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第1話 伝説の界導士

 小さなカウンターの片隅に愛用の日本刀を立てかけたまま、樹一郎きいちろうはスツールに座ってうとうとしていた。

 体の大きな樹一郎には狭いが、古書のにおいもあいまって居心地がいい。

 客のいない店内の静けさに、脈絡のない夢へ落ちかけた時だった。

 突然、ポケットの中でスマートフォンが鳴りだした。

 びくっとして頭をあげた樹一郎は、反射的にスマホを取りだした。近くに怪異が出たという、仲間からの知らせだった。

 樹一郎はすぐに立ちあがり、エプロンを外してカウンターへ置く。

 外からシャッターを閉める音がし、あわてて朱塗りのさやを手に取る。壁のフックにかけた鍵を取ったところで、扉が開いた。

「何もたもたしてんの! 早く行くわよっ」

 駄菓子屋のエプロンをつけたままの柚妃ゆずきだ。

「う、うんっ」

 樹一郎はいそいで彼女の方へ駆け出した。


 古書店のシャッターを閉めて臨時休業にしてから、柚妃を追った。

 樹一郎が隣へならんだところで、彼女は走りながら言う。

「怪異は下赤塚方面に出るらしいわ。心の準備はできてるでしょうね?」

「……」

「また怖がってるの!? あんたなら一瞬でしょ!」

「そう、だけど……」

 樹一郎は言い返せず、泣き出しそうな顔をしてしまう。

 すると反対側の歩道から、下校途中の小学生たちが声をかけてきた。

「駄菓子屋のお姉ちゃんだ!」

「がんばって怪異、倒してねー!」

 柚妃は片手をあげて返す。

「ありがとう!」

 顔を前へ向け、小さな声でつぶやく。

「って言っても、倒すのはあたしじゃないんだけどね」

 横目ににらまれた樹一郎は、手にした鞘をぎゅっと握った。

 初夏の陽光のせいだけでなく、手の平には汗がにじんでいた。

「さて、この辺りだと思うんだけど」

 柚妃が速度をゆるめ、左右をきょろきょろと見回す。見慣れたポニーテールが揺れる。

 樹一郎もまた周囲へ視線をやったところで、妙な気配を感じた。

 かと思うと、前方に突然、光り輝く大きな門が現れた。

「きゃっ!?」

「ひっ!」

 とっさに柚妃の後ろに隠れた樹一郎だが、門はすぐに消えた。後に残ったのは、人だ。

「えっ、今の何!? っていうか誰!? なんで倒れてんの!? さっきまでいなかったわよね!?」

 混乱する柚妃に樹一郎はぶんぶんと首を縦に振る。

 灰色のアスファルトに横たわっているのは、黒い頭に黒い服、ちらりと見える裸足に鼻緒。下駄だ。

 樹一郎はふと考えを変え、ゆっくりと近づいてみた。

「ちょっと、キイチ! 怪異かもしれないわよっ」

 柚妃が注意をするのもかまわず、二メートルほどまで近づき、しゃがみこんだ。

 よく見ると、つめえりの学生服にマントだ。近くには学生帽も落ちており、樹一郎はつぶやく。

「……バンカラ、だ」

 思わず表情が明るくなり、樹一郎は手にした日本刀を地面へ置いた。

 その音に反応したのか、学生服の男がうめく。

 黙って様子を見ていると、男が目を覚ます。

 少しの間ぼんやりとしてから、あわてた様子で起きあがり、気づいた。

「だっ、誰だ!?」

 樹一郎は名乗るかどうか迷い、男はきょろきょろと辺りを見てから下を見た。

 地面についた手を不思議そうにながめ、感触を確かめるようにアスファルトをなぞる。

「……こ、ここはどこだ?」

 男がぎこちなく口角をあげた直後、樹一郎の隣に柚妃がしゃがんだ。

「あなた、怪異じゃないの?」

「おれが怪異だって? ふざけるな、おれは界導士かいどうし華歳桃介かさいももすけだ!」

 と、高下駄を鳴らしながら立ちあがる。

 樹一郎はピンときて、日本刀を手に腰をあげた。

「伝説の、界導士」

 桃介が困惑して樹一郎を見上げ、柚妃は立ちあがりながら言った。

「何がなんだか分からないわ。説明して、キイチ」

「えと……昔、行方不明になった、界導士がいて。転界門に、飲みこまれたって」

「そうだ! おれは誰が開いたか知らん転界門を見つけて、気がついたらここにいた」

 と、桃介。

「ってことは、タイムスリップしてきたってこと? えっ、嘘でしょ」

 柚妃はあらためて桃介を見る。

 高下駄のおかげで柚妃より背が高く見えるが、実際は彼女より少し低いくらいだ。

 ふいに桃介が樹一郎の刀を見ながら言った。

「お前さん、その刀は『朱宵刀あけのしょうとう』か?」

 樹一郎は首をかしげた。

「知ってる、の?」

 と、鮮やかな朱色の鞘を軽く持ちあげる。

 桃介は堂々と答えた。

「ああ、親友の幹彦みきひこが使っていたからな」

「幹彦?」

 樹一郎は柚妃と顔を見合わせると、ひらめいてスマートフォンを取り出した。

 刀を脇にはさみ、表示した画像を二本の指で拡大する。

 横から柚妃が背伸びをしてのぞきこんできた。

「いつの間に家系図なんて撮ったのよ」

「見てるだけで、おもしろい、から……あ、ひいおじいちゃんだ」

 桃介は目を丸くして樹一郎を見つめた。

「そうか。お前さん、幹彦のひ孫だったか」

「うん。僕は、一級討異士(とういし)の、十六夜いざよい樹一郎」

「あたしは地武良ちむら柚妃。キイチとは従姉いとこだから、あたしのひいおじいちゃんでもあるわね」

「なるほど。樹一郎とやら、どことなく幹彦の面影があるな」

 樹一郎はドキッとし、柚妃もこちらを見上げる。

「僕、似てる……?」

「どことなくでしょ? たいして似てないわよ」

 と、柚妃が呆れた目をした時だった。

 どこからか悲鳴が聞こえてきて、柚妃が叫ぶ。

「忘れてた! そんなことより怪異よ、早く倒さなきゃ!」

 桃介は蒼い数珠じゅずを取り出した。

「おれに任せろ!」

 と、声の聞こえた方向へ駆け出す。

「ま、待って……っ」

 あわてて樹一郎は追いかけ、柚妃も走り出す。

「待ちなさい! お願いだから、勝手なことしないで!」

 再び悲鳴が響き、樹一郎はびくっとした。

「いるっ」

 先を行く桃介がちらっと後ろを振り返る。

「なんだ、女みたいな声出しやがって」

「だ、だって……」

 走りながらも樹一郎の顔は青ざめており、桃介は急に足を止めた。

「お前さん、怖がってんのか!?」

 樹一郎はぎゅっと唇を引き結び、泣くのをこらえる。

「それならなんで、この仕事をしてるんだ!?」

「ぼ、僕は、十六夜家の、長男だから……」

「そういうことを聞いてるんぢゃねえ!」

 桃介が怒声をあげた瞬間、樹一郎が肩をすくめて縮こまった。

 振り返った桃介の目に、生気のない女の顔が見えた。体は蛇で長い尾が地面をはっている。

 女の口から舌が伸ばされ、桃介はとっさに樹一郎の腕をつかんで道の端へと避けた。

「早く刀を抜け!」

「む、無理ぃ!」

「無理ぢゃねえ! 門を開くには時間がかかるんだ!」

「で、でもっ」

 桃介は樹一郎の胸ぐらをつかんだ。

「食われちまってもいいのか!?」

 こらえきれずに樹一郎は涙をぼろぼろこぼし、桃介は乱暴に手を離すと怪異の方を向いた。

「おれがあこがれた幹彦の血、汚すなよ」

 低い声で言ってから駆け出し、怪異の注意を引きつける。

 残された樹一郎はその場に尻もちをつき、ふと我に返った。

 流れ続ける涙を手の甲でぐいっとぬぐい、地面に落ちた刀を取る。

 遠くから柚妃が人々に呼びかける声が聞こえた。市民が戦闘に巻きこまれないよう、守ってくれている。

 ゆっくりと樹一郎は立ちあがり、左手に鞘を持った。

 荒い呼吸を繰り返しながら、右手で柄をぎゅっと握る。

 曽祖父のことはよく知らないが、きっと十六夜家にふさわしい人物だったのだろう。

 ――それなら、自分は? ふさわしく、ありたい。

 呼吸が整ってきて、樹一郎はまぶたを閉じた。

 全神経を集中させると、頭の中でいくつもの声が響きはじめる。

 外のざわめきが遠ざかり、内のざわめきがひとつに収束していく。

 やがて無音にとらわれた頃、桃介の声がした。

「準備はできたか、樹一郎!」

 樹一郎は刀を抜くと同時にまぶたを開けた。

「――朱宵刀・宵祓よいばらい」

 目の前を怪異が横切った瞬間、樹一郎の振るった刃が青く光線を描き、胴体を真っ二つに斬る。

 怪異が振り返る間に「朱宵刀・一閃」と、もう一振りしてとどめを刺す。

 見ていた桃介は呆然としていた。

「ま、まばたきしている間に、終わっちまった」

 はっとして桃介は数珠を手に唱えはじめる。

「華歳の血脈につらなる者として命ず、今この地に顕現けんげんせよ――転界門!」

 印を切ると何もない空間に大きな門が現れる。

なんじの根はの世にあらず、汝のことわりは此のかいになぢまず。すべき場所は彼岸ひがん混沌こんとんの中にあり」

 低い音を立てながら門が開き、怪異が引きこまれていく。

 体がすべて向こうへ入ると、桃介は力強く締めた。

三千界珠さんぜんかいじゅの名において、永劫えいごうに閉ざされよ――閉門!」

 唱え終わると同時に閉まり、辺りがしんと静まる。

 役目を終えた門が光の粒子となって消えていき、樹一郎は刀を鞘へ収めた。

 すると一気に緊張がほどけて、その場に座りこんだ。安堵なのか恐怖なのか、自分でも分からない涙があふれてくる。

「今のって転界門!? あなた、本当に界導士なのね!」

 と、柚妃が駆けてきた。

「はあ? 最初からそう言ってるだろうが」

 桃介は不機嫌に言い返してから、樹一郎を指さした。

「それより、なんで彼は泣いてるんだい?」

「ああ、いつもこうなの」

 柚妃はしゃがみこみ、めそめそと泣き続けている樹一郎の背中をさすった。

「がんばったわね、キイチ。今、警察に……と思ったけど、死体がないから引き取りに来てもらう必要はないわね」

 怪訝けげんにしてから柚妃は気づいた。

「ってことは、もしかして報酬金、出ないんじゃない!?」

 樹一郎が泣き顔をあげ、桃介は首をかしげる。

「報酬金?」

「警察から怪幽会かいゆうかいに報告が入って、報酬金が支払われる仕組みなの。

 でも、勝手に異界送りにしちゃったでしょ? しかも未登録者! ああもう、あたしの生活がー!」

「ええと、おれは謝るべきかい?」

「謝られてもお金は出ない! もうっ、とにかく一度戻るわよ」

 と、柚妃は樹一郎の腕をつかむと、無理やり立ちあがらせた。

読んでくださりありがとうございました。

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