6章 傲慢
砂漠の街の地下には、一般の人間が決して近づかない大穴があった。
かつて不浄の神を祀り、歴史から抹殺されたはずの大神殿。その重厚な石造りの入り口の前に、黒と赤のフードを深く被った青年が立っていた。
「ここから、異様な気配がする……」
フードの隙間から覗く白髪が、乾いた地下の風に揺れる。
魔王から受けた傷は癒えた。だが、あの圧倒的な敗北の記憶は、今も彼の赤眼の奥で、どす黒い憎悪の炎として燃え続けている。
必要なのは力だ。魔王の喉笛を噛みちぎるための、さらなる大罪の牙が。青年は躊躇なく、闇に包まれた大階段を降りていった
神殿の通路に足を踏み入れた瞬間、壁に刻まれた古代の魔方陣が怪しく発光した。
床の隙間から這い出てきたのは、かつてこの神殿で生贄にされた人間たちの怨念が実体化した、無数のスケルトンの軍勢。
生者の肉を喰らうために、不気味な骨の音を立てて一斉に襲いかかってくる。
「じゃまだなぁ、、」青年は腰から、最初の相棒である【強欲ノ剣】を静かに引き抜いた。刃が闇の中で妖しく明滅する。少年の突撃は一瞬だった。骨の刃が彼の肉体をかすめ、血が滲む。だが、少年は眉一つ動かさない。むしろその傷に呼応して、体内の【憤怒ノ剣】の魔力が共鳴し、彼の身体能力が爆発的に跳ね上がる。
ザシュ! バキィン!紅蓮の怒りを纏った一撃が、死霊の群れを骨粉ごと叩き潰す。
同時に【強欲ノ剣】の吸血能力が、死霊たちが維持していた魔力の核を根こそぎ吸い尽くし、青年の微かな傷を瞬時に癒していく。
斬るたびに強くなり、傷つくたびに破壊力が増す。その狂気的な戦闘スタイルの前に、数百の死霊の軍勢は、わずか数分でただの灰の山へと変えられた。
さらに奥へ進むと、通路そのものが巨大な「試練の罠」となっていた。
左右の壁から、触れただけで肉体を融解させる酸が降り注ぎ、前方からは巨大な回転する鉄の刃が空間を埋め尽くして迫ってくる。
常人であれば、肉体が一瞬でひき肉に変えられる絶望の回廊。
しかし、心の大事な部分を落とした青年には、「恐怖」という感情が欠落していた。
「この程度の不条理……あの夜に比べれば、ただの余興だ」
青年は避けることすらしない。迫り来る鉄の刃に対し、【憤怒ノ剣】の圧倒的な質量と破壊力を乗せた真っ直ぐな一撃を叩き込んだ。
火花が激しく飛び散り神殿の仕掛けごと、回転する鉄の刃が粉々に粉砕される。降り注ぐ酸の雨がフードを焦がすが、青年はその痛みをすべて「怒り」の糧に変え、より速く、より力強く、暗黒の通路を強行突破していった。
通路を抜けた青年の前に立ちはだかったのは、司祭直属の精鋭である「アウトカスト」たちと、頑強な黒鉄の巨大な城門だった。
「何奴! この先は司祭様の聖域! 命が惜しくば立ち去れ!」重厚な鎧に身を包んだ不審者、、じゃなくて精鋭たちが、漆黒の大剣を構えて一斉に飛びかかってくる。
青年は、返り血でさらに赤黒く染まったフードの奥から、冷徹な視線を彼らに向けた。
「今の間に立ち去れるわけねえだろドアホがぁ!」青年は二振りの魔剣を構え、咆哮とともに地を蹴った。
暗黒騎士たちの強固な盾も、魔力を込めた鎧も、【強欲ノ剣】と【憤怒ノ剣】の二重の暴力の前には、紙切れ同然だった。
一人が肉を切り裂かれ、その生命力を吸い尽くされて干からびる。
その光景に恐怖したもう一人が、少年の背後から奇襲を仕掛けるが、激痛をものともしない少年の反撃の大剣が、その肉体を一刀両断にした。
ほんの数刻の後、鉄門の前には動く者は誰もいなくなった。
青年は血に濡れた手で、重厚な黒鉄の門を力任せに押し開ける。ギギギ……と不気味な音を立てて開かれたその扉の向こう。怪しい光に満ちた大空間の祭壇で、大司祭が「透明な美しい長剣」を見上げ不敵な笑みを浮かべていた。
神殿の最奥。
きらびやかな法衣に身を包んだ、この街を裏で牛耳る大司祭が、祭壇に祀られた一本の透明な美しい長剣に向けて手を伸ばしていた。
その周囲には、街の自警団や、大司祭に買収された腕利きの傭兵たちが立ち塞がっている。彼らは、黒と赤のフードを深く被り、白髪をのぞかせる青年の侵入に気づくと、一斉に武器を構えた。
「何奴だ! 我らの神聖なる儀式を邪魔する者は、生かしてはおかん!」
その時、大司祭が冷酷に微笑み、祭壇の長剣を掲げる。
その剣から、精神を狂わせ、強制的に魂を屈服させる光が放たれ、神殿全体を埋め尽くした。
傭兵たちも自警団も、その光を浴びた瞬間、目を虚ろにして大司祭の人形と化す。
そして、その光の濁流は、青年の肉体をも完全に飲み込んだ。
「ハハハ! 愚かな侵入者め。我が神の光にひれ伏し、永遠の奴隷となるが良い!」
大司祭の高笑いが響く。
だが、光の中に佇む青年は、膝をつくどころか、微動だにしなかった。
フードの奥で、彼の赤眼が冷たく、どこまでも不気味に細められる。
(支配、だと?)
彼の胸の奥で、落とした心に代わって、猛烈な拒絶が沸き起こる。
故郷の村が魔王軍の炎に包まれていた時、神はどこにいた。英雄はどこにいた。
誰も自分たちを救わなかった。この世界を救う法律も、神の教えも、すべてが嘘だ。そんな世界の理に、今さら俺が従うとでも思ったか。
「俺を縛り、俺を動かせるのは……俺自身の憎悪だけだ!!」
世界そのものを、神そのものを、根底から見下す絶対的な「傲慢」。
青年のその魂の咆哮に呼応するように、大司祭が握っていた透明な剣が、激しく震えて悲鳴を上げた。「な、何だと……!? 剣が、我が支配を受け付けない……いや、書き換えられている!?」
パリン! とガラスが割れるような美しい音が響く。
大司祭の手から離れた透明な刃が、自らの意志で青年の手へと滑り込んできた。
その刃が青年の手に握られた瞬間、神殿を満たしていた支配の光は完全に掻き消された。
同時に、青年の魂に【傲慢ノ剣】の固有能力「支配者の冠」が常時発動型として刻み込まれる。あらゆる精神干術、命令は彼に届く前に消滅する絶対の孤高。
「ひっ、あ、あり得ん! 矮小な人間が、神の武具を従えるなど……!」
「神なんて、いないさ」
青年は「強欲ノ剣」を抜き、新しく手にした「傲慢ノ剣」との二刀を構えた。大司祭の命令で、正気を失った操り人形の軍勢が襲いかかってくる。
青年は容赦なく地を蹴った。
刃を振るうたびに【強欲ノ剣】が敵の生命力を貪り喰らい、彼の肉体をさらに完全なものへと押し上げていく。どれほど攻撃を仕掛けられようとも、【傲慢ノ剣】の加護がある彼には、いかなる精神弱体化も、動きを縛る呪いも一切通用しない。
ほんの数刻の後。神殿の最奥に残されたのは、首を刎ねられた大司祭の骸と、静寂だけだった。
青年は二振りの剣を鞘に収め、三振り目の「傲慢ノ剣」を背中に背負った。これで手にした大罪は三つ。彼は再び黒と赤のフードを深く被り、砂漠の街を後にする。次なる大罪の牙を求め、彼の「悪」を貪る旅は、より苛烈に加速していくのだった




