第22話 中層の巣と、攻め込む道
ダンジョンの入口に、こんなに人が集まっているのは初めて見た。
ギルドの広場に、二十人からの冒険者が、まだ薄い朝の光の中で装備を改めている。革鎧の留め金を打つ音、矢筒の中身を確かめる音、低い声の打ち合わせ。前のほうに、見るからに格の違う一団がいた。腰の剣も、肩の鎧も、俺たちが普段すれ違う新人とはまるで物が違う。あれが上のランクの本隊だ。街道の荷が何度も奪われ、ついには新人の宿まで襲われたとなれば、ギルドも動かないわけにはいかない。盗賊団の巣が、ダンジョンの中層に構えられている――その情報が固まって、討伐の依頼が正式に立った。
俺たちは、その流れに乗った。
「言っとくが、本隊の正面に並ぶなよ」ダグが、地面に枝で簡単な図を描きながら言った。中層の坑道らしい、いくつもの分かれ道。「ここの広い坑道を、本隊が真正面から押す。奴らも、そこを固める。お前らみたいな半端な数が混ざると、邪魔だ。死ぬぞ」
「分かってる。じゃあ、俺たちは」
「こっちだ」ダグの枝が、図の端の、本隊の道から外れた細い枝道をなぞった。「水の流れる古い坑道がある。狭い。本隊が正面で派手にやってる間、こっちは裏から、奴らの蔵のある区画へ抜ける。ここが抜ければ、正面の連中を後ろから挟める。少人数で行ける裏の役回りだ。本隊の指揮役にも、もう通してある。俺は、本隊寄りのもう一本から回る。中層で落ち合うぞ」
なるほど、と思った。二人で軍に突っ込むんじゃない。本隊が表で殴り合う、その横で、人数が要らない裏の一筋を、俺とリタで担う。それなら、俺の手札が一番活きる。狭い坑道で、罠と伏兵を先に読んで道を開く――そういう仕事だ。
「悠さんの感知、そういうのが得意だもんね」リタが、短剣の柄を握り直した。胸当ては、襲われた夜に裂けたところを、革紐で雑に繕ってある。「私、前を割る。後ろから抜かれないように見ててくれれば」
「ああ。任せろ」
坑道の中は、外の朝とは別の世界だった。
壁から滲んだ水が、足元の溝を細く流れている。空気が冷たくて、湿っている。松明の橙色が、濡れた岩肌をてらてらと照らす。遠くで、本隊のいる広い坑道のほうから、鈍い喊声と、金属のぶつかる音が、地面を伝って届いてくる。もう始まっている。表が派手にやってくれているおかげで、こっちの細い枝道は、まだ静かだ。
ただ、静かすぎる。
「止まれ」
声を落とした。気配感知が、前方の暗がりに、こわばった熱を二つ拾っている。動かない。じっと、息を殺している。待ち伏せだ。岩の出っ張りの陰に身を寄せて、リタの肩に手をかけて止めた。
「伏兵。二人。あの先の、左の岩陰だ」
「見えないよ?」
「俺には分かる。それと――」危険感知が、もっと手前で、ちりちりと膝の裏を引いた。足元だ。溝を渡る、薄っぺらい板が一枚。その下に、何かが仕掛けてある。「足元。その板、踏むな。何か落ちるか、刺さるかだ。盗賊が踏み込ませて削るための、安い罠だ」
リタが、つま先を引いた。
仕掛けは、簡単に潰せる。俺は、転がっていた拳大の石を拾って、板の上へ放った。石が板に当たった瞬間、ばちん、と頭上の岩の隙間から、縄に吊られた丸太が振り下りてきて、板のあった場所を薙いだ。あれを人がまともに食らっていたら、踏み込みの足を折られて、伏兵に詰められて終わりだ。安いが、よくできている。
罠が空振りしたのを見て、伏兵が痺れを切らした。岩陰から、二人。一人が弓を引き絞っている。
「リタ、頭下げてろ」
弓の男の、構えた肩の線に向けて、火球を撃った。当てるためじゃない。狭い坑道だ、まっすぐ飛ばせば、岩肌に当たって火と土埃が一気に膨れ上がる。男が弓を引いたまま、顔を庇って仰け反った。矢が、明後日の壁へ逸れて刺さる。
「今だ」
リタが、低い姿勢から前へ出た。火と煙で目を潰された二人の懐へ、一気に踏み込む。剣を構え直す前に、短剣の柄頭が一人の鳩尾へ、続けて肘が顎へ。男が膝から崩れる。もう一人が剣を抜きかけたところを、リタが手首を打って剣を落とさせ、足を払った。背中から地面に叩きつけられて、男が息を詰める。村にいた頃から毎朝振ってきた体だ。狭い場所でも、動きに迷いがない。
「二人とも、起きられない」リタが、息を整えながら言った。
「殺すなよ」
「やらないってば。動けなくすればいいんでしょ」
火球を撃った手のひらが、まだじんと残っている。今すぐ次は撃てない。でも、要らない。狭い坑道で、感知で先に読んで、火球で一発、目を潰す。その隙にリタが詰める。この回し方なら、一発が冷めるまでの間を、リタが埋めてくれる。一人なら詰まる場面が、二人だと回る。
奥へ進むほど、坑道は人の手が入っていた。
天然の岩壁に、丸太を組んだ柵が継ぎ足されている。崩れた岩を積み直して、無理やり狭めた関所みたいな箇所もある。ダンジョンの中層を、そのまま巣に仕立てているんだ。浅いところの、ただの坑道とは違う。盗賊団が長く居着いて、罠と柵と伏兵で、要塞みたいに固めた区画。一つ一つは安普請でも、組み合わさると厄介だ。
柵の向こうに、明かりがいくつも灯っているのが、遠見で見えた。
「悠さん」リタが、声を潜めた。「あそこ、たくさんいる」
「ああ。あの柵が、外郭の一画だ。あそこを抜けば、蔵の区画に近づく」
気配を数える。柵の内側に、五つ。六つ。多い。手前で削った伏兵の比じゃない。これを真正面から、二人で抜くのは無理だ――そう思いかけて、坑道の壁を伝う音に気づいた。本隊のいる方角から、喊声がぐっと近づいている。表の押し合いが、ちょうどこの柵の裏手まで来ているんだ。柵の内側の連中も、後ろの本隊が気になって、半分は背を向けている。
今だ。
「リタ、強化付与いくぞ。柵の隙間、あそこ。一気に割れるか」
「割る」
リタの足元と肩へ、強化付与を投げ込んだ。栗色の髪が、ぶわっと跳ねる。低く沈んだ体が、坑道の床を蹴って、丸太の柵の隙間へ突っ込んだ。肩から、体ごと。継ぎ足しの柵が、めきっと鳴って、内側へ傾ぐ。崩れた隙間から、リタが転がり込む。
柵の内側の連中が、一斉にこっちを向いた。剣を抜く者、石を投げる者。一人が、リタの背へ短い投げ矢を投げた。
危険感知が、ぴりっと来た。
「リタ!」
声より、手が先に出ていた。リタの背と、投げられた矢の間に、手のひらの前から、薄い板が立つ。さっき重い受けをしていないぶん、固まりは速かった。矢が、障壁に当たって、横へ弾かれる。からん、と岩に落ちて鳴った。リタが、振り向かずに、その音だけで状況を察した。
「悠さん、ありがと! 後ろ、頼んだ!」
守る役だ。リタが前で割って、暴れる。俺は、その背中に飛んでくるものを、正面の一枚で潰す。障壁は、来ると分かった一発を、手のひらの前で一度受けるだけの力だ。横からも後ろからも守れる万能の盾じゃない。だから俺は、リタの背の正面に立つ位置を、ずっと取り続ける。それだけで、リタは前だけ見ていられる。
柵を割られた盗賊たちは、もう陣形を保てなかった。後ろからは本隊が押してくる。前ではリタが暴れ、背後を狙えば俺の障壁が立つ。挟まれて、浮き足立った。一人が剣を捨てて、奥の坑道へ逃げ出す。それを皮切りに、二人、三人と、奥へ退いていく。
「俊足」
言うより、足が先だった。地を蹴って、逃げ遅れた一人に追いつく。襟を掴んで、足を払い、地面に転がした。馬乗りになって、腕を押さえる。嬲る気はない。逃げて、奥に立て直されるのが面倒なだけだ。
「逃げた連中、追わなくていいの?」
リタが、肩で息をしながら聞いてきた。柵の内側に踏み込んだ俺たちの背後で、ちょうど本隊の先頭が、崩れた柵の向こうに姿を見せたところだった。革鎧の上に金属板を着けた一団が、退く盗賊を追い立てている。
「追うのは、あっちの仕事だ」俺は、後ろの本隊を顎で示した。「こっちは、抜けばいい。外郭の一画を、抜いた」
柵を抜けた先は、それまでより広い坑道だった。
壁際に、空の樽や、ばらした荷の木箱が積んである。蔵の手前らしい。逃げた盗賊が落としていったのか、足元に、魔石の入った革袋が一つ転がっていた。リタが拾い上げて、中を覗く。
「悠さん、これ、けっこう入ってる」
「拾っとけ。道中で取れたぶんは、こっちの取り分だ。命張ってんだからな」
拾った袋を腰に結びながら、リタが、ふっと表情を緩めた。襲われた夜、壁際へ追い詰められていた時の顔とは、まるで違う。
ただ、気は抜けなかった。
気配感知が、もっと奥――蔵の、さらに向こうの区画に、明らかに種類の違う気配を拾っていた。手前で削った見張りや、柵を守っていた連中とは、密度が違う。落ち着いて、動かない。腰の据わった、手練れの気配が、いくつも固まっている。あの夜、宿に踏み込んできた連中の、立ち方を思い出した。あれと同じか、それ以上だ。奥は、外郭よりずっと厚い。
本隊が、崩れた柵を越えて、俺たちのいる坑道へ流れ込んでくる。指揮役らしい男が、奥の暗がりへ目をやって、配下に手で合図を送っている。表の押し合いは、ここからが本番だ。
「悠さん」リタが、奥の暗がりを見て、声を落とした。「奥、まだいる?」
「いる。手前の連中とは、別物だ」俺は、奥から伝わってくる、あの落ち着いた気配の塊を、もう一度数えた。「でも、ここまで来た。外郭は抜けた」
本隊が、奥へ向けて隊列を組み直していく。退いた盗賊が逃げ込んだ、蔵の向こうの区画。あの厚い気配の塊に向かって、討伐の本隊が、今まさに足を進めようとしている。俺とリタは、その流れの先頭近くに、当事者として立っていた。あの夜、寝込みを襲われて、待つしかなかった場所からは、もう遠い。
待ってばかりはやめた。受けて凌ぐだけじゃない。こっちから、踏み込んでいる。柵を一つ割って、外郭の一画を抜いて、奥の手練れの区画まで、本隊と肩を並べて手が届くところまで来た。
奥は厚い。だが、足は、確かに前へ向いている。
「行こう」リタが、短剣を握り直した。
「ああ。攻め込んでる。ちゃんと、奥へな」




