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無限ガチャの転生者 ~毎日引いてスキルを集め、育てて最強になる~  作者: わわわ


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第32話 群れを嗅ぐ者と、認められた剣

「そこ、退きな」


 低い声が、横から飛んできた。

 誰の声か考えるより先に、体が動いていた。リタの腕を掴んで、横の岩棚の陰へ引き込む。次の瞬間、俺たちがさっきまで立っていた足場の上を、黒い影が、横から横へ、矢みたいに飛び抜けていった。

 また蜘蛛みたいなやつだ。この前、頭の上から落ちてきた、あれの仲間。岩肌に脚を引っかけて、また壁を駆け上がっていく。

 声の主は、すぐ近くにいた。

 あの女だった。深いとこに先にいた、獣人の。今日も、同じ場所で狩りをしていたらしい。腰を落として、片手に、刃の幅の広い山刀みたいなものを下げている。こっちを見もしないで、暗がりの上のほうへ、顎を向けていた。

「上、二匹。回り込んでる」

「……感知に、いる」俺は言った。「でも、上か下かが」

「鼻でわかる」女は、こともなげに言った。「あいつら、汗の臭いを上から舐めてくる。今、真上だ」


 深層に下りるのも、もう何度目かになる。

 Dに上がってから、ほとんど毎日、ここに通っている。それでも、上を取られる感覚には、いまだに慣れない。中層なら、気配感知で前後を読んでおけば、それでまず後れは取らなかった。ここは違う。俺の感知は、平たい地図だ。どこに何匹、どっちを向いて。それは拾える。でも、そいつが俺の頭の上にいるのか、足元の岩棚の下にいるのか――そこが、ぼやける。

 この女は、それを、鼻で埋めていた。

 言われたとおり、真上だった。岩棚の天井のほうから、二匹、ほとんど同時に身を投げてくる。落下の勢いに合わせて、脚を畳んだ黒い塊が二つ。

「リタ、強化、いくぞ」

「来てる!」

 リタの短剣に、手のひらから何かを乗せる。火球とは違う、じわっとした重さが、手の奥からほどけて、刃に薄く乗る。リタが、落ちてくる影に合わせて、低く沈んだ。半身で、下から上へ、すくい上げる。

 強化を乗せた刃が、落下の一匹を、横ざまに弾き飛ばした。岩壁に叩きつけられて、脚を縮める。

 もう一匹は、女が獲った。

 山刀が、ほとんど見えなかった。落ちてくる蜘蛛の脚の付け根を、すれ違いざまに一閃して、それで終わりだった。胴と脚が、別々に地面に落ちた。女は、もう次の暗がりを見ている。

「速」リタが、思わず、という感じで漏らした。


 残りの気配が、上のほうへ引いていく。

 数が減って、勝てないと踏んだんだろう。暗がりの高みへ、するすると戻っていった。中層の魔物には、こういう損得勘定が、あまりなかった。突っ込んできて、死ぬまで突っ込んでくる。ここのやつは、分が悪いと、ちゃんと退く。それが、なんだか、薄気味悪い。

 女は、山刀の刃を、岩で軽く拭った。それから、初めて、まともにこっちを見た。

 値踏みする目だ。この前と同じ。Dの札の新入りが二人、まだここをうろついている。それを、上から下まで一度なめて、それから、リタの手元に、目を留めた。短剣の刃に、まだ薄く残っている、あれを見ている、気がした。

「あんた」女が、リタに言った。「今の、剣に何か乗ってたね」

「えっ、あ、はい」リタが、少しどぎまぎした。「悠さんが、乗せてくれて」

「ふうん」

 それだけだった。女は、また興味をなくしたみたいに、自分の足元の獲物のほうへ屈み込んだ。さっき仕留めた蜘蛛から、手早く魔石を抜いている。慣れた手つきだった。

 手伝うでも、追い払うでもない。深いとこに先にいたのは自分だ、お前らは勝手にしろ。そういう距離だった。

 なのに、退かなかった。


 俺たちが奥へ進もうとすると、女も、同じ方向へ動いた。

 別に、案内するわけじゃない。並んで歩くわけでもない。ただ、女が狩り場にしている方角と、俺たちが進む先が、たまたま、同じだった。というより、いい素材の出る場所が、限られているんだろう。深いとこでしか採れないやつを狙えば、行き着く先は、そう何通りもない。

「ついてくるな、とは言わないけど」女が、前を向いたまま言った。「死んでも、あたしは助けないよ」

「助けてもらおうとは、思ってませんよ」俺は言った。

 女が、ちらりと、こっちを見た。少しだけ、目の色が変わった気がした。

「言うね」

「さっき、退けって言ってくれたのは、あなたですよ」

「あれは」女は、また前を向いた。「あんたらが死んで、ここで腐られると、臭いが残る。獲物が寄りつかなくなる。あたしの狩り場が、荒れるんだ。それが、嫌なだけさ」

 なるほど、と思った。親切で言ったわけじゃない。自分の稼ぎ場の話だ。だから、嘘がない。むしろ、そのほうが、こっちも気が楽だった。


 女は、本当に、鼻で狩っていた。

 俺の感知が、前方に固まった気配を拾う。数は読める。でも、女のほうが、いつも一拍早かった。気配が俺に届く前に、女が、すっと足を止めて、暗がりの一点を見据える。

「右の横穴。三匹。一匹、でかい」

 言われて、感知を右へ向ける。たしかに、いた。でも、でかいかどうかまでは、俺には、はっきりとは分からない。気配の手応えが、少し重い、という程度だ。女は、それを、臭いの濃さで嗅ぎ分けているらしかった。

「でかいの、どう分かるんですか」リタが、訊いた。

「臭うのさ」女は、短く言った。「血と、汗と、息の臭い。でかいのは、それが濃い。あと、群れの中で、どいつが先に動くかも、息遣いでわかる。先に動くのを、先に潰す。それだけだよ」

 説明する気は、あまりないらしい。それだけ言って、もう横穴のほうへ意識を移している。

 別系統だ、と思った。

 俺のは、数えるやり方だ。どこに、何匹、どっちを向いて。頭の中に、点で並ぶ。女のは、嗅ぐやり方だ。どいつが強くて、どいつが先に動くか。生き物として、読んでいる。同じ群れを、まるで違う器官で捌いている。


 横穴から、三匹が、ほとんど同時に飛び出してきた。

 女の言ったとおり、一匹だけ、二回りでかかった。胴が、岩みたいにごつい。そいつが、先頭で、まっすぐリタに突っ込んでくる。

「悠さん、でかいの、乗せて!」

「分かってる!」

 リタの剣に、強化を乗せる。手のひらの奥が、じわっと重くなる。

 そこで、おや、と思った。

 いつもの一本ぶんを乗せたつもりだった。なのに、刃に乗った重さが、いつもより、ひとまわり厚かった。気のせいかと思った。でも、リタが踏み込んで、でかいやつの突進を、半身でいなして、その横腹に一撃を入れた瞬間――刃が、いつもより、深く入った。

 でかいやつが、ぎゃ、と鳴いて、たたらを踏んだ。

「通った!」リタが、目を見開いた。「いつもより、深い」

 俺も、同じことを感じていた。手のひらに残った余韻も、なんだか、いつもと違う。前は、一本乗せると、手の奥がすぐ底をつきそうになった。今は、まだ、少し余っている。乗せたものが、前より、ほんの少しだけ、長く保っている。

 使い込んだから、か。

 考えている暇はなかった。残りの二匹が、左右から回り込んでくる。


「左、来る!」女が言った。

 女が、左の一匹を、山刀で迎えた。俺は、火球を手のひらに集めて、右の一匹に放った。

 オレンジの火が、暗がりを裂いて、右の蜘蛛の正面で爆ぜる。直撃じゃない。岩肌に火を爆ぜさせて、その熱で、蜘蛛が引っかけていた脚を、剝がす。脚を引っかける場所を焼かれて、こらえ切れずに、宙に投げ出される。地面に落ちて体勢を崩したそいつに、リタが踏み込んで、強化の乗った刃で、脚を根元から薙いだ。

 火球一発分の痺れが、手のひらに走る。連発しなければ、戻る。これくらいなら、火球で足りる。底まで絞り出すような、あの一発を出す場面じゃない。

 でかいやつは、まだ動いていた。突進を止められて、こっちに向き直ろうとしている。

「リタ、もう一回、同じとこ!」

「言われなくても!」

 強化が、まだ残っている。リタが、たたらを踏んだでかいやつの横腹、さっき割った同じ場所へ、もう一度、刃を入れた。今度は、根元まで通った。でかいやつが、前のめりに崩れる。岩棚が、その重さで、わずかに鳴った。

 女が、横で、左の一匹を片づけて、こっちを見ていた。


「……ふうん」

 女が、山刀を下げて、リタの仕留めたでかいやつを、しばらく見ていた。それから、ぼそりと言った。

「悪くない動きだったよ」

 リタが、ぱっと顔を上げた。

「後ろのあんたが、群れを読む。前のあんたが、踏み込んで斬る。読みと、剣が、ずれてない」女は、リタから俺へ、目を移した。「乗せる間も、ちゃんと合ってる。……まあ、生きて帰れる組み方ではあるね」

 持ち上げる言い方じゃなかった。むしろ、素っ気ない。生きて帰れる組み方、というのが、たぶん、この女の物差しでは、上のほうの評価なんだろう。深いとこで、死んだやつを、何人も見てきた口ぶりだった。

 リタは、自分の短剣を、握り直した。さっきまで、女に値踏みされて、少し気おされていた顔が、変わっていた。頬が、じわっと赤くなっている。Dの札を渡されたときの、あの顔に、似ていた。

「ありがとう、ございます」リタが、言った。

「礼を言う場面じゃないだろ」女は、もう背を向けていた。「事実を言っただけだ」

 でも、リタの口元は、ゆるんだままだった。

 受付の女に「あんたの剣でだ」と言われたとき。ダグに「心配はいらねえ」と言われたとき。こいつは、そのたびに、自分の歩いてきた距離を、誰かの一言で測り直してきた。今のは、それともまた、別の手応えだったらしい。深いとこを、何年も一人で潜ってきた女が、こいつの剣を、一人前として勘定した。連れの付き添いじゃなく。

 横で見ていて、悪くなかった。


 でかいやつから、魔石を抜いた。

 胴の中ほどに、埋まっていた。この前抜いた蜘蛛のより、さらに一回りでかい。手のひらに乗せると、ずしりとくる。光に透かすと、奥のほうで、深い色が、ゆっくり脈打っているみたいに見えた。これを地上で売れば、と頭の隅で勘定が回りかけて、やめた。今は、それより。

「リタ」俺は、声を落として言った。「さっきの、気づいたか」

「うん」リタが、頷いた。「いつもより、深く入った。悠さんの、乗せるやつ」

「使い込んだからか、ちょっと、効きが上がってる気がする」

 大ごとに言う話でもない。手のひらの奥の感じが、前より少しだけ厚くなって、保ちも、わずかに延びた。それだけだ。劇的に化けたわけじゃない。でも、この前まで一発で割れなかった硬いのが、今日は割れた。積み重ねた分が、剣の上に、ちょっとずつ乗っている。

「いいことじゃん」リタが、あっさり言った。「私の剣が、もっと化けるってことでしょ」

「化けるのは、お前が当てたときだけだ」

「分かってるって」


 女が、その間も、自分の獲物から魔石を抜いていた。

 手を止めたのは、ふいにだった。

 屈み込んだまま、女が、すっと顔を上げた。鼻を、暗がりの奥のほうへ向けている。眉が、わずかに寄った。何かを、嗅いでいる。

「どうかしました?」俺は訊いた。

「……いや」女は、少し黙ってから、独り言みたいに言った。「臭うんだよ。数が、合ってない」

「数?」

「この区画、ここんとこ、群れが、多い」女は、抜いた魔石を、無造作に袋に落とした。「狩っても狩っても、減った気がしない。湧くのが、いつもより、早い。そんな気がするんだ」

 言い方は、軽かった。

 深刻ぶった調子は、まるでなかった。自分の狩り場の、ちょっとした勝手の話。獲物が増えてるなら、稼ぎになる。減らないなら、そのぶん長く居座れる。それくらいの、軽さだった。

「稼ぎが増えるなら、いいことなのでは」リタが言った。

「まあね」女は、肩をすくめた。「ただ、多すぎると、押し合いになる。押し出された群れが、変な動きをする。それが、たまに、面倒なんだ」

 そう言って、女は、もう、その話を終わりにした。鼻が拾った違和感を、それ以上、追う気はないらしい。自分の稼ぎに障りがなければ、それでいい、という顔だった。

 俺も、そういうものか、と受け取った。

 深いとこの群れの湧き方なんて、俺は、まだ何も知らない。多い少ないの加減も、分からない。この女が「合ってない」と言うなら、いつもより多いんだろう。それくらいの話だ。重く受け取る理由も、今のところ、ない。

 ただ、頭の隅の、勘定する癖だけが、ことん、と引っかかった。

 狩っても減らない。湧くのが早い。数が合わない。仕事で、帳簿の数と、棚の数が合わないとき。あれは、たいてい、どこかに見落としがある。

 まあ、と思い直す。ここは、倉庫じゃない。


 今日は、ここまでにした。

 欲をかいて、もう一段下りる場面じゃない。女のいる方角を、これ以上奥へ追う気もない。来た道を、岩棚を伝って、戻り始めた。

 女は、ついてこなかった。まだ、自分の狩り場に、残るらしい。

 岩棚の縁まで来たとき、後ろから、女の声がした。

「あんたら」

 振り向くと、女は、こっちを見もしないで、次の暗がりへ、もう山刀を構えていた。

「次も、生きて下りてきな。腐られると、迷惑だ」

 それだけだった。

「名前は」俺は、訊いた。「俺は、悠。こいつは、リタ」

 女は、少し、間を置いた。

「キサ」

 短く、それだけ返して、女は――キサは、もう暗がりのほうへ歩き出していた。背中が、すぐ、灯火の縁から消えた。

 俺は、その背中を、しばらく見ていた。


 縦穴を、上り始める。

 下のほうから、ぬるい、重い空気が立ち上ってくる。呼吸が浅くなる感じも、いつものことになってきた。それでも、この深さは、まだ、慣れない。

「ねえ」リタが、上りながら、言った。札を握る代わりに、短剣の柄を、とん、と叩いた。「キサさん、私の剣のこと、悪くないって、言ってくれたよね」

「言ってたな」

「生きて帰れる組み方、って」リタは、その言葉を、口の中で、確かめるみたいに繰り返した。「あれ、たぶん、褒めてたんだよね」

「褒めてたんだろ。あの人なりに」

「だよね」

 リタの声に、いつもの威勢が、戻っていた。深いとこを、一人で潜ってきた女に、自分の剣を、一人前と認められた。それが、こいつの中で、まだ、温かいまま転がっているのが、横から見て、分かった。

「私さ」リタが、岩棚に手をかけながら言った。「もっと、深く下りられるようになりたい。あの人みたいに、一人でも捌けるくらい」

「一人で捌くのは、勘弁してくれ」俺は言った。「俺が、後ろで読むんだから」

「それもそっか」リタが、笑った。「じゃあ、二人で、もっと深く」

 二人で、もっと深く。

 それには、たぶん、俺の読みが、足りない。上か下か。前か後ろか。キサが鼻で埋めていた、あの一拍。あれを、俺の感知が、自分で埋められるようになれば――。

 まだ、そこまでは、届かない。

 縦穴の縁に手をかけて、もう一段、上へ。下の暗がりが、足元で、また少し、遠くなった。その埋まらない一拍を、いつ自分の手で埋められるのか――上りながら、それだけが、頭の隅に引っかかっていた。


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