5話 取引
ラグナと部屋に戻った俺は、エルハルトさんとこれからのことについて話すことになった。
「それで、お主はどうするつもりじゃ?」
その表情には、わずかな不安が浮かんでいるように見える。
……気のせいだろうか。
「どうしたんじゃ?」
エルハルトが再度聞き返してくる。
そうだ、今は相手の顔色を気にしている場合じゃない。
「……まずは、この世界についてもっと知りたいです」
「構わんが、どうしてじゃ?」
「探したい人がいるんです。それと……」
「単純に知りたいからですね」
「そうか、そうか」
エルハルトは少し嬉しそうに笑った。
「して、お主はここに住むのか?」
「できればお願いしたいです。いや、お願いします!」
俺は机に頭がつきそうなほど深く頭を下げた。
異世界に放り出されて、生きていける自信が本当にない。
「住むのも全然構わんよ。本なんかも好きに使ってよいぞ」
「本当ですか?」
このジジイ、神かもしれない。
「しかし、条件がある」
「………」
俺は固唾を飲む。
やっぱり悪神かもしれない。
「ラグナと狩りに行ってくれんか?」
エルハルトの視線の先には、ラグナがいる。
「……分かりました」
「よろしくな!」
うるさいラグナを尻目に、ホッと息をつく。
思いのほか単純な条件で助かった。
こうして俺は、しばらくエルハルトさんの家に世話になることになった。
そして、エルハルトはこれからの生活について話し始めた。
この家では、ラグナが狩猟や採集で得たものを町で売ったり、エルハルトさんが研究した魔法に関する本を売ったりして生計を立てているらしい。
つまり、俺がここに居続けるには、俺自身も何かしらの働きをする必要がある。
それなら、ちょうどいい。
この世界について知ることもできる。
外に出れば、知らないものを実際に見ることもできる。
本で知るのと、実際に目で見るのとでは、きっと違うだろう。
「じゃあ、昼から俺と昨日のワイバーンを回収しに行くぞ!」
「ワイバーン? 昨日のやつ?」
「それそれ」
(ワイバーンか……)
小説に出てきそうな言葉を聞いて、とうとう異世界に来てしまったという実感が湧いてくる。
「これ見て!」
しみじみしている俺の前に、ラグナがリュックを持ってきた。
そして、開く。
「キモっ!」
そこにはワイバーンの生首があった。
「これをワイバーンを倒した証拠にして、知り合いに回収して売ってもらう」
「なるほど……それはいくらくらいに?」
「フルセットなら、1000エルくらいかな」
やはり、知らない通貨が出てきた。
「それって、どれくらいの価値なんだ?」
「1カ月の食費が浮くかな」
「……ワイバーン、大物すぎだろ」
「それじゃ行くぞ!」
ラグナは生首入りのカバンを背負い、玄関へ向かう。
「俺もなんか持ってく?」
「いや、いいよ」
「じゃあ、行ってきます」
俺は玄関を開けて、エルハルトに手を振る。
「気をつけるんじゃよ?」
そう言って見送るエルハルトを尻目に、俺たちは歩き始めた。
巨大樹の縁を通る通路を進み、街らしきところへ向かう。
どうやら、この家は結構街の上の方にあるらしい。
巨大樹を中心にして、段々と下るように建物が並んでいる。
しばらくすると、巨大樹の正面まで来た。
「……うぉぉぉ」
その光景に、思わず感嘆の声が漏れる。
巨大樹の内部が、大きくくり抜かれている。
その中に広がっていたのは――。
図書館だった。
壁一面が本棚。
それが何層にもわたって続いている。
階段や通路が複雑に張り巡らされ、見渡す限り本、本、本。
(……すげぇ)
本好きにはたまらない光景だ。
気づけば、足が勝手に動いていた。
(読みたい……!)
ガシッ。
「……え?」
しかし、ラグナに止められた。
「あ、と、で、な」
「………」
ラグナに右腕を掴まれ、引きずられながら下町に向かった。
楽なので、そのまま引きずられながら周りの景色を見る。
(市場かな?)
巨大樹へ向かう大通り沿いに、いくつもの屋台が並んでいる。
「ワイバーン、ここで売るの?」
ラグナが俺を引っ張りながら答える。
「いや、もうちょっといいとこだ」
「高く売れるもんな。市場では売らないか……」
そして、ふと疑問が浮かんだ。
「ワイバーンが高く売れるなら、他にも狩る人いるの?」
「いや、アイツを狩れる奴は少ないからな」
「なんで?」
「この街、学問の街だからさ。魔法を研究したりする人は多いし、強いんだけど……」
「だけど?」
「……ワイバーンは速いからなぁ。俺みたいな肉体タイプじゃないと無理なんだよね」
「お前、やっぱり普通じゃないんだな。安心したよ」
もし、こんなやつがゴロゴロいたら怖すぎる。
「まあ、あとは俺がこの辺じゃ強いってのもあるかな」
「やっぱ強いんだな。でも自分で言う?」
「俺最強だもん。それに、ヒナタも十分強くなるんじゃない?」
「……そうか?」
「ワイバーンの炎を防ぐ奴なんて、あんまりいないよ?」
「それほどでもある」
「おぉ、謙遜しないタイプだ」
ラグナは小気味よく笑っている。
「お前も絶対しないタイプだろ」
「大当たりぃ」
しかし、ラグナには強くなれると言われたが、本当にそうだろうか。
「……防げるだけじゃなぁ」
「いや、水だとキツいと思うけど、炎とか、もっと火力の高い魔法ならいけると思うよ」
「ほうほう」
俺は顎に手を当てる。
「じゃあ、マスターしてやろうじゃないか」
「できるのか?」
「思考と意志があれば、なんでもできるのがこの世界だろ?」
「……そうだな! 俺よりヒナタの方がこの世界に合ってるかもな」
「そうかも」
そんな話をしているうちに、市場に降りていた。
相変わらず気になるものがたくさん置いてある。
「こっち行くよ」
そう言ってラグナが突然、左手にある細い路地へ入っていった。
「こっち?」
「いいからいいから」
ラグナは、複雑に入り組んだ路地を迷うことなく進んでいく。
道幅は徐々に狭くなり、周囲の建物も人の気配も少なくなっていく。
やがて、行き止まりにたどり着いた。
「ここだな」
「ここ?」
目の前にあるのは、ただの壁だ。
「壁しかないけど?」
「まあ見てろって」
ラグナは壁を「ゴン、ゴン、ゴン、ゴン」と力強く4回ノックした。
すると――。
壁がスッと消えた。
その奥には、薬草と血と金属の混ざったような匂いのする、薄暗い部屋があった。
「いい仕事を持ってきた」
ラグナが部屋の奥にいる男へ声をかける。
ランプの灯りの下。
革のエプロンを着た男が、解体用らしきナイフを研いでいた。
「またお前か、ラグナ。ノックの音がガサツなんだよ」
男は鬱陶しそうに顔を上げた。
その頬には小さな傷跡があり、目つきも悪い。
そして――ハゲている。
「そうピリピリするな。ヴェイン、いい仕事だ」
「お前の『いい仕事』で、ろくな目に遭ったことがねぇんだよ」
ヴェインはナイフを研ぎながら続ける。
「で、なんだ? 衛兵に見つかっちゃ困るような死体でも運ばせる気か?」
「死体は死体でも、ワイバーンの死体だ。街の外に落っこちてる」
ラグナがニッと笑う。
ヴェインの手が止まり、勢いよくこちらを向いた。
「……ワイバーンか!」
「おう。サイズがデカくて2人じゃ運べないんだ」
ラグナはカバンを下ろす。
「だから、回収して市場で売却してくれよ」
「……なるほどな」
「あ、証拠の品だぞ」
俺とラグナはカバンから、布に包まれた生首を取り出した。
床にゴトンと置いた。
「……部屋を汚すなと言ったろ、バカ野郎」
ヴェインは額を押さえ、深いため息をついた。
「それに、カバンに生首を詰めてくる奴があるか」
「便利だぞ?」
「そういう問題じゃねぇ」
文句を言いながらも、ヴェインは床にしゃがみ込み、布をめくって獲物を確認する。
「……全身売ったら、1300エルってところだな」
「ちょっと高いな」
「肉付きが良さそうだ。天敵がお前しかいないから、周りの獲物をよく食ってたんだろう」
「俺、強いからな」
「うるせぇ」
ヴェインはワイバーンを確認しながら続ける。
「解体も売却もこっちで済ませていいな?」
「ああ、頼むよ」
「それと、獲物の位置をこの地図に書いていけ。獲物がいなけりゃ金を取る」
「大丈夫だ。この辺りにいる」
ラグナが地図を指差した。
「ずいぶん北まで行ったな。手間がかかる」
ヴェインは少し考えた。
「代金は頭部で200エル。あとは明日、売却利益の7割を渡す」
「8割がいいな」
「……欲張りだな、お前」
「そっちだって十分儲かるだろ」
「……分かった。8割だ」
「交渉成立」
ラグナがニヤッと笑った。
「それはいいとしてだ」
ヴェインは俺に視線を移す。
「横のやつは誰だ?」
ヴェインの視線が俺に向いた。
「えっ、俺?」
突然話を振られ、思わず声が裏返る。
目の前にいるのは、頬に傷跡のある強面の男だ。
なんと言えばいいのか分からず、口ごもっていると、ラグナが俺の前に出るようにして答えた。
「コイツはヒナタ。最近、街に来たやつで、こっちに馴染んでないから、しばらく一緒に暮らしてるんだ」
「最近か……やはり、エルハルトが……」
何やら呟いてから、ヴェインが鋭い視線を向けてきた。
「こいつは信用できるやつなのか?」
「問題ない」
「根拠は?」
「勘だ」
「……お前らしいな」
ヴェインは呆れたように息を吐く。
「まあいい。もし何かあったら責任取れよ」
「分かった」
「そっちのやつも肝に銘じとけ」
ヴェインは俺を睨む。
「この場所も、俺のことも、他人に話すんじゃねぇぞ」
「しつこいぞ。俺が責任取るから大丈夫だ」
「……分かったよ」
そして、俺たちは部屋の外へ出た。
「ふぅぅぅ……緊張したぁぁ」
俺は胸を撫で下ろす。
「大丈夫、大丈夫。緊張しなくていいよ。根はいいやつだから」
「いいやつは、あんなに口悪くないだろ!」
「聞こえても知らねぇぞ?」
「うっ……」
「ハハ、大丈夫だって」
「そうか。それにしても、さっきはありがとう」
「何が?」
「俺のこと庇ってくれてただろ?」
「気にすんな。俺が勝手にやってることだ」
「いいやつだな、お前」
「そうでもねぇよ。それに、いいヤツだったら、あんなヤツと取引なんかしねぇだろ」
ラグナは笑いながら言った。
「……それもそうだな」
俺たちは市場へ向かって歩き始める。
(街の人から見つからないようにしているのか?)
ヴェインのことは少々不安だ。
でも、ラグナが信用しているなら、今は深く詮索しなくてもいいだろう。
狭い路地を抜け、市場に出た。
すると、ラグナは家とは逆方向へ歩き始めた。
「家に帰らねぇの?」
「買い物してかねぇの?」
「……マジで? いいの?」




