第4話 vs百目
樹一郎が店の外で柚妃と立ち話をしていると、桃介たちが帰ってきた。
「あ、おかえり」
「おかえりなさい」
彼らはそれぞれに「ただいま」と返し、柚妃が藤悟へ声をかける。
「今キイチと話してたんだけど、怪異の出た場所が分かるアプリ、話題になってるみたい」
「え、マジで?」
藤悟が二人の近くで足を止め、桃介も立ち止まる。
「さっき中学生の子が教えてくれたの」
学実は興味がないのか、勝手に駄菓子屋へ入っていった。
「あっちに電車の見える公園があるでしょ? あそこに怪異が出たって情報が入って行ってみたら、本当にいたんだって」
柚妃の話に藤悟は考えこむ様子を見せた。
「確かに評価は高いし、信頼性抜群なんてレビューもついてたけど、眉唾だなぁ」
「そもそも、怪異が出たってどうして分かるのよ? 特殊な電波でも発してるわけ?」
と、柚妃も困惑をあらわにし、樹一郎も首を振る。
「聞いたこと、ない……」
「だよな。何かからくりがあるとしか思えない」
すると、学実が駄菓子屋から出てきた。
「なんの話か知らないけど、調べたらいいんじゃない?」
と、ソースカツの袋を開けてその場で食べはじめる。
「途川くん、ちゃんとお金は払ってくれたかしら?」
「うん、レジに置いといたよ」
「まったく、マイペースなんだから」
と、柚妃は呆れた顔で学実をにらんだ。
「じゃあ、そういうことで。店に戻るわ」
柚妃が店へ戻っていき、樹一郎も軽く頭を下げてから戻った。
入口の扉を閉める時、藤悟が学実に軽くデコピンするのが見えた。
桃介はうっすらと苦笑しつつも、彼らの後をついていく。
藤悟たちともなんとかやれている様子に、樹一郎はほっとした。
夕食を終えると、桃介は樹一郎とともに蘇芳の部屋へ誘われた。
「えらい数だな」
室内には所狭しと本棚がならび、中にもぎっしりと本がつまっていた。
「樹一郎の部屋にもたくさん本があったが、それ以上だ」
桃介がつぶやくと樹一郎も「すごいよね」と、笑みを返した。
「僕も、叔父さんの影響で、古い本、読むようになった」
「そうだったのか」
蘇芳はいくつかの本を抜き出し、机の上へ置く。
「適当に座ってくれ」
桃介は樹一郎とならんでベッドの上に腰かけた。
蘇芳は椅子に腰をおろし、問いかけた。
「桃介は一八九八年生まれの二十歳だったな」
「はい、そうです」
「それなら、芥川龍之介を知ってるか?」
と、見せたのは全集の第一巻だ。全体的に黄色く変色し、四隅もボロボロになっていた。
「新進の小説家ですね」
桃介が平然と答え、蘇芳と樹一郎は顔を見合わせる。
「やっぱり知ってたな、樹一郎」
樹一郎は黙ってうなずき、桃介は言う。
「漱石先生が絶賛していたので、おれも読まずにはいられなかったんです」
「おっ、夏目漱石! 全集持ってるぞ」
と、蘇芳が夏目漱石全集を手にして見せる。
「蘇芳さんも読んだんですね」
「ああ、日本の文壇を語る上で外せない、偉大な文豪だからな」
「この時代でも評価されているとは、嬉しいですね。ですが、二年前に亡くなった時は悲しかったです」
「そうか、桃介にとっては二年前か!」
蘇芳は今にも飛び跳ねそうなほど興奮し、樹一郎もキラキラと目を輝かせる。
「生の声感、いい……」
「なんだよ、それ」
呆れと疑問のまじった調子で桃介は樹一郎を見るが、かまわずに蘇芳が次の本を見せてくる。
「それなら当然、森鴎外も知ってるよな?」
表紙を見て桃介は微妙な顔をした。
「もちろん知っています。友人たちとよく議論しましたが、エリートなら目指したい極北だ、とまで言う人もいて、おれはどうもついていけませんでした」
「そういう感じか、勉強になるなぁ」
ふいに樹一郎は立ちあがり、蘇芳のそばに寄った。
桃介に聞こえないよう、いくつかやり取りをかわしてから、蘇芳がまた別の本を見せる。
「谷崎潤一郎は読んだか?」
桃介は視線をそらして困惑した。
「えーと、名前は知ってますが、その……」
「はっきり言っていいぞ。今では文豪の一人として知られているんだ。桃介が知らない作品もいっぱいある」
桃介は二人の方をじっと見つつ、答えた。
「読みました。おれは、悪くはないです」
と、にごす。
「そうか。読みたければいつでも貸すから、遠慮なく言ってくれ」
「わ、分かりました」
桃介がとまどう様子を見て、樹一郎はくすくすと笑う。
機嫌を損ねたらしい桃介は、顔をそらしてふと目を丸くした。
視線は扉の横に立てかけられた、細長い袋に向けられていた。
「あれは、薙刀ですか?」
蘇芳が「ああ」と、うなずいた。
「あれは俺が怪異と戦う時に使ってる武器だ。といっても、もうほとんど使ってないけどな」
「蘇芳さんは戦わないんですね」
「今は藤悟に一任してるからな。地方では有力な一族の出身で、怪異への対処の仕方をよく知ってる。
不測の事態が起きたり、戦力が足りなければ、俺も出るけどな」
「なるほど」
樹一郎は補足説明をした。
「一組につき、一級討異士が一人、もしくは、準一級が二人……が、最低条件」
「十六夜組、だったか?」
「そう。桃介がいてくれたら、もっと、強くなる」
「盤石、というわけだな」
と、桃介はうなずいてから、うつむいた。どこか寂しそうな顔をしていることに気づき、樹一郎は声をかける。
「桃介、どうかした?」
はっと顔をあげて桃介は言う。
「その……なんでおれ、百十年後に来ちまったんだろうと思って」
疑問はもっともだ。転界門に飲みこまれたとされるのも、桃介の一例しか記録されていない。
蘇芳と樹一郎は困ってしまい、首をかしげた。
「何か、理由があるのかもしれないな」
「やることが、ある、のかも」
励まそうとしたつもりだが、桃介には届かなかったようだ。
「そうだといいが、分からんな」
ふいにノックの音がし、扉越しに藤悟が言った。
「怪幽会から緊急要請。昨日逃がした怪異だ、行くぞ」
「西台方面。夜行性の妖怪、百目だ」
現場に向かう最中、藤悟が説明した。
「昨日はうっかり昼間に起きちまったから、動揺して逃げ回ってたんだな」
「怪異も生き物だからな、そういうこともあるだろう」
と、桃介が応じる。
「ちなみに、視覚以外は鈍いが、見つかると目玉が飛んでくるから注意な」
「ひっ」
樹一郎は小さく悲鳴をあげ、桃介が見やる。
「怖いのかい?」
「気持ち悪いの、嫌……っ」
と、樹一郎は泣きそうな顔をする。
「暗いのも、苦手」
「ちっとも暗くないだろう?」
「住宅街は、暗い。幽霊、出そう」
「幽霊も苦手か」
頼りない自覚はあるものの、一級討異士として現場へ向かわざるを得ないのだから、矛盾している。
のぼり坂に差しかかると、先を走っていた学実が叫んだ。
「怪異発見! 来ちゃダメッ」
樹一郎たちは急停止し、学実が鉄扇を取り出す。
どうやら百目は公園内にいるらしく、学実は飛んできた目玉を扇子で打ち返した。
藤悟はその場に片ひざをついて植えこみに隠れ、様子をうかがいながら言った。
「最後は桃介が異界送りにするとして、どうやって近づくか……」
樹一郎と桃介もしゃがみ、静かに耳を傾ける。
「二人は反対側で待機だ。隙を見て俺が結界を張るから、そしたら桃介は転界門を出せ」
「分かった」
藤悟は樹一郎を見た。
「キイチ、もし失敗した時は頼むぞ」
「う、うん……」
不安な顔でうなずく樹一郎だが、藤悟はかまわずに学実へ加勢した。
「行くぞ」
と、桃介に声をかけられ、樹一郎も動き出した。
公園は坂の途中にあるため、反対側からだと階段をのぼる必要があった。
できるだけ静かに、身をひそめながら一段ずつ、慎重にあがっていく。
「これでもくらいやがれ――無双穿弾・連!」
連射された呪符と目玉がぶつかっていきおいをなくし、地面にころころと転がる。
樹一郎は思わず桃介の袖をつかんだ。
すぐに桃介が振り返り、樹一郎は首を左右に振る。
「キモい……っ」
桃介は苦い顔をしつつも返した。
「藤悟の結界さえ張れればいいんだ。お前さんはここで待ってろ」
と、立ちあがった直後、額に目玉がぶつかってきた。
「痛っ!」
よろけた彼を樹一郎は抱きとめる。
「すまん、樹一郎」
桃介はすぐに自分の足で立ったが、樹一郎は小さな背中に隠れた。
「来るっ!」
全身に目を持つ異形が、樹一郎たちに気づいた。
「藤悟、とっとと結界張れ!」
桃介が叫ぶと、銃のカートリッジを交換しながら藤悟は叫び返す。
「この状況じゃ無理!」
その間に学実が桃介たちの前へ入り、百目の注意を引きつけた。
「八重識・返り咲き――!」
強風に切り刻まれても百目の動きは止まらなかった。体内で目玉が再生し、間断なく四方八方へ飛ばす。
「まずいな、樹一郎も加勢するしかない」
桃介は数珠を手にし、段を一歩あがった。
「むっ、無理ぃ……!」
「お前さんには見えないのか!?」
桃介が振り返り、樹一郎はびくっと肩を震わせた。
「学実が怪我してるだろうが!」
目玉が次々に飛んでくるため、避けきれずに何発か受けてしまったようだ。
「仲間だと思うなら助けろ!」
と、桃介は捨て身で躍り出た。
樹一郎は泣きそうになるのをぐっとこらえ、および腰で手をつきながら階段をあがっていく。
公園内を三人が駆け回り攻撃するが、誰一人として百目には近づけず、動きを止められないでいる。
「結界展開! ――ああ、くそっ!」
藤悟が仕掛けた結界の護符も破られ、失敗に終わる。
「……」
樹一郎はまぶたを閉じると、ゆっくり呼吸をした。
震える左手で鞘を、右手で柄を握る。無数の声が頭に響きはじめ、飲まれないように精神を集中させる。
声が徐々に収束していき、やがて、いつもの無音が訪れた。覚醒めの合図だ。
刀を抜いて駆けだす。
「朱宵刀・一閃」
一瞬の光となって接近し、百目の首を斬りつけた。
動きが鈍ったのを見て、桃介はすばやく印を切る。
「華歳の血脈に連なる者として命ず、今この地に顕現せよ――転界門!」
門が出現し、桃介は続ける。
「汝の根は此の世にあらず、汝の理は此の界になぢまず。帰すべき場所は彼岸の混沌の中にあり」
門を開けば、地面に転がった目玉もひとつ残らず吸いこまれていく。
「三千界珠の名において、永劫に閉ざされよ。――閉門!」
桃介が唱え終わると同時に、門は完全に閉まった。
「……ふう」
誰ともなく息をつき、四人してその場に座りこんだ。
「ちょっと厄介だったなぁ」
と、藤悟が言えば、学実は不機嫌に返す。
「こんなことになるなら、応援呼べばよかったのに。ボクの顔に傷がついたらどうするの?」
「学実は傷があったって可愛いよ」
と、藤悟は呆れた調子でテキトーなことを言った。
「それよりも怪我だ。どこやられたのか、見せろ」
「たぶん、あざになってると思う」
言いながら学実は服をめくりあげ、藤悟が確認する。
桃介は樹一郎へ近づき、声をかけた。
「大丈夫か?」
刀を手放し、樹一郎はぽろぽろと涙をこぼし始めた。恐怖が限界だった。
「あー、本当にお前さんは……」
ため息をつきながらも、桃介は肩に腕を回してねぎらった。
「よくやったよ、樹一郎」
涙の粒が街灯に反射してキラキラと光った。




