第12話 十六夜竜胆
翌朝、蘇芳が苦い顔をして樹一郎へ言った。
「今日、兄さんが来るそうだ」
「……父さま、が?」
「十時に着くっていうから、お前は待機してろ。店の方は俺がやっとくから、仕事は話が済んでからでいい」
「分かった」
樹一郎はそわそわしながら椅子を引き、食卓の席へつく。
「それと桃介にも会いたいそうだ」
「えっ、おれですか?」
隣に座ろうとしていた桃介が目を丸くし、蘇芳はスマートフォンを閉じた。
「まあ、長居はしないと思うから、会ってやってくれ」
と、蘇芳は苦笑して居間から出ていった。
樹一郎と桃介はとまどい、お互いに目を見合わせる。
「樹一郎の父親は、どういう人なんだい?」
「えと……ちょっと怖い、かも」
「厳しい人か?」
「……でも、悪い人、じゃない」
「うーん、想像がつかぬ」
と、桃介は首をひねり、樹一郎はうまく説明できない自分に苦笑した。
通勤通学の人々が駅へと吸いこまれ、道行く人の数が落ちついてきた頃。
シェアハウスの外に黒のセダンが止まった。この辺りではあまり見かけない高級車だ。
インターホンが鳴り、樹一郎は緊張しながら玄関の扉を開けた。
「お、おはよう、ございます」
「急にすまないな」
ダークグレーのスーツを着た父だった。ネクタイもきちんと結ばれ、態度も毅然としているが、以前会った時よりも白髪が少し増えたようだ。
変わらないのは視線だ。あいかわらず温度のない目をして、樹一郎を見ていた。
「どうぞ、中へ。えと、お茶、淹れます」
そわそわしながら父を中へ招き入れ、樹一郎は足早に台所へ向かった。
居間では桃介が本を読みながら待っており、父に気づくなり、本を置いて立ちあがった。
「はじめまして。界導士の華歳桃介と申します」
頭を下げてしっかり挨拶する彼を、父は興味深そうにまじまじとながめた。
「君が……」
と、何か言いかけてから咳払いをする。
「特異災害対策局、広域調整官の十六夜竜胆だ。息子が世話になっているな」
「こちらこそ、樹一郎くんには世話になっています」
自分より背が高く威圧感のある相手にもかかわらず、桃介は即答した。怖気づくどころか、対等になろうとしているようだ。
竜胆はすぐに居間のソファへと腰をおろした。
樹一郎は丁寧に緑茶を淹れると、そっと父へ出した。
「どうぞ」
何も言わずに竜胆は湯呑みを取り、一口すする。
樹一郎と桃介が向かいのソファに座ったところで、竜胆は息子を見た。
「東京都怪幽会から連絡を受けた。九十九ナビとやらを最初に見つけたのは、誰だ?」
「えと、藤悟くん、です」
「涼雨家のせがれか」
「はい……怪幽会の、出現記録と、照合して、インストールして……実際に、現地を見て、回りました」
説明しながら、語尾がわずかに揺れるのを感じた。うまく伝えようとするほどに、どうしても緊張がにじんでしまう。
「報告では、怪幽会よりも情報が早いらしいな」
「はい。それで、です」
「そうか」
事務的なやり取りだった。
樹一郎は思わず視線を外し、横目で桃介を見る。
桃介は口をはさまず、ただ静かに様子を見ていた。その落ちついた姿に、わずかに救われる。
「彼は民俗学専攻だったな」
「はい」
「仕事の方は、どうだ? 桃介さんが入ってから、変わったことはないか?」
樹一郎は意外に思い、呆然としてしまった。
すると竜胆は罰が悪そうに視線をそらした。
「蘇芳に聞けばいいだけの話だったな。今のは忘れてくれ」
「はい……」
どうやら、父には何か聞きたいことがありそうだ。しかし、樹一郎には心当たりがない。
「他に報告することは?」
樹一郎はとっさに背筋を伸ばした。
「えと……僕、朱宵刀の、使い方、分かってきた、気がします」
竜胆は無言だったが、ほんのわずかに口角があがったのを、樹一郎は見逃さなかった。
「桃介のおかげ、です。桃介は、僕を、怒ってくれます」
「そうか」
「それに、桃介は僕の……ひいおじいちゃん、幹彦さんの、親友だって」
「……そうか」
と、竜胆はどこかしみじみとした口調で言った。あまりに穏やかすぎて、樹一郎は逆に緊張してしまう。
「えと、あの……怒らないんですか?」
「必要もない情報だ」
竜胆は茶を飲むと、桃介へ視線を向けた。
「君に関する調査だが、まだ何も分からない状態だ。申し訳ないが、もうしばらくかかると思ってくれ」
桃介は少しショックを受けた顔をしながらも、はっきりと返した。
「分かりました。おれにもまるで心当たりのない現象ですから、時間がかかってもかまいません」
黙って竜胆はうなずき、また観察するように桃介を見る。
「二十歳と聞いたが、ずいぶんと落ちついているな」
竜胆の言葉に桃介は堂々と返した。
「華歳家の生まれですから。家名に泥を塗るような真似はできません」
「すでに血族は絶えているのに?」
「関係ありません。これはおれの、誇りの問題です」
桃介の強さの芯を見た気がした。
華歳家を背負う者としての矜恃が、桃介を桃介たらしめているのだ。
竜胆は小さく息をついた。
「私の息子にも見習ってほしいものだな」
「ご、ごめんなさい……」
と、樹一郎は思わず縮こまる。
桃介とは同い年のはずだが、生きてきた時代が違うこともあり、樹一郎はすっかり桃介に甘えてしまっていた。
竜胆は茶を飲み干し、立ちあがる。
「邪魔したな」
と、短く言ってさっさと玄関へ向かっていく。
樹一郎は慌てて追いかけるが、何も言わずに去っていく父親を、やはり何も言わずに見送るだけだった。
玄関の鍵を閉めたところへ、桃介がやってきて言った。
「お父上は、何しに来たんだい?」
「……僕に会いに、だと、思う」
「そのわりに会話がぎこちないというか、仕事の話をしにきただけに見えたが」
桃介は腑に落ちない顔をしていたが、樹一郎は返す。
「えと、いつも、あんな感じ」
「そうなのか?」
「うん。父さまは、ちょっと不器用、だから」
「ふむ、不器用か。そう思えば、お前さんと似ているな」
と、桃介に言われて樹一郎は嬉しくなる。
「そ、そうかな?」
「嬉しそうだな」
「うん……父さまは、かっこいい」
言葉少なで不器用な人だが、樹一郎は純粋に父のことを尊敬していた。
「父さまのこと、あとで、話すね」
「分かった。楽しみにしていよう」
と、桃介は笑みを返し、中庭の方へ歩いていく。
樹一郎は一度居間へ戻ると、茶器を片付けてから古書店に向かった。
裏でエプロンをつけていた樹一郎に、カウンターから蘇芳が声をかけた。
「どうだった? ちゃんと話せたか?」
「うん、話せた」
「なんの話だったんだ?」
「えと……アプリのこと、聞かれた」
と、店へ出る。
「あと、桃介のこと。まだ、何も分からない、って」
「ああ、そういう感じか」
と、蘇芳は腑に落ちた様子だ。
「で、樹一郎は褒めてもらえたか?」
「……朱宵刀、使い方が、分かってきたって、話したら……ちょっとだけ、笑ってくれた」
思い出すだけで樹一郎の胸は温かくなる。
「たぶん、喜んでくれた」
「あいかわらず不器用っつーか、素直じゃねぇな」
蘇芳は半ばうんざりした様子で息をついた。
「ついでにこっちに寄って、金落としてくれたらいいのにな」
と、値付けを終えた数冊の本をまとめて手渡す。
「これ、ならべておいてくれ」
「うん」
樹一郎は本を受け取り、すぐに棚へと向かった。
「え、キイチの父親?」
今日も閑静な駄菓子屋で、柚妃がきょとんとする。
桃介は床をほうきで掃きながら返した。
「実はさっき、家に来てな。会って話をしたんだが、どういう人なのか、よく分からなかった」
「あー、なるほど」
柚妃は腕を組み、少し考えてから答えた。
「悪い人ではないのよ。
ただ、笑わないから怖く見えるだけで、キイチもそれが分かってからはファザコン……えーと、父親のことが大好きになっちゃった」
「ああ、そうらしいな。おれが似てると言ったら、喜んでいた」
「キイチはそういうところ、分かりやすいのよね」
くすっと柚妃が笑った直後、戸の向こうに人影が見えた。
柚妃は腰をあげながら短く言う。
「病気で早くにお母さんを亡くしてるから、なおさらね」
桃介が詮索する間もなく、戸が開いて客がやってくる。
柚妃はいつものように明るく「いらっしゃいませ」と、声をかけた。
夜になり、樹一郎は桃介に一冊のアルバムを見せた。
「若い時の、父さま」
隣に座っていた桃介は、示された写真を見て感想を漏らした。
「へえ、たくましいのは昔からか」
成人式の写真だった。袴を着た竜胆は青年特有の若さをまとい、真摯なまなざしで立っている。
「かっこいい、よね」
「ああ。お前さんも、これくらいキリッとすれば、恰好よくなるんぢゃないか?」
「え……こう?」
樹一郎が目つきをするどくしてみせると、桃介は首をひねる。
「違うな。もっと力強く」
「こう?」
「ダメだ、てんで似てねえ」
桃介が笑いだし、樹一郎はむすっとしてから肩を落とした。
「父さまみたいには、なれない……」
背丈は父を超えたが、父と似ているかというと難しいところだ。
「樹一郎はどうしても、心の優しい部分が、顔に出ちまうんだよな」
「……悪口?」
「いい意味で言ったんだよ。お前さんの長所だと、おれは思っている」
「僕の、長所……」
アルバムのページをめくると、幼い頃の樹一郎の写真があった。
「小さい時から、泣き虫、だった」
「そうらしいな」
次のページには剣道の防具を着た樹一郎の姿が写っていた。これは確か、小学生時代の写真だ。
「剣道の、稽古……負けると、泣いて、勝っても、泣いてた」
「勝っても泣くのか?」
「負けた時の、悔しさとか、知ってるから……」
勝つのは嬉しいことだ。しかし、樹一郎はなかなか素直に喜べなかった。相手の気持ちが痛いほど分かるせいだ。
「父さまには、優しすぎるって、言われた。短所だ、って」
しかし、一朝一夕に直せるような気質ではない。樹一郎は優しさを抱えながら、これまでずっとやってきた。
桃介はベッドへもたれかかり、天井を仰いだ。
「どうとらえるかは人それぞれだ。長所だと言えば強みになるし、短所だと言えば弱みになる。お前さんの好きに選ぶといい」
樹一郎は黙ってページをめくり続けた。
やがて全国大会で優勝した時の写真が出てきて、手を止めた。
写真の中で樹一郎は泣いていた。嬉し泣きにも見えるが、そうでなかったことは自分が一番知っている。
しかし、それが悪いことだとはどうしても思えなかった。
「……強みに、したい。僕のままで、強くなりたい」
樹一郎が感情をこめてつぶやくと、桃介は体を起こした。
「応援するよ。必要なら協力だって惜しまない」
「ありがとう、桃介」
にこりと微笑み、樹一郎はアルバムを閉じた。
同じ頃、蘇芳は藤悟の部屋を訪れていた。
「怪幽会から連絡があった」
「問い合わせの件っすね」
「ああ。特異災害対策局と調査を進めることが決まったそうだ」
蘇芳はベッドの端へ腰をおろし、藤悟はパソコンチェアを回して顔を向ける。
「話はそれだけじゃないと?」
空気を察した藤悟は、わずかに目つきをするどくさせた。
蘇芳は手にしたスマートフォンへ目を落とす。
「どういう風の吹き回しか知らないが、資料室への入室許可がおりた」
部屋の明かりがほんの一瞬、チカチカと点滅した。
「……は?」
「あちらは藤悟のみとしている。ほとんど指名だな」
「ちょっ、なんでこのタイミングで? おかしくないですか?」
藤悟は驚くとともに疑心暗鬼になっていた。
「表向きは、情報提供への見返りだとしているが、俺がこの前申請した時は、あくまでも俺の名前で、十六夜組としての入室許可だった」
「ですよね。俺も個人で二回ほど申請しましたが、もう何年も前の話です。
それとも怪幽会は、過去の申請記録をチェックして、わざわざピンポイントで入室を許可するほど、暇なんですか?」
蘇芳は「分からん」と、眉をひそめた。
「怪幽会を疑いたくないが、何か考えがあるとしか思えない。藤悟、気をつけて行けよ」
「分かりました」
藤悟は神妙にうなずいた。
自分たちの知らないところで何かが始まっている、そんな気がした。




