第28話 戻った日常と、次を向く二人
「銅貨四枚だ」
買取台の向こうで、ギルドの職員が、俺の出した安魔石を一つずつ数えながら、慣れた調子で言った。中層の浅いとこで拾った、ありふれた小さいやつ。十いくつ。
俺は、その額を、頭の中の目盛りと並べてみた。
「四枚。前と、同じだ」
「文句あるのかい」
「いえ。むしろ逆です」
職員は、何のことだという顔をした。けど、こっちには、これが、ちゃんと意味のある四枚だった。少し前まで、ここで安魔石を出すと、必ず一枚二枚、相場より下に削られた。「出回りすぎだ」という理屈で。新人の魔石ばかりが、そうやって、知らないうちに薄く吸い上げられていた。それが、ない。今日は、四枚が、まっすぐ四枚だ。
あの腐った流れの金主が剝がれてから、何日かが過ぎていた。市場の相場は、誰が声を上げたわけでもなく、するすると元の高さに戻っていった。歪んでいたものが、まっすぐになった、ただそれだけの話だ。けど、その「ただそれだけ」を、俺は数字で確かめられる。買取の控えを受け取って、銅貨の重みを手のひらで量った。
守ったものってのは、こういう形で返ってくるらしい。派手じゃない。台の上の、四枚の銅貨だ。
隣の窓口では、見たことのない新人が二人、おっかなびっくり魔石を出していた。
「これ、ちゃんと、相場の値で買ってもらえるんですよね」
「あたりまえだろ。何言ってんだ」
職員に怪訝な顔をされて、新人は、ほっとしたように肩を下ろした。たぶん、誰かに「ここは買い叩かれる」とでも聞いて、身構えてきたんだろう。少し前なら、それは正しかった。今は、違う。
俺は、それを横目に見て、なんとなく、悪くない気分になった。
「悠さん、終わった?」
待合の長椅子から、リタが立ち上がった。二の腕に巻いていた布は、もう取れている。
「終わった。四枚だ」
「私は三枚。今日、浅かったし」リタは、自分の取り分を、ちゃりっと革袋に落とした。「ねえ、それより。今、聞いた?」
「何を」
「あっちの新人。買い叩かれるって、ビビってきたんだって。もう、そんなことないのに」
リタは、おかしそうに笑った。けど、その笑い方には、ただ面白がっているのとは、少し違う響きがあった。前は、こっちが普通に魔石を出すだけで、削られた。それが当たり前で、誰も、おかしいとは言わなかった。今は、新人が「相場通り」を、わざわざ確かめないと信じられないくらい、当たり前のほうが戻っている。
俺たちが何をしたのか、街は知らない。盗賊団を本隊が潰したことは知っていても、その奥の、市場に食い込んでいた仕組みを剝がしたのが新人二人だなんて、誰も思っていない。それでいい、と思う。返ってきたのは、台の上の四枚と、新人が安心して魔石を出せる、この当たり前のほうだ。
ギルドの奥の、休憩用の卓に、ダグがいた。
脇腹の布は、まだ取れていない。けど、酒の椀を片手に、片肘をついて、もう、すっかり普段の顔だ。俺たちが近づくと、ちらりと目だけ上げた。
「歩けるようになったんですね」
「歩けなきゃ困る」ダグは、短く言った。「潜れねえ」
それだけだった。湿っぽい礼も、回復を喜んでみせる芝居も、こいつには似合わない。布の巻かれた脇腹のことを、俺がそれ以上聞かないのも、ダグは分かっている顔だった。
リタが、卓の向かいに、勝手に腰を下ろした。
「ダグさん。あの巣の決着、見てなかったでしょ。途中で運び出されたんだから」
「見てねえな」ダグは、椀をあおった。「で?」
「悠さんの火、化けたんだよ。火球が。すごかった」
「リタ」
俺は、止めようとした。けど、リタは、こういうときだけ、やけに勢いがいい。自分の手柄でもないのに、人の見せ場を、自分が見てきたみたいに語りたがる。
ダグは、リタの話を、ふん、と聞き流すような顔で聞いて、それから、俺のほうへ、目を向けた。
「火が化けた、ね」
「……まあ、結果的に」
「結果的に、で化けるもんかよ」ダグは、椀を置いた。それから、いつもの短評の調子で、ぽつりと言った。「あの長を、お前らで落としたってのは、耳に入ってる。元B級だ。お前らが、生きて帰ってきただけで、上等だ」
持ち上げる言い方じゃなかった。事実を、損得で量って、上等だ、と言っただけだ。けど、ダグが新人の戦いを「上等だ」と評するのは、初めてだった。最初に大穴で会った頃の、新入りを業務でさばく距離とは、もう、違う。背中を預けられる側に、こっちが回った。そういう手触りが、その一言の温度に、滲んでいた。
「無理は、しなかったか」ダグが、付け足した。
「しました。たぶん、かなり」
「ふん」ダグは、ちょっと、面白そうな顔をした。「死んでねえなら、いい」
ギルドを出ると、外はよく晴れていた。
大通りは、いつもの夕方だ。露店が並んで、買い物帰りの連中が行き交って、どこかで荷車の軋む音がしている。少し前まで、この通りには、見えない緊張が薄く張りついていた。街道がどうとか、荷がやられたとか、声を潜めた立ち話が、あちこちにあった。それが、今は、ない。
馬が、街道の向こうから、隊商の荷を引いて入ってきていた。御者が、門番と何か軽口を叩いている。荷は、無事に、ここまで届いている。
「荷馬車、戻ってきたね」リタが、それを見て、言った。
「ああ」
「私が、この街に出てきたときも、ああやって、荷馬車に乗せてもらって」リタは、北の方角へ、ちらりと目をやった。「あのとき乗せてくれた商隊、無事だといいけど」
その方角は、いつか村のことを話したときと、同じ方角だった。街道で隊商がやられている、という話を、不安そうに見ていた、あのときと。今は、その不安の種のほうが、剝がれている。
「街道、もう物騒じゃない」俺は言った。「荷を奪わせてた金主が、いなくなった。盗賊の巣も潰れた。あの道は、もう、普通の道に戻る」
リタは、しばらく、その荷馬車を見ていた。それから、ふっと、肩の力を抜いた。
「そっか。……うん。そっか」
二度、頷いた。安心した、というより、自分の中で、何かを置きに行ったような頷き方だった。
市場の外れの、人通りの少ない一角まで来て、リタが、足を止めた。
古い井戸の傍だ。誰もいない。リタは、腰の短剣を、するりと抜いた。
「悠さん、ちょっと、待ってて」
何を始めるのかと思ったら、リタは、その場で、剣を振り始めた。
ゆっくりだった。型をなぞるような、確かめるような振り方だ。前なら、こいつの素振りは、もっと意地になった、噛みつくみたいな振り方だった。村で笑われて、伸び悩んで、それでも毎朝振ってきた、その意地が、刃先に乗っていた。今のは、違う。腕の動きを、一つ一つ、置きに行くみたいな振り方だ。
二の腕の、傷の走ったあたりで、剣が一度、止まった。
「痛むのか」
「ううん。もう、平気」リタは、傷のあたりを、左手で軽く押さえた。「ただ、ちょっと、確かめてただけ。ちゃんと、振れるか」
それから、もう一度、振った。今度は、止まらなかった。
リタは、剣を鞘に納めて、息を吐いた。すっきりした顔だった。
「村にいた頃さ」リタが、井戸の縁に腰かけながら、ぽつりと言った。「毎朝振ってても、相手がいなかったんだよね。藁束とか、丸太とか。それで、自分がどのくらいなのか、ぜんぜん分かんなかった」
「前に、聞いた」
「うん。覚えてるんだ」リタは、ちょっと笑った。「でさ。村を出たのは、自分がどこまでいけるのか、確かめたかったから。それも、言ったよね」
「言った」
俺は、それ以上、何も言わなかった。こいつが、何かを、自分の言葉で置きに来ているのが、分かったからだ。
リタは、抜いた短剣を、もう一度だけ、膝の上で見た。
「あの長の剣、止めたとき」リタは、刃を見たまま、言った。「格上だって、分かってた。真っ向から止められないことも。それでも、潜り込んだら、一拍だけ、止められたんだよね」リタは、刃から、目を上げた。「私、ちゃんと、届いたんだなって。村で藁束振ってた私が、元B級の剣を、一拍だけでも、止められるとこまで、来たんだなって」
声に、気負いはなかった。誇るでも、はしゃぐでもなく、ただ、自分で歩いてきた距離を、自分の足で測り直して、確かめている、そういう静かな声だった。
「まだ、伸び悩んでる、とか思ってたんだ。ずっと」リタは、剣を鞘に納めた。かちゃ、と留め具が鳴った。「でも、止められた。一拍。あれ、私の一拍だったから」
「お前の一拍だ」
俺は、それだけ、返した。あれが、ただの偶然じゃなかったことは、誰より、俺が知っている。リタが命がけでこじ開けたあの一拍が、俺の火を、天井の先まで押し出した。けど、それを俺が代わりに語ってやるのは、違う気がした。届いたかどうかは、こいつが、こいつの腕で、確かめることだ。
リタは、満足そうに頷いて、立ち上がった。
「ねえ、悠さん」
歩き出しながら、リタが、横から言った。
「なんだ」
「私たちさ、まだ、Eなんだよね。悠さん、E。私、まだ実質Fみたいなもんだし」
「そうだな」
「あの巣の、いちばん深いとこ。本隊が入ったとこ。あれって、もっと、ずっと下があるんでしょ。大穴も、私たちが行ってるのは、上のほうだけで」
その通りだった。大穴の、俺たちが稼ぎ場にしている浅層から中層は、入口に近いほうだ。その下に、まだ、いくつも階層がある。ギルドが、ランクで区切って、解禁を絞っている、深いほうが。本隊がドレクの巣に踏み込んだとき、奥へ続く道は、もっと先まで、暗く続いていた。
「深いとこは、強いのが出る」俺は言った。「相応に、ランクがいる」
「だよね」リタは、北の街道のほうじゃなく、今度は、街の外の、もっと漠然とした方角を、見るともなく見ていた。「ダグさんが言ってたじゃん。浅いとこで稼げ、欲かいて奥まで行くと死ぬぞって。でも、あのダグさんでも、いちばん下までは行ってないんだよね、たぶん」
「だろうな」
ダグですら、潜れる限りはと言いながら、稼ぎ場は中層止まりだ。その下が、どうなっているのか、ベテランの口にすら、はっきりは上らない。ただ、深いほうには、もっと強いやつがいて、もっといい素材が出る、というのだけは、酒場の連中の話に、いつも、ぼんやり混じっている。
稼ぐ。育てる。集める。それは、俺が、ずっとやってきたことだ。毎晩、寝て、一回引いて、地味なやつを少しずつ集めて、使い込んで、育てる。その積み重ねが、あの火を、化けさせた。
なら、その先に、何があるのか。
深いほうへ行けば、もっと強いやつがいる。もっといい素材が出る。集める楽しみも、その分、増えるはずだ。そして――もう一つ。あの街道の不安を剝がせたみたいに、守れるものも、増える。火じゃ届かなかったものに、数字で届いたみたいに、手の届く範囲が、広がっていく。
集めたい、と、守りたい。最初は、ただ集めるのが楽しかっただけだった。気がつけば、守りたいものが、その横に、並んでいる。その二つが、同じ「もっと先へ」を、指している。
悪くない、と思った。
「悠さん、また、考え事してる」
リタが、横目で、こっちを睨んだ。
「考えてた」
「何を」
「もっと先まで、行けるかなって」
リタは、少しのあいだ、こっちを見ていた。それから、ふっと、笑った。気の強い目に、いつもの張りが、戻っている。
「行けるよ。だって、今日、新人にビビられてたじゃん、ダグさん」
「それ、関係あるか」
「あるよ。街が、変わったってことでしょ」リタは、前を向いて、歩き出した。「相場が戻って、新人が安心して魔石売れて。それ、私たちがやったんだもん。誰も知らないけど」
「誰も知らないけどな」
「うん。でも、いつか、知られるよ」リタは、振り返らずに言った。「悠さんの火が化けて、あの長を落としたことも。腐ってたやつを剝がしたことも。たぶん、これから。私たちの評価、ここから、変わるよ」
その言い方は、根拠のない楽観じゃなかった。今日、買取台で四枚が四枚に戻っていたみたいに、ダグの短評の温度が変わっていたみたいに、潮目が、もう、動き始めている。それを、リタは、肌で感じている顔だった。
俺も、たぶん、同じものを感じていた。
夕方の大通りを、二人で歩く。荷馬車が、無事に、街道の向こうから戻ってきている。台の上の四枚は、まっすぐ四枚だ。北の不安は、剝がれた。今日、組んだ相棒は、自分が来た距離を、自分の腕で測り直して、すっきりした顔をしている。
「変わるな、たぶん」
俺は、リタの背中に、そう返した。
「でしょ」
リタは、振り返って、ちょっと得意げに笑った。それから、また前を向く。北の街道のほうでも、村のほうでもなく、まっすぐ、街の先のほうへ。
まだ、Eだ。深いほうは、遠い。けど、その遠さは、もう、怖い遠さじゃなかった。集めて、育てて、二人で行けば、たぶん、いつか届く。届かなかった火が、届いたみたいに。
俺たちの評価は、ここから、変わる。その先に何があるのかは、まだ、行ってみないと分からない。
分からないから、行ってみたい。久しぶりに、そう思った。




