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無限ガチャの転生者 ~毎日引いてスキルを集め、育てて最強になる~  作者: わわわ


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第36話 合わない数と、氾濫の予兆

「あの三人、ちゃんと上まで逃げ切れたかな」

 縦穴を上りきって、中層の灯りのある区画まで戻ったところで、リタが言った。声に、まだ少し、興奮の名残みたいなものが混じっている。

「逃げ切れたろ」俺は答えた。「来た穴を、まっすぐ上れって言った。あれより下に用はないはずだ」

「だといいけど」

 リタは、短剣を鞘に戻しながら、自分の手のひらを見ていた。さっきまで、群れの栓を押さえ続けていた手だ。まだ、強ばりが抜けきっていないらしい。

 俺も、似たようなものだった。撃ち切った爆炎の重さが、肩の付け根に、まだ居座っている。腕を回すと、芯のところがだるい。一発で源の穴を半分塞いだ。その代償が、ここに、まるごと残っている。次の一発は、しばらく出ない。

 それでも、足は止めなかった。中層の縄まで戻れば、もう、群れが上から落ちてくる心配はない。気の張りが、一段ゆるむ。

 ゆるんだ拍子に、頭の隅のほうで、ずっと引っかかっていたものが、表に出てきた。


 あの底の数だ。

 塞いだのに、減っていなかった。

 歩きながら、もう一度、広域感知を下へ伸ばした。だるい頭で読むと、像の輪郭が、いつもより滲む。それでも、底の固まりは、はっきりそこにあった。びっしり詰まったまま、暗がりの底で、互いを押している。漏れたのは、ほんの一波。本体は、まるごと残っている。

 しかも、端のほうが、また別の穴を探っていた。塞いだ口とは違う、もう一本。押し合いの圧が、新しい逃げ道を、勝手に見つけようとしている。

「悠さん、また、それ見てる」リタが、横から覗き込んだ。「下の、減ってないやつ」

「ああ」

「気になるの、分かるけど。今日は、爆炎、撃ち切ったでしょ。私たちで、どうにかできる数じゃないって」

 その通りだった。

 二人で堰き止められるのは、一本か、二本の流れまでだ。源そのものは、手に余る。退いて、ギルドに報せて、上位ランクを動員してもらう。それが、まっとうな段取りだ。

 だから、報せに行く。

 それは、決めていた。決めていたんだが――頭の隅で、勘定する癖が、まだ、しつこく食い下がっていた。仕事で、棚の数と帳簿の数が合わないとき。あのときに似た、座りの悪さ。塞いだのに減らない。漏れたのは一握り。なのに、底はまるごと。その数の収まりが、どうにも、悪い。


「キサさんだ」

 リタが、先に気づいた。

 中層の、岩棚が広く開けた踊り場のところ。荷を担ぎ直しているキサがいた。深層から、ちょうど引き上げてきたところらしい。山刀を腰に戻して、背の袋の口を縛っている。袋は、いつもより膨らんでいた。今日も、それなりに獲ったんだろう。

 俺たちに気づいて、こっちを見た。値踏みする、いつもの目だ。それが、俺の肩のあたりで、少し止まった。爆炎を撃ち切ったあとの、だるさが、出ていたのかもしれない。

「派手な音、したね」キサは、顎で、下のほうを示した。「下の枝で。あんたらかい」

「俺たちです」

「ふうん」キサは、袋を肩に担ぎ直した。「生きてるってことは、勝ったんだ」

「勝った、っていうか」リタが、言葉を探した。「逃がした、って感じです。新人が、群れに呑まれかけてて」

 キサの動きが、止まった。

 袋の紐を結ぶ手が、途中で止まって、それから、ゆっくりとこっちに向き直った。眉が、わずかに寄っている。鼻が、何かを嗅ぐみたいに、一度、暗がりの下へ向いた。

「新人」キサは、低く繰り返した。「どこの枝だ」

「浅いほうです。Eの札で潜る区画。そこへ、深層の群れが、抜けてた」

「深層の群れが、E帯に」

 キサは、それを、自分の中で、ゆっくり繰り返しているみたいだった。軽く流す、いつもの調子じゃなかった。


「そりゃ、おかしいね」キサは、低く言った。

「おかしい、っていうのは」

「あの蜘蛛は、縄張りから出ない。深いとこに湧いて、深いとこで狩り合う。上には来ない。今までは、ね」キサは、下を向いたまま、続けた。「それが、E帯まで抜けた。押し出されたんだ。下が、詰まりすぎて」

 押し出された。

 その言葉が、頭の中で、底の数と、かちりと噛んだ。

 底で押し合っていたぶんが、行き場をなくして、いちばん抜けやすい上の穴へ、こぼれていく。今日、目の前で見た、あの動きだ。水が、堰の低いところからこぼれていくみたいな、あれ。

「キサさん」俺は言った。「この前、言ってましたよね。数が、合ってないって」

 キサが、こっちを見た。

「狩っても、減った気がしない。湧くのが、いつもより早い。そう言ってた」

「……言ったね」

「あれ、まだ続いてますか」

 キサは、すぐには答えなかった。腰の袋を、ひとつ、肩で揺すり上げる。それから、ぼそりと言った。

「続いてる。むしろ、ひどい」


「先月から、ずっと、減らないんだ」キサは、めずらしく、続けて喋った。利が絡むと、こいつは、一言だけ理由を足す。今のは、その一言が、少し長かった。「狩り場を、ひとつ、潰したよ。多すぎて、捌き切れなくて。別の区画に移った。そっちも、すぐ多くなった。湧くのが、追いつかないくらい早いんだ」

「湧くのが、早い」

「それだけじゃない」キサは、鼻の頭に、皺を寄せた。何かを思い出す顔だ。「甲羅持ちが、上に出てきた」

「甲羅持ち」

「深いとこにしかいない、でかいやつだ。胴が、岩みたいに硬い。そいつは、いつも、いちばん下の暗がりにいる。動かない。動く必要がないからね。そこが、いちばん獲物が来る場所なんだ」キサは、顎で下を示した。「そいつが、自分の縄張りより、上に出てきてる。何度か、嗅いだ。あんなとこにいるはずのないやつが、いる」

 その話が、底の固まりと、また、噛んだ。

 いちばん下の、動かないやつが、上に出てくる。動く必要がなかったやつが、動く。それは、下が、そいつの居場所じゃなくなってきている、ってことだ。押し合いの圧が、いちばん奥の、いちばん動かないやつまで、押し上げている。


 頭の中で、ばらばらだったものが、勝手に、並び始めた。

 今日、新人が呑まれかけた。深層の群れが、上の枝へ抜けた。源の口を塞いでも、底の数は、減らなかった。塞いだそばから、別の口を探り始めた。キサの鼻は、先月から、数が合わないと言い続けている。狩っても減らない。湧くのが早い。いちばん下の甲羅持ちまで、上へ押し出されてきた。

 別々の話じゃなかった。

 俺が、立ち上がった目で見ていたものと、キサが、鼻で嗅いでいたものが、同じ一つを、別のところから触っていた。俺のは、数だ。どこに、何匹、どっちへ。点で並ぶ。キサのは、流れだ。多い、減らない、出てくるはずのないやつが出てくる。生き物として、嗅ぐ。

 同じ群れの、同じ異変を、別の器官で、二人が、ずっと、なぞっていた。

「キサさん」俺は言った。声が、自分でも、少し低くなったのが分かった。「下の数、見えるんです。俺の感知で。底の固まりが、減らないのも、別の口を探り始めてるのも」

「見える?」キサが、片方の眉を上げた。

「広く読めるやつを、持ってて。深層の、底のほうまで」

 キサは、しばらく、俺の顔を見ていた。それから、ふっと、目の色が変わった。鼻で嗅いでいたものを、目で見ている人間が、目の前にいる。そういう、確かめる目だった。


「あんたの目が、減らないって言って」キサは、ゆっくり言った。「あたしの鼻が、増えてるって言ってる」

「噛み合いますね」

「噛み合っちゃ、まずいんだよ」

 キサの声が、一段、鋭くなった。

 軽く流す、いつもの調子は、消えていた。鼻が、先に答えを嗅ぎつけて、理屈が、後ろから追いついてきた。そういう顔だった。

「狩っても減らない。間引きが、追いついてない。下で、押し合うほど膨れてる。いちばん下のやつまで、上に押し出されてる。漏れが、E帯まで届いた」キサは、一つずつ、指を折るみたいに言った。指は折らなかった。ただ、声で、置いていった。「これ、全部、おんなじ一つの話だろ」

「同じ一つです」

「間引きが追いつかなくなった群れが、行き場をなくして、上へこぼれ出してる」

 キサが、そこまで言って、口をつぐんだ。

 その先を、言うのを、躊躇ったように見えた。深いとこを、何年も潜ってきた人間が、いちばん、聞きたくない言葉。

 俺は、その先を、引き取った。

「迷宮氾濫の、入り口だ」


 言ってしまうと、座りの悪かったものが、すとんと、収まった。

 塞いだのに減らない理由。漏れが一握りなのに、底がまるごと残っている理由。別の口を探り始める理由。全部、一本に繋がる。底で、何かが、間引きより速く、群れを膨らませている。膨れた群れは、互いを押して、いちばん抜けやすい上の穴から、こぼれ出す。今日の漏れは、その、ほんの最初の一滴だ。放っておけば、口は、いくつも開く。数は、いくつにも膨れる。最後は、上の層をまるごと押し流して、街道のほうまで、こぼれていく。

 なぜ、底が膨れているのか。それは、分からない。

 俺の目には、数しか映らない。湧きすぎているのは見える。けど、その源で、何が起きているのかは、底の暗がりが、隠している。キサの鼻も、そこまでは、嗅げないらしい。二人とも、こぼれてくる側しか、知らない。

 分かるのは、ここまでだ。これは、前触れだ。

「キサさん。これ、ギルドに報せます」

「報せるさ」キサは、即座に言った。「あたしの稼ぎ場が、丸ごと潰れる話だ。氾濫が来たら、深いとこは、しばらく入れなくなる。下手すりゃ、街まで巻き込まれる」

 親切で言ってるわけじゃない、という顔だった。自分の狩り場と、自分の身の話。だから、嘘がない。むしろ、そのほうが、こっちも信じられた。

「あんたらのためじゃないよ」キサは、念を押すみたいに言った。「あたしの、損の話だ」

「分かってます」俺は言った。「俺たちも、同じです。ここが潰れたら、稼ぎ場がなくなる」

 半分は、本当だった。

 もう半分は、今日逃がした三人の顔だ。あいつらが、明日、街道の手前で、また呑まれるかもしれない。それは、嫌だった。けど、それを口にする場面じゃない。キサが、自分の損で動くなら、俺は、俺の損で並べばいい。動く理由が違っても、向かう先は、同じだ。


「あんたの目と、あたしの鼻」キサは、荷を担ぎ直しながら言った。「氾濫が来るって話を、ギルドに信じさせるには、要るだろうね。あたしの鼻だけじゃ、『気のせいだ』で終わる。あんたの目だけでも、『新入りの見間違いだ』で済まされる」

「二つ揃えば」

「揃えば、突き合わせになる。別々の二人が、別々のやり方で、同じこと言ってんだ。鼻と、目で」キサは、わずかに、口の端を上げた。笑った、というより、面倒なことになった、という顔に近かった。「ギルドの連中も、無視はしづらいさ」

 そういう勘定の立つ女だ。

 報せに行くのにも、ちゃんと、効くやり方を選ぶ。鼻で群れを読むのと、同じだ。どう動けば、いちばん損が少ないか。それを、こいつは、いつも先に、嗅ぎ当てている。


 縦穴を、上り始めた。

 キサが、前を行く。俺とリタが、その後ろを続く。下のほうから、ぬるい空気が立ち上ってくる。深層の、あの濃い気配が、まだ、岩のあいだに残っている。

「ねえ」リタが、上りながら、小声で言った。「迷宮氾濫って、私、話には聞いたことあるけど。本物、来るの?」

「来る、とは言ってない」俺は言った。「来るかもしれない、その手前だ、ってだけだ」

「前触れ、って言ったよね」

「ああ」

 前触れだ。それ以上は、まだ、何も言えない。

 いつ来るのか。どれだけの数で来るのか。どの口から噴き出すのか。広域感知は、底の数を見せてくれる。でも、その先は、見せてくれない。底で、何が群れを膨らませているのか。それも、分からない。分からないことのほうが、はるかに多い。

 ただ、ひとつだけ、はっきりしていた。

 俺の目と、キサの鼻が、それぞれ別の場所から、同じ一つの輪郭を、なぞり当てた。ばらばらに見えていた異変が、嫌な形で、一本に揃った。それが、間違いだったらいい、と思う。けど、二つの違う器官が、同じ答えを返してくるとき。仕事の経験で言えば、それは、たいてい、当たっている。

「悠さん」リタが、また言った。「私たち、深いとこ、読めるよね。悠さんの目と、キサさんの鼻と」

「読めるな」

「じゃあ、たぶん」リタは、岩棚に手をかけながら、少し、息を弾ませた。「私たち、要るんじゃない? これが来たとき」

 要るんじゃない、か。

 深層の流れを、数で読める人間と、鼻で嗅げる人間。氾濫が、本当に来るなら――その流れを、先に読める者は、たぶん、価値がある。逃げる側じゃなく、向き合う側に、立てる。

 逃げて、片をつけずに済ますやつじゃない、と、自分のことは、もう、分かっている。


 縦穴の縁に、手をかけた。

 上から、中層の灯りが、ぼんやり降りてくる。その明かりの中で、キサが、先に縁を越えた。振り向きもしないで、ギルドのある方角へ、もう、歩き出している。報せに行く。自分の損のために。俺たちも、それに続く。

 いつ、どの口から噴き出すのか。それは、まだ、誰にも読めない。底で何が群れを膨らませているのかも、分からないままだ。今日こぼれたのは、たぶん、ほんの始まりに過ぎない。

 でも、噴き出す前に、嗅ぎつけられた。気づかないまま、ある朝いきなり街道が呑まれるのとは、わけが違う。こっちには、支度をする時間が、まだ、残っている。

 キサの背中を追って、俺とリタも、縁を越えた。下の暗がりは、もう、振り返らなかった。報せて、備えて、迎え撃つ。逃げる側じゃなく、向き合う側に立つ。今は、それだけ、決めればよかった。


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