13話 修行2
(なるほどな)
俺はエルハルトさんから貰った本を読んでいた。
昨日は修行と言われて散々ボコボコにされ、今日は魔法についての知識を身につけている。
あの戦闘で、エルハルトさんから指摘されたことがある。
俺は魔法を発動するまでに時間がかかりすぎる。
考えること自体は悪くないが、戦闘中に悠長に魔法を組み立てている暇はない。
ならば、その時間を短くすればいい。
昨日もそう考えていたが、どうやらこの本には、そのための方法が書かれているらしい。
(……さて、やるか)
そろそろ、学んだ知識を実践してみよう。
俺は本を閉じ、椅子から立ち上がった。
向かうのは、いつもの風呂場だ。
ただし、今日は杖を持っていない。
エルハルトさんに「今日は持ってくるな」と言われたからだ。
(……何か意味があるんだろうな)
魔法を使うだけなら、杖がなくても問題はない。
しかし、普段は杖を使っているので、少しだけ違和感がある。
そんなことを考えながら歩いていると、突然叫び声が聞こえてきた。
「ぐわぁぁぁあ!」
「考えるんじゃ!」
続いて、何かが地面に叩きつけられるような音が響く。
「…………」
ラグナの声だ。
どうやら、今日もエルハルトさんにシゴかれているらしい。
(……大変そうだな)
昨日の自分を思い出し、思わず腹を押さえる。
あの一撃は、もう二度と食らいたくない。
とはいえ、ラグナだけに頑張らせるわけにもいかないだろう。
(……俺もちゃんとしないとな)
気持ちを切り替え、風呂場を抜けて屋外へ出た。
まずは、さっき本で読んだ方法を試してみよう。
魔法を使うまでの工程をいくつかに分け、それぞれに名前をつける。
そして、名前とイメージを結びつける練習を繰り返す。
十分に慣れれば、技名をきっかけに、一連のイメージを素早く呼び出せるようになるらしい。
(……なるほど)
つまり、思考を省略するための技術ということか。
もちろん、名前をつけただけで魔法が発動するわけではない。
何度も練習して、名前とイメージを結びつける必要がある。
だが、毎回すべての工程を一から考えるよりは、ずっと効率がいいはずだ。
(……こういうのは得意だ)
中二病だった頃、親友とよく必殺技の名前を考えていた。
あの経験が、まさか異世界で役に立つとは思わなかった。
(……まずは水魔法からだな)
俺は普段使っている水弾を思い浮かべた。
小さな水球を生成する。
その内部に、撃ち出すための運動エネルギーを溜める。
そして、発射する。
まずは、この工程を分けてみよう。
(……水鉄砲)
いや、安直すぎるな。
別に名前なんて何でもいいのだろうが、せっかくなら格好いい方がいい。
(……水、溜める、鍛える……)
頭の中で言葉を組み合わせていると、ふと思いついた。
「淬」
鍛冶で、熱した金属を水に入れて急冷し、鍛えることを表す字だ。
ただ力を溜めるだけではなく、水弾を鍛え上げるようなイメージ。
(……いいな)
「水淬」
水の弾を生成して、力を溜める魔法。
名前はこれでいいだろう。
次は、放つ工程だ。
(……放つ、飛ばす、勢い、咆哮……)
「水吼」
勢いよく水を撃ち出す。
そんなイメージだ。
「水淬からの水吼……」
(……強そう)
思わず口元が緩んだ。
中二病心をくすぐられる名前だ。
だが、今は遊んでいる場合じゃない。
まずは実際に使ってみよう。
「水淬」
技名を口にしながら、水球を生成する。
小さな水の塊を作り、内部に運動エネルギーを溜めていく。
十分に力を溜めたところで、正面の木へ狙いを定めた。
「水吼!」
溜めた力を、一方向へ解放する。
パァンッ!
水弾が木に命中し、弾けた。
(……あれ?)
幹に目を向ける。
表面が少し削れているものの、貫通はしていない。
(……威力が弱いな)
昨日使った水弾なら、もう少し深く食い込んでいたはずだ。
何が違ったのだろう。
俺は、今の魔法の工程を思い返した。
水を生成し、力を溜めて、撃ち出す。
(……あ)
魔力を集める工程を省いていた。
周囲にある魔力だけでも水球を作ることはできたが、十分な量を集めていなかったらしい。
(……それなら、これも技にするか)
最初に魔力を集める工程。
これにも名前をつけておこう。
(……集める、輯める、聚める……)
俺は普段、魔力粒子同士が引き合い、連鎖的に集まる様子をイメージしている。
小さな粒子が次々に集まり、大きな塊になっていく。
その光景に、星が集まるイメージを重ねた。
「聚星」
(……これだな)
魔力を集める。
水を生成し、力を溜める。
そして、放つ。
この三つの工程を、それぞれ名前と結びつける。
あとは、繰り返し練習するだけだ。
「聚星」
周囲の魔力粒子が、連鎖的に集まる様子を思い浮かべる。
十分な魔力が集まったところで、時間を確認した。
一分。
(……次)
「水淬」
水を生成し、内部に力を溜める。
一分二十秒。
「水吼!」
発射。
一分二十五秒。
「…………」
(……遅い)
自分でも分かる。
これでは戦闘中に使えない。
さっきまでと、ほとんど変わっていないのだ。
(……まぁ、当然か)
名前をつけたところで、頭の中では結局、同じ工程を一つずつ考えている。
これを短縮するには、繰り返し練習するしかない。
昨日の戦闘では、イメージを簡略化することで素早く魔法を使えた。
ただ、今回は威力を落とさず、安定して発動できるようになりたい。
(……目標は三十秒だな)
まずは、そこまで縮める。
そのあとは、複数の水弾を同時に生成する。
同時に発射する。
威力を上げる。
できることを、一つずつ増やしていけばいい。
(……結局、努力か)
俺はもう一度、魔法を組み立て始めた。
◇
「聚星」
周囲の魔力を集める。
「水淬」
水球を生成し、力を溜める。
「水吼!」
発射。
パァンッ!
木に水弾が命中した。
俺は時間を確認し、もう一度最初からやり直す。
何度も繰り返した。
途中で水球が崩れることもあったし、溜めた力をうまく放てないこともあった。
急ぎすぎれば、イメージが曖昧になる。
逆に、一つずつ丁寧に考えすぎると時間がかかる。
(……難しいな)
ただ速くすればいいわけではない。
必要な工程を、確実に、できるだけ短く組み立てなければならない。
失敗するたびに原因を考え、また同じ魔法を繰り返す。
そのうち、技名を唱えた瞬間、次に何をするべきかが自然と思い浮かぶようになってきた。
最初は意識しなければできなかった工程が、少しずつ一連の動作としてつながっていく。
そして、六時間が経過した。
「……はぁ」
(……飽きた)
さすがに疲れた。
何度も同じことを繰り返していると、集中力も落ちてくる。
目標の三十秒には届かなかった。
それでも、最初の一分二十五秒から四十五秒までは縮めることができた。
(……上出来かな)
まだまだ遅いが、練習の効果は確かにあった。
この調子で続ければ、もっと短縮できるだろう。
ただ、今日は別の魔法も試しておきたい。
(……火魔法か)
俺は肩を回し、もう一度前方へ手を向けた。
火魔法にも名前をつけてみよう。
(……炎、輝く、白い……)
白夜の「白」。
「白炎」
口に出してみる。
(……いいな)
単純だが、なかなか格好いい。
俺は気を取り直して魔法を準備した。
「聚星」
魔力を集める。
時間を確認すると、二十五秒ほど経っていた。
(……おっ)
魔力を集める工程は、どの魔法でも共通している。
水魔法で何度も繰り返したおかげか、以前よりも速く集められるようになっていた。
(……なるほど)
つまり、この工程を極めれば、ほかの魔法の発動時間も短縮できるということか。
共通する工程なら、どの魔法にも応用できる。
(……いいじゃん)
少しだけ気分が上がった。
続いて、燃えやすい気体を生成する。
それを前方へ噴出し、着火する。
今回は、普段の炎よりも高い温度をイメージした。
白く輝くほどの、高温の炎だ。
「白炎!」
ゴォォォォオオ!
「うわっ、熱っ!」
前方に白い炎が噴き出した。
凄まじい熱気が押し寄せ、思わず顔を背ける。
(……想像以上だな)
離れていても、肌を刺すような熱が伝わってくる。
通常の炎よりも高温になるようにイメージしたのだから、当然といえば当然だ。
だが、実際に使ってみると、その危険性がよく分かった。
(……これ、近距離で使うのは危ないな)
自分の魔法だからといって、熱まで感じなくなるわけではない。
使う距離と方向には、十分注意する必要がありそうだ。
俺は炎への集中を解いた。
白い炎が形を失い、魔力の粒子へと戻っていく。
(……まぁ、成功かな)
ただ、水魔法ほど練習していないせいか、まだ技名だけで自然に発動できる感覚はない。
こちらも反復練習が必要だろう。
だが、それよりも気になることがあった。
(……エルハルトさんには通じるのか?)
昨日の戦闘を思い出す。
エルハルトさんは、俺が放った水弾を途中で止めた。
あれは単に避けたわけではない。
水弾そのものが、俺の思い描いた動きから外れていた。
しかも、一発を俺の方へ撃ち返してきた。
(……やっぱり、魔法の制御を奪われたのか?)
もしそうなら、かなり厄介だ。
俺がどれだけ強力な魔法を使っても、相手に操作されてしまえば意味がない。
だが、疑問もある。
(……どうやって?)
俺の水弾が相手に届くまで、おそらく〇・三秒程度。
その短い時間で、どうやって他人の魔法に干渉したのだろう。
魔力の動きを捉えている?
それとも、俺が攻撃する前から何か準備していたのか?
(……そもそも、反応できる時点でおかしいよな)
人間離れした反応速度だ。
もしかすると、身体の感覚そのものを魔法で強化しているのかもしれない。
(……そういえば)
エルハルトさんは、ラグナの剣撃にも簡単に対応していた。
剣の軌道を逸らし、素手で受け止めていたこともある。
ならば、身体能力や感覚器官を魔法で補助している可能性もある。
ちょうど、そのときだった。
「おらぁ!」
「甘いぞ!」
少し離れた場所から声が聞こえた。
顔を上げると、ラグナとエルハルトさんが戦っていた。
ラグナの剣が振り下ろされる。
エルハルトさんは、それをわずかな動きで避けた。
続けて拳を繰り出す。
ラグナが身をひねり、何とか躱した。
(……速いな)
俺には、二人の動きを目で追うことさえ難しかった。
(……試してみるか)
俺は二人の動きに視線を固定した。
剣の軌道。
拳の動き。
足の踏み込み。
それぞれを捉えようとする。
だが、やはり追いつかない。
(……だったら)
目に魔力を集中させた。
動くものを捉える感覚を、より鋭くするイメージ。
目の前の動きを、一つずつ認識できるように意識する。
(……おっ)
さっきまで見えなかった動きが、少しずつ追えるようになってきた。
もちろん、すべてではない。
それでも、剣の軌道や身体の向きが、先ほどよりもはっきりと分かる。
(……やっぱり、できるのか)
身体の感覚も、魔力で補助できるらしい。
少なくとも、視覚については効果があった。
ただ、これだけではエルハルトさんへの対策にはならない。
動きが見えるようになっても、魔法の制御を奪われてしまえば意味がないからだ。
(……いや、待てよ)
仮に、エルハルトさんが魔法の制御を奪っているとする。
その場合、相手の魔法を認識し、操作するという工程が必要なはずだ。
どれほど速くても、何もせずに制御を奪えるとは考えにくい。
(……なら)
近づいて撃つ。
着弾までの時間が短ければ、干渉する余裕もなくなるかもしれない。
もちろん、エルハルトさんがどんな方法で制御を奪っているのかは分からない。
だが、遠距離から撃って簡単に止められるよりは、試す価値があるだろう。
(……問題は、どうやって近づくかだな)
俺は、以前使った風魔法を思い出した。
石を飛ばされたとき、咄嗟に使った魔法だ。
相手の攻撃を逸らすことができる。
それなら、接近するときにも使えるかもしれない。
(……風、手、掌……)
「風掌」
シンプルイズベスト。
これは咄嗟に使う魔法だから、魔力を大量に集める工程は入れない。
手の周囲にある空気を、一つの塊として捉える。
それを前方へ押し出す。
まずは、そのイメージを頭の中で組み立てた。
「風掌!」
腕を振り抜く。
ブワッ!
風圧が前方へ弾けた。
(……よし)
問題なく発動できた。
あとは、これを繰り返し練習するだけだ。
「風掌!」
ブワッ!
「風掌!」
ブワッ!
何度も繰り返す。
最初は、一回ごとに風の流れを考え直していた。
だが、回数を重ねるにつれて、技名を唱えた瞬間にイメージが浮かぶようになってきた。
手の周囲に空気を集め、それを押し出す。
その一連の動作が、少しずつ滑らかになっていく。
「風掌!」
ブワッ!
(……もう一回)
「風掌!」
ブワッ!
◇
「はぁ~……」
俺はその場に倒れ込んだ。
背中に、硬い地面の感触が伝わってくる。
(……疲れた)
何回繰り返したのだろう。
気づけば、日が傾き始めていた。
夕方の光が、木々の隙間から差し込んでいる。
腕も脚も重い。
だが、少しだけ分かったことがあった。
(……毎回、全部を考える必要はないんだな)
最初に、どんな魔法を使うのかを考える。
そのイメージを、技名と結びつける。
あとは繰り返し練習し、必要なときに素早く呼び出せるようにする。
もちろん、イメージを維持する意識は必要だ。
だが、魔法を使うたびに一から仕組みを考える必要はない。
(……これなら、もっと速くできそうだ)
ただ、まだ一つ問題が残っていた。
接近するための速度が足りない。
(……走る力も強化できるんじゃないか?)
目の感覚を強化できたのなら、脚も同じようにできるかもしれない。
俺は重い身体を起こし、脚に魔力を集中させた。
筋肉が普段以上の力を発揮する。
脚全体が連動して、力強く地面を蹴る。
そんな様子をイメージする。
(……よし)
俺は前方へ向かって走り出した。
ダッ!
「……おぉ!」
身体が勢いよく前へ出た。
思っていた以上に速い。
風が頬を撫で、周囲の景色が流れていく。
だが、すぐに足の運びが乱れた。
「うおっ!」
慌てて体勢を整え、足を止める。
(……危なっ)
速度が上がったのはいいが、身体の動きが追いついていない。
速く走れても、制御できなければ意味がないだろう。
(……実際の動きも練習した方がいいな)
現世で走っていた経験があるからこそ、イメージしやすい部分もある。
だが、想像できることと、実際に身体を動かせることは別らしい。
(……なるほど)
また一つ、課題が増えた。
そのときだった。
「ヒナタ~!」
少し離れた場所から、ラグナの声が聞こえた。
「エルじぃが、個別で試合するってさぁ!」
「……うっ」
思わず腹を押さえた。
昨日、殴られた場所だ。
思い出しただけで、鈍い痛みが蘇ってくる。
(……またやるのか)
とはいえ、今日一日練習した成果を試すには、ちょうどいい機会だろう。
「……了解!」
俺は気を取り直し、ラグナの方へ向かった。
◇
「さて、まずはヒナタからじゃ」
エルハルトさんが、俺の正面に立った。
さっきまでの、穏やかな老人とは雰囲気が違う。
背筋が伸び、視線が鋭くなる。
ただ立っているだけなのに、近づきたくないと思わせる圧があった。
「前と同じく、いつでも来ていいぞ。先手もお主じゃ」
(……ハンデになってないんだよな)
昨日は、こちらが先に攻撃したにもかかわらず、ほとんど何もできずに負けてしまった。
だが、今日は違う。
俺は頭の中で、練習したことを整理した。
魔法の発動時間短縮。
身体強化。
風掌。
そして、近距離からの攻撃。
(……少なくとも、昨日よりは戦えるはずだ)
俺はエルハルトさんへ向き直った。
「いきます!」
「うむ。かかってきなさい」
まずは魔力を集める。
「聚星!」
周囲の魔力粒子を引き寄せる。
続けて、もう一度。
「聚星!」
魔力をさらに集めた。
一度に集められる量には限りがある。
それに、周囲の魔力粒子も無限ではない。
今の俺が、この場所で集められるのは二回分が限界だろう。
(……次)
「水淬!」
三発の水弾を同時に生成する。
一発ずつではなく、同じ工程でまとめて作り上げる。
これも、今日練習したことの一つだ。
ただ、三発分のイメージを同時に維持するのは簡単じゃない。
集中を切らさないように、内部へ力を溜めていく。
ここまで三十秒。
(……上出来だ)
昨日よりも圧倒的に速い。
さらに、脚と目へ魔力を集中させた。
動体視力と脚力を強化する。
練習したばかりなので、どこまで通用するかは分からない。
だが、やるしかない。
(……よし!)
俺は地面を蹴った。
ダッ!
視界が一気に流れる。
普段より速い。
だが、まだ身体の動きに慣れていないせいか、足元が少し不安定だった。
それでも、何とか姿勢を維持する。
エルハルトさんとの距離が縮まっていく。
(……まずは隙を作る!)
俺は右手を振り上げた。
「風掌!」
ブワッ!
前方へ放たれた風が、エルハルトさんに襲いかかった。
エルハルトさんは左手を上げ、顔を庇う。
(……今だ!)
その隙に、用意していた水弾を放った。
「水吼!」
三発の水弾が、一斉にエルハルトさんへ向かう。
狙いは腹。
だが――。
(……あれ?)
水弾の軌道が、わずかにずれた。
俺は確かに、腹へ向かって真っすぐ撃ち出したはずだ。
それなのに、三発とも狙った位置から外れようとしている。
(……まさか!)
慌てて制御を取り戻そうとする。
だが、思うように動かない。
まるで、誰かに横から操作されているような感覚だった。
それでも、水弾はエルハルトさんの腹へ向かって進んでいく。
パァン! パァン! パァン!
三発の水弾が、腹の手前で弾けた。
「……え?」
手応えがない。
確かに当たったように見えた。
それなのに、エルハルトさんは微動だにしていない。
(……やっぱり、制御を奪われてる?)
俺が放った魔法なのに、途中から思い通りに動かなくなった。
昨日と同じだ。
近距離なら干渉する時間を減らせると思ったが、これでは意味がない。
(……どうやってるんだ?)
そう考えかけた瞬間だった。
「戦いの最中に考え込むでない」
(……しまっ――!)
遅かった。
ドンッ!
「がはっ!」
腹に凄まじい衝撃が走った。
エルハルトさんの拳が、深くめり込む。
息が一気に抜け、身体が後方へ吹き飛ばされた。
次の瞬間、背中に硬いものが激突した。
ドガッ!
「……っ!」
樹木だった。
背中を強く打ちつけ、肺に残っていた空気まで吐き出される。
(……効かない)
腹を押さえながら、何とか呼吸を整える。
せっかく練習した魔法が、ほとんど通用しなかった。
昨日よりは戦えると思っていたのに。
これでは、何も変わっていないじゃないか。
(……いや)
まだ終わっていない。
「まだまだぁ!」
俺は声を上げ、痛む身体を無理やり起こした。
もう一度、エルハルトさんへ向き直る。
(……次は、余計なことを考えるな)
魔力を集める。
水を生成する。
力を溜める。
放つ。
今日、何度も繰り返した工程だ。
「聚星!」
魔力を集める。
「水淬!」
水弾を生成し、力を溜める。
そのまま、エルハルトさんへ向かって地面を蹴った。
十秒。
(……速い!)
さっきよりも、さらに発動が速くなっていた。
今まで何度も練習してきた工程が、ほとんど迷うことなくつながっていく。
しかも、戦闘に集中しているせいか、余計な思考が浮かんでこない。
次に何をすればいいのかが、自然と分かる。
(……これか!)
本に書いてあったのは、こういうことなのかもしれない。
だが、速くなったからといって、エルハルトさんに通用するとは限らない。
(……今度こそ、隙を作る)
俺は前方へ手を向けた。
「風掌!」
「同じ手は食わん!」
エルハルトさんが、こちらへ向かって踏み込んできた。
そして、強烈な右ストレートを放つ。
(……来た!)
迫ってくる拳。
強化した視覚が、その動きを捉える。
昨日なら、反応することさえできなかっただろう。
だが、今は見えている。
(……そこだ!)
「水吼!」
用意していた水弾を撃ち出す。
狙いは、エルハルトさんの拳。
パァン!
水弾が拳に命中した。
勢いよく弾け、エルハルトさんの身体がわずかに仰け反る。
(……止めた!)
今度は、魔法の軌道が変わらなかった。
狙った場所で、確かに水弾が弾けた。
偶然かもしれない。
だが、今はそれでいい。
(……いける!)
距離は近い。
しかも、エルハルトさんはわずかに体勢を崩している。
今なら――。
「白炎!」
前方へ燃えやすい気体を放出し、着火する。
ゴォォォォオオ!
白い炎が、エルハルトさんへ襲いかかった。
同時に、凄まじい熱気が押し寄せる。
(……熱っ!)
思わず顔を背けそうになった。
普通の炎よりも高い温度をイメージして作った魔法だ。
近距離では、自分にまで熱が伝わってくる。
それでも、俺は意識を集中させ、炎を維持した。
白い炎が激しく揺らめき、エルハルトさんの姿を覆い隠す。
(……いけたか?)
そのとき、奇妙な感覚がした。
(……ん?)
炎の流れが、わずかに乱れた。
俺は前方へ炎を噴き出しているはずだ。
それなのに、一部が思い描いた方向から外れようとしている。
(……また、制御を!)
だが、先ほどの水弾とは違った。
水弾は形も軌道もほぼ一定だった。
一方、炎は絶えず揺らめき、形を変えている。
そのためなのか、炎全体が一度に操作されるような感覚はなかった。
流れの一部が乱れても、別の部分では俺のイメージどおりに燃え続けている。
(……奪いきれてない?)
俺が炎の向きを維持しようとすると、乱れた部分が再び前方へ伸びた。
その直後、別の部分が揺らぐ。
まるで、互いの操作がぶつかり合っているようだった。
ほんの一瞬、炎の向こうにエルハルトさんの姿が見えた。
(……っ!)
目を見開いている。
驚いたような表情だった。
(……効いた?)
そう思った瞬間――。
ドンッ!
炎の中から拳が飛び出してきた。
「がはっ!」
分かっていたはずなのに、反応が間に合わなかった。
エルハルトさんの拳が、腹を捉える。
内臓まで揺さぶられるような衝撃。
身体が後方へ吹き飛び、視界が大きく揺れた。
「少し危なかったわい。凄く良かっ――」
エルハルトさんの声が遠ざかっていく。
何か言っている。
だが、もう聞き取れない。
(……くそ)
あと少しだったのに。
そう思ったところで、身体から力が抜けた。
そして、俺の意識は途切れた。




