第23話 幹部を抜いた剣と、ダグの傷
蔵の手前の広い坑道に出たところで、奥の暗がりから、男が一人、ゆっくり歩いて出てきた。
革鎧の上に、古びた金属の胸当て。腰に長剣を一本、それだけ。手前で削ってきた見張りや、柵を守っていた連中とは、立ち方からして違った。剣の柄に手すら掛けていない。それなのに、足の運びに無駄がない。後ろに、同じような構えの男がもう二人、松明の灯りの外に控えている。気配感知が、その三つを、密度の濃い塊として拾っていた。あの夜、宿に踏み込んできた手練れと、同じか、それ以上だ。
「ここから先は通さねえ」先頭の男が、低い声で言った。怒鳴りもしない。脅しもない。ただ、仕事の話をするみたいな調子だった。「頭目の区画だ。お前ら、新入りだろう。本隊の道はあっちだ。こんな端まで、よく来た。だが、運がなかったな」
頭目。その言葉に、隣でリタの肩が、わずかに張った。
「リタ、下がってろ。まだだ」
俺は、リタの前に半身で出た。後ろの本隊の喊声は、まだ柵の向こうで揉み合っている。ここを抜かなきゃ、本隊を後ろから挟む役は果たせない。けど、この三人は、外郭の柵を割ったときの勢いで押し切れる相手じゃない。一目で分かった。落ち着きが、まるで違う。
火球を撃った。
先頭の男の、足元の岩肌へ。狭い坑道だ、まっすぐ叩きつければ、火と土埃が一気に膨れ上がる。さっき柵を割る前、伏兵の目を潰したのと同じ手だ。
膨れた火の中へ、男が踏み込んできた。
目を潰されていない。火の手前で、横へ一歩流れて、土埃を躱しながら、もう懐に入ってくる。読まれていた。火球が膨れる位置を、撃つ前から見切られていた。長剣が、横薙ぎに来る。
危険感知が、来る方向を先に告げていた。右だ。俺は地を蹴って、左の岩壁へ転がるように逃げた。剣風が、さっきまで首のあった高さを薙いでいく。岩肌に、火花が散った。
「悠さん!」
「来るな!」
起き上がりざま、もう一発撃とうとして、手のひらに熱が回らないのが分かった。さっきの一発で、まだ抜けていない。次は撃てない。撃てないと知っているみたいに、男が間合いを詰めてくる。火球の後の空白を、こいつは知っている。読んでいる。あの夜の手練れと、同じ穴を突いてくる。
逃げて凌ぐだけなら、できる。気配感知で、どこにいるかは分かる。危険感知で、次にどこから来るかも分かる。剣を、避け続けることはできる。けど、避けているだけだ。あの路地で勝った時と、同じだ。当てる隙が、こっちから作れない。後ろにはリタがいる。逃げ続けたら、いつか背中が壁に着く。
その時、坑道の奥から、別の喊声が割り込んできた。本隊寄りの、もう一本の道だ。ダグが回ると言っていた方角。金属の打ち合う音が、急に激しくなった。それに気を取られて、控えていた二人のうち一人が、奥へ振り返った。区画を、両側から突かれているんだ。
先頭の男の意識が、ほんの一瞬、奥の物音へ逸れた。
逸れる方向が、危険感知で分かった。
「リタ、強化付与いくぞ。あいつの右、空く」
「いつ」
「俺が、撃ったら」
リタの肩と足元へ、強化付与を投げ込む。栗色の髪が、ぶわっと跳ねた。低く沈んだ体が、坑道の床を蹴る合図を待っている。
俺は、男の顔のほうへ、火球を撃った。当てるためじゃない。痺れの抜けかけた手で、無理に押し出した、弱い一発だ。それでいい。男は、火を読んで、また横へ流れる。流れる先は――危険感知が、もう告げていた。男の右、奥の物音から顔を背けきれていない、その半端な向き。流れた先に、こいつは来る。
リタを、そこへ先回りで置いた。
火を躱して横へ流れた男の、その流れる先に、強化の乗ったリタが、もう踏み込んでいた。男が剣を返す前。来ると分かっている場所で、待ち構えていたんだ。短剣が、下から斬り上がる。
男は、それでも反応した。長剣の腹で、辛うじて受けた。受けた――けど、いつものリタの一撃じゃない。強化付与で押し上がった膂力が、剣ごと男の体勢を、横へ押し崩した。受け切れなかった。短剣の切っ先が、男の肩口の、革鎧の継ぎ目を裂いた。血が、飛んだ。
「――通った!」
リタの声が、自分でも驚いたみたいに跳ねた。手練れの幹部に、剣が、届いた。届いたと、リタ自身の手が、確かに感じている。
男が、後ろへ大きく退いた。肩を押さえている。初めて、表情が動いた。
「……新入りが」
「リタ、引くな! 押し込め!」
俺の手のひらの痺れは、まだ抜けていない。けど、要らなかった。火球の空白を、リタが埋めるんじゃない。今度は、リタが詰めている。俺は、来る方向を読んで、強化したリタを、その先へ置く。男が剣を振るたび、危険感知が、振る方向を先に告げる。告げられた方向の手前に、リタはもう動いている。半瞬、早い。
「右、上から!」
「分かってる!」
強化の乗った短剣が、男の長剣を、真上から弾き落としかけた。男が、剣を取り落とさないように、半歩退く。退いた先を、また読む。リタを、また先回りで置く。さっきまで、こっちから一度も作れなかった隙が、男のほうに、続けて生まれていた。火球で揺さぶり、読みで先回りして、強化したリタが押し込む。一人で詰まっていた間が、二人だと、回る。回って、男を追い詰めていく。
控えていた二人のうち、一人が、奥の物音のほうへ引き返していった。ダグの回ってきた道を、塞ぎに行ったんだ。
残った一人が、リタの背へ回り込もうとした。
危険感知が、ぴりっと来た。
「リタ!」
声より、手が先だった。リタの背と、回り込もうとした男の剣の間に、手のひらの前から、薄い板が立つ。男の剣が、障壁に当たって、横へ逸れる。火花が散った。障壁は、来ると分かった一発を、正面で一度受けるだけの力だ。横からも後ろからも守れる盾じゃない。だから俺は、リタの背の正面に立ち続ける。それだけで、リタは前の幹部だけ見ていられる。
障壁を一枚挟んだ、その数呼吸で、痺れが抜けた。
俺は、リタの背を狙った男の足元へ、火球を撃ち込んだ。男が、火を避けて飛び退く。その分、リタの背から、男が離れる。離れた隙に、リタが前の幹部へ、さらに一歩、踏み込んだ。
幹部の男が、肩の傷をかばいながら、剣を構え直す。腕は、まだ落ちていない。手強い。きわどい。けど、もう、こっちから隙を作れている。男も、それが分かっている。だから、退きながら戦っている。攻め切れずに、退いているのは、向こうのほうだ。
その時だった。
奥の、ダグの回ってきた道のほうから、低い呻きが、はっきりと聞こえた。
気配感知が、その方角の気配の一つが、急に沈むのを拾った。倒れたか、膝をついたか。塞ぎに行った男の気配じゃない。味方の――ダグの気配だ。
「ダグさん――!」
俺が叫ぶより先に、奥の暗がりから、本隊の一団が、退く盗賊を追い立てて雪崩れ込んできた。革鎧に金属板を着けた連中だ。その先頭が、坑道の地面に片膝をついている男を、両脇から抱え起こしていた。ダグだ。脇腹のあたりを、片手で押さえている。指の間から、黒く濡れたものが、滲んでいた。
目の前の幹部は、本隊の流れ込みを見て、ついに剣を引いた。肩の傷を押さえたまま、奥の坑道へ、後退りに退いていく。追ってきた本隊の何人かが、その後を追っていった。リタが、追おうとして、足を止めた。
「悠さん、ダグさんが」
「分かってる」
俺は、ダグのところへ駆け寄った。抱え起こされたダグは、脇腹を押さえたまま、もう一方の手で、近寄ろうとする本隊の冒険者を、面倒くさそうに払った。
「ダグさん、傷――」
「かすり傷だ」ダグは、息を一つ吐いて、無理に体を起こそうとした。脇腹を押さえた手の下から、また血が滲む。顔は、いつもの無愛想のままだった。「ちっと、深く入られただけだ。塞ぎに来た一人を、片付けそこねた。歳だな。昔なら、躱せてた」
「かすり傷で、その血の量ですか」
「うるせえ」ダグは、抱え起こした冒険者の肩を借りて、壁際まで下がった。「立てる。歩ける。死にゃしねえ。……だが、こっから先の押し合いは、無理だ。足手まといになる。俺は、ここまでだ」ダグは、脇腹を押さえ直して、奥の暗がりへ、顎をしゃくった。「お前らが幹部を一人、後退させた。それで、奥への道が、一つ空いた。本隊が、そこを押す。お前らも、肩を並べて行くんだろう。……俺のことは、いい。傷の手当ては、後ろの連中がやる。行け」
血を流して壁に背を預けた男に、行けと言われて、足が、すぐには動かなかった。リタも、ダグの脇腹を見たまま、唇を結んでいた。二人だけの戦いじゃなかった。本隊も、ダグも、別の道で、同じだけ体を張っていた。その一人が、こうして血を流して、坑道の壁際に下がっている。柵を抜けた魔石の革袋が、リタの腰で、急に重く感じられた気がした。
「ダグさん」リタが、声を、何とか平らに保って言った。「……生きてて、ください。あとで、札、出します。私たちが、奥を片付けたら」
「礼はいい」ダグは、ふっと、口の端だけで笑った。「生きてりゃ、また札で会う。前に言ったとおりだ。……さっさと行け。せっかく一人、退かせたんだ。湿っぽくしてる間に、立て直されるぞ」
本隊の指揮役らしい男が、奥の暗がりへ向けて、配下に手で合図を送っていた。退いた幹部が逃げ込んだ方角。蔵の、さらに向こうの区画だ。あの落ち着いた気配の塊は、まだ奥に残っている。けど、その手前を固めていた幹部の一人を、こっちは後退させた。塞いでいた厚い壁に、穴が一つ、空いている。
「リタ。行くぞ」
「うん」
リタが、短剣を握り直した。強化付与の感触は、もう抜けている。けど、さっき幹部に剣が通った手応えは、まだ手に残っているはずだ。
「悠さん」リタが、奥へ目をやったまま言った。「さっきの、私の剣、ちゃんと、あの男に届いてたよね」
「届いてた。お前が、抜いた」
リタが、短く息を吐いて、それから、前を向いた。怖がっていないわけじゃない。けど、足は、もう前に向いている。
俺は、奥の暗がりへ、もう一度、気配感知を伸ばした。後退した幹部の気配が、奥のさらに向こう、一際密度の濃い塊のほうへ、合流していくのが分かった。あそこに、頭目がいる。手前を守っていた手練れを一人抜いて、俺たちは、その区画の、すぐ手前まで来ていた。ダグが脇腹を裂かれてまで開けてくれた道の、その先だ。
幹部を、一人、抜いた。
頭目の区画は、もう、目の前だった。




