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無限ガチャの転生者 ~毎日引いてスキルを集め、育てて最強になる~  作者: わわわ


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第40話 止めた、その奥に

 地鳴りが、低くなったまま、戻ってこなかった。

 岩棚の上で、俺は地図を底まで落としたまま、しばらく動けずにいた。あれだけ削っても痩せなかった群れの密度が、いまは口の縁でつかえて、せり上がる速さを落としている。湧くより、削るほうが勝った。そういう手応えが、足の裏から伝わってくる。

 止めた。街道へは、抜けていない。

 縄の区画のあちこちで、立っていた連中が座り込んでいた。剣を岩に立てて、それにもたれて、肩で息をしている。誰も声を上げない。歓声を上げる力なんて、もう残っていなかった。


「水、回せ!」

 官の声が、後ろで張られた。さっきまで置き駒を回していた、痩せた男だ。革袋を抱えた連中が、座り込んだ列のあいだを縫って歩き出す。負傷した一人が、脇腹を押さえたまま、岩壁に背中をあずけていた。

 俺も、岩棚に腰を下ろした。腕が、上がらない。爆炎を切った手のひらは、まだじんと痺れたままで、握り込もうとすると、奥のほうがだるく軋む。あれは、当分、撃てない。

 息が、ようやく、ふつうの速さに戻ってきた。

 リタが、右の口から上がってきた。胸当ての革が、片側、ぱっくり裂けている。下の肌に、薄く血が滲んでいた。それでも、足取りは、しっかりしていた。

「悠さん、生きてる?」

「かろうじて」

「私も」リタは、俺の隣に、どさっと座った。それから、長い息を吐いた。「腕、もう振れない。明日、絶対、上がらない」

 強がりじゃなく、本音の弱音だった。だから、こっちも、少し、肩の力が抜けた。


 水を一口もらって、喉を流し込んだ。地鳴りと濁流の臭いで、奥のほうが、ずっとひりついていた。それが、水で、少しだけ、ましになる。

 地図は、まだ消していなかった。

 消す気に、なれなかった。底の数は、減っていない。押し上げる力が抜けただけで、群れそのものは、まだ底に、まるごと残っている。今日のところは、せり上がる勢いを削ぎ切った。それだけだ。明日も、明後日も、また同じことが起きるなら――。

 そう思いながら、底をなぞっていて、ふと、手が止まった。

 なにか、おかしい。


 うまく言えなかった。地図の上で、引き始めた圧が、まっすぐ底へ戻っていない。

 ふつう、押し上げる力が抜けたら、群れは口の縁でばらける。せり上がりそこねた連中が、てんでに、近い横穴へ散る。逃げ場を探して、好き勝手な向きへ、ほどけていく。さっき塞いだ穴のときも、そうだった。圧が抜けた群れは、ばらばらの方向へ、にじっていった。

 でも、いまの底は、ばらけていなかった。

 引いた群れが、一つの向きへ、ゆっくり、寄っていく。

 深層の、もっと奥。底の底の、ある一点のほうへ。せり上がりそこねた数が、散るんじゃなくて、まるで、そっちへ引き戻されるみたいに、向きを揃えて、下りていく。

「……なんだ、これ」

 口から、ぽつりと出た。


「悠さん?」リタが、覗き込んできた。

「いや」俺は、地図から目を離さずに言った。「群れの、戻り方が、おかしい」

 もう一度、底をなぞった。気のせいじゃなかった。

 引いた圧が、てんでに散らずに、奥の一点へ、寄っていく。それだけじゃない。塞ぎきれずに、まだ細く漏れている口がある。その漏れも、口ぜんぶに均してこぼれているんじゃなかった。奥の一点に近い側の口へ、漏れが、偏っている。遠い側の口は、もう、ほとんど漏れていない。近い側だけが、まだ、じわじわと、押し上がってくる。

 受け身に溢れている動きじゃない。

 なにかに、寄っていく動きだ。


「リタ」俺は、地図を底に置いたまま、声を低くした。「これ、見てくれ――いや、見えないか」

「見えないよ。私は、目の前のやつしか」

 そうだった。これが見えるのは、ここで俺だけだ。

 うまく説明できる気がしなくて、俺は、言葉を探した。

「群れが、ばらけてない。さっき、押す力が抜けただろ。ふつうなら、行き場をなくして、近い穴に散るはずなんだ。げんに、こないだの穴は、そうだった」

「うん」

「でも、いまは、散ってない。底の、もっと奥の、一点のほうへ、寄っていってる。漏れも、その奥に近い口にだけ、固まってる」

 言いながら、自分でも、嫌な絵が、頭の中で形を取り始めていた。

 群れが、押されて溢れていたんじゃないとしたら。

 なにかに、引かれていたんだとしたら。


 そのとき、上のほうから、誰かが、下りてきた。

 ギルドの本隊の、隊を率いていた男だ。鎧の肩に、まだ、群れの体液がこびりついている。さっきまで、上層への抜け道を固めていた組の、まとめ役だった。

「お前か」男は、岩棚の下で足を止めて、俺を見上げた。さっきまで、新入りの顔なんて、まともに見ていなかった目だ。「上から見てた。口を、ぜんぶ、お前が回してたな」

「……いえ、回したのは、立ってくれた人たちです」

「謙遜はいい」男は、短く言った。「お前がいなけりゃ、左の三つ目は、抜かれてた。あそこが抜けてたら、上の俺たちが、押し込まれてた。……礼は、後でする。それより」

 男は、底のほうを、顎で示した。見えてもいないのに、本能で、そっちを警戒している顔だった。

「収まったのか。これで、終いか」

 終いか、と訊かれて、俺は、すぐに答えられなかった。

 答えは、地図が、底で見せている。


「……たぶん、今日のは、収まりました」俺は、慎重に、言葉を選んだ。「押し上げる力が、抜けました。せり上がる勢いは、削げてます」

「なら、いい」

「でも」俺は、続けた。「終い、かは、分かりません。底の数は、減ってないんで」

 男の顔が、こわばった。減ってない、というのが、どういう意味か、戦った人間には、すぐ伝わる。今日これだけのものを堰き止めて、それで底が減っていないなら、明日も、同じものが来る。


「悠さん」

 すぐ脇で、声がした。

 キサだった。いつのまにか、細い枝のほうから、こっちへ上がってきていた。山刀を提げたまま、鼻先を、下の暗がりへ向けている。さっきまで、底の濃さが上がった、来る、と言っていた、あの顔つきとは、違っていた。

「臭うね」キサが、低く言った。「さっきから、ずっと、引っかかってる」

「下の濃さですか」

「それも、ある。けど、それじゃない」キサは、鼻の頭に、皺を寄せた。考えるときの顔じゃない。鼻が、先に、なにかを掴んで、頭が、後を追っている顔だ。「群れの臭いとは、別のが、いる」

「別の」

「群れは、群れの臭いだ。何百匹いようが、混ざって、一つの濃さになる」キサは、暗がりから、目を離さなかった。「でも、その下に、もう一つ。群れと違う、濃いのが、居座ってる。さっきから、ずっと、同じ場所だ。動かない。群れが上がっても、下がっても、そいつだけは、奥の、おんなじとこに、いる」

 ぞわり、と、腕に鳥肌が立った。

 俺の地図が、見ているものと、寸分、おなじだった。


「……そこへ、群れが、寄ってってます」俺は、言った。喉が、乾いていた。「いま、押す力が抜けて、群れが底へ戻ってるんですけど。ばらけずに、その、奥の一点へ、寄っていってる。漏れも、そっちに近い口に、偏ってる」

「寄ってる、ね」キサは、ふっと、鼻から息を抜いた。「あたしの鼻と、あんたの目が、また、おんなじとこを指したか」

「別の場所から、同じ一点を」

 前にも、これと同じことがあった。目と鼻が、ばらばらに見ていた異変が、嫌な形で、一本に揃う。違う器官が、同じ答えを返してくるときは、たいてい、当たっている。それは、もう、思い知っていた。


 俺は、地図を、思いきって、その一点へ、伸ばした。

 底の、群れの数の点とは、別のものを、探す。広域感知が、ずっと拾っていた、群れの密度。あれは、数えられた。何匹が、どっちを向いて、どの口へ。点の集まりとして、頭の中に置けた。

 でも、その奥に、もう一つ。

 数えられないものが、あった。

 点じゃない。群れの一匹ずつとは、手応えが、まるで違う。輪郭が、像を結ばない。大きさも、形も、読めない。読もうとすると、感知が、表面で、はじかれる。奥へは、届かない。けど、そこに、在る。それだけは、はっきり、分かった。読めないのに、在る。動かない。底の、おなじ場所に、ずっと、居座っている。

 手のひらが、じっとりと、汗ばんだ。


 あのときの感じが、よみがえった。

 深層を、初めて潜った日。底の見えない縦穴を、上から覗き込んだとき。気配感知は、なにも拾えなかった。距離が遠すぎた。ただ、暗がりの底に、巨大な何かが、息をひそめて横たわっている――そんな、輪郭にもならない感じだけが、喉のぴりつきと一緒に、こびりついた。

 あれを、俺は、新人の怖気だと思っていた。初めての深さに、ビビっただけだと。

 違った。

 あのとき底に感じたのは、これだ。

 いまも、おなじものが、おなじ場所に、いる。ずっと、いた。群れの数に紛れて、見えていなかっただけだ。


「悠さん」リタが、俺の顔を、覗き込んだ。さっきから、俺とキサの顔色だけで、なにか、まずいものを感じ取っている。「なに。なにが、いるの」

「分からない」俺は、正直に言った。「読めないんだ。形も、大きさも。ただ、群れの奥に、なにか、でかいのが、居座ってる。動かない。で、群れが、そいつのほうへ、寄っていってる」

「寄って……なんで」

「分からん」

 分からないことのほうが、はるかに多かった。それが、何か。なぜ、そこにいるのか。なぜ群れが、そっちへ引かれるのか。地図も、教えてくれない。キサの鼻も、そこまでは、嗅ぎ分けられない。掴めたのは、ただ一つ。


 群れは、押し上げられて、溢れていたんじゃない。

 引かれて、いたんだ。


 その一言が、頭の中で形になった瞬間、足元が、すっと冷えた。

 今日、俺たちは、底を押し上げる圧を、削ぎ切った。せり上がる勢いを止めた。堰き止めた。立役者だ、なんて、本隊の男に言われた。

 でも、堰き止めたところで、底の、あれが、いる限り。

 群れは、また、あれのほうへ寄って、嵩を増して、押し上がってくる。今日削いだぶんなんて、すぐに、また満ちる。底の数が減らないのは、間引きが追いつかないからじゃない。あれが、奥にいて、群れを、引き寄せ続けているからだ。

 堰を、いくつ作っても、追いつかない。あれを、どうにかしない限り。


「キサさん」俺は、声が、少し、かすれた。「あれ、群れと別のやつ。あれが、奥にいる限り、群れは、何度でも、寄ってくる。今日、押し返したのは、上っ面だ」

「だろうね」キサは、こっちを見もせずに言った。淡々としていた。でも、その淡々が、かえって、重かった。「あたしの稼ぎ場が、ここんとこ、ずっと荒れてた理由が、それで、繋がる。群れが、勝手に増えてたんじゃない。奥のあれが、寄せ集めてたんだ。……道理で、いくら間引いても、減らないわけだ」

「減らない」リタが、繰り返した。声が、半分、震えていた。「それ、こないだも、悠さん、言ってた。塞いでも、底のが、減らないって」

「あのときは」俺は、首を振った。「数が多いんだ、って思ってた。間引きが、追いついてないだけだ、って。湧く数のほうが、削る数より、多いんだ、って」

「違ったの?」

「違った」

 はっきり、言えた。今日、底を覗いて、それが、繋がった。

 数の問題じゃ、なかった。

 底に、なにかが、いて、群れを引いている。それを止めない限り、何度堰き止めても、終わらない。湧いたそばから、あれのほうへ寄って、また押し上がる。賽の河原だ。積んでも、積んでも、崩される。崩しているのは、湧く速さじゃない。底の、あれだ。


 本隊の男が、底のほうを、にらんでいた。見えてもいないのに、俺たちの顔色から、まずいなにかを、嗅ぎ取った顔だった。

「……お前ら」男は、低く言った。「いま、なにを、見てる」

「正直に言います」俺は、男を、見上げた。半端なことを言って、希望を持たせたくなかった。「今日のは、止まりました。でも、これで終わりじゃ、ないと思います。底に、群れと別の、でかいやつが、いるんです。動かない。で、群れが、そいつのほうへ、寄っていってる。たぶん、それが、湧きの大本です」

「大本、だと」

「群れを、引いてるんです。だから、間引いても、減らない。何度堰き止めても、そいつが奥にいる限り、また、寄ってくる」

 男は、しばらく、黙っていた。それから、ゆっくりと、鎧の肩を、岩壁に、あずけた。さっきまで、勝った顔をしていた連中が、その一言で、息を、詰めるのが分かった。

「……断たなきゃ、終わらん、ってことか。その、大本を」

「断たなきゃ、終わりません」俺は、言った。言いながら、それが、どれだけ、とてつもないことかも、分かっていた。読めもしない、形も大きさも掴めないものを、断つ。冗談みたいな話だ。「ただ、それが、何かは、まだ、分かりません。読めないんで。でかい、ってことしか」


 地図を、もう一度、底へ落とした。

 群れが、寄っていく。奥の一点へ。読めない輪郭の、そのまわりへ、ゆっくり、ゆっくり、向きを揃えて、下りていく。

 止めた。

 今日、街道への決壊は、止めた。誰か一人の一発じゃない。みんなが噛み合って、底の押しに、追いついた。それは、本物だ。

 でも、止めた、その奥に。

 群れを引き寄せている、なにかが、いる。読めない。動かない。ずっと、そこに、いた。あの初めての日、底の縦穴を覗いて、背中の奥にこびりついた、あの感じ。あれが、いま、群れの数の、ずっと下で、息を、ひそめている。

 あれを、断たない限り。

 この防衛線は、何度でも、また、敷き直すことになる。


 リタが、俺の隣で、底のほうを、見下ろしていた。見えてもいないのに、目を、逸らさなかった。

「悠さん」

「ん」

「あれ、なんだろね」

「分からん」

 怖さと、ほとんど同じだけ、知りたかった。あのときと、おなじだった。

 ただ、今度は、知りたい、だけじゃ、済まない気がしていた。

 地図の底で、読めない輪郭のまわりへ、群れが、また、寄っていく。


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