第25話 届かない火と、その先の予感
木箱の影から見ていると、本隊の腕利きが、次々とドレクに弾き返されていた。
革鎧に金属板を着けた一団の中でも、ひときわ立ち姿の良い男が、長剣を上段から振り下ろした。ドレクは、半歩だけ横へ抜けて、その剣を受けもしなかった。空を斬った男の脇腹へ、ドレクの肘が短く入る。男が膝から落ちる。それを見て二人がかりで来た別の組も、片方の剣を流され、片方を足払いで崩されて、揉み合いの床に転がった。さっき俺にやったのと、同じ手だ。怒鳴りもしない、嬲りもしない。ただ、要る分だけ正確に、本隊の頭数を削っていく。
削られた本隊が、じりっと後ろへ下がった。
まずい、と頭の冷えた部分が言った。
「悠さん」リタが、俺の肩のところで、声を潜めた。「あの人たち、押されてる」
「ああ」
ここを固めていた頭目が一人、本隊の腕利きを片端から無力化していく。本隊が下がれば、外郭から追い立ててきた勢いごと、後ろへ巻き戻される。せっかく抜けた道が、また塞がる。塞がれば、ダグが脇腹を裂いてまで開けた穴も、リタが幹部に剣を通した分も、全部、巻き戻る。
打ち合っても勝てない。それは、ついさっき体で分かった。
でも、と思った。本隊の連中は、正面から真っ向に斬りかかっている。だからドレクに、力比べと速さ比べで、まるごと上を行かれている。俺のやり方は、それとは違う。読んで、段取りで隙を作る。さっきはその段取りごと読まれた。けど、本隊が混戦でドレクの手をふさいでいる今なら、向こうの注意は一点に集まらない。半分でも、食らいつける目が、あるかもしれない。
膝が、勝手に伸びかけていた。
「リタ」
「行くんだね」
答える前に、もう分かっていた。リタの目が、すっかり前を向いている。怖がっていないわけじゃない。短剣を握る手が、まだ白い。それでも、退く気はないらしい。
「無理に詰めるな。お前の剣は、強化を乗せた一撃だけ狙え。あとは、俺が読む」
「うん」
木箱の影から、揉み合う人の渦へ、滑り込んだ。
火球を撃った。ドレクの足元じゃない。本隊の冒険者と斬り結んでいる、その横っ腹へ向けて。当てるためじゃなく、火と土埃で、向こうの視界の端を塞ぐためだ。火が膨れる。ドレクが、いつものように、膨れる前にそこから抜けようとする――けど、抜ける先に、揉み合う本隊の冒険者がいた。混戦のせいで、抜け場所が一つ、潰れている。
ドレクの体が、ほんの半瞬、流れを変えた。
「右だ、リタ!」
危険感知じゃない。流れた向きを、目で見て言った。強化を乗せたリタが、その右へ、低く踏み込む。短剣が、下から斬り上がった。
ドレクは、それでも剣を返した。長剣の腹で、リタの一撃を、横へ逸らす。逸らしながら、リタの肩を、剣の柄頭で軽く小突いて、間合いの外へ押し出した。リタが、たたらを踏んで下がる。
「させるか」
間合いから押し出されたリタの、その空いた正面へ、ドレクの剣が伸びかけた。危険感知が、ちりっと膝の裏を引いた。来る。リタの胴へ。
俺は、リタとドレクの剣の間へ、手のひらの前から板を立てた。障壁だ。来ると分かった一発を、正面で一度受ける。
長剣が、板に当たった。
受けた、と思った瞬間、また砕けた。木箱の山に叩き込まれた、あの一発と同じだ。受け止めたんじゃない。叩き割られて、その勢いの残りが、肩を掠めた。革の胸当てに、ぴしっと裂ける感触。下がる。リタの腕を引いて、揉み合う冒険者の背の陰へ、半歩、退いた。
障壁を一枚挟んで稼いだ、ほんの数呼吸で、痺れかけていた手のひらに、また熱が戻ってくる。
戻ってきた熱を、すぐには撃たなかった。
ドレクは、本隊の二人を相手にしている。一人の剣を受け流し、もう一人へ足を払いに行っている。背中を、こっちへ半分、向けた。その半分向けた背中の、肩甲骨の間へ、火球を撃ち込んだ。今度は当てに行った。狭くもない、開けた区画だ。膨らませて目を潰す手は、もう読まれている。なら、混戦で背を向けた一瞬を狙う。読みじゃない。隙間に差し込む一発だ。
火球が、ドレクの背へ、まっすぐ飛んだ。
当たった。
ドレクは、本隊の足払いを途中でやめて、火の当たる肩を、わずかに前へ送った。革鎧の上の、古びた金属の胸当て。その金属の縁で、火を受け流した。受け流す、なんて器用なことを、火球相手にやってのける。火は、胸当ての金属に当たって、橙色に弾けて、それきり消えた。ドレクの肩のあたりが、煤で黒く汚れている。それだけだ。
当たった。当たったのに、効いていない。
皮と、革と、金属と、それを着込んだ体の厚みと、火を受け流すあの体の運び。火球の一発くらいじゃ、その全部を、貫けない。
「……硬ぇな、くそ」
声に出ていた。
あの夜の手練れには、火球の効く一発が通った。ホブゴブリンの長には、弱点へ渾身の一発を叩き込んで、剣でとどめを刺した。ドレクには、その一発が、当たっても止まらない。格が、まるで違う。
「悠さん、もう一回!」
リタが、俺の横を抜けて、ドレクの背へ駆けた。火球で煤けた、その背中へ。短剣を振りかぶる。
「強化、いく――」
間に合わなかった。
ドレクは、本隊の二人を相手にしたまま、振り向きもせず、半身を引いた。リタの短剣が、ドレクのいた場所を、空しく薙いだ。それだけじゃない。引いた半身の、その流れで、ドレクの足が、リタの踏み込んだ前足を、軽く払う。
「リタ!」
リタが、前のめりに崩れる。崩れたところへ、ドレクの肘が来る。危険感知が、ぞくりと首の後ろを走った。俺は、礫を、ドレクの肘の側へ、立て続けに二つ放った。当てるためじゃない。肘を、リタの頭へ落とすその軌道を、ほんの少しでも乱せれば。
礫が、ドレクの腕に、こつ、こつ、と当たった。硬い相手に、礫はもとから効きが甘い。けど、当たった分、肘の落ちが、わずかに浅くなった。リタの後頭部を、掠めて逸れる。リタが、四つん這いで、転がるように間合いの外へ逃げた。
「下がれ! いったん下がれ、リタ!」
「っ……うん!」
ドレクは、追ってこなかった。追う暇があれば、本隊を捌くほうが、利になる。利で動く男だ。リタを追わずに、また本隊のほうへ、向き直っていく。
助かった。混戦が、こいつの手を、こっちへ全部は向けさせない。本隊が、揉み合って、ドレクの注意を割っている。そのおかげで、俺たちは、致命をもらわずに済んでいる。逆に言えば、それだけが、命綱だ。本隊が崩れれば、ドレクの手が、こっちへ全部向く。その時は、もう、凌げない。
息が、浅くなっていた。
膝に手をついて、揉み合う人の壁の陰で、肩で息をした。胸当ての裂け目から、汗が流れ込んでくる。手のひらが、また痺れている。撃って、痺れて、また熱が戻る前に次が要る。そのたびに、撃てない一瞬が、空く。その空白を、リタが埋めようとして、ドレクには届かない。届かないまま、また下がる。
じりじり、削られている。
でも、と思った。さっきから、火球を、こんなに撃っている。あの夜も、ホブゴブリンの時も、こんな回数は撃たなかった。一発ずつ、惜しんで撃っていた。今は違う。当たらないと分かっていても、撃って、揺さぶって、また撃つ。一番の出力で、押し出して、押し出して。
その撃ち込みの、途中だった。
頭の隅で、いつものUIが、何か言っている気がした。火球の文字。その横の、習熟を示すLvの目盛り。それが、撃つたびに、ぐっ、ぐっと、伸びていく感触があった。今までは、何十回撃っても、じわっとしか動かなかったところだ。それが、この一戦で、息せき切るみたいに、上へ詰まっていく。
目盛りの先が、もう、端に近い。
以前にも、これに似た感じを、味わったことがある。耳と目と肌の感覚が、研ぎ澄まされていく途中で、ある日、それ以上は伸びないところまで、ぱんぱんに詰まった。詰まりきって、その先で、感覚そのものが、別の形に化けた。気配を、まるごと読めるようになった。あの時の、伸びきって、端で押し合っているような、あの感触。それが今、火球で、起きかけている。
もう一発、撃った。
ドレクの、本隊へ向けた肩へ。当たって、また金属の縁で、受け流される。効かない。効かないのに、撃った瞬間、手のひらの奥で、火の核が、いつもより重く、ぐっと締まった気がした。同じ火球のはずなのに、押し出す熱の、その底のほうに、もう一つ、何か、深いものが沈んでいる。撃つたびに、それが、せり上がってこようとしている。
まだ、出ない。引き出し方が、分からない。でも、近い。あと、ほんの少しで、届きそうなところまで、来ている。
「悠さん!」
リタの声で、頭が戻った。
ドレクが、本隊の冒険者をまた一人、床に沈めて、こっちへ半歩、間合いを詰めてきていた。揉み合いの渦が、少し薄くなっている。本隊が、押し負け始めている。命綱の混戦が、痩せてきた。
「無駄だ」
ドレクが言った。低くて、平らな声だった。
「その火が、急に重くなった。撃つたびに、お前の手が、何かを探してる。気づいてないと思ってんのか。だが――」剣を、ゆっくり構え直す。「探してる途中のものは、まだ届かない。届く前に、終わる。仕事だ。悪く思うな」
図星だった。
手の奥のものは、まだ出ない。今すぐ化けてはくれない。ドレクの本気は、たぶん、まだこれからだ。混戦が薄れたら、こいつの手が、こっちへ全部向く。今のままじゃ、届かない。届かないまま、削り切られる。
それでも、俺は、笑いそうになっていた。場違いに。
届かない。でも、もう一歩で、届きそうなところまで、来ている。手のひらの奥で、つかえているものの、その輪郭が、さっきよりずっと、はっきりしている。
「リタ」俺は、痺れの抜けかけた手を、握り直した。「もう一回だけ、付き合え」
「言われなくても」
ドレクの剣が、上がる。混戦の音が、薄れていく。
手の奥の、まだ名前のない熱が、出口のすぐ手前で、つかえたまま、熱を増していた。




