな! 白状しろ!」
盗賊の頭領がガタガタと震えながら振り返ると、後ろにいた下っ端の一人が、泣きそうな顔でそっと手を挙げた。
「……す、すみません……。渓谷の奥の洞窟で、ものすごく綺麗に光る宝箱みたいなのを見つけて……」
「それで、何をしたんだ!」
「開けたら……中に入ってたの、宝石じゃなくて、黒くてデカい『竜の卵』だったんです……。割っちゃいそうだったから、怖くなってそこに置いて逃げてきたんですけど……」
個室にいた全員が、一斉に頭を抱えた。
「馬鹿野郎がお前はアァァァ!!」
ラッシュの絶叫と同時に、ドガァァンという凄まじい衝撃と共に、洞窟の天井の一部が崩落した。
煙の向こうから、巨大な漆黒の頭部が、黄金の眼光を放ちながら洞窟内へと突っ込まれる。
逃げ道はない。戦わなければ、ここで全員が文字通り肉片へと変えられる。
ディーンが背中の斧槍を引き抜き、凄まじい闘気を放ちながら前に出た。
「おい、盗賊ども! 死にたくなければ武器を持て! 生き残るチャンスは、全員でアレの首を獲る以外にねえぞ!」
「ク、クソがぁ! やるしかねえ!」
盗賊の頭領も剣を抜き放つ。
「あはは、これはまた、とんでもなく面白くなってきちゃったねぇ!」
ハンジが引きつった笑みを浮かべながら仕込鞭を構える。
「面白くねえよバカ野郎!」
ラッシュが半泣きになりながらボウガンを構え、アンゼリカは恐怖に震える手で、必死に杖を前に突き出した。
そして——トーマは、愛用の槍を両手で強く握りしめた。
目の前には、神話級の怪物。逃げれば確実に死ぬ。戦っても、命の保証などない。
だが——不思議だった。身体が恐怖でガタガタと震えているのに、胸の奥は、これまでにないほど静かだった。
生きたい。
前世の未練も、罪悪感も、すべてを置き去りにしてしまうほどに。
「——行くぞおおおおお、お前ら!!」




