第9話 学実と藤悟
怪幽会からの返信には時間がかかるという。
そのため、十六夜組はいつもと変わらない日常を過ごしていた。
自室で本を読んでいた桃介は、ふと室内が薄暗くなっていることに気づいた。
ベッドから起きあがり、読み終えた本を閉じて脇へ置く。
陽光の入らなくなった窓にカーテンをかけようとして近づくと、中庭に学実の姿があった。
いつの間に大学から帰ったのか知らないが、鉄扇を手に飛んだり跳ねたりしている。
桃介は考え直して部屋を出ると、まっすぐに中庭へ向かった。
「おかえり」
と、声をかけながら縁台に座れば、学実が振り返って笑う。
「ただいま」
「何してるんだい?」
「見れば分かるでしょ。練習だよ」
学実は想像の敵へ向けて扇を振りおろす。あいかわらず品があって美しい所作だ。
「昨日の怪異、やばかったんでしょ? 桃介くんが危なかったって聞いたよ」
「ああ、間一髪のところで樹一郎が助けてくれた」
「誰にも怪我がなくてよかったけど、いつまた、やばい怪異が現れるか分からない。その時にそなえて、ちゃんと戦えるようにしとかなきゃ」
「そういうことか」
凛とした横顔もあいまって、つい目が奪われる。
「ボクだって、十六夜組の一員なんだから」
しゃべりながら姿勢を低くし、敵の足をすくうように鉄扇をすべらせ、一気に飛びあがった。
「お前さんの動き、独特だよな。師がいるのか?」
「え? 何?」
「師匠だよ。誰かに教わったのかと聞いてる」
「ああ」
学実は扇をぱちんと閉じた後、再び開きながら真一文字に空を斬る。優雅ですばやい動きだった。
「独学だよ」
と、答えてから学実は力を抜いた。
「藤悟くんのおばあちゃんが日本舞踊の師範でね、ボクはそれを塀の隙間からこっそり見てた」
汗を乾かすようにあおぎながら、桃介の隣へ腰をおろす。
「参考にした動きもあるけど、ほとんどボクのオリジナルだよ」
「なるほど。日本舞踊の雰囲気があるのはそういうわけか」
「そうだろうねぇ」
学実はくすっと笑い、手にした扇を見つめる。
「鉄扇ってさぁ、元々は殴るための武器だし、重さもあるから威力もわりと高いんだよね。でも、それだけじゃもったいない。せっかく綺麗なんだから、戦う時も綺麗に見せたいって思ったんだ」
「それで、舞の動きを取り入れたのかい?」
「うん。こう見えてボク、日本の伝統的なものとか好きだしさ」
意外な言葉に少々驚きつつ、桃介は言う。
「それなら、樹一郎と気が合いそうだが」
「どちらかといえばそうだし、キイチくんとは普通に仲いいよ? けど、それだと周りに置いていかれちゃう」
ため息をつく学実を、桃介は黙ってじっと見る。
「流行の動画とか、最新の楽曲とか、知らないと話にならないんだ。友達にはぶられて、一人ぼっちになっちゃう」
「友達、か」
桃介もため息をつき、がらんとした中庭をながめた。
脳裏に浮かぶのは幹彦の顔と、大学で一緒だった友人たちだ。近所の幼馴染や、家族の顔まで浮かんできて、つい気持ちが沈む。
学実もまた、どこか暗い調子で言った。
「大学でまで、一人にはなりたくないんだ。
ただでさえ、ボクはわがままで上京してきたんだもの。ここにいるために努力をしなくっちゃ」
学実の言うことはあまりよく分からなかったが、桃介はふと疑問を抱いた。
「それでお前さんは、楽しいのかい?」
中庭を吹き抜ける風が、学実の前髪をふわりと揺らした。
「楽しいよ。新しいものだって好きだし」
「それならいいが、自分に嘘をついてはいないか?」
学実が小さく息を呑むのが分かった。
「お前さんにも事情があるのは理解するが、おれは樹一郎のように、好きなものに夢中になっている方が好ましい」
駄菓子屋の窓に明かりがついた。柚妃が夕食の支度を始めたようだ。
学実はぱちんと扇を閉じた。
「ボクはこれでいいんだ。だってボクはキイチくんじゃないし、キイチくんのようにはできない」
「……そうか。よけいな口出しをしちまったな、すまん」
と、桃介はすぐに謝った。
学実は「ううん」と、首を振ってから立ちあがった。
「そうだ。ボクの部屋、来る?」
「いいのか? 最近は個人情報やら、ぷらいばしーやらがあると聞いたが」
真面目な顔で返した桃介へ、学実はぷっと吹き出す。
「そんなの関係ないよ。だってボクたち、友達でしょ?」
不意打ちだった。友達という言葉が、春風のように、桃介の心を吹き抜けていった。
もう会えない人々への思いと、新しく築いていく友情の温かさに、思わず涙がにじむ。
「あれ、泣いてる? どうしたの、桃介くん」
「いや、これは……嬉しくて、ついな」
と、桃介はごまかさずに返す。
学実は半分呆れたように微笑んだ。
「変な桃介くん。風が冷たくなってきたし、早く行こう」
と、裏口の扉へ手をかけた学実の後を、桃介もついていった。
学実の部屋には何もなかった。ベッドと机、クローゼットがあるばかりで、まるで彼の部屋とは思えない。
「可愛いものがてんでないぢゃないか」
と、桃介がつぶやくと、学実は机の横に立てかけていたミニテーブルへ手を伸ばす。
手慣れた様子でぱちんと広げ、ひょいと持ちあげた。
「ここにあるよ」
角の丸い四角いテーブルには、丸っこいマスコットキャラクターが描かれていた。
「おっ、前にも見たな。えーと、名前は確か……う、うか……」
学実はテーブルを部屋の中央辺りへ置いた。
「ウカポンだよ」
「それだ! 池袋で見たが、買わなかったやつだな」
桃介は二人で池袋に行った時のことを思い出し、学実の顔を見てしまった。
「あの時も聞いたが、何故買わなかった?」
「無駄遣いしたくないから」
「だが、好きなのだろう?」
好きならば手元に置きたいと思うのが道理ではないかと、桃介は思う。少なくとも、自分のよく知る人たちはそうだった。
「ボクの場合、グッズはいくつか持ってるだけでいいの。それに、ほら」
学実はスマートフォンを取り出して、ホーム画面を見せた。
「壁紙にしてるし」
「……そうではなく、えぇーと」
と、室内を見回して桃介は壁を見る。そこは見事に真っ白だった。
「何もないぢゃないか。樹一郎は壁に古地図を飾っていたぞ」
「人によっていろいろでしょ。それに、ボクだってちゃんと好きなもの、持ってるもん」
少しむっとしたように学実は言って、机の引き出しを開けた。迷わず取り出したものを持ってミニテーブルの横に座る。
「ほら、花札」
桃介も床に腰をおろし、学実が広げる花札へ目をやった。
「お姉ちゃんにもらったおさがりなんだけど、これできる人あんまりいなくてさ。桃介くん、知ってる?」
「ああ、妹たちが遊んでたから知っているが……花かるた、と呼んでいたな」
「そういう呼び方もあるね」
「だが、遊び方がどうにも覚えられぬ」
「それじゃあ、教えてあげるよ。一緒に遊ぼう」
と、学実が子どものような顔で、楽しそうにルールを説明し始める。口調は普段よりやや早く、いつになく饒舌だ。
自分でも言っていたように、やはり学実は日本のものが好きらしい。
一方で飾り気のない部屋であることが、やはり桃介には妙に思われた。
風呂あがりに居間で牛乳を飲んでいると、家事を終えた藤悟が向かいの席に座った。
「すっかり学実と仲良くなったみたいだな」
「ああ」
「ありがとな、桃介」
急に感謝されて、桃介は顔をあげる。
藤悟は穏やかな表情で桃介を見ていた。
「あいつ、俺を追って上京してきただろ? そんで俺に心配かけないよう、大学で必死になって友達作ってさ。絶対に無理してんだろって思ってた」
「やはりそうなのか」
と、グラスに口をつける。
一人で考えこんでいたのが中断されてしまったが、誰かと話すのも悪くない。
「気づいてたか?」
「ああ。だが、自覚はあるようだから、しつこく口出しするのは野暮かと思った」
「まあ、そうだな。まだあいつ、十八歳だしな」
と、藤悟は半分呆れたように笑ってからつぶやいた。
「っつーか、学実とキイチって似てるよな。キイチと初めて会った時、学実みたいなやつがいるって思ったもん」
「雰囲気が似ている、ということか?」
「雰囲気っつーか、根っこ? キイチも学実も、マイペースでおっとりしてるだろ?」
桃介はあらためて考えてみて腑に落ちた。
「ふむ、確かにそうしたところがあるな」
「だけど学実はキイチと違って抗ってる。
流行に乗ろうとしていろいろやってるけど、そのせいで自分が分からなくなってんじゃねぇかな」
桃介はふと学実の部屋を思い出す。
「同意だな。日本の伝統的なものが好きらしいが、部屋には花かるたしかなかった」
「花札のことか? あれ、小さい頃に姉貴にわがまま言って、譲ってもらったんだよ。花札なんて、女が好きな遊びなのにさ」
と、藤悟はため息をついた。どこかなつかしむような、それでいて歯がゆそうな吐息だった。
「『八重識』を見た時も思ったけど、あいつ、好みは昔から変わらないんだ。姉貴が二人いるせいか、好きなものが女っぽくてな」
桃介は尋常小学校時代に学実のような少年がいたのを思い出す。女っぽいといじめられてはいたが、桃介は彼が嫌いではなかった。
自分にもまた、繊細な部分があるのをそれとなく知っていたためだ。だからこそ、桃介は言う。
「美しいものを好む男がいても、さほどおかしくはなかろう?」
「けど、学実はおかしいと思ってる。だから部屋はあんな状態だし、周りに合わせて流行を追ってんだ」
桃介は何ともいえない気持ちになり、「そうだったな」と、相槌を打った。
グラスの中の牛乳を静かに飲み干す。
藤悟は食卓に頬杖をつき、遠くを見ながらつぶやいた。
「キイチみたいに、自分の好きなものにまっすぐ進めばいいのになー」
樹一郎の部屋には古地図が飾られているだけでなく、本のつまった本棚があり、クローゼットには着物や帯がいくつもしまわれていた。
見ていて清々しいのは、どう見ても樹一郎の部屋だ。
「小さい頃はあいつ、うちの神社で巫女さんになって神楽を舞いたいとか言っててさぁ」
「神社? お前さん、社家の生まれなのか?」
「あれ、話してなかったっけ?」
藤悟が首をかしげ、桃介は返す。
「初めて聞いた」
「そっか。まあ、そんなわけでさ。学実がもう少し素直な生き方ができるように、俺はあいつの背中を押したいと思ってるよ」
「おれも同じ思いだ。自分に正直に生きた方が、楽しいに決まっている」
桃介が言いきると、藤悟が前かがみになって語り始めた。
「分かるわー。自分語りでごめんけど、俺、実はSFとかロボットとか好きでさぁ。
民俗学も好きだけど、近未来的なものにも惹かれるんだよな」
「おお、そうだったのか」
彼の新しい一面を知り、桃介の好奇心が刺激される。
「我ながら振り幅がやべーとは思うけど、どっちも好きなんだからそれでいいんだよ。無理に自分を型にはめる必要はないっていうか」
「ふむ。同感だ」
「だろ? だからさ、桃介も学実のこと、見守ってくれると助かるよ。あいつ、俺には言えないことも、桃介には話すと思うし」
「そうか?」
「たぶん、な」
藤悟が優しく微笑み、桃介の空になったグラスを指さした。
「おかわり、いるか?」
「いや、けっこうだ。だが、もう少しお前さんと話がしたい」
「いいね。じゃあ、俺は自分の飲み物とってくる」
と、藤悟はいそいそと冷蔵庫へ向かった。
シェアハウスの夜は静かに、有意義に更けていく。
元の世界へ帰りたいという哀愁も、仲間といると不思議にほどけていった。




