9章 友人
「……おい、この茎はどこで切ればいい」
「あはは、それは切りすぎ! もっと優しく、斜めに刃を入れてね」
砂漠の交易都市の片隅にある小さな花屋。
そこには、慣れない手つきで剪定鋏を握る青年の姿があった。あの日から、二十日ほどの時が流れていた。
最初は「にあわねえ、、」と心底嫌そうに袖を通した若葉色の服も、今ではすっかり肌に馴染んでいる。魔物を屠るため、悪を滅ぼすためだけに研ぎ澄まされていた彼の身体能力は、今や「傷をつけずに花を運ぶ」「絶妙な力加減で水をやる」という、かつての彼なら一蹴していたであろう平穏な作業のために使われていた。
【魔除けの加護】や【魔無の加護】は、降り注ぐ陽光の暖かさも、土の匂いも、ティアの屈託のない笑い声も遮ってはくれない。復讐という呪われた未来から切り離されたかのような、ただの一人の「青年」としての時間。失われたはずの心の大事な部分が、可憐な花々の緑に囲まれて、ほんの少しだけ息を吹き返しているようだった。
そんな二十日目の午後のことだった。カラン、と店の入り口の鈴が涼やかな音を立てる。入ってきたのは、この砂漠の街にはおよそ似つかわしくない、見慣れない見事な甲冑を纏った一人の剣士だった。
「おや、すまない。男の身で花屋に入るのは少々恥ずかしいのだが……ここに、砂漠でも枯れない青い薔薇があると聞いてね」甲冑の剣士は、兜を外して爽やかに微笑んだ。
年は青年よりやや上くらいだろうか。旅の汚れはあるものの、その佇まいには確かな気品と、戦いを生きてきた者特有の硬質な気配があった。
「私の名前はアルス・ヴァーリオ。しがない放浪の剣士さ」
若葉色の服を着た青年は、無言でアルスを見つめた。青年の赤眼が、アルスの腰にある大剣へと向けられる。一目で分かった。目の前の男は、口先だけの「偽りの英雄」たちとは違う。自らの足で地を踏み締め、修羅場を潜り抜けてきた本物の武人だ。
「……そこの棚の奥だ。青い薔薇なら、まだ三輪残っている」
青年がぶっきらぼうに指さすと、アルスは目を丸くし、それから破顔した。
「ハハ、君は見かけによらず不器用で、だけど花を愛している良い店員だ。気に入ったよ」
それが、二人の始まりだった。
アルスはこの街にしばらく滞在するらしく、毎日のように花屋へ顔を出すようになった。最初は警戒していた青年だったが、アルスの裏表のない真っ直ぐな性格と、確かな剣の腕、そして何より「世界を救う」などという大言壮語を吐かない現実的な姿勢に、少しずつ心を許していった。
夜、店の仕事を終えた後、二人は街の酒場の隅で、互いの剣技について、あるいは世界の理不尽について静かに語り合った。
「お前のその足運び、独特だな。どこで学んだ?」
「……ただの独学だ。生き残るために、敵を斬り続けただけだ」
「なるほど、道理で隙がないわけだ。今度、手合わせを頼めないか?」
悪への憎悪で狂いかけていた青年の心に、ティアとはまた違う、対等な男同士の信頼——「親友」という名の温かい灯火が灯っていく。
若葉色の服を着た青年、心優しい少女ティア、そして新たに現れた剣士アルス。砂漠の街の小さな花屋には、確かに、世界で一番穏やかな幸福の時間が流れていた。




