10話 過去
「俺が転移した理由? どういうことですか!」
声が思った以上に大きくなった。
しかし、エルハルトはすぐには答えなかった。
視線を落とし、何かを言おうとしては口を閉じる。
その沈黙が、妙に長く感じられた。
「すまんが、落ち着いて聞いとくれ」
「……すいません。取り乱しました」
(知ってたならなんで今まで言わなかったんだ? 匿ってくれたのも善意だけじゃなかったのか?)
疑念と怒りが頭の中を巡る。
俺はゆっくりと息を吸い、吐いた。
(今は、話を聞くべきだ)
「どうぞ、続けてください」
その言葉を確認したエルハルトは、まるで重厚な扉を開くように口を開いた。
「ラグナの両親のことは知っておるか?」
「いえ、特に聞いたことは……」
確かに、こちらに来てから一度もそんな話は聞いていなかった。
「実は、ラグナは両親と離れ離れになっておる」
「……なぜですか?」
聞いても良いことか少し迷ったが、聞かなければ話が進まないだろうと判断した。
「十年前、儂らの故郷が襲われたんじゃ」
そこで、エルハルトの言葉が止まった。
「いや、正確には……襲い返された、かの」
「……襲い返された?」
予想に反した答えに、思わず聞き返してしまう。
勝手な想像だが、相手側が一方的に悪いのだと思っていた。
物事はそう単純なものではないらしい。
「儂らは『ルグリス族』という、人型種に該当する魔族でな」
「人型種? 人種ではなく?」
「あぁ。儂らは生物としては、いわゆる『魔族』というものに分類されておる」
襲ってきた男の言葉である程度察してはいたが、やはり人ではないらしい。
以前、図鑑で見た話では、『魔族』とは通常の動物が魔力の影響で変化、あるいは進化したものだと書いてあった。
(なら、エルハルトやラグナは何の動物から進化したんだ?)
「何の動物から……いや、もしかして貴方達は人から進化した生物なんですか?」
「ふむ……なぜそう思うんじゃ?」
「魔族が本来の生物から進化したのなら、ある程度は元の生物と見た目が似ているはずです」
実際、図鑑で見たものも、狩りで見たことのある生物も、変化してはいるが、元となった生物を連想させるものではあった。
「……妥当な考えだと言えるし、儂もそう思っておった」
「しかし、人以外の何かだったんじゃ」
「……」
自分の考えが間違っていたことへの驚きと、エルハルトの思わぬ回答に、俺は沈黙してしまった。
様々な疑問が湧き上がり、口を開こうとしたが……。
「現時点ではそれしか分からん。それより、話を続けるのが優先じゃろう」
エルハルトの言葉に遮られ、疑問を言いかけた半開きの口を閉じた。
「ルグリス族は魔族の中でも特殊な性質があっての」
「感情が魔法に強く影響する」
「そして、魔力もまた感情に影響を与える性質がある」
感情が魔法に影響するのは元々だが、その作用が通常の人より強いということだろうか。
しかし、魔力が感情に影響を与えるとはどういうことだ?
(魔力が感情にすら影響するのであれば……連鎖的に感情が高まって……)
その思考の答えは、エルハルトの言葉によってもたらされた。
「その性質が原因で、ある者が怒りに任せて相手を殺してしまったんじゃ」
「そして、感情を制御できなくなり、相手の一族まで皆殺しにしてしまったんじゃ」
「……」
言葉が出なかった。
皆殺し。
あまりにも重い言葉だった。
感情が高まっただけで、何人もの人間を殺してしまう。
意図的に行ったのでなければ、普通は起こり得ないことだ。
それほどまでに、ルグリス族の持つ性質は恐ろしいということだろう。
「やがて、その者は正気を取り戻した」
俺がその言葉に引きずられるのとは裏腹に、エルハルトは淡々と話を続けた。
「じゃが、相手側には生き残りがおった」
「そやつが仲間を連れて、村を襲撃したんじゃ」
当然の展開だろう。
「村は半壊し、主戦力だったラグナの両親は最後まで戦うことになった」
ラグナの家系は特別強かったのだろうか。
「そして儂は、幼いラグナを連れて転移魔法陣でこの街へ逃げた」
エルハルトはそこで話を終えると、深く息をついた。
転移魔法……あるとは思っていたが、図鑑には記載のなかった魔法だ。
「……なるほど」
疑問は多いが、ラグナの過去自体は大方理解できた。
要約すれば、ルグリス族の性質によって争いが起き、エルハルトはラグナを連れて転移魔法で逃げたということだろう。
だが――。
まだ肝心の話が残っている。
「でも、それだけじゃないですよね」
「あぁ」
エルハルトは目を伏せた。
その表情を見た瞬間、嫌な予感がした。
いや、予感じゃない。
既に推測はできていた。
でも……。
「……お主を転移させたのは、儂じゃ」
「……」
推測した通りであってほしくはなかった。
俺は、エルハルトの口から発せられた言葉にがっかりした。
(その言葉を聞いてしまったら……)
下唇を噛む。
口の中に、わずかな鉄の味が広がった。
(憎まずにはいられなくなってしまう)
さっき感じた落胆が怒りへと変わり、そのまま膨れ上がっていく。
しかし、今ここで感情をぶつけても、何も分からないままだ。
そんなことは分かっている。
「何してくれてんだよ!」
机を強打する音と共に、怒鳴り声が部屋に響く。
それが自分の声だと理解した時、自分に酷く落胆した。
もはや制御できなくなった俺の身体は、身を乗り出し、エルハルトの胸倉を掴んで罵声を浴びせていた。
親友を奪われ、身体が崩壊するほどの激痛を味わわされ、さらには知らない世界に放り出された。
怒りが湧いて当然だ。
でも、この人を責めて何が変わる?
この人もラグナも俺に良くしてくれた。
少なくとも、俺には害意があったとは思えなかった。
それに、何か事情があったと推測するのは容易だった。
しばらくして、部屋に響く怒号が嗚咽に変わっていることに気づいた。
「……すまない」
胸倉を掴まれたまま、エルハルトは申し訳なさそうに謝った。
俺は涙と鼻水を右腕で拭き取り、席に座った。
「すいません……」
「いや、謝るのはこっちの方じゃ……」
「でも、事情があったんでしょ?」
涙でぼやけた視界の中、俺はエルハルトを見た。
「そんなの言い訳にしかならぬ」
「いや、俺が聞きたいんです」
事情も聞かずに責めたくはなかった。
「……本当にすまない」
エルハルトは深く頭を下げた。
そして、気持ちを切り替えるように、いや……。
気持ちを表に出さないように、淡々と話し始めた。
「襲撃から逃げた後、儂はラグナの両親を探しに行こうと思った」
「じゃが、幼いラグナを連れていくことは難しかった」
「だから、この街にしばらく住むことにしたんじゃ」
「ラグナは逞しく育った」
確かに、ラグナの逞しさは嫌というほど知っている。
「だから儂も、そろそろ旅に出ようと思っておったんじゃがな…」
「昔の過酷な旅が祟り、長距離の移動が困難になってしまっての」
「過酷な旅ですか?」
黙って聞いていようと思ったが、気になってつい口を出してしまった。
「あぁそうじゃな。これもお主には話すべきかの…」
そう呟いた後、エルハルトは俺の後ろにある何もない空間を見つめた。
その目には、今ここにない景色が映っているようだった。
「儂は昔、転移させた『勇者』と旅をしておった」
「勇者?!」
思わず声が大きくなる。
「こっちにも、勇者がいるんですか?」
あんなことをしてしまった後でも、好奇心が刺激されて質問してしまう。
良くないなと思う一方で、俺らしいとも思った。
「そう呼んでいる者がいるだけじゃ」
「儂は昔、国からの命により、異世界から勇者を召喚したんじゃ」
エルハルトは過去に浸るように話を続けた。
国からの命で召喚したということは、やはりエルハルトは魔法使いの中でも相当な実力者のようだ。
「何か、こちらの世界の人々では成せないことがある時、異世界の人間を転移させることがあるんじゃ」
「そして転移した者の世話をして、その対価として助けてもらっておった」
「今までに幾人もの『勇者』を召喚してきたから、当然こちらの要求を呑まないものも出てきた」
「その時は国から追い出せば、すぐに魔物に襲われて、すぐに戻ってきた」
「それが遺体のときもあったがな…」
「……そうですか」
被害を出さずに、兵士を無料で召喚できるなら、国にとってはいいだろう。
しかし……。
「じゃあ、なんで転移した人にわざわざ助けてもらうんですか?」
「転移者は、単純に強いことが多いんじゃ」
なぜだろうか。
「勇者が言うには、現世には魔法がないそうじゃな?」
「はい」
「だから、人は意識的に言葉を使って考える必要がある」
「一方、こちらの世界では、ある程度念じるだけで物事が動くし、伝わる」
「その違いから、現世の人間のほうが魔法を細かく扱えるのではないか――」
「儂と旅をした勇者は、そう考えておった」
「なるほど」
エルハルトは俺の疑問を読み取ったように答えてくれた。
確かに、俺自身にも思い当たるところがある。
俺はこれまで、魔法を使うたびに考えてきた。
どうすれば水を動かせるのか。
どうすれば炎を生み出せるのか。
どうすれば、もっと細かく操作できるのか。
考えて、試して、失敗して。
それを繰り返してきた。
ただ――。
(無意識に魔法を使うラグナみたいな奴のほうが強くないか?)
頭に浮かんだ疑問を、すぐには否定できなかった。
「でも、それだけだと転移者である必要はまだないですよね」
「そうじゃな」
エルハルトは頷く。
「だから、さらに選ぶ」
「選ぶ?」
「そちらの世界に魔力を送り、強く反応する者を探すんじゃ」
「そして、その中から呼び寄せる」
「つまり、魔法に強く反応する人を選んでいるんですね」
「あぁ、その通りじゃ。これは儂が思いついた方法じゃ。」
エルハルトは少し目を伏せた。
「……お主を呼ぶ時も、そうやって呼んだ」
「……」
ここまでくれば、もう聞くべきことはわかっている。
「あなたは、俺を何のために呼んだんですか?」
エルハルトは黙った。
口を開きかける。
しかし、また閉じた。
そのわずかな間が、答えを聞く前から妙に重く感じられた。
しばらくして、ゆっくりと口を開く。
「……ラグナと両親を探して欲しいんじゃ」
「もちろん図々しいことは承―」
「いいですよ」
俺はエルハルトが恐縮の念を言い終わる前に答えを返した。
「……?!」
エルハルトが目を見開いた。
「そんなあっけなく……なぜじゃ?!」
「別に、許したわけじゃありません」
「……」
「あなたが転移させたことで、俺は親友と離れ離れになった」
「痛い思いもした」
「でも、こっちの世界が面白いと思ったのも、また事実です」
「しかも、怒ったところで過去が変わるわけじゃない」
「俺は親友を探し、ラグナは両親を探す」
「だったら、一緒に旅をすればいい」
「そのほうが合理的じゃないですか?」
さっき怒号を浴びせた奴の台詞とは思えないなと、自嘲しながらも、本音を言った。
「それはそうじゃが……」
エルハルトは、まだ納得できないような顔をしている。
「本当に、それでいいのか?」
「いいというより……」
俺は眠っているラグナの部屋を見る。
扉の向こうには、疲労で眠っている友人がいる。
「今の俺には、それしかないんですよ」
「ラグナとは、もう友達ですから」
エルハルトの目に涙が浮かんだ。
「そうか……」
震える声だった。
「そうか……それは、ありがとう」
「あなたのことも、そんなに悪くは思ってません」
「ほんとか?!」
さっきまでの沈んだ表情が、一瞬だけ明るくなる。
「はい」
「ただ、したことは許しません」
「でも、その理由には共感できます」
「俺も、大切な人のためなら似たような選択をしてしまうかもしれないし」
その瞬間だった。
「話は聞いたぜ」
「……え?」
背後から声がした。
振り返る。
そこには、寝ていたはずのラグナが立っていた。
「な、ラグナ……いつから……」
「なんで言ってくれなかったんだ!」
動揺するエルハルトに対して、ラグナは強く言い放つ。
「すまん。いずれ言おうと……」
「言ってなかったら同じだ!」
ラグナはエルハルトを睨む。
拳が、わずかに震えていた。
「ヒナタは許しても、俺は許さない!」
「それに……」
ラグナは拳を握る。
「村が襲われたのも、俺たちの一族が悪いじゃねえか!」
「俺たちが先にやったんだろ?」
「ラグナ、それは……」
エルハルトは言葉を詰まらせる。
何かを否定しようとして、結局できなかった。
「俺のためにヒナタを呼んだっていうのも、ヒナタの人生を勝手に変えたってことじゃねえか!」
「……」
俺は何も言えなかった。
ラグナの言葉は、正しかった。
「もう知らねぇ!」
ラグナはそう言い残すと、部屋を出ていった。
足音が遠ざかっていく。
「……追うか」
俺は立ち上がる。
たぶん、行き先は分かる。
(ラグナなら、どうせ風呂だろ)
そういえば、最初にラグナと話したのも風呂だった。
なんだか、縁のある場所なのかもしれない。
俺は風呂場へ向かった。
「ホントにいた……」
予想通りだった。
ラグナは風呂場の石畳で、体育座りをしていた。
膝に腕を回し、俯いている。
「ラグナ」
「何だよ、ヒナタ」
「ホントに、あんなことエルじぃに言ってよかったのか?」
「……良くないけど」
ラグナは俯いたまま答える。
「でも、エルじぃが悪い!」
「まず、不貞腐れてるお前に三つ言おう」
「不貞腐れてねぇよ」
ラグナが立ち上がる。
そして、俺を真っ直ぐと見つめた。
その深紅の瞳には、誠実さと力強さが宿っていた。
だが、その奥には、確かな危うさも感じられた。
「一つ目」
「一族がしたことと、お前自身がしたことは別だ」
「……でも、俺たちの一族が先に――」
「それは事実だ。でも、お前がやったことじゃない」
「……」
「一族の過去を知って、どう思うかはお前の自由だ。けど、自分まで悪い人間だと思う必要はない」
「二つ目」
「俺のことを勝手に決めるな」
「はぁ? どういう意味だよ」
「俺がエルじぃを許すかどうかも、これからどうするかも、俺が決めることだ」
「……」
「お前が怒るのは自由だし、怒ってくれてちょっと嬉しかった。」
ラグナは意外だという風に目を見開いた。
「でも、俺のことは俺で決める。お前が決めることじゃない」
「三つ目」
「俺がこれからどうするかは決めた。じゃあ、お前はどうしたい?」
「今すべきことって……分かんねぇよ!」
ラグナは溢れ出した気持ちを吐き出すように、右手を振り、声を張り上げた。
「エルじぃは、お前の両親を探すために、これからのために俺を呼んだんじゃないのか?」
俺は淡々とラグナに告げていく。
「そうかもしれないけど……」
「でも、それで俺の人生を勝手に変えていいことにはならない」
「……もちろん、そうだ」
「でも、エルじぃが悪かったことと、お前がどうするかは別の話だ」
「じゃあ何も俺に話してくれなかったのはいいのかよ!」
「いや、良くない。お前が納得しなきゃいけないわけじゃない」
「だったら! だったら、どうしたら……」
ラグナの顔から、少しずつ力が抜けていく。
「エルじぃを責めたって、俺は帰れない」
「お前の両親も見つからない」
「それに、お前はエルじぃに悲しんでほしいのか?」
「……違う」
風が吹いていれば、かき消されてしまいそうな小さな声だった。
「だったら、一回エルじぃとじっくり話してこい」
「……分かった」
ラグナは顔を上げ、俺の目をまっすぐに見つめた。
そこからは、もう迷いは感じられなかった。
「でも、ヒナタのことも、一族のことも納得してない」
「それはあとで、しっっっかり話すぞ!」
「分かったから、さっさと言ってこい!」
「分かった! でも、しっかり話すからな!」
ラグナはそう言うと、家へ戻っていった。
相変わらず動きが早い。
さっきまで座り込んでいたとは思えないほどだった。
(さて、どうなるかな)
いや。
俺は足を止める。
(どうするか、だな)
俺は俺のするべきことをする。
そう考え直して、家へ戻り始めた。
その頃、ラグナは俺より遥かに早く、家へ戻っていた。
「ダァン!」
息を切らしたラグナが、家のドアを勢いよく開く。
「エルじぃ!」
エルハルトは少し身構える。
ラグナの勢いに、身体が反射的に強張った。
「さっきはごめん!」
エルハルトは拍子抜けしたような顔をした。
「……ラグナ?」
「俺、頭に血が上ってた」
「いや、謝る必要はない。悪いのは儂じゃ」
「それでもだ!」
ラグナは息を整えながら、エルハルトの前まで歩いていく。
「ヒナタに言われたんだ」
「エルじぃを責めても、何も変わらないって」
「……そうじゃな」
「俺も分かってる」
「エルじぃが俺のためにやったってことも」
「じゃが……」
エルハルトの口から漏れた言葉に、ラグナは一瞬だけ黙った。
「でも、やっぱり納得はしてねぇ」
エルハルトは黙ってラグナを見る。
「ヒナタの人生を勝手に変えたことも」
「俺に何も言わなかったことも」
「俺はまだ許せねぇ」
「……そうじゃな」
エルハルトは視線をラグナから逸らす。
「でも、俺はエルじぃのことが嫌いになったわけじゃねぇ」
その言葉に、エルハルトは思わずラグナに視線を戻した。
「それに……」
ラグナは拳を握る。
「自分の親も探したい」
「それと、ヒナタの親友を探すのも手伝いたい」
「そうか……」
エルハルトの頬を、一筋の涙が伝った。
「エルじぃを許さないのは変わんねぇ」
「でも、どうするかを決めるのはヒナタだ」
その時、家のドアが開いた。
「ただいま」
俺が戻ってきた。
「ラグナ、話はできたか?」
心配はしていなかったが、念のため聞いてみる。
「もちろん」
ラグナは、いつものように笑って返した。
「ヒナタ、ラグナ」
エルハルトが俺たちを見る。
「本当にありがとう」
「俺は謝罪も感謝もいりません」
俺はいつも座っている椅子を手前に引く。
椅子の脚が床を擦り、小さな音を立てた。
「今必要なのは、それじゃない」
俺は椅子に座る。
「これからの話をしましょう」




