3.旅立ちと出会い
こうして始まった王都への旅は、想定よりも遥かに過酷なものだった。
ガトー村から王都キートンまでは、徒歩と乗り合い馬車を乗り継いでも最低で二週間はかかる長旅だ。道中は整備された街道ばかりではなく、魔獣が出没する山林や荒野をいくつも越えなければならない。
トーマはもともと一端の狩人だったから、野宿の作法や火の起こし方、獲物の解体といった野営の経験が豊富だった。ラッシュもまた、狩人の見習いとしてそれなりの知識を有している。道中の生活は何とかなるだろうと踏んでいたのだが——。
驚いたことに、一番の素人だと思われていたハンジが、妙に旅慣れていたのだ。
「はい、火起こし完了ー。トーマ、そっちのウサギの肉、こっちの串に刺してくれない?」
パチパチと勢いよく燃え上がる焚き火を前に、ハンジが手際よく鍋をセットしていく。その流れるような動作は、とても村の雑用係のそれとは思えなかった。
「……ハンジ、火を起こすの早すぎないか? 俺より手際がいいぞ」
トーマが驚きを隠せずに尋ねると、ハンジはいつものように飄々とした笑みを浮かべた。
「あはは、まあねー。自分、こういう旅にはちょっと年季が入ってるっていうか、ぶっちゃけ旅の期間が長いもんで」
「旅が長い? お前、ガトー村に来たのって数年前だろ。それまで何年くらい旅をしてたんだ?」
「んー、そうだねぇ……大体、十歳くらいからかなぁ? 気づいたら色んなところをほっつき歩いてた感じ?」
「十歳から!? 長すぎだろ……」
ラッシュがスープをすする手を止めて目を丸くする。十歳といえば、まだ親の庇護のもとで泥遊びをしているような年齢だ。そんな頃から一人で外の世界を生き抜いてきたというのか。
ハンジはそれ以上、自身の過去について深く語ろうとせず、「さてと、スープが冷めないうちに食べちゃおうぜ」と話を逸らした。
いつもと変わらず、軽薄に笑うハンジ。
だが、トーマは見逃さなかった。焚き火の明かりが届かない、深い闇の広がる森の奥を、ハンジが時折じっと鋭い目で見つめているのを。その瞳には、村で見せる温和な光はなかった。世界のすべてを最初から信用していないかのような、静かで冷たい色が宿っていた。
トーマは何も聞かなかった。自分自身が、誰にも言えない秘密を抱えて苦しんでいる。他人の心の傷に土足で踏み入るような真似はしたくなかった。
話したくなったら、いつか話すだろう。それまでは、ただ隣で笑っていればいい。
◇◇◇
旅を始めて数日後。険しい山中の街道を歩いていた三人は、突如として森の奥から甲高い悲鳴を耳にした。
「嫌っ! 誰か、助けてぇぇぇ!」
明らかに、若い女性の切羽詰まった声だった。
「アニキ!」
「ああ、行くぞ!」
三人は顔を見合わせ、即座に荷物を放り出して声のする方向へと駆け出した。
生い茂る草木をかき分け、開けた折れ口に飛び出すと、一台の小さな荷馬車が停まっていた。その陰で、フードをかぶった一人の少女が恐怖に身を震わせながらうずくまっている。周囲を囲むようにして、緑色の醜悪な肌を持った小鬼——ゴブリンが、十匹近く武器を構えてニヤニヤと笑っていた。
「うわ、思ったより多いな……!」
ラッシュが背中のボウガンを素早く引き抜き、矢を番える。
「ハンジ、右から回り込め! ラッシュは後方から射撃! 俺が正面を引き受ける!」
「おっけー、了解!」
ハンジが腰のベルトから、普段は見せない細い仕込鞭を抜き放つ。
トーマは愛用の槍を強く握り締め、地面を力強く蹴った。
その瞬間——胸の奥が、カッと熱くなるのを感じた。
三ヶ月間、あんなに冷え切っていた身体が、嘘のように軽い。
戦う。目の前の弱き者を守る。
それだけでよかった。
「せぇぇぇい、はああああっ!」
トーマの放った一突きが、最前列にいたゴブリンの胸を正確に貫いた。
一匹。息を吸う暇もなく槍を翻し、横薙ぎで二匹目の首を飛ばす。三匹目が飛びかかってくるが、槍の柄で叩き落とし、そのまま踏み潰した。
「そこだっ!」
後方からラッシュの放った矢が、鋭い風切り音を立ててゴブリンの脳天を正確に射抜く。
「ほらほら、こっちこっち!」
ハンジの仕込鞭が、まるで意志を持つ蛇のように空中をうねり、瞬く間に二匹の足首を絡め取って引き倒した。
まさに電光石火。村の若手最高峰の連携は、十匹近いゴブリンの群れをあっという間に壊滅させてしまった。
最後の一匹が血溜まりに沈むと、荷馬車の陰から少女が恐る恐る顔を覗かせた。安全を確認するや否や、ぱぁっと顔を輝かせてトーマたちの元へと駆け寄ってくる。
「あ、ありがとうございます……! 本当に、本当に助かりました!」
かぶっていたフードを取った少女は、大地のような茶色の髪に、緑色の瞳を持っていた。年齢は十六、七歳ほどだろうか。小さな体には不釣り合いなほど大きな、木製の杖を大事そうに抱きしめている。
「私はアンゼリカっていいます!」
恐怖が去った途端、彼女は信じられないほどのバイタリティで元気いっぱいに自己紹介を始めた。
「これでも一応、王都の学校に通う錬金術師の見習いなんです! 今回は薬草の採取のために遠出したら、あんな緑のヘンなのに囲まれちゃって……」
「お、おう……。俺はトーマ。ガトー村の狩人だ」
「オイラはラッシュ! ボウガン使いだぞ!」
「自分はハンジ。しがない旅人パーティーの雑用係でーす」
アンゼリカは三人の名前を復唱すると、今一度、深々と頭を下げた。
「本当に、皆さんのおかげで命拾いしました!」
顔を上げた彼女の笑顔は、まるで雲間から差し込む太陽のように眩しかった。
トーマはそれを見て、少しだけ目を細め、胸のあたりをそっと押さえた。
誰かを助けて、心から良かったと思えたのは——前世の記憶を思い出してから、これが初めてだった。




