第44話 引き寄せに乗せて、芯で断つ
試しに、礫を一つ、撃ってみた。
奥の一点へ向けて、まっすぐ。狙いは、群れの覆いの、いちばん薄そうな筋だ。礫は、薄い筋を縫って、何匹かの蜘蛛の脇をすり抜けて――その先で、層になった群れの背に、ぶつかって、弾かれた。芯までは、届かない。届くずっと手前で、群れの覆いが、まるごと、受け止める。
火球でも、おなじだろう。爆炎なら、層を吹き飛ばせるかもしれない。でも、吹き飛ばした、その先は。
地図の上で、もう一度、見せられた。
仮に、爆炎で、層に穴を開けたとする。開いた瞬間、底から、引き寄せの波が、一つ起きる。緩んだ群れが、波に押されて、奥へ寄っていく。開いた穴に、新しい蜘蛛が、流れ込む。塞がる。覆い直される。剝がしたそばから、また、覆われる。
ゆうべから何度も見た、おなじ絵だ。
「やっぱり、駄目だ」口から、出た。
「外から、当てても?」リタが、訊いた。
「弾かれる。群れの層に、ぶつかって、芯まで、届かない」俺は、地図から、目を離さなかった。「爆炎で層を吹き飛ばしても、すぐ、別の群れが、流れ込んで、塞ぐ」
「力ずくで、剝がし続けるのは」
「追いつかない。あれが、引き寄せるのを、やめないから」
念のため、力でこじ開ける絵も、頭で組んでみた。
リタとキサで、群れの層を、こじ開ける。俺が、その隙間へ、礫を撃ち込んで、奥を、ほんの少し、裸にする。地図の上で、その隙間を作った。作った、その瞬間に、波が来て、緩んだ群れが、隙間へ、なだれ込む。塞がる。リタもキサも、その波に、巻かれる。
駄目だ。
力で剝がす道は、どこをどう組んでも、行き止まりだった。最濃の魔素のせいだけじゃなく、手のひらが、じっとりと、湿っていた。
肺の中が、ずっと、重い。
湿った綿を、胸いっぱいに詰められたみたいで、息を吸っても、半分しか入ってこない。長居できる場所じゃない。それは、降りる前から、分かっていた。
地図の底で、群れの臭いが、また、濃くなり始めている。
「悠さん」キサが、鼻先を、空洞の口のほうへ向けた。低い声だった。「上の臭いが、また、満ちてきてる。あたしらが下りてきた縦穴、群れが、寄り直してる。あんまり、長くは、いられないよ」
「凪が、閉じ始めてる」
「閉じる」キサは、短く言った。「いま戻っても、間に合うかどうか、際どい。下りてきた道は、もう、半分、群れで詰まりかけてる」
退き時、なんて、とっくに過ぎていた。
ここで、出直す、という手は、もう、ない。次の凪を待つなら、また、本番を一晩しのいで、その直後の隙を、待つことになる。その間に、底のあれは、群れを満たし直す。護りは、もっと、分厚くなる。さっき、引き込まれていった、あの人みたいに、また、誰かが。
退路は、自分たちで、断っていた。
ここで、断つしか、ない。なのに、断つ道が、見えない。
いちばん、嫌な、立ち往生だった。
「悠さん、どうするの」リタが、覗き込んできた。怖がっている声じゃなかった。剝き出しの、待っている声だ。「あれ、断つんでしょ」
「断つ」言った。言ったけど、その先が、続かなかった。
地図の底で、引き寄せの波が、また、一つ、起きた。
奥の一点から、群れの渦を、外へ、ゆっくり押し広げる。広がった群れが、波が引くと、また、奥へ、寄り戻される。波。寄せ。波。寄せ。寄っては、また護りを、分厚くする。ひと時も、やめない。
やめない。
その、やめない、というのが。
頭の隅で、ずっと、ひっかかっていた。
ゆうべから、ずっとだ。引き寄せが、止まらない。剝がしても、覆い直す。あれは、選んで止めたり、相手を選り分けたりしない。寄ってくるものを、片っ端から、芯へ、引き込む。群れも。人も。礫を撃てば、たぶん、礫だって。
反射みたいなものだ。
目の前のものを、芯へ、引き込む。引き込まずには、いられない。
……引き込まずには、いられない。
頭の奥が、ちりっと、灼けた。視る目の熱とは、違う。考えが、形になりかけている、その熱だ。
いつも、こうだった。倉庫で、合わない数字に当たりをつけて、突き合わせていって、ある瞬間、ばらばらの数が、一本に、繋がる。あの感じだ。手がかりは、もう、目の前にあった。さっきから、ずっと、地図が、見せてくれていた。
あれの、いちばんの武器は、引き寄せだ。
群れを、引き寄せて、護りにする。だから、こいつは、固い。だから、剝がせない。
なら――その武器を、こっちが、使えばいい。
「……あ」声が、漏れた。
「悠さん?」
「待って」俺は、片手を、上げた。地図から、目を離さずに。「待ってくれ。いま、繋がりかけてる」
剝がそうとするから、駄目なんだ。
外から、芯へ、決定打を、届かせようとするから。途中で、護りの群れに、弾かれる。剝がしても、波で、覆い直される。ずっと、引き寄せに、逆らう向きで、勝負してた。あれが、ものを、芯へ引き込む。その流れに、真っ向から、逆らって、剝がして、押し込もうとしてた。
逆らうから、弾かれる。
なら、逆らわなきゃ、いい。
引き寄せに、乗せればいい。
あれは、引き込むのを、やめられない。目の前のものを、芯へ、引き込む。なら、その内向きの波に、爆炎を、乗せてやる。剝がそうとせず、あれが芯へ寄せている、その流れに、爆炎を、ぽんと、放り込む。
あとは、あれが、勝手にやる。
引き寄せを、やめられないんだから。乗っているのが、群れだろうが、人だろうが、爆炎だろうが、あれは、そいつを、芯まで、引き込む。自分の護りごと、芯まで。
あれが、自分で、爆炎を、芯まで運ぶ。
自分の破滅を、自分で、引き寄せる。
全身が、ぞくっと、粟立った。最濃の魔素の寒さじゃない。腑に落ちたときの、あれだ。
届かせる道は、ずっと、目の前にあった。あれの、いちばんの武器の中に。剝がすことばっかり考えてたから、見えてなかっただけだ。
力で、勝てる相手じゃ、なかった。剝がしても、覆い直される。でも、力で勝つ必要なんて、最初から、なかったんだ。あれの強さの、まさにその源を、そのまま、こっちの運び手に、する。
硬い剣の手練れを、火じゃなく、芯で断ったときみたいな――いや、あれとも、違う。あの商人を、火じゃなく、数字で詰めたときの、あの感じに、近い。相手のいちばんの強みが、そのまま、いちばんの負け筋になる。あれを、よそで、見たことが、ある。
こっちのほうが、たぶん、俺らしい。
「悠さん」リタが、痺れを切らした。「なに。なにが、分かったの」
「乗せるんだ」俺は、顔を上げた。「剝がすんじゃ、なくて」
「乗せる?」
「あれ、引き寄せを、やめられないだろ」言いながら、自分でも、声が、速くなっていた。「目の前のものを、芯へ、引き込む。やめられない。なら、その引き寄せの波に、爆炎を、乗せてやる。あれが、自分で、芯まで、引き込む。自分の護りの内側まで、自分で、爆炎を、運ぶ」
リタが、ぽかんと、口を開けた。それから、ゆっくり、その意味が、伝わったらしい。
「……自分で、爆炎を、芯まで?」
「そう」
「えげつないこと、考えるね」
「あれが、えげつないんだ」俺は言った。「やめられないのが」
「臭いの流れには、合う」キサが、鼻先を、奥へ向けたまま、言った。淡々としていたけど、その淡々が、賛成だった。「あれの臭いが、いちばん濃く、内へ巻いてる瞬間がある。引き込む向きに、流れが、立つ。そこに乗せりゃ、たしかに、芯まで、引き込まれるだろうね。……剝がそうとするより、ずっと、理に、かなってる」
「その、内へ巻いてる瞬間」俺は、こめかみを、押さえた。「視ます」
ここで、視る。
予知だ。
崩落の起こりを視たのと、おなじだ。波が来る、その、起きる手前を、薄く、先に視る。今度は、波が、いちばん内へ向く瞬間――爆炎を、乗せられる、その一瞬を、視る。
意識を、先へ、伸ばした。
頭の奥が、ぐっと、熱を持つ。視た先の景色が、いまに、薄く滲んでくる、その瞬間、こめかみの内側が、焼けた針を当てられたみたいに、ちりっと、痛んだ。
滲んできた。
引き寄せの波が、起きる。外へ、ひと膨らみして――それから、ぐっと、内へ、巻き戻る。群れが、いっせいに、奥へ、寄っていく、その向き。爆炎を、放り込むなら、その、内へ巻く、ほんの一瞬だ。早すぎても、遅すぎても、波に乗らない。
視えたのは、ほんの、まばたきぶん。
そのまばたきが、いつ来るか。それだけ、視えた。
「来ます」俺は、言った。「次の波が、内へ巻く、その瞬間。そこに、爆炎を、乗せる。でも、波の表面は、群れが、覆ってる。そのままじゃ、爆炎が、群れの背に当たって、止まる。波に、乗らない」
「隙を、作るんだね」キサが、先に言った。
「一瞬でいい。波の起こりのところに、群れの、薄い口を。爆炎を、差し込めるだけの、口を」
予知が視せるのは、いつ、までだ。
どこを、どう開けるかは、視せてくれない。それは、こっちが、やる。リタと、キサが。
いつもと、おなじだった。視えても、突くのは、別だ。視る目は、乗せる一瞬を、教えてくれる。乗せる口を、こじ開けるのは、二人の腕だ。それで、いい。それが、噛み合えば、いい。
「リタ」俺は、地図の上の、一点を、指で、空に、なぞった。「波の起こりが、ここに立つ。その手前の、群れの層。強化を乗せた剣で、一画、こじ開けろ。深くなくていい。爆炎を、放り込めるだけの、口を、開ければいい」
「開けて、すぐ?」
「すぐ、退け。開けた口に、爆炎を、通す。巻き込まれるな」
「分かった」リタが、短剣を、握り直した。指が、ちゃんと、開いている。腫れも、引いている。「で、キサさんは」
「波の、起こりを、嗅ぐ」キサが、鼻先を、奥へ向けた。「あんたの目が、いつ来るかを視る。あたしの鼻が、どこから巻くかを、嗅ぐ。リタが開ける口を、いちばん、波に近いとこに、合わせる。……そこまでは、やる。あとは、あんたの火だ」
「強化、二人に、乗せます」
手のひらの奥に、爆炎の重さを、集め始めた。
火球とは、桁が違う。集めるそばから、腕の奥が、軋む。鉄の塊を、握り込まされていくみたいな、ずっしりした密度。これを、撃ち切れば、しばらく、空っぽだ。連発は、できない。一発で、決める。一発で、芯まで、運ばせる。
予知の、まばたきが、近づいてくる。
来る。
地図の底で、群れの渦が、ひと膨らみ、外へ、ふくれた。波の、起こりだ。視たとおりだった。あと、ひと呼吸で、これが、内へ、巻き戻る。
「リタ、いまだ! こじ開けろ!」
リタが、踏み込んだ。
強化の乗った短剣が、波の起こりの、群れの層へ、横ざまに、叩き込まれる。重さの乗った刃が、寄り集まろうとしていた蜘蛛を、数匹、まとめて、薙ぎ払った。割れた。波が立つ、まさにその場所に、ほんの一画、群れの覆いが、裂けて、口が、開く。
「退け!」
リタが、開けた勢いのまま、半身で、横へ、転がり退いた。
開いた口の、向こう。
引き寄せの波が、外へのふくらみを、止めて――内へ、巻き始める。
いま、だ。
手のひらの奥で、つかえていた爆炎を、その、開いた口めがけて、内へ巻く波の、その向きに、合わせて、放った。
押し込むんじゃない。
ぽん、と、置くみたいに。流れに、乗せるみたいに。
爆炎の塊が、開いた口を、くぐった。
くぐった、その瞬間。
内へ巻く波が、それを、掴んだ。
あとは、地図の上で、見ているだけだった。
あれが、引き寄せる。爆炎を、乗せた波を、芯へ、引き込む。やめられないから。乗っているのが、何かなんて、選り分けられないから。剝がそうとしたときは、あれだけ覆い直して、弾き返した護りの群れが、今度は、自分から、道を空ける。芯へ、芯へ。波が、爆炎を、奥へ、運んでいく。
あれが、自分の護りを、自分でかき分けて。
自分の破滅を、自分で、芯まで、引き込む。
爆炎の塊が、読めない一点の、ど真ん中まで、引き込まれて――
止まった。
芯だ。
「うおっ――」
炸裂した。
暗黒の空洞の、底の底で、橙の光が、一点に潰れて、次の瞬間、内側から、世界が、弾けた。今までの爆炎が、外で爆ぜていたんだとしたら、これは、あれの、いちばん内側で、爆ぜた。覆いの群れに邪魔されない、まる裸の芯で。轟音が、遅れて、空洞ぜんぶを、殴りつけてくる。最濃の魔素を、爆風が、外へ、吹き飛ばす。空洞の壁という壁から、群れが、いっせいに、剝がれて、宙へ、舞った。
立っていられなかった。
爆風が、芯から、放射状に、噴き上がってくる。リタが、岩に、しがみつく。キサが、片膝を、ついた。俺は、爆炎を切った腕の、その付け根まで、遠くなった体で、岩壁に、背を、叩きつけられた。
空洞が、揺れた。
地図の上で、読めない一点が、内側から、大きく、ひしゃげるのが、見えた。あの、いくら感知を当てても、表面ではじかれて、像が結ばなかった、覆い。その、内側。芯。そこへ、爆炎の全部が、届いた。
届いた。
ずっと、届かせる道が見えなかった、その芯まで、あれ自身が、運んでくれた。
光が、消えていく。
土埃と、煙と、剝がれた群れの死骸が、ゆっくり、底へ、降ってくる。
炸裂の余韻の中で、地図が、見せてきた。
読めない一点が、ひしゃげて、いびつに、潰れている。芯が、抉れた。あれだけ動かなかった巨体が、初めて、ぐらりと、傾いだ。引き寄せの波が、乱れた。途切れた。
断てた。
あの威力が、芯まで届けば、断てる。ずっと、そう思っていた。届く道だけが、なかった。その道を、あれが、自分で、作ってしまった。
「……やった、の」リタが、岩から、半身を起こした。声が、掠れていた。
「待て」俺は、地図から、目を離さなかった。
まだ、だった。
ひしゃげた芯から、最後の、引き寄せの波が、一つ、絞り出すみたいに、起きた。乱れて、途切れかけた波。それでも、芯は、まだ、動いている。剝がれて宙に舞った群れを、自分のほうへ、もう一度、寄せ集めようとしている。最後の力で、ひしゃげた体を、群れで、覆い直して、盾に、しようとしている。
させない。
その、最後の波が、どこから起きて、どこへ巻くか――視た。
爆炎は、もう、ない。手のひらの奥は、空っぽだ。腕の付け根まで、感覚が、遠い。けど、視る目は、まだ、灼けながら、動いた。波が、群れを、芯の、左側へ、寄せ集める。芯の、右側が――ほんの一瞬、裸になる。
その、裸になる瞬間が、薄く、滲んで、見えた。
「キサさん、リタ! 芯の、右! 最後の波が、群れを、左へ寄せる! 右が、空く! 一瞬だ!」
キサが、片膝立ちのまま、鼻先を、跳ね上げた。
「左へ、巻いた! 右、開いた!」
リタが、もう、走っていた。爆風で吹き飛ばされた体勢から、立ち上がりざま、芯の、右側へ。強化の乗った短剣を、低く構えて。最後の群れが、左へ寄って、薄くなった、芯の、右の覆い。その、こじ開けかけた一画へ、キサの山刀が、横から、滑り込んで、最後の数匹を、突き落とす。
覆いが、割れた。
割れた、その奥。ひしゃげて、抉れて、剝き出しになった、芯。
リタの短剣が、そこへ、深く、沈んだ。
地図の上で、最後の波が、ふっと、消えた。
寄せ集められかけていた群れが、行き場をなくして、ばらける。引き戻す力が、ない。引き寄せる芯が、止まった。芯が、止まれば、波は、起きない。波が、起きなければ、群れは、寄らない。
止まった。
引き寄せの、根が、断たれた。
空洞が、しんと、静まり返った。
あれだけ、壁を埋めていた群れが、引き戻す力を失って、てんでに、岩の隙間へ、散っていく。ゆっくり、底へ、落ちていく死骸。揺れの収まった、暗黒。最濃の魔素が、爆風に薄められて、肺の中の、湿った綿が、ほんの少しだけ、軽くなった気がした。
「……断った」俺は、岩壁に、背を預けたまま、それだけ言った。
声が、出たことに、自分で、少し、驚いた。
断った。あれを。読めもしなかった、形も大きさも掴めなかった、底の底の、引き寄せの源を。爆炎を、芯まで、届かせて。届かせたのは、あれ自身の、引き寄せだ。剝がそうとしたら、最後まで、弾かれていた。逆らうのをやめて、その流れに、乗せた。それだけで、いちばんの武器が、いちばんの、運び手に、なった。
「悠さん」リタが、芯から、短剣を、引き抜いて、こっちへ、戻ってきた。短剣も、腕も、煤で、真っ黒だった。「いまの、すごかった。火、あれの、中で、爆ぜたよね」
「ああ」俺は、空っぽの手のひらを、見た。半分しか、言うことを聞かない。「芯で、爆ぜた。あれが、自分で、運んでくれた」
「自分で、運んだ……」リタが、まだ、半分、信じられない顔をした。「引き寄せるの、やめられなかったから」
「やめられなかったから、だ」
キサが、山刀を、肩に担ぎ直して、芯の、抉れた跡を、鼻先で、嗅いだ。
「臭いの、芯が、消えた」短く言った。「ずっと、にじんで、巻いてた、あの重い臭い。それが、ない。……あんたの言うとおりだ。引き寄せる、おおもとが、止まった」
「群れは」
「散ってる」キサは、空洞の壁を、見回した。「引き戻すやつが、いなくなった。あとは、勝手に、減るだろうね。あたしの稼ぎ場が、戻る。……まあ、悪くない」
あんたらのため、とは、言わなかった。それで、よかった。キサは、自分の稼ぎ場を、取り戻した。俺たちは、氾濫の根を、断った。それぞれの理由で、おなじ底まで、降りて、おなじものを、断った。それで、十分だった。
俺は、岩壁から、ゆっくり、身を起こした。
腕は、まだ、上がらない。手のひらの奥は空っぽで、撃ち切った重さが付け根まで居座っている。最濃の魔素で頭はぼうっとしているし、こめかみには、まだ、視る目の熱が引いていない。
それでも、頭の中は、やけに、澄んでいた。
集めて、育てて、避け続けて、ここまで来た。火球が、爆炎に化けて、芯まで通す決定打になった。気配感知が広域感知になって、底まで読めるようになった。危険感知が、予知になって、ほんの先を、視られるようになった。その全部を、今、ここで、一つに、束ねた。
でも、勝ったのは、火の威力でも、読みの目でも、なかった。
あれの、いちばんの強さを、読み切って、それを、そのまま、ひっくり返した。それが、いちばん、効いた。剝がそうとしたら、最後まで届かなかったものが、乗せた、その一回で、芯まで通った。
力で、ねじ伏せたんじゃない。
あれが、自分の強さで、自分を、断った。こっちは、その向きを、ほんの少し、変えてやっただけだ。
「帰りましょう」俺は、言った。「凪が、閉じきる前に」
「上がれるの? 道、群れで、詰まりかけてたよ」リタが、空洞の口のほうを、見上げた。
「引き寄せが、止まった」俺は、地図を、上へ、伸ばした。さっきまで、寄り直しかけていた群れが、引き戻す力をなくして、縦穴のあちこちで、散り始めている。「もう、群れは、奥へ寄らない。寄らないなら、上がる勢いも、ない。詰まりかけてた道も、ほどけていく。……たぶん、来たときより、楽に、上がれる」
「あんたの目が、そう言うなら」キサが、鼻を、上へ向けた。「臭いも、痩せ始めてる。あんたの、言うとおりだ」
三人で、底の底を、背にして、縦穴を、上り始めた。
散り始めた群れの隙間を、縫いながら。来たときと、おなじ道だ。けど、もう、底へ向かって、引かれる流れは、なかった。引かれずに、自分の足で、上っていけるのが、こんなに、楽だとは、思わなかった。
いちばんすぼまった漏斗を、抜けて、最濃の関門を越えると、肺の中の綿が、一段ずつ、軽くなっていく。重い空気が、薄れて、ふつうの息が、戻ってくる。
断った。
集めて、育てた力と、読みで。読めもしなかった、あの源の、いちばんの強さを、ひっくり返して。火を、芯まで、通して。
その手応えが、空っぽの腕の、その奥に、確かに、座っていた。
「悠さん」上りながら、リタが、言った。「私、爆炎が、あれの中で爆ぜた瞬間、思ったんだけど」
「ん」
「悠さんって、火球撃ってるときより、地図、にらんでるときのほうが、やっぱり、ちょっと、怖いよ」
「前にも、おなじこと、言ってなかったか、それ」
「言った」リタが、煤だらけの顔で、笑った。「でも、今日のは、もっと、怖かった」
「褒めてるのか、それ」
「褒めてる」
悪くなかった。少しも。
縦穴のずっと上のほうに、見張りの松明の、ちらつく明かりが見えてきた。
あれを、上りきれば、上だ。中層を、ダグが、抑えてくれている。その先に、大穴の口があって、外には、朝の光が、待っている。
空っぽの手のひらを、握って、開いた。半分しか、動かない。それでも、その遠さの底のほうに、火が、また、眠っている。次に撃てるまでには、時間がいる。視る目も、まだ、灼けている。連発は、できない。
でも、それで、いい。
届かせる道は、威力の中にじゃなく、相手の、いちばんの強さの中に、あった。それを、読み切れたなら。火は、一発で、足りる。
明かりのほうへ、もう一歩、足を、かけた。




