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第2話 シェアハウス十六夜

 桃介が現れてから、まだ一時間も経っていなかった。

 古書店へ戻った樹一郎は、古い本を開いたまま差しだした。

「これ、記録……」

 椅子に腰かけた桃介は黙って目を走らせる。

『華歳桃介、一九一八年五月に行方不明となる。

 目撃証言によると、突如とつじょ開かれた転界門に飲みこまれたとされるが、詳細は不明。

 界導士として将来を嘱望しょくぼうされていたため、当時の人々の混乱やなげきは計り知れない』

 読み終えた桃介が絶望的な顔をし、樹一郎はそっと本を取りあげた。

「今は、二〇二八年。百十年、経ってる」

「信じがたいが、信じないわけにもいかないな」

 と、桃介は悩ましげに息をついた。

 すると、裏口から声がした。柚妃だ。

「はあ? それじゃあ、さっきの怪異は何?」

「だから、別のだって言ってんだろ。本来倒すべきだった怪異には逃げられたんだよ」

 そう返した声の主は、こちらへ来るなり驚いた。

「うわっ、人がいる」

 縁の太い眼鏡をかけた痩せ型の男だった。

「さっき言ったでしょ。タイムスリップしてきたの」

 柚妃は辟易へきえきしながら説明し、眼鏡の男はじっと桃介を見つめた。

「俺は涼雨藤悟(すずさめとうご)。昔風に言うなら、副長ってやつだ」

 樹一郎は店の裏に行き、手にした本をそっと棚へしまってから戻る。

「ぢゃあ、他に長がいるのか?」

「今は仕事でいないけどな。で、君は界導士なんだって?」

「ああ、華歳桃介だ」

 藤悟はあごに指を置いて考える様子を見せた。

「華歳という名前には覚えがあるな。確か、戦後に絶えた一族じゃなかったか?」

 と、振り返る。樹一郎は黙ってうなずいた。

「だよな。桃介さんには悪いけど、界導士の中心的な存在だった一族がほろんだのをきっかけに、界導士はどんどんいなくなってるんだ」

 桃介は暗い顔で嘆息たんそくした。

「滅んぢまったのか。そりゃ、しかたがねえな」

「そのせいで怪異は増える一方だよ」

 と、藤悟はため息をついてみせてから、樹一郎へ視線をやった。

「そういや、蘇芳すおうさんが帰るのって何時だっけ?」

「早ければ、そろそろ……」

 店内にかけられた壁かけ時計は、三時過ぎをさしていた。

「あら、子どもたちが来る頃ね。あたしは店に戻るから、あとで報告よろしく」

「おう、お疲れ」

 柚妃が裏口から隣の駄菓子屋へ戻っていき、藤悟は言う。

「とりあえず、怪幽会に連絡するしかないな。信じてもらえるといいけど」

「難しい、かも……」

「俺もそう思う。っつーか、まだ信じがたいよ。本当に過去から来たのか?」

「『朱宵刀』のこと、知ってた。あと、ひいおじいちゃんと、親友だって」

 おずおずと樹一郎が答え、桃介も言う。

「おれは幹彦と組んで、怪異を退治していたんだ」

「そういや、昔は界導士と討異士が組んでたんだっけ。けど、いったい何がどうして……」

 と、桃介へ視線を戻す。

「いや、混乱してるのはそっちもだったな。桃介さん、聞きたいことがあれば言って」

 急に質問者が変わり、桃介は考えるように店内を見た。

 本棚がいくつもならんだ小さな古書店だ。一部の平積みされた本は鮮やかに彩色されており、桃介には見慣れないものである。

「さっき、怪異を逃がしたと話していたが、探さなくていいのか?」

「ああ。延々と逃げ回るもんだから、俺も疲れた。被害も今のところは出てないし、大丈夫だろ」

「そうか」

 桃介は居心地悪そうに肩をすくめる。

 店の外から車の走行音が近づき、停止した。

「蘇芳さんかな。見てくる」

 と、藤悟が出ていき、店内は静かになった。

 樹一郎はそわそわと視線を泳がせ、桃介は手持ちぶさたな様子で帽子をかぶり直す。

「えと、桃介さん……帰りたい、よね」

「ああ、帰りたい。だが、帰る方法が分からぬ」

「……たぶん、帰らない方が、いい」

「どういうことだい?」

 桃介の視線がするどくなり、樹一郎は勇気を出して伝えた。

「帰ったら、記録の文章、変わっちゃう。そうしたら、影響が、他にも出て……今の、この世界も、変わる」

「変わる?」

「極端に言えば、僕が、生まれない世界に、なるかも」

 桃介が目をみはり、やりきれなさそうに息をついた。

「くそったれめ」

 帰る方法がないだけでなく、帰らない方がいいという事実は、彼にとって重たすぎた。

 しかし、こういうことは早めに知っておくべきだ。

 樹一郎がいたたまれなくなって壁へもたれると、藤悟が戻ってきた。後ろには四十代と思われる男性がいた。

「話は聞いた。君が界導士の桃介さんだな」

 と、こちらへ来ては名乗る。

「俺は十六夜蘇芳。樹一郎の叔父おじだ」

 樹一郎と違って体格がよく、声もよく通る人だった。

「華歳桃介です」

「今、怪幽会に連絡を入れるから、待っててくれ」

 蘇芳はスマホを取り出し、いくつか操作してから耳へあてた。

 すると桃介がたずねる。

「お前さんたちが持っている、あの板はなんだ?」

 樹一郎は藤悟と顔を見合わせてから気がついた。

「あっ、スマホ」

「そうか、説明しなくちゃならないのか」

 藤悟も理解し、自分のスマートフォンを取り出した。

「これはスマートフォンといって、離れた場所にいる相手と電話ができるんだ」

「どこにも線がないのにかい?」

「電波っていう、目に見えない線でつながってるんだよ」

 桃介は目を白黒させた。

「今は一人一台は持ってるのが当たり前。で、他にもいろんなことができて」

 と、藤悟はホーム画面を桃介へ見せる。

「この、画面に映ってるアイコンをアプリという」

「あぷり?」

「どうやって説明したらいいかな。キイチ、分かるか?」

「えと……中に、便利な道具が、たくさん、入ってる」

「そういうこと。たとえば、このアプリだと写真が撮れる」

 と、藤悟はカメラアプリを起動させ、樹一郎へレンズを向けた。

 シャッター音が鳴り、藤悟はすぐにまた画面を桃介へ見せる。

「はい、こんな感じ」

 桃介は画面と樹一郎とを何度も交互に見て、深く息をついた。

「えらい魔法だ……」

「すごいだろ? 他にもいろいろできるんだけど、最近では、怪異がどこに出現したかまで、分かるようになったらしい」

「え?」

 思わず樹一郎は顔を向けた。

九十九つくもナビってやつ。

 怪しいからまだインストールはしてないけど、月額三千円のサブスクでさ。キイチ、どう思うよ?」

「……怪しい、かも」

「だよな。精度が分からないからなんとも言えないけど、今は情報を集めようと思ってる」

「それが、いい。三千円は、高い……」

 と、返したところで、桃介の視線を感じた。

「あ、えと……銭はもう、使われて、ない」

「なんだって!?」

「最小単位は、一円」

「百銭が!?」

「桃介くんからみた三千円って、俺らの感覚でいう三十万円な感じか」

 藤悟がつぶやき、桃介は無言で頬をぴくつかせた。

 すると、電話を終えた蘇芳が三人を振り返った。

「しばらくうちで預かることになった。報酬金については、特異災害対策局と話し合うから、返事待ちだ」

「ってことは、空き部屋、掃除しなきゃじゃないすか。先、戻ってます」

 と、藤悟が裏口から出ていき、桃介は樹一郎へ視線をやる。

「寮があるのかい?」

「どちらかといえば、下宿。みんなで、同じところに、暮らしてる」

「中庭の向こうに家が建ってただろう?

 シェアハウス十六夜って言って、俺が大家で、樹一郎たちに部屋を貸してるんだ」

 蘇芳の説明で、桃介はなんとなく理解したようだ。

「なるほど。それで、空き部屋ですか」

「柚妃とはもう会ったか? あいつは隣の駄菓子屋に住みこんでてな。たまに夕食を食べに来るよ」

「そうでしたか」

「もう一人、大学生の仲間がいるから、あとで紹介する。他に聞いておきたいことはないか?」

「ええ、今のところはないです。これからお世話になります」

 と、桃介は立ちあがり、しっかりと頭を下げた。


「ボクは途川学実とがわまなみだよ。よろしくね」

 夕食前、長めのウルフカットをミルクティー色に染めた青年が、桃介へ微笑みかけた。

 桃介はじっと学実を見ていたが、ふと樹一郎の耳へ口を寄せた。

女子おなごか?」

男子おのこだよ」

「女形……?」

「そうじゃない」

 苦笑する樹一郎だが、桃介は不思議そうに学実を見ているばかりだ。

 驚きはなかったようだが、しっくりこないらしい。

 一方で学実はくすくすと笑う。

「慣れてるから、あんまり気にしなくていいよ」

「そ、そうか……」

 桃介がとまどい、視線をさまよわせる。

 やがて食事の準備が済み、全員が席につくと蘇芳が両手を合わせた。

「いただきます」

 全員が手を合わせて「いただきます」と、続く。桃介も遅れてならった。

 樹一郎は自分の取り皿にサラダを取り、梅ドレッシングをかける。

 見ていた桃介にドレッシングを渡すと、彼も同じようにした。返してもらったボトルにキャップをし、食卓の端へ戻す。

 おそるおそるサラダを食べた桃介は、目を輝かせたが、何か言いたそうにするばかりで無言だった。

 食事がいくらか進んだところで、蘇芳が口を開く。

「ここでのルールはおいおい説明するとして、日中は駄菓子屋を手伝ってもらおうと思う」

「え、あたし?」

 柚妃がびっくりし、蘇芳は唐揚げを咀嚼そしゃくしながら言う。

「あくまでも手伝いだ。バイト代は出せないが、怪異の情報が入りやすいからな」

「うーん、そうね。分かりました」

 と、柚妃はちらりと桃介を見る。

「でも、その格好で店にいられるのは困るわ」

 黒いつめ襟に学生帽、黒いマントのバンカラだ。現代では見ない服装である。

「そうだな。ごうに入っては郷に従え、だ。今の時代になじんでもらえると助かる」

「それじゃあ、ボクの服、貸してあげますね。一番身長近いの、ボクですし」

 と、学実が口を開く。

 桃介は男性陣の中でもっとも小柄だ。樹一郎と蘇芳、藤悟は明らかに背が高く、背格好が近いのは学実だけだった。

「ありがとう、学実。そうしてくれ」

「はーい。じゃあ、あとで渡しに行くね」

 学実が桃介へ微笑みかけ、桃介はどぎまぎしながら「ありがとう」と、返す。

「それと、桃介さんには十六夜組の一員として、怪異退治にも協力してもらう」

「当然です。界導士として、できるかぎりやるつもりです」

 と、桃介は返してから、少し気まずそうな顔をした。

「その……おれのことは、桃介でかまいません。樹一郎たちも、呼び捨てにしてくれ」

 蘇芳が「分かった」とうなずき、樹一郎たちもそれぞれに返した。


 出会ったその日に裸の付き合いをするのは複雑だが、樹一郎は風呂の入り方やボディソープとシャンプーの違いなどを桃介に教えた。

 風呂あがりには牛乳を飲み、就寝間近になった頃、樹一郎は自分の部屋から一冊の本を持ってきて、廊下で差しだした。

「これ、読んで。今の、日本のこと、分かると思う」

 昭和から平成までを網羅もうらした、分厚い歴史の本だった。

「おお、助かる。ありがとう」

 受けとった桃介はまじまじと表紙をながめる。

「日本は、戦争に負けて、放棄ほうきした。だから、ずっと平和」

「……そうか。ずいぶんと景色が変わったのは、そのためか」

「他にも、いろいろ、あった」

 桃介は複雑そうにため息をつき、言う。

「そうだろうな。それぢゃあ、おやすみ」

 と、自分の部屋へ向かおうとして、樹一郎は思わず引き止めた。

「待って」

 怪訝そうに振り返る桃介へ、どぎまぎと伝える。

「えと……昼間は、ありがとう」

「なんのことだ?」

「あの、あんな風に、怒ってくれる人、いなかったから……」

 視線をそらす樹一郎だが、桃介は言った。

「お前さん、何か怖がる理由があるんだろう?」

「……」

「少なくとも、おれに怒鳴どなられて泣いたんぢゃないのは分かってる」

「……うん。ありがとう、おやすみ」

「ああ、おやすみ」

 と、桃介が部屋の扉を開けて入っていく。

 樹一郎もすぐに背中を向けて、自分の部屋へ戻った。

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