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第13話 桃介の使命

 東京都怪幽会の資料室はオフィスの奥にあった。

 扉の前で足を止め、案内を務める若い女性職員が淡々と言う。

「室内に物を持ちこむのは一切禁止です。貴重品も含め、荷物はすべてこちらのかごにお入れください」

 と、棚の上に置かれた、簡素な青いプラスチックのかごを示す。

 藤悟は肩から鞄を外しつつ、軽い調子でたずねた。

「噂には聞いてましたけど、厳重げんじゅうですね

「部外秘の資料もたくさん収蔵されていますので」

「そんな貴重な資料が見られるなんて、嬉しいなぁ」

 にこにこと愛想のいい笑顔を浮かべながら、藤悟は鞄をかごの中へ入れた。

「どうぞ、こちらの手袋をお使いください」

 続いて渡されたのは、使い捨ての白い手袋だ。

「資料を扱う際は丁重ていちょうにお願いします。万が一、紛失や破損がありました場合、損害賠償を請求させていただきますので、くれぐれもご注意ください」

「もちろん分かっていますよ」

 藤悟が手袋をはめるのを見届けると、女性職員が鍵を使って扉を開けた。

「閲覧時間は二時間とさせていただきます。二時間経ちましたら、わたくしが参りますので、それまでどうぞ、ゆっくりとご覧ください」

「分かりました」

 藤悟は表面上は穏やかに、内心では緊張感を抱きながら、静かに足を踏み入れた。

 背後で扉が閉まり、鍵をかけられる音がする。

 完全に外部から隔絶されたことを確認し、藤悟は小さく安堵の息をついた。

 彼が今日かけている眼鏡はいつもより縁が太く、ブリッジに小型カメラを仕込んであった。

 バレなかったことに胸をなでおろし、藤悟は室内を見回す。

「さて、どこから見るかな」

 いくつものスチールラックがならび、本や箱などがしまわれていた。博物館の倉庫のような光景に、少しテンションがあがる。

 まずは全体を把握するためにゆっくりと見て回ることにした。足音を立てないよう、自然と歩き方が慎重になる。

 空気はこもっており、人の出入りが少ないことが分かる。よほど大事な資料がここに眠っているらしい。

 一通り見たところで藤悟は目を閉じ、室内の湿度を測る。

「……五十三パーセント。まあ、いけるか」

 目を閉じたまま、藤悟は右の腕を前へ伸ばし、肩の高さまで水平に掲げた。

「染み渡れ、万物浸透記憶パンスペルミア・トレース

 室内の湿気に意識を集中させ、あらゆるものの情報を受け取り始めた。

 箱の中に入れられた物の形質、古書の一ページに染みこんだかすかな水分とインクの凹凸おうとつまでもを読み取り、求める情報を探す。

「あった」

 はっと目を開けて藤悟は棚へ近づくと、一冊の古い和本を取り出した。

 手書きによる文書だった。江戸時代、もしくはそれ以前に記されたものかもしれない。

 この場で内容を読み解くのではなく、カメラにしっかりと内容が映ることを優先し、細心の注意を払いながらページをめくっていく。

 やがて最後のページを開くと、藤悟は目をみはった。

「この花押かおう……」

 見覚えのある苗字がはっきりとおされていた。考えてみれば不思議ではないが、何故だか胸がざわつく。

 まるで空気中の水分が、藤悟を真実へ導こうとしているようだった。

 手袋越しに花押の感触を確かめ、藤悟は本を閉じて元の位置へそっとしまう。

 再び目を閉じて、今度は同じ花押のおされた資料を探し始めた。


「会議を始める前に、スマートフォンを回収します」

 お菓子の入っていた空き箱を手にした藤悟に、樹一郎たちは怪訝な目を向けた。

「どうしてだ?」

 代表するように蘇芳がたずね、藤悟は冷静に答える。

「念のためです。絶対に外部に漏らしてはいけない話をするので」

 室内にわずかな緊張が走った。

 最初にスマートフォンを預けたのは学実だった。

「藤悟くんが言うなら、したがうよ」

「助かる」

 その様子を見て、樹一郎と柚妃もスマホをそれぞれ箱の中へ入れた。

 蘇芳もしたがい、最後に藤悟が自分のスマホも箱に入れてふたをする。

 居間のテーブルへ箱を置いてから、藤悟は席についた。

 一同の視線が集まる中、彼はいつも通りの落ちついた表情をくずさずに口を開く。

「まずはこれを見てください。東京都怪幽会の資料室で見つけた花押です」

 と、オフラインのタブレット端末に画像を表示し、食卓の中央へ置く。

 樹一郎の隣で桃介がはっと息を呑んだ。

 藤悟がうかがうように彼を見る。

「これは、華歳家の花押で間違いないな?」

「……ああ」

 桃介がうなずき、藤悟は端末を操作しながら説明を始めた。

「この花押がおされている資料は、他にもいくつかありました。ですが、華歳家は滅んだ一族です。

 最後の一人が寄付したか、それとも死後に知人が寄付したか、それだけの話です」

「重要なのは、何が書いてあったか、だな」

 重々しく蘇芳がうながし、藤悟は再び端末を中央へ置いた。

「怪異の発生について書かれていました。これは解読した文章の一部です」

 画面を見た樹一郎は絶句し、思わず桃介を見てしまう。

 桃介もまた、言葉を失って唇を小刻みに震わせるばかりだ。

 柚妃が不安げに藤悟を見る。

「これ、本当なの? いると思ったら出てくるっていうのは?」

「そのままの意味だよ。怪異が存在すると信じれば、実際に怪異が出現する」

「嘘でしょ、藤悟くん。意味分からないよ」

 と、学実もとまどい、藤悟は返す。

「俺にも意味が分からない。でも、もう一枚見てほしい」

 次に表示された文章を見て、桃介がとうとう声を発した。

「おれはこんなの知らねえ!」

「落ちついてくれ、桃介。否定したくなる気持ちは分かるが、これは華歳家の人間が記した本に書かれていたんだ」

「だからといって、こんな……おれの先祖が、怪異の存在を広めただなんて……っ」

 桃介らしくない横顔に、樹一郎は胸が痛くなった。

「桃介……」

 藤悟はボタンを押してタブレット端末を閉じた。

「俺が考えるに、華歳家の先祖が怪異の存在を人々に知らしめたのは事実です。

 そうして信じる人が増えた結果、怪異は出現するようになりました」

 つらくて樹一郎はうつむく。まさか、桃介の先祖が元凶だったなんて。

 桃介へこの事実を突きつけた藤悟も、決して楽ではないはずだ。

「この事実はおそらく、ごく一部の人しか知らないでしょう。

 資料室への入室許可がめったにおりないのも、この真実を隠すためだと考えられます」

「……だけど藤悟くん、よく写真撮れたね」

「小型カメラを仕込んだ眼鏡をかけていったからな」

「えっ、盗撮したってこと? 何してんのよ、あんた!」

 と、柚妃が声をあげるが、藤悟は一刀両断した。

「欲しい情報のためなら、研究者はなんだってやるんだ」

 言い返す者はいなかった。言葉の重さに、全員が黙った。

 蘇芳が腕を組み、深く息をつく。

「確かにこれは、外に漏れたらまずい話だな」

 樹一郎たちは沈黙し、藤悟が口調をやわらげた。

「ひとまず、桃介を責める人間がいなくてよかった」

「だって、桃介くんも知らなかったんでしょ? それなら、ボクたちと同じだよ」

「あたしも同意だわ。それに、桃介を責めたって意味がないもの」

「僕も、そう思う……」

 仲間たちの言葉に、桃介は小さく声を震わせた。

「……ありがとう」

 藤悟はうなずき、話を戻す。

「今考えるべきことは、この事実を悪用している何者かについてです」

 蘇芳が真剣な目をして確かめる。

「九十九ナビだな?」

「はい。あのアプリはおそらく、この事実を使って怪異を出現させています。いわゆるマッチポンプです」

「そっか。掲示板に書きこめば、すぐ地図に反映されるんだよね」

 学実へ藤悟はうなずいた。

「ああ、そうだ。地図を見た人は、そこに怪異がいると思いこむ」

「しかも掲示板は匿名だから、誰が書きこんでいるかは分からない。つまり、好きな時、好きな場所に、怪異を出現させられる。

 まったく、うまい仕組みを作ったものね」

 と、柚妃が呆れて言い捨てる。

 蘇芳も辟易した様子で口を開いた。

「悪者を捕まえたいところだが、この事実を周知しなければ、世間の理解は得られない。だが、その前に混乱するだろうな」

「それだけでなく、すべてがマッチポンプだとも言いきれません。

 アプリがあるおかげで、人々が安全に暮らせているという側面もあります。一般市民からアプリを取りあげるのは酷です」

「対策局や怪幽会も、きっと同じ結論を出すだろう」

「それじゃあ、放置するしかないってこと?」

 と、学実が暗い顔をし、藤悟は深々とため息をついた。

「できることはもうやった。あとは上の人たちに任せるだけだ」

 誰もが文句を言いたげな顔をしながら、何も言えずに視線をそらした。


 会議の後、桃介は蘇芳に呼ばれて彼の部屋にいた。

「大丈夫か? 気持ちは落ちついているか?」

 椅子に座った桃介はぐっとこらえながら返す。

「いえ、てんで落ちつきません。ここが騒々しい寮の中なら、かまわず怒鳴り散らしていたかもしれない」

「……だよな」

 と、蘇芳は吐息まじりにうなずき、ベッドの端へ腰かけた。

「疑うわけじゃないが、お前は本当に何も知らなかったんだな?」

「はい。父から聞かされていたのは、華歳家が界導士の元祖である、ということだけです」

「元祖、か。当然そうなるよな」

 つい先ほどまでは誇りだったものが、今は重石おもしのように感じられた。

「正直に言うと、俺もまだ受け止めきれていない。嘘なんじゃないかと思うが、怪異が存在するってことは本当なんだよな」

 否定する材料がなく、選べる選択肢はただひとつ、事実を受け入れることだけだ。

 桃介は声を震わせながら言った。

「蘇芳さんは、おれの先祖は何故、怪異を生み出したと思いますか?」

「金儲けか、名声か。

 界導士として怪異を退治できる方法まで生み出したのは、そういうものとして、稼業にしたかったんじゃないかと考えるが」

 桃介もそうだろうと思った。だからこそ元祖を名乗り、誇りとして代々受け継がせてきた。

「……おれは、どうしたらいいですか」

 実質的に一族の生き残りとなってしまった桃介には、あまりに重たい荷物だった。

 蘇芳は首を左右へ振った。

「さぁな。自分で見つけるしかないだろう」

 沈黙の後で桃介はうなずいた。

「そうですね、自分で考えてみます。何ができるか分かりませんが、何もしないではいられません」

 きっとできることはあるはずだ。

 胸に小さく灯った火を、桃介は消えないように気をつけながら立ちあがった。

「もういいのか? 今夜はいくらでも話し相手になるが」

「もう大丈夫です。お気遣い、ありがとうございました」

 と、桃介は蘇芳へ一礼してから部屋を出た。

 どんな時でも前を向くのは得意だ。らしくない自分よりも、らしい自分を桃介は選ぶことにした。


 明朝、空はさわやかに晴れ渡っていた。

 シェアハウスを出た二人は、いつものようにランニングを始めようとして、樹一郎が気づいた。

「あ、靴ひも」

「おお、ほどけかけてるな。結び直すから待ってくれ」

 桃介はしゃがみこみ、スニーカーの紐を結び始める。

 暦の上ではもう夏になったせいか、早朝でも気温が高く暑い。

 じっとしているだけで、首筋にうっすらと汗がにじんだ。

 樹一郎が何気なく道の先をながめていると、ふいに桃介が言った。

「なあ、樹一郎」

「何?」

「昨日の話が本当なら、今のこの世界を作ったのは、おれの先祖ということになるよな」

 桃介はしゃがみこんだまま、顔をあげなかった。

「それなのに、血族は絶えちまった。あまりに無責任だ」

「……うん」

 樹一郎は不安になり、桃介は言う。

「おれ、ずっと考えていたんだ。どうしてこの世界へ来ちまったのか、何か理由があるのかと」

「……」

「それが、やっと分かった」

 桃介は力強く立ちあがった。朝の光が彼を照らす。

「おれは先祖の尻ぬぐいをするために、やってきたんだ」

 まなざしは一直線に前を見ていた。

「世界をあるべき姿に戻す。それがおれの使命さだめだ」

 桃介ははっきりと言いきった。彼らしさにあふれた迷いのない姿だ。

 胸にあった不安が払拭ふっしょくされ、樹一郎は微笑んだ。

「僕も、協力する」

「ありがとう、樹一郎。始めよう」

「うん」

 二人でならび、桃介が先に走り出す。

 樹一郎はいつものように小柄な彼に合わせ、走り始めた。

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