第50話 割って入る剣と、崩す読み
暗渠の奥から近づいてくる重い足音より先に、人の喘ぐ声のほうが届いた。
「ガレン、こっちだ! ボウグ、まだ息がある、けど引っ張り出せねえ!」
声の主は、塞いだ通り道とは別の枝道の、ひとつ手前の暗がりにいた。組の探索者が三人、四人。腰の高さの瓦礫を挟んで、その向こうへ手を伸ばしているのが、灯りの揺れる先に見えた。瓦礫の奥に、人が一人、横たわっている。動いていない。広域感知の網の中で、その人の輪郭のすぐ脇に、坑道の岩肌の獣型より、ふた回りも格の重い塊が、低くうずくまっていた。
でかい。
大穴の浅層で見たどれとも、形が違った。背が高く張っていて、脚が四本、いや六本あるのか、暗渠の冷たい闇の中で関節がやけに多く折れ曲がっている。鑑定をかけると、格は、はっきりこっちが下だった。坑道を稼ぎ場にしてきた連中ですら狭所で押し負ける相手が、こいつだ。
「呑まれたって、生きてるんですか」俺は声を落として訊いた。
「足が下敷きだ」ガレンが、瓦礫の縁に手をかけて、奥を覗き込んだ。坑道の地形を確かめる、慣れた目だった。「あいつ、瓦礫をどけようとして近づきすぎた。格上のやつ、人を一人押さえたまま、こっちの様子を窺ってやがる。下手に手を出しゃ、押さえてる脚で、ボウグごと潰す」
探索者の一人が、瓦礫越しに槍を突き出した。格上の脚が、岩を蹴って、ぬるりと一段上の段差へ逃げた。槍の穂先は、空を突いた。
そこで分かった。こいつは、坑道の入り組んだ立体を、丸ごと足場にして動く。
壁を蹴り、天井近くの梁にしがみつき、崩れた段差を斜めに伝って、探索者の正面の囲みを、上から、横から、外していく。狭い坑道で前を取って蓋にする、という、リタが大穴でやってきた戦い方が、こいつには通じない。前に立っても、向こうは天井から回り込む。横から来る。だから、押されている。
「私たちで、なんとかできる相手?」リタが、短剣を抜いたまま、小声で訊いてきた。坑道の闇に、目をやっている。怯えてはいない。間合いを測る顔だ。
「正面からは無理だ」俺は言った。「あいつ、坑道のどこでも足場にできる。上にも横にも逃げ場がある。まともにやり合ったら、こっちが消耗するだけだ」
「じゃあ」
「足場を、潰す」
頭の中で、昨日からの坑道の地形が、もう一度像を結んだ。
広域感知を、暗渠の枝道の立体へ、ぐっと伸ばす。格上が伝っている壁、しがみついている梁、斜めに渡っている崩れた段差――こいつの足場になっている立体が、網の中で一本ずつ浮かび上がってくる。そして、その立体のどこが脆いか。削りすぎて薄くなった壁。抜かれた支柱の、垂れかけた天井。昨日からこの坑道で読んできた無理が、そのまま、こいつの逃げ道の真上に重なっていた。
無理が通った坑道だ。脆いところなら、いくらでもある。
「ガレンさん」俺は枝道の天井を指した。「あいつが伝ってる梁の、その上。支柱が抜かれて、垂れてる区画がありますよね」
ガレンの目が、俺の指した先を追った。それから、低く唸った。
「ある」ガレンは短く言った。「奥から二本目の支柱跡だ。あそこの天井は、もう自分の重さで垂れてる。お前、昨日の手前のと、同じ目をしてるな」
「同じです」俺は頷いた。「あの梁を足場にしてるあいだに、上の天井を落とせれば、足場ごと、地に引きずり下ろせる」
「落ちる先は」
「あいつが上の段差へ逃げられない、平らな一点へ。瓦礫で、横の枝道を塞いで、逃げ場の立体を消します」俺は枝道の右手の、低くなった一角を見た。広域感知で、その先が行き止まりに近いことを確かめてあった。「そこへ追い込めれば、平場で、一発、撃てる」
ガレンが、垂れた天井と、格上の伝う梁と、追い込む先の一角を、坑道の地形で素早く見比べた。
「梁を落とせば、あいつは下の段へ降りるしかない」ガレンは、坑道の力学を、そのまま口にした。「降りた先が、お前の言う行き止まり寄りなら、上へは逃げられん。横の段差も、瓦礫で埋まる。……理屈は、通ってる。だが、天井を落とすあいだ、あいつが大人しくボウグの上にいる保証はないぞ」
「動かします」俺は言った。「リタが前に出れば、あいつはボウグから手を離して、リタを狙う。狙って、梁を蹴って跳んだ、その瞬間に、上を落とす」
リタが、こっちを見た。一拍。それから、笑った。
「囮ね」リタは短剣を握り直した。「やったげる。前に出るのは、慣れてるから」
「無理に受けるな。気を引くだけでいい」俺は早口になった。「あいつが梁を蹴ったら、すぐ下がれ。落とすのは、跳んだあとだ」
「分かってる」
ガレンが、組の連中へ、低く鋭い声を投げた。
「お前ら、ボウグを引け。格上があの娘に気を取られたら、その隙に、足を抜いて引きずり出せ。割り込むのはおれたちじゃない。あいつらだ」
組の探索者が、瓦礫の縁で身構えた。ヴェルナの連中だ。街道で俺たちを田舎冒険者と値踏みした顔も、その中に混じっていた。いまは、値踏みも何もない。半分、半信半疑の目で、こっちを見ている。よそ者の言うことを、聞くしかない状況だ、という顔だった。
リタが、瓦礫を乗り越えて、暗渠の枝道へ、一歩、踏み込んだ。
「こっち向きなよ」リタが、格上へ、声を張った。短剣の腹を、灯りに当てて、わざと光らせる。
格上の関節が、ぴくりと折れた。ボウグを押さえていた脚から、力が、ほんの少し抜ける。多すぎる関節が、リタの光のほうへ、向きを変えた。低い唸りが、暗渠の岩を伝って、こっちの足裏まで響いた。
来る。
俺はこめかみの奥に、意識を集めた。予知。視た瞬間、こめかみの内側が、灼けた。
崩れの起こりが、視えた。格上が、梁を蹴って、リタへ跳ぶ。その蹴り出しの反動で、垂れた天井の、いちばん荷重の寄った一点に、亀裂が走りかける。落ちるか落ちないかの、ぎりぎりのところで、岩が、踏みとどまる。視えたのは、そこまでだ。蹴れば、落ちる素地はできる。けど、落ちきらない。あと一押しが、いる。ごく短い先の輪郭だけが、像になって過ぎていった。
「リタ、下がれ!」
格上が、梁を、蹴った。
六本の脚が壁を蹴り出した反動で、坑道の天井が、ぐ、と軋んだ。垂れていた一点に、予知で視た通りの亀裂が走る。けど、落ちない。岩が、自分の重さで、危うく踏みとどまっている。
その一点へ、俺は手のひらの土の塊を、撃ち込んだ。
あと一押し。それだけでいい。岩弾が、亀裂の寄った一点に、正面から食い込んだ。めり込んだ重みが、踏みとどまっていた岩を、向こう側へ押し出す。
垂れた天井が、梁ごと、暗渠の枝道へ崩れ落ちた。
跳びかけていた格上の、足場の梁が、消えた。岩塊と砂が、宙にいた巨体の上に、まとめて降りかかる。坑道の狭所に、岩の砕ける地鳴りが轟いて、巻き上がった粉塵が、灯りの光を白く濁らせた。格上は、崩れた梁に巻き込まれ、上の段差へ逃げる足場を失って、下の段へ、ずるりと落ちた。
「いま!」ガレンが叫んだ。
組の探索者が、瓦礫を乗り越えて、ボウグの足へ取りついた。格上がリタへ気を取られ、崩落に巻き込まれた、その隙だ。下敷きになっていた脚を、二人がかりで引き抜いて、ボウグの体を、瓦礫のこっち側へ、引きずり出していく。
俺は広域感知で、落ちた格上の位置を、なぞった。
下の段へ落ちた格上は、すぐに、上の段差へ伝い上がろうとした。けど、そこは、もうない。崩れた瓦礫が、横の段差を埋めていた。逃げ場の立体が、消えている。残っているのは、行き止まり寄りの、平らな一角だけだ。
「リタ、右へ追え!」俺は怒鳴った。「上にも横にも、もう逃げ場はない! 平らなとこへ、追い込め!」
リタが、踏み込んだ。
強化付与を、その剣に乗せる。一度に一本、それだけだ。狭い暗渠で、リタの短剣が、格上の関節の脇を、的確に薙いだ。格上が、跳ぼうとした足場を探して、頭を振る。けど、伝う梁も、逃げる段差も、瓦礫で埋まっている。リタの剣に追われて、格上は、後退った。後退った先が、行き止まり寄りの、平らな一角だった。立体を失った格上は、もう、ただの、地に脚をつけた獣型だった。
ここだ。
俺は、火を、呼び出した。
手のひらの奥で、熱が、ふくれ上がる。火球の比じゃない。鉄の塊どころか、もっと密度の詰まった、重たい熱の塊が、握り込んだ指の奥で、像を結んでいく。集めるそばから、肩が、重く沈む。爆炎だ。撃てば、しばらく、何も出せない。それは、底まで絞り出した二度の戦いで、嫌というほど分かっている。一発で、決める。
「リタ、退け!」
リタが、平場の一角から、横へ跳んだ。
その一瞬で、俺は、撃った。
平らな一角に追い込まれた格上へ、爆炎が、まっすぐ叩き込まれた。坑道の暗渠が、白く灼けた。熱と衝撃が、狭い岩の壁に挟まれて、逃げ場なく、格上の体を内側から押し開く。粉塵が、一瞬で、熱風に吹き散らされた。
撃った直後、肩から先が、自分のものでなくなった。
手のひらが、というより、腕そのものが、重い泥の中に沈んだみたいに、言うことを聞かない。次の一発を出そうとしても、呼び出す元の熱が、どこにも見当たらなかった。撃ち切ったあとの、この重さだ。火球なら数呼吸で戻るものが、爆炎は、戻ってくる気配すらない。重い一発には、重い空白がついてくる。膝が、半分、折れた。
爆炎を浴びた格上は、平らな一角で、関節を裂かれ、横倒しに崩れていた。多すぎる脚が、岩の上で、不規則に痙攣していた。まだ、息がある。とどめが、いる。けど、俺の腕は、もう、上がらない。
リタが、横跳びの体勢から、そのまま、踏み込んだ。
「悠さんは、撃ってくれた」リタが、強化の残った刃を、両手で握り直した。「あとは、私の番」
倒れた格上の、痙攣する脚を、リタが踏み越える。爆炎で開いた体の、その一番深いところへ、リタの短剣が、上から、体重ごと、突き立った。格上の関節が、一度、大きく跳ねて、それから、岩の上で、力なくほどけた。低い唸りが、暗渠の岩に吸い込まれて、消えた。
粉塵が、ゆっくり、灯りの光の中に落ちていく。
しばらく、誰も、声を出さなかった。
ボウグを引きずり出した探索者たちが、瓦礫のこっち側で、肩で息をしながら、平場に崩れた格上の死骸を、呆然と見ていた。よその街の格上が、坑道の地形ごと崩されて、平らな一角に追い込まれて、たった二人に倒された――その絵が、すぐには飲み込めない、という顔だった。さっきまで、半信半疑でこっちを見ていた連中だ。いまは、半分も疑っていなかった。
「……あんたら」街道で値踏みしてきた顔の一人が、ようやく、掠れた声を出した。「ラドリスの、田舎冒険者だって聞いてたぞ」
「そうですけど」俺は、半分しか言うことを聞かない腕を、だらりと下げたまま答えた。気の利いた返しを考える余裕は、正直、なかった。
「田舎冒険者が、坑道を、丸ごと崩して、格上を落とすか」
それは、問いじゃなかった。値踏みの言葉が、行き場をなくして、ただ、こぼれ落ちたみたいだった。誰かが、ボウグの傍らにしゃがんで、まだ息があるのを確かめている。誰かが、崩れた天井の跡を見上げて、低く口笛を鳴らした。品そのものがすごいだけで俺がすごいわけじゃない、という言い訳は、ここでは通らなかった。崩したのは、俺の読みと、リタの剣だ。
ガレンが、崩れた天井の瓦礫のほうへ、歩み寄った。
塞がった枝道と、埋まった段差と、奥の暗渠を、坑道の地形で、二度、見比べる。それから、低く唸った。
「巣の手前の、この一画が」ガレンは、瓦礫の山に手を置いた。「天井が落ちて、塞がった。崩れた跡が巣を呼んで、巣が格上を呼んでた、その通り道の一本が、これで埋まったわけだ。格上が片づいて、通り道も塞がった。……この一区画は、しばらく、悪さをしない」
「片づいた、ってことですか」俺は訊いた。
「そういうことだ」ガレンは、瓦礫から手を離した。「無理に掘って、抜いて、削って、放っといた跡が、ここに集まってた。それを、お前が、丸ごと落とした。崩した先が、たまたま、巣への通り道だった」
「たまたま、です」
「たまたまでいい」ガレンは、こっちを見た。値踏みの目じゃなかった。「おれの稼ぎ場が、この一区画分、戻る。荒れた坑道で、囲い込んで甘い汁を吸ってた連中の、その甘い汁が、一つ、干上がった。それだけで、おれには、十分な釣りだ」
ガレンは、それから、少しのあいだ、口の中で何かを転がすように黙って、それから、坑道の奥へ顎をしゃくった。
「奥には、まだ、同じような跡が、いくつもある」ガレンは言った。「片づければ、おれの稼ぎ場が、その分、戻る。お前らが残るなら、組む段取りの相談くらいは、してやってもいい。……案内じゃないぞ。割り前の話だ」
「割り前」俺は、思わず、繰り返した。
「格上の素材は、お前らの取り分だ。今日の、これも」ガレンは、平場の死骸を顎で示した。「だが、奥を片づけて稼ぎ場が戻りゃ、おれにも実入りがある。だから、組む。それだけだ。世話を焼く気はない」
組む、と、ガレンは言った。街道で別れたときも、昨日の坑口でも、組むとも、案内するとも、言わなかった男が。世辞でも、見直したという言葉でもない。ただ、奥を片づければ自分の稼ぎ場が戻る、という、自分の利の話を、まっすぐ、卓の上に並べてきた。それが、こいつの、組む、だった。
「お願いします」俺は言った。半分しか動かない手のひらを、もう片方の手で、押さえた。「ただ、今日はもう、撃てません。撃ち切ったんで」
「分かってる」ガレンは、短く言った。「あの一発を、毎日出せたら、お前は、もうここにいない」
ガレンが、組の連中に向かって、ボウグを地上へ運ぶよう、低く指図した。
俺は、平場の死骸から、格上の素材を、腰の袋に収めた。坑道の岩肌の獣型から取れる魔石とは、明らかに桁が違う。ずしりと重い。腰の革袋の、本部に上げる級だというあの品とは、また別の重みが、もう一つ、増えた。金がいくらになるかは、まだ、知らない。けど、よその街の坑道で、格上を一体落とした手応えが、確かに、ここにある。
肩の重さは、まだ、引かなかった。
それでも、息を吐くと、頭の奥が、やけに澄んでいた。ラドリスを出て、無名の新顔として入った街で、押されていた連中の前で、格上を、地形ごと崩して落とした。ラドリスで磨いた読みと、リタの剣が、よその街の格上にも、ちゃんと、通用した。それが、半分しか動かない腕の、その重さの底のほうに、確かに、座っていた。
「悠さん」リタが、短剣を拭いながら、こっちを見て笑った。汗で頬に張りついた前髪を、手の甲で払いのける。「外でも、いけたね、私たち」
「いけたな」俺も、笑った。
粉塵の落ちきった坑道の暗がりの向こうで、ガレンが、組の連中と、奥の片づけの段取りを、低い声で詰め始めていた。




