第4話 育つスキルと、はじめての稼ぎ
門を出ると、外の空気がいっぺんに広くなった。
昨日くぐったばかりの石の門だ。中は人と物でぎゅう詰めだったのに、一歩外へ出ると、いきなり草と土の匂いに変わる。街道が一本伸びていて、その脇に畑が広がり、さらにその向こうに森が低く盛り上がっている。受付の女が言っていた、薬草の生えるあたりだ。
歩きながら、視界の隅の枠を念のため確かめた。
『引ける回数:1』
寝たら戻る。三晩続けて確かめたから、もう数字を見ても驚かない。ゼロが1になっている。それだけのことだ。せっかくだから、森に入る前に引いておく。
念じると、頭の奥でぷつ、と糸が切れるみたいな手応えがあった。
『礫 Lv1(N)』
礫。つぶて、と読むやつだ。読んで字のごとくなら、小石を飛ばす系だろう。試しに手のひらを脇の畑のほうへ向けて、礫、と念じてみる。
手の先に、親指の先くらいの石の塊がぽっと浮いて、それがひゅっと飛んで、畝の土にぱす、と当たった。土が少しへこんだ。それだけだ。
火球みたいに焦げ臭くもならないし、当たっても弾けない。威力で言えば、子供が投げる石ころと大差ない。
ただ、撃ったあとの手のひらが、何ともなっていなかった。火球は一発撃つと腕が一気にだるくなって、二発目が出るまで一拍待たされる。こいつはそれがない。続けて礫、礫、と念じてみたら、ぽっ、ぽっ、と立て続けに飛んだ。三発、四発と撃っても、息も上がらない。
なるほど、と思った。火球が大砲なら、こっちは投石だ。一発の重さはない代わりに、いくらでも撃てる。手数で押したい場面では、火球より使い勝手がよさそうだ。
これで六つになった。回数はまた0だ。続きは明日。
冒険者証を懐に確かめて、俺は森のほうへ足を向けた。
森の浅い場所は、思っていたよりずっと明るかった。
木は生えているが、間が空いていて、地面まで日が斜めに差し込んでくる。奥に行けば暗くなるんだろうが、受付に言われた採取地はこの手前のあたりだ。落ち葉が積もって、踏むとかさかさ鳴る。
指定の株は、頭の中にもう像がある。葉の裏が銀色がかった、小さなやつ。半日陰で、湿りすぎず乾きすぎない地面に生える。言語と一緒に頭に入っていた知識ってやつだ。最初は不気味に思ったが、いざ現場に立つと、これがありがたい。何を探せばいいか分かっているだけで、半分は終わったようなものだ。
しゃがんで、地面に近い葉を一枚一枚めくっていく。それらしい株を見つけて、裏を返すと、確かにうっすら銀色がかっている。
ただ、似たやつが多い。形だけなら見分けがつかない草が、すぐ隣に生えている。素人が適当に摘んで持ち帰ったら、別の草を掴まされていた、なんてことになりそうだ。
ここで、鑑定を向けてみる。
『目的の薬草。質は中の上。』
当たりだ。隣の似た株にも向けてみる。
『別種の野草。薬効なし。』
やっぱり違った。見た目だけじゃ俺には判別できなかったやつだ。これを一株ずつ確かめながら採れば、外れを持ち帰る心配がない。詐欺師の色水を見破ったときと同じ理屈だが、こうして役に立つと、なかなか頼もしい。
葉の付け根を、貸し出された小刀で切る。根は残せ、と言われた。来年もまた生えるようにってことだろう。会社で在庫を切らさないために発注の数を調整していたのと、やっていることは大して変わらない。採り尽くしたら来季がない。
指定は五株。一株、二株と、布の上に並べていく。
探すあいだ、ときどき手を止めて周りに気を配った。鋭敏感覚で背後の茂みの様子を探りつつ、開けた方向は遠見で先まで見通す。索敵の手が二つあると、片方で背中を見ながらもう片方で前を見られる。集中して下を向いていても、何か近づけば先に分かる。一人で森に入る心細さが、それでだいぶ薄れた。
五株を確保して、布の端をきゅっと寄せたとき。
背後の低い茂みで、何かが動いた。
いや、動く前に分かっていた。
鋭敏感覚が、振り向くより先に教えてくれていた。地面すれすれ、ぬるりとした動き方だ。狼の、あの低く速い気配とは違う。もっと鈍くて、重い。
振り向くと、落ち葉の上に、半透明の塊がいた。
膝の高さくらいの、青みがかったゼリーの塊だ。表面が陽を受けてぷるぷる揺れている。中心に、小さな硬いものがひとつ透けて見えた。それが、ぬちょ、ぬちょ、と地面を這って、こっちへ寄ってくる。
スライムだ。これも頭の中に像があった。森の浅い場所に湧く、いちばん弱いやつ。
とはいえ、生き物が向かってくるのは向かってくる。狼に襲われたあの夜が一瞬よぎって、肩に力が入った。火球を撃つべきか――いや、待て。あんな鈍いやつに、いきなり大砲を持ち出すこともない。撃ったばかりの礫を試すには、ちょうどいい。
手のひらを向けて、礫、と念じた。
ぽっ、と石が飛んで、スライムの体にめり込んだ。ぷる、と表面が波打って、めり込んだぶんがへこむ。けど、それだけだ。へこんだところがすぐ元に戻って、何事もなかったみたいにまた這ってくる。
効いてないわけじゃない。当たってはいる。ただ、こいつの柔らかい体には、石ころ一発じゃ通らないらしい。
なら、と続けて撃つ。礫、礫、礫。ぽっ、ぽっ、ぽっ、と立て続けに石が飛んで、同じ場所に集中して当てる。さすがに何発も同じところに食らうと、表面の張りが少しずつ崩れてきた。スライムの動きが鈍る。よし、削れてはいる。
でも、これは時間がかかる。一発が軽いってことは、こういう相手だと数を撃たないと終わらない。後ろからもう一匹来たら面倒だ。
決め手は、火球でいい。ここには俺しかいない。隠す相手も、遠慮する理由もない。
手のひらに熱を集める。ぼっ、と火の塊が生まれて、それをスライムの中心へ放った。
火が、半透明の体にまともに当たった。じゅっ、という音と、煮え立つような匂い。スライムの体が一瞬ぐずぐずに崩れて、しゅるしゅると縮んでいく。ゼリーが溶けて引いたあとに、小指の先くらいの硬い粒が、ことん、と落ち葉の上に残った。
息はついたが、膝は笑っていなかった。
あの狼のときとは、まるで違う。あのときは撃つ手が震えていたし、終わったあとしばらく立てなかった。今日のこれは、淡々と仕事を片付けたって感じだ。相手が弱いというのも大きいが、火球と礫の使い分けが、自分の中でちょっと掴めた。
残った硬い粒を拾い上げる。さっき体の中で透けて見えたやつだ。鑑定を向けると、買い取ってもらえる代物らしいと返ってきた。大した値はつかなさそうだが、捨てる理由もない。布の隅に包んでおく。
拾い物が一つ増えた。悪くない。
布を結び直そうとして、視界の隅で、枠が何かちらついた。
目を向ける。
いつも引ける回数とスキル名が並んでいる、あの枠だ。並んだスキル名のひとつ――鋭敏感覚の、横の表示が、変わっていた。
『鋭敏感覚 Lv2(N)』
Lv2。
昨日まで、間違いなくLv1だった。引いたときからずっと1で、他のやつも全部1だ。なのに、鋭敏感覚だけ、2になっている。
しばらく、その2を見ていた。引いた覚えはない。同じスキルをもう一回引いたわけでもない。回数は朝に礫で使い切って、0のままだ。
じゃあ、何で上がった。
心当たりを探って、すぐに思い当たった。鋭敏感覚は、ここに来てから一番こき使ってきたやつだ。狼の気配を拾ったのもこいつだし、今日も森に入ってからずっと背中を探らせていた。スライムが来たのも、こいつが先に教えてくれた。
つまり、使ったから上がった。
試しに、もう一度背後の茂みへ意識を向けてみる。気のせいかもしれないが、拾える範囲が少し広がった気がした。さっきまでぼんやりしていた奥のほうの、葉が擦れる音や、小さな虫の動きまで、輪郭がはっきりしてくる。
なんだか、じわじわと嬉しくなってきた。
引けば増える。それは三日かけて分かっていた。けど、それだけじゃなかった。手持ちのやつも、使えば伸びる。集めるだけじゃない。一つ一つが、こうして育っていくのか。
火球も、礫も、鑑定も、遠見も、同じだとしたら。撃って、見て、探って、使い込んだぶんだけ、強くなっていく。今は子供の投石みたいな礫だって、ずっと撃ち続ければ、いつか馬鹿にできない一発になるかもしれない。
なんだ、と思わず口元がゆるんだ。
増えるだけでも上等だと思っていたのに、育ちもするのか。これは、思っていたより、ずっといい力を渡されたのかもしれない。
布をしっかり結び直して、俺は森を出た。来たときより、足取りが軽い。
ギルドの受付台には、見覚えのある女が立っていた。昨日、俺を登録してくれた、あの慣れた顔つきの女だ。
布を開いて、薬草を台に並べる。女はそれを一株ずつ手に取って、葉の裏を返したり、軽く指で揉んだりして確かめた。
「五株、揃ってるね。質も悪くない。中の上ってとこか。新人の初仕事にしちゃ、変な草を混ぜてこなかっただけ上等だよ」
「鑑定で、一株ずつ確かめながら採ったんで」
「ああ、そうだったね、鑑定持ち。なるほど、そりゃ取り違えようがない」
女は得心したように頷いて、それから台の隅に置いた硬い粒に目を留めた。
「で、これは。スライムの核かい」
「採ってる途中で一匹出たんで、ついでに。買い取ってもらえますか」
「もらえるよ。といっても、こんなのは小遣い銭にもならないけどね。捨てるよりはマシ、くらいに思っときな」
女は引き出しから硬貨を出して、台の上で数えながら並べていく。
「薬草が、報酬で銅貨七枚。スライムの核が、二枚。締めて九枚だ」
頭の中で、勝手に勘定が回る。九枚。多くはないが、ゼロからの九枚は大きい。
「で、ここから登録の控え料、五枚を引かせてもらうよ。昨日の話、覚えてるね」
「覚えてます。最初の報酬から、って」
「うん。ちゃんと払う子は気持ちがいいね。踏み倒して逃げる新人も、たまにいるんだよ」
女が五枚を手元に引いて、残りの四枚を、台の俺のほうへ滑らせた。
銅貨四枚。
よれよれのスーツのまま死んで、財布の紙幣がただの紙きれになって、この街に放り出されてから、初めて自分の手で稼いだ金だ。たった四枚。汁が一杯と、堅パンが少し。それで消える額だ。
それでも、握ったときの手応えが、財布の千円札とは比べものにならなかった。
その四枚を握って、俺は右奥の食堂の一角に移った。
酒場兼食堂、と言っても、昼前の今は客もまばらだ。木の卓がいくつか並んでいて、奥のほうで数人が椀を傾けている。
台で汁を一杯頼んだ。銅貨三枚。それと、別の店で買うより安く分けてくれた堅パンが半切れ。手元には、銅貨一枚も残らなかった。きれいに使い切った計算だ。
湯気の立つ椀を、両手で持つ。
具は刻んだ芋と、何かの肉の切れ端が少し。塩味の、ただの汁だ。会社の帰りにコンビニで適当に買って、机で冷めたまま流し込んでいた頃なら、見向きもしなかった代物だろう。
それを一口すすった瞬間、思わず、ふう、と長い息が出た。
温かい。塩気が、腹の底まで沁みていく。三日ぶりの、まともな飯だ。固いパンを汁に浸して齧る。腹が、ようやく人間に戻ったみたいに落ち着いていく。
たった一杯の汁で、こんなに満たされるとは思わなかった。
社会人になって初めての給料日に、安い居酒屋で先輩に奢られた一杯を、なぜかふと思い出した。あのときも、こんな顔をしていたのかもしれない。
「兄ちゃん、見ない顔だな。新入りか」
隣の卓から、声がかかった。
顔を上げると、革鎧の男が三人、椀の脇に木のジョッキを並べて座っていた。昼間から飲んでいるあたり、稼ぎがいいのか、仕事を休んでいるのか。一番手前の、髭面の大柄な男が、にっと笑ってこっちを見ている。
「今日、初仕事を終えたとこです。薬草採取で」
「は、薬草か!」
男が、豪快に笑った。
「いいねえ、初々しい。俺らもなあ、最初は草むしりから始めたもんだ。だがな兄ちゃん、いつまでも草を抜いてちゃ、汁一杯で終わりだぜ」
「草と核で、九枚でしたよ。控え料引かれて、四枚」
「四枚!」男はもう一度笑って、ジョッキをあおった。「だろうな。それじゃあ寝床代にもならねえ。けどよ、ちゃんと稼ぎたいなら、行く先は決まってる」
男が、親指で奥のほうを――いや、もっと遠くを示すみたいに、ぐいと立てた。
「穴だよ、穴。ラドリスの大穴。街道を北に半日も行きゃ、でかい穴が口開けてる。あすこに潜りゃ、出るんだよ。魔石ってやつがな」
「魔石」
「ああ。中の魔物を狩りゃ、体から石が取れる。それがいい銭になる。さっきのスライムの核なんざ、子供の小遣いだ。穴の中のは、桁が違う」
別の、痩せた男が口を挟んできた。こっちは少し慎重な口ぶりだ。
「ただし浅いとこだけにしとけよ。深く潜りゃ潜るほど、出るやつも強くなる。新入りが欲かいて奥まで行って、戻ってこなかった話なんざ、いくらでもある」
「そうそう、まずは入り口あたりでゴブリンの一匹も狩ってみな。それでも、草むしりよりよっぽど割がいい。なあ?」
髭面の男が同意を求めると、三人は揃って笑って、またジョッキを傾けた。
俺は汁の最後の一口をすすりながら、その話を、頭の中で勘定し直していた。
採取で、控え料を引いて手元に四枚。スライムの核で二枚。ここで足踏みしていたら、一日働いて飯一食ぶんだ。借りは返したが、貯まりはしない。明日も、明後日も、草を抜いて九枚。
けど、穴に潜って魔石が出るなら。
桁が違う、と男は言った。出る石の質も、たぶん深さで変わる。浅いところで小さいのをいくつか拾うだけでも、草むしりよりはずっといい。そして俺には、引けば増えて、使えば育つ、この力がある。今日スライムを片付けたみたいに、入り口あたりの相手なら、なんとかなりそうな気もする。
潜れば、変わる。
空になった椀を置いて、俺は北のほうへ目をやった。壁の向こうに、まだ見ぬ穴が口を開けている。
明日、その穴の場所を、もう少し詳しく聞いてみるか。




