第49話 崩れる坑道と、無理の通った跡
坑口に着いたとき、前の日よりも探索者の数が多かった。
四角い坑口の手前に、組がいくつか溜まって、潜るのを渋るみたいに固まっている。誰かが「奥のほう、また一区画落ちたらしい」と低く言うのが、入り混じった声の中から拾えた。広域要請でかき集められた連中だ。間引きの頭数として呼ばれて来てはみたものの、肝心の坑道が、潜るたびにどこか崩れている。そういう不安が、坑口の前の空気に、薄く張りついていた。
昨日、帰り際にガレンが落とした一言が、まだ耳に残っていた。奥はそのうち抜ける、お前が気づいたのは手前のほうだ、と。あの舌打ちと一緒に。
「悠さん、今日も奥まで行くの?」リタが、短剣の柄に手を添えて訊いてきた。坑道の狭さには、昨日ひと潜りして、もう少し慣れた顔になっている。
「行けるとこまで、かな」俺は坑口の暗がりを見た。「昨日見た、あの支柱の抜けてた区画。あそこがどうなってるか、もう一回確かめたい」
潜ると決めて入ったわけじゃない。確かめたくて入る。昨日のうちは、まだ手前の引っかかりで止まっていた。今日は、その引っかかりが、いつ・どこで効いてくるのかを、もう少し見ておきたかった。腰の袋にはあの品が入っているし、手のひらには昨日覚えた一発が馴染んでいる。確かなものが二つ増えた次の日に、確かじゃないほうを放っておくのは、どうにも落ち着かなかった。
坑道に入ると、外の声がふっと遠くなって、湿った岩と、燃え尽きた灯りの油の匂いが鼻についた。
広域感知を、横へ伸ばす。昨日よりは、坑道の読み方が体に入ってきていた。下りるんでも、遠くを見通すんでもない。すぐ脇の壁の向こうの枝道、その上に重なった段、さらに奥で折れて繋がる別の坑。入り組んだ横の立体を、手探りで辿る。網の中に、岩肌の獣型がぽつぽつ引っかかる。昨日と同じ手順で、リタが正面で受けて、狭い通路を蓋にして、一匹ずつ突いていった。
問題は、昨日見た支柱の抜けた区画に着いたときだった。
その先が、変わっていた。
昨日、抜き取られた穴だけが点々と残っていた区画。その奥の天井が、一段、下がっていた。落ちてはいない。落ちかけて、岩同士が引っかかったまま、危うく止まっている。広域感知でその上を探ると、岩の厚みが、昨日より明らかに薄くなっていた。一晩で、ここが少し進んだ。抜かれた支柱の上が、自分の重さに耐えきれずに、じわじわ垂れてきている。
「ここ、危ないな」俺は足を止めた。「天井が、下がってきてる。昨日より」
「えっ」リタが頭上を見上げた。「私には、ただの天井に見えるけど」
「昨日のうちは、もうちょっと高かった」
そこへ、後ろの枝道から、足音が二つ三つ聞こえた。
ガレンだった。組の連中を一人二人連れて、別の坑から回ってきたらしい。俺たちが天井を見上げて立ち止まっているのを見て、足を止め、それから、同じ天井を一瞥した。値踏みの目じゃなかった。坑道の何かを確かめる、慣れた目だった。
「下がってるな」ガレンは短く言った。それだけで、俺と同じものを見ているのが分かった。
「昨日より、です」
「昨日より、か」ガレンは、抜かれた支柱の跡へ歩み寄って、しゃがんだ。穴のひとつに、ごつごつした指を突っ込んで、深さを測るみたいに探る。「あんた、この区画のどの支柱から先に抜けたか、分かるか」
「……分かりません」俺は正直に言った。広域感知で空洞は読める。けど、どれが先でどれが後かは、岩肌からは読めない。
「だろうな」ガレンは立ち上がった。「ここの真ん中の一本。あれが要だった。残りは、要の支柱に寄りかかって、互いに荷重を分け合ってたんだ。要を先に抜いたから、寄りかかってた残りが、順々に荷重を背負わされて、抜かれた。一本ずつ抜くたびに、隣がきつくなる。最後に残った穴の天井が、いま、お前の言う通り、垂れてきてる」
それは、岩肌をいくら睨んでも、俺には出てこない読みだった。
俺が読めるのは、いまの空洞の形と、岩の薄さだ。どの順で抜かれて、どの支柱が荷重を肩代わりして、どこに無理が集まったか――その来歴は、坑道で実際にこいつらが掘ってきた力学だ。広域感知は、結果の形しか見せてくれない。なんでこの形になったかは、見せてくれない。
「真ん中の要を、先に抜いた」俺は繰り返した。「それは、急いでたってことですか」
「採れる魔石が、要の支柱の根元に固まってたんだろ」ガレンは吐き捨てるように言った。「要だろうが、そんなのは構わん。掘れるとこから掘る。後で天井がどうなるかは、掘った当人の知ったこっちゃない。手前の儲けが先で、崩れは後回しだ。……おれの稼ぎ場が、こうやって、一区画ずつ食い潰されてってる」
会社にいたころ、似たような言い分を、何度も聞いた気がした。あとで効いてくる手間を、いま誰が背負うかの押し付け合い。違うのは、ここでは天井が物理で落ちてくることだ。書類なら先送りで済むものが、坑道では岩の重さになって、いつか実際に抜ける。
俺は広域感知を、もう一段、奥へ伸ばした。
垂れた天井の、そのまた向こう。削り取られて薄くなった壁の先に、人の入った気配のない空洞がいくつもある。ここまでは昨日も読んだ。けど、昨日と違うのは、その空洞のひとつに、温かい、ざわつく塊があったことだ。鑑定をかけると、坑道の岩肌の獣型より、ふた回り格の重いものが、奥でうずくまっている。一匹じゃない。何匹かが、寄り集まっている。
「ガレンさん」俺は声を落とした。「薄くなった壁の、その奥の空洞に、何かいます。昨日はいなかった。今日、湧いてるか、入り込んでる」
ガレンの眉が、ぴくりと動いた。
「崩れた跡か」
「崩れた跡です。古い空洞が、削りすぎた壁で繋がりかけてる、そのへんに」
「巣だ」ガレンは短く言い切った。「崩れて、人の手が入らなくなった跡。あそこは魔素が溜まる。誰も間引かないから、湧いたやつが居着いて、巣になる。坑道で一番たちが悪いのは、崩落そのものじゃない。崩れた奥に巣ができて、そこから、格の重いのが匂いを嗅ぎつけて来ることだ」
俺の読みと、ガレンの読みが、別のところを向いていたのが、ここで分かった。
俺は、空洞の形と、そこにいる気配の数と格を読んだ。ガレンは、なんでそこが巣になるのか――崩れて、人の手が引いて、魔素が溜まる、という、坑道で巣が育つ条件を読んだ。俺一人なら、ただ「奥に格上が増えてる」で止まっていた。ガレンの坑道の理屈が継ぎ足されて、初めて、これが「崩れた跡が巣を呼んで、巣が格上を呼ぶ」という、ひと続きの流れだと見えた。
そして、その巣のすぐ手前で、垂れた天井が、いままさに落ちかけている。
頭の中で、二つが繋がった。垂れた天井が落ちれば、薄い壁が連鎖で抜ける。壁が抜ければ、巣の空洞が、こっちの坑道と一本に繋がる。そこを通って、奥の格の重いやつが、間引きに来ている連中のいる手前まで、まっすぐ出てこられる。
いつ落ちるか。それを、確かめておきたかった。
俺はこめかみの奥に、意識を集めた。予知。ごく短い先の、現象の輪郭。視た瞬間、こめかみの内側が、灼けるように痛んだ。
崩れの起こりが、視えた。垂れた天井の、いちばん荷重の集まった一点。そこから亀裂が走って、岩が落ちる。落ちた振動で、薄い壁が連鎖で抜ける。ごく短い先の、その始まりだけが、像になって過ぎていった。
「来ます」俺はこめかみを押さえた。熱が、まだ薄く残っている。「この天井、もうじき落ちる。落ちたら、薄い壁が連鎖で抜けて、奥の巣と繋がる」
「読めるのか、それが」ガレンが、初めて俺をまっすぐ見た。昨日、坑口で見せたのと同じ目だった。
「だいたいの起こりは」俺は予知の中身は言わなかった。崩れの起こりが視えた、とだけ。「向こうから格上が出てくるより先に、こっちで天井を落とせませんか。落ちる場所と、向きを、こっちで決めて」
ガレンが、一瞬、目を細めた。
「……どういう意味だ」
「自然に落ちたら、薄い壁のほうへ崩れて、巣と繋がる」俺は手のひらに、新しい重みを呼び出した。握りこぶしより少し大きい、土の塊が、像を結ぶ。「でも、こっちから先に、巣と反対側の岩へ撃ち込めば、瓦礫がそっちへ崩れる。垂れた天井を、巣への通り道を塞ぐ向きで、落とせる」
ガレンは、垂れた天井と、薄い壁の位置を、坑道の地形で素早く見比べた。それから、低く唸った。
「巣と反対側は、古い行き止まりだ。あそこへ崩しゃ、誰も困らん。落とすなら、そっち向きで正しい」坑道の力学の答えが、先に口を突いていた。「だが、撃ち込んで連鎖が止まる保証は」
「止めます」俺は言った。「一発で、要の岩だけ落とす。連鎖を呼ぶ前に」
リタが、短剣を抜いて、後ろの枝道に体を向けた。
「私、ここ見てる」リタは、坑道の左右の暗がりに、目を配っていた。「天井落ちて、もし奥から何か出てきたら、悠さんが撃ち終わるまで、私が前で止める」
「頼む」
俺は、広域感知で、垂れた天井の荷重を、もう一度なぞった。
巣と反対側、古い行き止まりへ向いた一角。そこへ撃ち込めば、岩は行き止まりのほうへ崩れて、薄い壁を巻き込まずに済む。礫の連発じゃ、岩肌を削るのがやっとだ。岩弾は、違う。ずしりと重い塊を、撃ち込む。
手のひらの先で、土の塊が、撃ち出された。
行き止まり側の、荷重の集まった一点へ、正面から食い込む。めり込んだ衝撃が、垂れていた岩を、行き止まりのほうへ引っ張った。岩が、ぼろりと一塊、剥がれ落ちる。続けて、もう一発、同じ一点へ。
垂れていた天井が、音を立てて、行き止まり側へ崩れ落ちた。
狭い坑道に、岩の砕ける地鳴りが響いて、巻き上がった粉塵が、喉の奥にひりついた。崩れた岩塊が、古い行き止まりを塞いでいく。薄い壁のほうは――抜けなかった。崩れの向きが、巣と反対へ流れた。連鎖を呼ぶ前に、要の岩だけが落ちた。
「止まった」俺は、粉塵の向こうの壁を、広域感知で確かめた。「薄い壁、抜けてない。巣への通り道は、塞がった」
手のひらに、撃ち込んだ感触が、まだ残っていた。昨日、群れの上に天井を落としたときよりも、二発目の塊が、ひと回り重く、狙った一点に素直に食い込んだ気がした。頭の隅で、見慣れた表示が、ほんの一瞬だけ動いた。岩弾の、撃てる重さの目盛りが、一段、上がっていた。撃てば撃つほど、塊が言うことを聞くようになる。落とす場所も、向きも、昨日より一段、思った通りに決められた。崩落を、こっちで設計できる。坑道では、火より、よほど使える手札だった。
粉塵が、ゆっくり落ちていく。
ガレンが、崩れた岩塊のほうへ歩み寄って、塞がった行き止まりと、無事だった薄い壁を、二度見比べた。それから、何か言いかけて、口をつぐんだ。
ちょうど、そのときだった。
崩した岩塊の、その向こう側。塞いだはずの巣の空洞のほうから、低い、地を擦るような唸りが、岩越しに伝わってきた。
「ガレン!」奥から、別の組の探索者の、上ずった声が飛んできた。「奥の枝道で、でかいのが出た! ボウグが呑まれた、引っ張り出せねえ!」
俺は、広域感知を、声の方へ振った。
塞いだ通り道とは、別の枝道だ。薄い壁を塞いだあいだに、巣の格上は、もう一本、別の崩れた跡を通って、坑道の手前へ抜けていた。網の中で、坑道の岩肌の獣型より、ふた回りも格の重い塊が、暗渠の冷たい奥で、低くうずくまっている。その手前に、人の輪郭が一つ。動いていない。岩か、格上の体の下に、半分、押さえ込まれている。
「一本、通された」ガレンが、舌打ちより鋭い声で言った。「塞いだのは正しい。だが、巣は通り道を一本しか持ってなかったわけじゃない。崩れた跡は、いくつもある」
奥の枝道のほうで、岩を擦る重い足音と、人の喘ぐような声が、暗渠の奥から、こっちへ近づいてくる。
粉塵の混じった坑道の空気が、ひどく薄く感じた。塞いだ一本の向こうで、もう一本が開いていた。そっちから、呑まれかけた誰かを引きずるみたいにして、格の重いやつが、手前へ出てこようとしていた。




