10章 模擬戦
夜の砂漠は、昼間の灼熱が嘘のように冷え切っていた。
満天の星々と、遮るもののない白い月光が、銀色の砂丘を怪しく照らし出している。その砂漠の中で二人の剣士の模擬戦が始まるところだった。
「本当にここでいいのか? アルス」
若葉色の服を脱ぎ、洗濯が終わったばかりの黒と赤のフード付きの衣服に身を包んだ青年が問いかける。
その背には【強欲】【憤怒】【傲慢】の三振りの魔剣が静かに息を潜めていた。
「ああ。街の近くじゃ、お互い全力を出しづらいだろう?」
対峙するアルス・ヴァーリオは、昼間の爽やかな笑顔とは打って変わり、修羅場を潜り抜けてきた本物の武人の眼をしていた。彼が腰の大剣に手をかけた瞬間、大気がピリピリと震え出す。
青年の持つ【魔除けの加護】や【魔無の加護】が、本能的にアルスの纏う気配を「最大級の脅威」として感知し、警鐘を鳴らしていた。
一目で分かった。この男の強さは、かつて出会った「偽の英雄」とは次元が違う。自分と同等の、世界の理を壊しかねない「やばいスキル」をいくつも隠し持っている怪物だ。
「手加減はなしだ。君のその「眼」が、ただの花屋の店員のものではないことくらい、最初から分かっているさ」アルスが不敵に笑った。青年もまた、フードの奥で赤眼を獰猛に輝かせた。
「……後悔するなよ」青年が強欲ノ剣を引き抜いた、その刹那。世界が弾けた。
言葉通りの神速。二人の距離が一瞬でゼロになり、魔剣と大剣が激突した。
巻き起こった凄まじい衝撃波が、周囲の巨大な砂丘を一瞬で更地へと変える。
(速い……! それに、この重さは何だ!?)
青年の剣撃は、3つの剣の力によって底上げされている。それを受け止め、押し返すなど常人の領域ではない。「ハハッ、素晴らしいな! ならば、これならどうだ!?」アルスが呟く。
その瞬間、彼の身体から漆黒の雷光が弾け飛んだ。アルスの持つ魔法──【ノクト】。青年の身体に、突如として山一つ分に匹敵する超重圧がのしかかる。
普通なら肉体が破裂して即死する魔法。だが、青年の背後で【傲慢ノ剣】が共鳴した。
【傲慢ノ剣】──強制の拒絶。
「──そんなモノで、俺を縛れると思うな」青年を押し潰そうとした絶対重力は、彼の皮膚に触れる直前でガラスのように霧散した。あらゆる因果の縛りを撥ね退ける絶対の孤高。
「へえ、僕の重力を無効化するなんてね! だったら、こいつを凌いでみろ!」
アルスがさらに凶悪なスキルを発動させる。彼の影が生き物のように巨大化し、無数の黒い刃となって全方位から青年を襲った。空間そのものを縫い付け、回避を不可能にする必殺の影刃。
ガガガガガガ!!!
しかし、青年のイカれた反射神経がその大半を撃ち落とし、僅かに残った軌道を完璧に見切って紙一重で回避する。さらに、その衝撃の余波も乗せた一撃でアルスへと押し返した。
「うおっと!?」アルスは自身の攻撃の衝撃を受けながらも、信じられない身のこなしで後方へと跳躍した。
砂煙が舞う中、二人は再び距離を取り、互いの実力を認め合うように視線を交わす。
「……お前、それほどの力を持っていながら、なぜ『英雄』を名乗らない」
青年が静かに問いかけた。これほどの規格外の強さがあれば、国を救い、英雄として崇め奉られることなど容易なはずだ。その問いに、アルスはフッと自嘲気味な笑みを浮かべた。
「英雄、か。反吐が出るね。あいつらは、大衆が作った『都合の良い偶像』に過ぎない。守る価値のない弱者を守るために綺麗事を並べ、本当に救いが必要な時には何もできない無能の集まりさ。僕はあんな薄っぺらい連中と一緒にしてほしくないんだ。……君も、同じだろう?」
アルスの言葉は、青年の心の奥底に突き刺さった。英雄への憧れが激しい憎悪へと変わり、悪へと牙を剥くようになった自分。
目の前の男も理由は違えど、「英雄」という欺瞞に深い失望を抱いている。青年はフードの奥で、二十日ぶりに、ほんの僅かだけ口元を緩めた
「……ああ。英雄なんて、この世のどこにもいない」
互いの胸にある歪みと、圧倒的な強さ。二人は言葉を交わさずとも、自分たちが世界の異端であり、同時に誰よりも深く理解し合える「唯一無二の親友」であることを、この夜の戦いを通じて確信したのだった。大剣と魔剣を再び構え直す。砂漠の夜を揺るがす二人の怪物の模擬戦は、夜が明けるまで静かに、そして苛烈に続いていった。




