第10話 柑太襲来(前編)
「今日こそ決着をつけようぜ!」
数日後、開店して間もなく十六夜古書店にやってきた男を見て、陳列を整えていた樹一郎はびくっとした。
「か、柑太くん……」
「今日こそお前を倒す!」
ずずいと寄ってくる柑太に後ずさりしつつ、樹一郎は苦笑した。
「えと、バイトが」
するとカウンターの方から声がした。店主の蘇芳だ。
「午後は臨時休業にするから、行ってきていいぞ」
「えっ」
「あざっす!」
柑太は元気よく返して頭を下げ、伝票を整理しながら蘇芳は言う。
「またラウランだろ? いい機会だから、桃介も連れて行ってやれ」
「桃介? 誰っすか?」
首をかしげる柑太へ、樹一郎は困惑しつつも答えた。
「最近入った、仲間」
「何それ、聞いてねぇんすけど!」
「そんなもんだ。午後になるまで、柚妃のところに行っててくれ」
「りょーかい! じゃあ、また後でなー!」
と、柑太は店から出ていき、樹一郎はほっとした。
来る前に一言連絡してくれればいいものを、柑太はいつも突然やって来る。
柚妃の兄だから、といえば納得もできるが、彼女と違って少々厄介な存在だった。
穏やかな駄菓子屋にそぐわない声が響き、桃介は怪訝な顔をした。
「元気してるかー?」
と、なれなれしく柚妃の方へ寄ってきたのは、下駄を履いた桃介よりも少し身長が高く、健康的な肌に短い黒髪の男だ。
「わっ、兄貴!? なんでまた、急に来るのよ!?」
と、柚妃が驚き、桃介はすぐに状況を把握した。
男は柚妃の兄であり、スマートフォンという便利な道具がありつつ、なんの連絡もなしに会いに来たらしい。
「暇だから勝負を申し込みに」
「また? キイチも迷惑してるでしょ」
「あと新しい仲間がいるって聞いた」
「そこにいるわ」
柚妃がカウンターへ顔を向け、男が桃介を見て目を輝かせる。
「おっ、若い子じゃん! オレ、準一級討異士の地武良柑太。よろしくな!」
と、白い歯を見せて笑った。
だぼっとした黄色のパーカーにデニムのワイドパンツ、靴は派手な赤色のスニーカーを履いており、いかにも現代の若者といった風だ。
桃介は椅子から腰をあげると、二人の方へ歩み寄った。
「華歳桃介だ。よろしく」
「何級? 武器は? いつから十六夜組に?」
いきなり質問を浴びせられて桃介は困惑し、柚妃がうんざりする。
「一度にそんな質問しないの。まったく、兄貴ってば」
呆れた様子の柚妃だが、桃介はポケットから蒼い数珠を取り出した。
「武器とは違うが、おれはこいつを使う。三千界珠だ」
「えっ、数珠?」
「界導士だからな」
柑太は桃介を見つめ、ぱちくりとまばたきをした。
「生きてたのか、界導士」
空気が妙な感じになったかと思うと、柚妃が口を開いた。
「悪いんだけど兄貴、話すと長くなるから、とりあえず帰ってくれる?」
「嫌だ。午後からキイチとラウランで勝負するんだ」
「もう約束、取りつけてきたのね……」
柚妃が物言いたげな目をするが、柑太は少しも気にする様子がなかった。
「桃介もついでに連れてけって、蘇芳叔父さんが言ってたぜ」
自分の名前が出るとは思わず、桃介は多少とまどいつつたずねた。
「かまわんが、いったいどこへ行くんだい?」
「あれ? ラウラン、知らねぇの? 討異士専用の練習施設だよ」
高いビルがいくつも立ちならぶ新宿の、繁華街に近いところにラウランはあった。
エレベーターへ先に乗った柑太は六階のボタンを押した。
桃介はまだエレベーターに慣れていないためにそわそわするが、隣では樹一郎が浮かない顔でため息をついていた。
「樹一郎、どうした?」
「……あんまり、ここ、好きじゃない」
「なんでだ?」
桃介の質問に樹一郎は階数表示をながめた。
「ラウランは、菖蒲叔父さんが、経営してる……。利用記録が、残るから、いつ僕が来たか、把握されちゃう」
すると柑太が明るく言った。
「気にすることねぇよ。もう大人なんだしさ」
「そう、だけど……」
菖蒲に知られるということは、父にも知られるということだ。だが、樹一郎の杞憂は、柑太にも桃介にも理解されそうにない。
やがて六階へつき、慣れた様子で柑太は受付カウンターへ向かった。財布から会員カードを出し、遅れて樹一郎もカードを提示する。
「あと見学者が一人。模擬戦のBコース、使えますか?」
と、柑太が伝え、従業員はモニターを操作する。
「はい、ご利用できます。時間はどうなさいますか?」
「じゃあ、二時間で」
「かしこまりました。延長はできませんのでご了承ください」
従業員から伝票を受け取り、柑太は歩き始めた。
「行こうぜ」
樹一郎と桃介は彼の後をついていき、店内のエレベーターで八階へとあがる。
「ここが控室。モニターを通してオレたちの様子が見れるから、桃介は見ててくれ」
壁に沿ってソファがならんだ部屋だった。一定の間隔でテーブルが設置されており、柑太は伝票を端へ置く。
向かい側には大きなモニターがあり、桃介はほぼ真向かいへ腰をおろした。
柑太がモニターの電源を入れると、人工的に作られた岩場が映った。
「これがBコース。岩がごろごろしてるから、普段使わない筋肉を動かせて楽しいんだよなぁ」
「怪我はしないのかい?」
「しないこともねぇけど、常に医療班が待機してるから平気だ。そうだ、飲み物はそこにある。飲み放題だから、好きなようにしていいぞ」
と、部屋の一角を指さす。
荷物を置いた樹一郎は、桃介がとまどうのを察して言った。
「ちょっとだけ、飲みたい」
と、ドリンクサーバーの前へ立ち、コップを手に取り、ボタンを押してオレンジジュースを注ぐ。
「なるほど」
見ていた桃介が理解した様子を見せ、樹一郎はジュースを飲みつつ戻った。
コップをテーブルに置いてから、刀を袋から出し、ベルトに通して左の腰に差す。
「まずは軽く体を動かして、温まってきたら勝負にしよう」
「うん」
柑太が鞄から取り出したのは、長さの違う二本の十手だった。
いずれも漆黒の棒身にするどい鉤、柄には鮮やかなオレンジ色の紐が巻かれている。
「それじゃ、始めるか」
と、柑太がトレーニングエリアへ向けて歩き出し、樹一郎は後ろをついていった。
人工的に再現された岩場は、実際に目の当たりにすると圧迫感が強い。
足元もでこぼこしていて安定せず、気を抜くとつまずいてしまう。
それぞれにストレッチを済ませ、柑太は室内に設けられているタッチパネルを操作した。
「最初はスコアアタックな。制限時間は二十分でいいか?」
「うん、いいよ」
設定が完了すると、強化ガラスでできた壁が天井から降りてくる。室内が縦に二つに別れ、柑太はしゃがんでスニーカーの紐を結び直した。
準備が整うと、壁に大きくタイマーが表示される。
柑太は立ちあがって十手を左右の手に握り、樹一郎も鞘に軽く手を置いて一歩前へ出た。
無機質な合成音声によるカウントダウンが始まる。
「三……二……一、スタート」
先に動きだしたのは柑太だ。
行く手を塞ぐ標的を次々に十手で力強く殴り、驚異的なスピードで進んでいく。
一方、樹一郎はまだ刀を抜くことさえできずにいた。
心の準備をする時間はたっぷりあった。
しかし、やはり刀を抜くのが怖い。斬る相手が作り物の的であると分かっていても、だ。
ガラスの向こう、視界の端で柑太がどんどん遠ざかっていく。
樹一郎は深呼吸をすると、まぶたを閉じた。
右手に柄を握れば、おどろおどろしい声が頭の中に流れ出す。
恨みやつらみ、苦しみや悲しみの声を、樹一郎は徐々に収束させていく。
――この前は意識しないでもできたんだ。大丈夫、やれる。
すべての怨念を掌中に収めれば、なじみ深い無音が訪れる。
まぶたを開け、刀を抜き、駆け出した。
「朱宵刀・朝風!」
風のようななめらかさで、進路を妨害する的を次々に斬り捨てる。
気づいた柑太が振り返り、にやりと笑った。
「おっ、いーねぇ」
すぐに視線を前へ戻し、手近な岩の上へジャンプした。
「負けらんねーぜ。――黒礫・崩土!」
いきおいよく二本の十手を突き刺し、一撃で岩を破壊する。
散った破片が複数の的にあたり、すぐさま柑太は地面へ戻って次の標的へと目を向けた。
モニター越しに見ていた桃介は頭にきた。
「あいつ、自分が得意な地形を選びやがったな!?」
柑太は不安定な足場も難なく移動していたが、岩を使った攻撃まで会得していたとは驚愕だ。
「くそっ、樹一郎! こんなずるいやつに負けるな!」
と、つい声援に熱がこもる。
その直後、樹一郎がつまずいて転んでしまった。
「おい、転んでる場合ぢゃない!」
樹一郎はもたもたと立ちあがり、刀をかまえる姿も頼りない。
モニターの上部に表示された点数は引き離されるばかりだ。
不測の事態が起こらない限り、樹一郎が柑太に追いつくことは厳しかった。
建付けの悪い戸を開けて店内へ入ると、柚妃がカウンターに頬杖をついてぼーっとしていた。
「ちーす」
と、藤悟が声をかけて、ようやく柚妃は我に返った。
「あら、涼雨。なんの用?」
「駄菓子を買いに来ただけだ」
「あ、そうなの」
柚妃はどこか居心地悪そうにし、藤悟は手近な棚に目をやりながら問う。
「お前がぼーっとしてるなんて、めずらしいな。何かあったか?」
「……兄貴のことよ」
ため息をつき、柚妃はどこでもない宙をながめる。
「キイチと戦える兄貴が、うらやましいの」
「どういう意味で?」
「何もかも言わせる気? 少しくらい察しなさいよ」
「そう言われてもなぁ」
棒ゼリーを赤、青、紫、緑とひとつずつ手に取り、藤悟は視線を横へ移す。
「っつーか地武良、この前のこと引きずってんだろ」
「……はぁ。急に図星当てるの、やめてくれる?」
「察しろって言ったり、当てるなって言ったり、勝手だな」
と、苦笑しながら、缶飲料の形をしたミニラムネを取る。
「そうよ、あたしは勝手よ。
できもしないのに兄貴をうらやんで、ついこの前には状況も把握せずに自転車で突っこんで、桃介を危ない目にあわせた」
柚妃の声が震えたのに気づき、藤悟はカウンターへ向かう。
「あれは、桃介がかばってくれたんだろ。結果的にはキイチだって間に合ったんだし」
「分かってる。分かってるけど、あたし……っ」
柚妃はうつむき、ひざの上へぽたぽたと涙を落とす。
「あたしが戦えたら、いいのにって……」
痛いくらいの静けさに、彼女の押し殺した嗚咽が小さく漏れる。
「……表のシャッター、閉めるか?」
「いい、大丈夫。すぐ泣きやむから、待って」
「そうか。じゃあ、お会計頼むよ」
と、藤悟はカウンターへ手にした駄菓子をそっと置いた。
スコアアタックは柑太の圧倒的勝利に終わった。
二人が休憩のために控室へ戻ると、桃介が柑太に突っかかってきた。
「おい、柑太! お前さん、自分の得意な地形を選んだだろう!?」
柑太はきょとんとしてから、朗らかに笑う。
「否定はしねぇけど、まだ一回戦だぜ? つべこべ言わずに見てろって」
と、十手をテーブルへ置き、ドリンクサーバーへ向かっていく。
桃介は「なんだと?」と、まるで敵意を隠さずに背中をにらむ。
樹一郎は困惑しつつも言った。
「桃介、怒らないで。模擬戦、だから」
「悔しくないのかい? 明らかに今の勝負、柑太が有利だったぢゃないか!」
「そう、だけど……うーん」
どう説明したらいいか、適切な言葉が思い浮かばない。
樹一郎は腰に差した刀をソファに立てかけると、テーブルに置いたコップを手に取り、残っていた中身を飲み干す。
柑太はすでにソファに座ってサイダーを飲んでいた。
「桃介は熱血漢だなぁ。キイチにいい友達ができて嬉しいよ」
「お前さん、嫌味ぢゃなかろうな?」
すかさず桃介が返すと、柑太は目を丸くした。
「え、嫌味に聞こえたか? そりゃ悪いな」
と、少しも悪びれない様子を見せ、桃介はますます敵意をむき出しにする。
樹一郎が再びオレンジジュースを注いでソファへ戻ると、柑太は言った。
「けど、落ちついて考えれば、分かりそうなもんだけどなぁ」
「は?」
「お前が前にどこで何してたか知らんけど、ここは東京だぜ?」
樹一郎は黙ってコップに口をつけた。
桃介は柑太の言いたいことを理解できなかったらしく、怪訝そうに首をかしげる。
そんな彼を見て、柑太はおかしそうにくすくすと笑った。




