第29話 動き出した評価と、Dへの一歩
「悠。あんたに、名指しの口がきてるよ」
ギルドの受付に依頼書を出そうとしたら、女に先回りされた。茶色の髪を引っ詰めた、いつもの中年の女だ。台帳に何か書きつけていた手を止めて、こっちを見もしないで言う。
「名指し、ですか」
「名指しさ。あんたとリタ、二人で、ってね」
女は、台の脇に伏せてあった一枚を、指で滑らせて寄こした。間引きや採取の、いつもの薄っぺらい依頼書じゃない。紙が一回り厚くて、隅に、見たことのない判が押してある。
「街道沿いの、隊商の護衛だ。北の宿場まで、二日。荷の中身が中身でね、生半可な新入りには回せない口さ」
「護衛」
「不満かい」
「いえ。むしろ、なんで俺たちに、と思って」
女は、ふん、と鼻を鳴らした。それから、ようやく顔を上げる。
「腐ってた荷主が剝がれてから、街道の口がいっぺんに増えてね。みんな、安心して荷を出すようになった。そうなると、護衛の手が足りない。誰でもいいわけじゃない。腕のいる口は、腕のあるやつに回す。それだけさ」
それだけ、と女は言った。けど、その「それだけ」が、こっちには、ずいぶん重たく聞こえた。少し前まで、俺がこの台に出していたのは、ゴブリンの右耳と、安魔石だった。女は俺を、次の客の一人として、淡々とさばいていた。それが、名指しの護衛だ。回す側が、俺たちを「回せる相手」として、勘定に入れている。
「もちろん、断ってもいい。あんたら、まだ駆け出しだ。荷の事故は、ランクに重くのしかかるからね」女は、台帳のほうへ目を戻した。「ただ、これをこなせば、悪いようにはならないよ。……分かるだろ。回した側が、見てるってことさ」
待合の長椅子から、リタが立ち上がってきた。さっきまで、汁物の椀をすすっていたはずだ。
「悠さん、なんか、いい話?」
「護衛の依頼だ。北の宿場まで。お前と、二人で名指し」
「名指し!?」
リタの声が、ひっくり返った。受付の台に身を乗り出して、依頼書を覗き込む。判の押された隅を、指でなぞって、それから、女のほうを見上げた。
「これ、私の名前も、ちゃんと、入ってます?」
「入ってるよ。前衛が一人、後衛が一人。そう聞いて、回ってきた口だ」
「前衛……」リタは、自分の腰の短剣に、無意識に手をやった。「私が、前衛で」
「あんたが前衛だろう。違うのかい」
違わない。違わないけど、リタは、しばらく、その判を見ていた。村で藁束を相手に剣を振っていた頃から、ここまで来た距離を、紙の上の一行で、もう一度測り直しているような目だった。それから、ぱっと顔を上げて、俺を見た。
「やろうよ、悠さん」
「いいのか。二日、街道に張り付くぞ」
「いいよ。だって、名指しだもん。私の」
リタは、自分の、を、やけに強く言った。悪い気は、しないんだろう。こいつの手柄は、こいつのものだ。横で勝手に語ってやる気はないが、その判の一行が、こいつのものだってことだけは、間違いない。
依頼書を受け取って、ギルドの奥へ歩く途中で、すれ違った冒険者の一人が、足を止めた。
「……あんた、あの、長を落としたっていう」
三十がらみの、革鎧の男だ。前に、酒場の隅で、こっちをちらちら見ていた顔のうちの一つかもしれない。けど、今日は、ちらちら見るんじゃなく、まっすぐ、俺の前に立っている。
「噂は、聞いてるんだ」男は、少し早口に言った。「Eで、元B級を。火が、化けたって。本隊の連中が、見たって言ってた」
「……結果的に、ですけど」
「結果的に、で化けるかよ」
ダグと同じことを言うやつだ、と思った。男は、ちょっと言い淀んでから、続けた。
「あのさ。もし、奥の階層に潜るとき、頭数が要るなら。声、かけてくれよ。俺、前衛できるんだ。あんたらと組めるなら……いや、足を引っ張る気はねえよ。ただ、近くで見てみてえ。あんたらの戦い」
組みたがる、というやつだった。前は、こっちが頭数を埋めてもらう側だった。誰かの合同にくっついて、後ろから火を当てて、間引きの頭割りをもらっていた。それが、組みたがられている。声をかけられる側に、回っている。
「考えときます」と、俺は言った。今すぐ二人に誰かを入れる気はなかったけど、その申し出を、無下にする気にもなれなかった。男は、それで満足したみたいに、軽く手を上げて、人混みのほうへ戻っていった。
横で、リタが、にやにやしていた。
「組みたいって。私たちと」
「お前、嬉しそうだな」
「だって、嬉しいもん」リタは、隠す気もなさそうに言った。「前は、誰も、私の名前なんて覚えてなかったし」
奥の休憩用の卓に、ダグがいた。脇腹の布は、もう取れている。酒の椀を片手に、片肘をついて、いつもの顔だ。
「ダグさん。聞いて。名指しの護衛、きたんだよ。私たちに」
リタが、卓の向かいに、勝手に腰を下ろした。ダグは、ちらりと依頼書の判に目をやって、ふん、と短く息を吐く。
「隊商か。街道の口が、増えてるからな」
「知ってたんですか」
「俺んとこにも、声はかかる」ダグは、椀をあおった。「断ったがな。俺は、潜るほうが性に合う」
それから、ダグは、俺のほうへ目を向けた。短評の調子で、ぽつりと言う。
「お前ら、名指しで回ってくるようになったか」
「みたいです。正直、戸惑ってますけど」
「戸惑うくらいで、ちょうどいい」ダグは、椀を置いた。「名指しは、楽じゃねえぞ。事故ったときに、誰の責任かが、はっきりする。回した側は、それを承知で、お前らに回した。……値踏みされてんだ。生きて、こなせるかってな」
持ち上げる言い方じゃなかった。欲をかくな、の延長線上の、いつもの実務的な言い方だ。けど、その「値踏みされてる」を、ダグは、俺たちが値踏みに足る相手になった、という前提で言っている。最初に大穴で会った頃、新入りを業務でさばいていた距離とは、もう、違う温度がそこにあった。
「それと」ダグが、付け足した。「ギルドが、お前らの札を、上に回したらしいぞ」
「上に、というと」
「Dへの推薦だ」ダグは、こともなげに言った。「元B級を落として、事件を表に引きずり出した。実績としちゃ、Eに置いとくのは、もう収まりが悪い。受付が言ってたぜ。あの二人、Dも近いってな」
Dも近い。
その一言が、卓の上に、ぽんと置かれた。
「D!?」リタが、椀を取り落としそうになった。「私も!?」
「お前もだろ。前衛が一人、後衛が一人。二人で落としたって、札に書いてあるんだから」ダグは、面倒くさそうに言った。「悠の付き添いで上がるわけじゃねえ。お前は、お前の腕で、あの長の剣を一拍止めた。そう記録されてんだ」
リタは、しばらく、口を半分開けたまま、固まっていた。それから、じわじわと、顔が赤くなっていく。嬉しさを、どう処理していいか分からない、という顔だ。
「私の腕で……止めた、って」
「書いてあるって言ってんだろ。何度も言わせるな」
ダグは、それきり、椀のほうへ戻った。これ以上、持ち上げる気はない、という顔だった。けど、わざわざ「悠の付き添いじゃない」と言ってやったのは、こいつなりの、不器用な区別の付け方だったんだろう。
ギルドを出ると、夕方の大通りに、いつもの喧騒が戻っていた。
露店が並んで、買い物帰りの連中が行き交って、荷車の軋む音がしている。少し前まで、この通りに薄く張りついていた緊張は、もう、ない。
「ねえ、悠さん」
歩きながら、リタが、横から言った。声に、まだ、さっきの赤みが残っている。
「なんだ」
「私たち、Dに、近いんだって」
「らしいな」
「上がれるかな」
「上がれるだろ。近いって、言われてるんだから」
俺は、それを、受け流したくはなかった。前に評価が動き始めたとき、俺は、たまたま順番が嚙み合っただけだ、次も勝てる保証なんかない、と、噂を曖昧に頷いて流していた。それは、それで、間違っちゃいなかった。けど、今度のは、違う。Dへの推薦は、噂じゃない。ギルドが、俺たちの札を、実利として上に回した。名指しの護衛も、回す側の勘定の結果だ。
潮目が動いている、というのは、こういうことだった。火が化けたとか、運がよかったとか、そういう一回きりの手応えじゃなくて、回りの人間が、俺たちを「回せる相手」「組める相手」「上がる相手」として、扱い始めている。それは、俺が、ずっとやってきたことの、続きだ。寝て、一回引いて、地味なやつを集めて、使い込んで育てる。その積み重ねが、誰かの台帳の上で、Dへの一行になった。
なら、それを、足場にすればいい。慎重さは、捨てない。名指しの護衛も、Dも、おごって踏み外せば、ダグの言うとおり、重くのしかかる。けど、足場ってのは、踏みしめるためにある。次の、もっと先へ。
「悠さん、また、考え事してる」
リタが、横目で、こっちを睨んだ。
「考えてた」
「何を」
「足場ができたな、と思って」
「足場?」
「Dに上がれば、解禁される依頼も、潜れる階層も、増える」俺は言った。「もっと深いほうへ、行けるようになる。集めるのも、守れるのも、その分、広がる」
リタは、少しのあいだ、こっちを見ていた。それから、ふっと笑った。気の強い目に、いつもの張りが、戻っている。
「行こうよ。深いほう」
「まだDじゃないぞ」
「もうすぐだもん。近いって、言われてんだから」
リタは、俺の言葉を、そっくりそのまま、返してきた。
翌日、ギルドの掲示板の前で、護衛の段取りを確かめていると、後ろのほうで、新人らしい二人連れが、小声で言い合っているのが聞こえた。
「あの二人だろ。長を落としたって。なんか、Dに上がるらしいぜ」
「Eからか? 飛び級みたいなもんじゃねえか」
「腐ってた荷主、引きずり出したのも、あいつららしい。ギルドが、札を上に回したって、受付が」
「あの二人なら、Dも、すぐだろ」
俺は、聞こえないふりをして、依頼書の段取りに目を戻した。リタは、聞こえていたらしい。前を向いたまま、口の端を、ちょっとだけ、上げていた。




