5.月光と、横顔
それからの日々は、目まぐるしくも充実したものだった。
新入りパーティーである彼らの最初の仕事は、王都周辺の平原での薬草採取だった。アンゼリカの錬金術の知識を活かし、質の良い薬草を大量に納品して信頼を得る。次は商人の荷物運びの護衛、その次は街道を脅かす下位の魔物退治。
一歩ずつ実績を積み重ねていく中で、四人の相性の良さはギルド内でも噂になるほどだった。
頑強な体躯と卓越した技術で敵の攻撃を受け止め、鋭く切り込む前衛のトーマ。戦況を冷静に見極め、変幻自在の鞭とナイフで敵を翻弄する遊撃のハンジ。はるか後方から寸分の狂いもなく急所を撃ち抜く遠距離支援のラッシュ。そして、戦傷を癒やし、錬金術による様々な補助アイテムで味方の能力を底上げする後衛のアンゼリカ。
特にアンゼリカの即席錬金術は、戦場において無類の便利さを誇っていた。
「はい、できましたー!」
ポン、と可愛らしい音と共に小さな煙が上がると、アンゼリカの手のひらには純度の高い傷薬が完成していた。
「相変わらず便利だな。お前がいてくれるおかげで、薬代が浮いて助かるよ」
トーマが素直に感心して頭を撫でると、アンゼリカは「えへへ……」と頬を林檎のように赤くして嬉しそうに笑った。
「トーマさんに褒められるのが、一番モチベーション上がっちゃいます!」
「あ、そうか……」
アンゼリカの距離感が、最近どうにもやたらと近い。トーマは少しだけドギマギしながら、視線を斜め上へと逸らした。
「あ、トーマさん! これ、昨日の夜に宿の厨房を借りて焼いたんです。どうぞ!」
差し出されたのは、小さな紙袋に入った手作りのクッキーだった。
「……わざわざありがとな」
一枚口に放り込む。バターの優しい香りと程よい甘さが、口いっぱいに広がった。
「どうですか……? お口に合いました?」
アンゼリカが不安そうに両手を胸の前で握りしめ、上目遣いで覗き込んでくる。
「……うまい。すごくうまいよ」
「本当ですか!? やったぁ! じゃあ、明日からも毎日焼いてきますね!」
ぱぁっと世界が明るくなるかのような、満面の笑み。その様子を、少し離れたベンチから見ていたハンジが、ニヤニヤとした意地の悪い笑みを浮かべて肘で突いてきた。
「いやー、青春だねぇ、トーマくん。見てるこっちが恥ずかしくなっちゃうわ」
「違う。変な勘違いをするな、ハンジ」
「えー? 違いますかねぇ? あのアンゼリカちゃんの目のハートマーク、村の猪でも気づくレベルだと思うけど?」
「違うと言ったら違う。彼女はただ、命の恩人としてオレを慕ってくれてるだけだ」
「ふむ……。ま、そういうことにしておいてあげるよ。鈍感な男って、罪深いねぇ」
ハンジは絶対に納得していない顔で肩をすくめた。
◇◇◇
そんな王都での生活が始まって、半年が過ぎた。
四人はギルド内でも「将来有望な新人パーティー」として名前が知られるようになっていた。収入も安定し、粗末な木賃宿を卒業して、設備の中々良い宿屋の一室を長期で借りられるようにもなった。
生活は、これ以上ないほど順調だった。
だが——トーマの心の中だけは、半年前と変わっていなかった。
夜になり、ラッシュやハンジが寝静まった静寂の中。トーマはどうしても眠れず、一人でベッドの中で寝返りを打ち続けていた。
目を閉じれば、前世の夢を見る。あの小さくて小言の多かった母親の夢だ。
『冬真、ちゃんとご飯食べてるの? コンビニの弁当ばかりじゃ駄目よ』
『風邪引かないように、暖かくして寝なさいね』
『あんたは昔から無理ばかりするんだから……』
目を覚ますと、視界が滲んでいた。忘れられないのだ。自分が死んでしまったこと。あの母親を一人、残してきてしまったこと。それが、どれだけ充実した日々を送ろうとも、心の奥で棘のように刺さって抜けない。
あるひときわ月の明るい晩、息苦しさに耐えかねて、トーマは宿屋の屋上へと続く扉を開けた。
冷たい夜風が、火照った肌を優しく撫でる。王都の夜景を見下ろしながら遠い星空を見上げていると、背後から微かな足音が聞こえた。
「また眠れないのか。トーマ」
ハンジだった。いつもと変わらない足取りで歩いてくると、トーマのすぐ隣の木柵に背中を預けて座り込んだ。
「……分かるか、ハンジ」
「まあねー。昼間はあんなにシャキッとしてるのに、夜になるとまるで別人みたいな顔してるんだもん」
しばらくの間、二人の間に沈黙が流れた。眼下の王都の喧騒も、この時間ばかりは静まり返り、ただ夜風だけが二人の髪を揺らしていく。
「……自分さ」
珍しく、ハンジがいつもの軽い口調を捨て、低く落ち着いた声で語り始めた。
「昔ね、大切な家族を全員、目の前で失ったことがあるんだ」
トーマは息を呑み、黙ってハンジの横顔を見つめた。月光に照らされた彼の横顔は、普段の軽薄さが嘘のように、ただ静かだった。
「だから、なんとなく分かるんだよね。お前の胸の奥にあるやつ」
ハンジは一度言葉を切り、夜空に浮かぶ満月を見上げた。
「残された方も、死ぬほど苦しいけれどさ。残してしまった方も、同じくらい苦しいんだよね。置いていっちゃってごめん、って——ずっと、誰にも言えない相手に謝り続けてる」
トーマは言葉を失った。
前世の記憶のことも、佐竹冬真のことも、ハンジには一言も話していない。それなのに、この男は、トーマの心の最も深い部分にある傷の形を、静かになぞってみせたのだ。
「……なぁ、ハンジ」
「ん?」
「オレさ……こんな風に、過去に囚われてる奴が。この世界で生きてていいのかな」
ハンジは笑わなかった。ため息を一つ吐くと、即座に言い放った。
「何言ってるのさ。当然でしょ」
「え……?」
「死んじゃった人間の分まで背負って生きろ、なんて重たいことは言わないよ。そんなの不公平だしさ。——でもね、今、目の前でお前を必要としてる『生きている人間』のためには、お前は生きるべきだと思うよ」
その言葉が、静かにトーマの胸の真ん中に落ちた。
生きている人間のため。
理不尽に自分を家から叩き出してくれた母、リジー。誰よりも慕ってくれる弟分、ラッシュ。太陽のような笑顔でクッキーを焼いてくれるアンゼリカ。そして今、隣でこうして不器用な優しさを見せてくれているハンジ。
今、この世界で確かに呼吸をし、共に歩んでくれている人たちのために、生きる。
その言葉の意味は理解できた。胸の霧が、少しだけ晴れたようにも思えた。
それでも——まだ、何かが足りなかった。本当の意味でこの世界に足をつけるためには、もう一つ、強烈なきっかけが必要だった。




