第2話 みんな、スキルは増えないらしい
目を開けてまず確かめたのは、視界の隅に浮かんだままの枠だった。
硬い地面に背中を預けたまま、寝起きの頭でそこを見て、俺は数字を二度見した。
『引ける回数:1』
昨日、間違いなくゼロだったやつだ。三回引き切って、それきり念じても叩いても動かなかった。なのに、1になっている。
しばらく、その1を見ていた。何が起きたのか、すぐには飲み込めない。
間に挟まったのは、街道脇でへたり込んだあと、城壁を目指して歩いたことくらいだ。途中で日が暮れて、足が言うことを聞かなくなって、道から少し外れた窪地に転がり込むようにして横になった。腹は減っていたし、地面は固かったし、虫の声がうるさかった。それでも、気を失うみたいに眠った。
そして、起きたら1だ。
「……寝たら、戻るのか?」
声に出すと、それらしく聞こえた。他に思い当たる節がない。昨日からの違いといえば、寝た、というそれだけだ。
起き上がって、念のため少し叩いてみる。やっぱり変わらない。3に戻っているわけじゃなく、1だ。三回分どかっと回復するなら昨日のうちに何か起きていそうなものだから、たぶん――いや、たぶんで済ませるのはやめておく。とにかく、寝ると1だけ戻る。それが今わかっている事実だ。
なら、引かない手はない。
昨日みたいに森から何か飛び出してこないとも限らないし、戦える手札は一枚でも多いほうがいい。心の中で念じると、頭の奥でぱちっと小さな音が爆ぜた。昨日とは少し違う、乾いた音だ。
『鑑定 Lv1(R)』
鑑定。
なるほど、と思った。攻撃でも回復でもない。物や相手を見て、それが何なのか分かる系統だろう。
右も左も分からない場所で、目の前のものが本物か偽物か、得か損か分かる。だまされない、というのは、この状況だとかなりでかい。火球みたいに振り回せるものじゃないが、こっちはこっちで使いどころは多そうだ。
さっそく試したくなって、足元に転がっていた拳大の石に意識を向けてみた。
『ただの石。価値なし。』
……うん、石だ。知ってた。
でも、いま重要なのは石の正体じゃない。意識を向けたら、ちゃんと答えが返ってきた。それが分かっただけで十分だ。使える。
枠を見ると、引ける回数はまた0になっていた。1から引いたんだから、そうなる。明日また1に戻るのか、確かめるのはそのときだ。
俺は立ち上がって、ズボンについた草と土を払った。腹が鳴る。喉も渇いている。昨日から何も食べていないし、何も飲んでいない。鑑定で石の値打ちは分かっても、腹は膨れない。
街へ行くしかない。
城壁は、近づくほど大きくなった。
遠目には灰色の塊だったものが、目の前まで来ると、見上げるほどの石積みになっていた。継ぎ目に苔が生えていて、何十年、いや何百年もそこにあるんだろうな、という古さがある。門は開いていて、荷車や人がぽつぽつと出入りしている。
門の脇に、皮の鎧を着た男が二人立っていた。腰に短い剣、手に槍。出入りする連中をちらちら見ているのが分かる。
その一人が、俺のほうに目を留めた。
「止まれ。見ない顔だな」
咎める口調ではなかった。ただ、確認しておく、という淡々とした声だ。仕事できっちり通すべきところを通している、そういう響きがあった。
「身分証は。どこから来た」
「身分証……は、ない。すみません」
言いながら、自分の格好を見下ろす。よれよれのスーツに、泥のはねた革靴。この街で同じ服を着ている人間は、たぶん一人もいない。隠しようがない。
衛兵はその格好を上から下まで一度眺めて、片眉を上げた。
「妙な格好だな」
それだけだった。化け物を見る目でもなければ、面白がる目でもない。珍しいものを見た、くらいの温度で、すぐに視線を戻してきた。
「身分証がないなら、仮の札を出す。期限は日没まで。それまでに冒険者ギルドで登録するか、宿で身元の保証を取れ。期限を過ぎて札のまま中にいるのは困る。分かったか」
「……はい、分かりました」
衛兵はもう一人と短く言葉を交わしてから、腰の革袋から手のひらほどの木札を取り出して、こっちに寄越した。表面に焼き印みたいなものが押してある。ざらりとして、思っていたより軽い。
「失くすなよ」
「気をつけます」
そう返すと、衛兵はもう次の荷車のほうを見ていた。俺のことは、それで処理済みらしい。
拍子抜けするくらい、あっさり通った。怪しまれて連れていかれる、みたいな展開を半分覚悟していたから、なんだか気が抜ける。木札を握りしめて、俺は門をくぐった。
門の内側は、別世界だった。
いや、もともと異世界なんだけど、それにしたって、外の草と土の静けさからいきなり人と物の渦に放り込まれた感じがする。
石畳の大通りが、まっすぐ奥へ伸びていた。両側にびっしりと店が並んでいる。布を山積みにした店、金槌の音がひっきりなしに響く鍛冶屋、湯気と匂いを撒き散らす食堂、乾いた草や瓶を並べた薬種屋。看板はどれも、絵と文字が一緒に描いてある。文字が読めない人間もいるんだろう。言語理解のおかげで俺は文字も読めたけど、その絵の親切さに、なんとなくほっとした。
そして、人が多い。
多いだけじゃなく、色々いた。普通の人間に混じって、やけに背の高い、耳の尖った男が布を選んでいる。腰のあたりまでしか背のない、髭もじゃのずんぐりした連中が数人、何か言い争いながら鍛冶屋の前を通り過ぎていく。犬みたいな耳と尻尾を生やした女が、籠を担いで早足に歩いていた。
誰も、彼らを気にしていない。
俺だけが、いちいち目で追っている。ここでは、それが当たり前なんだろう。ファンタジーで散々見たやつが、生活の風景として目の前にある。不思議と怖くはなかった。むしろ、こういう連中がいる世界に来たんだな、という妙な実感のほうが強かった。
歩いていると、店先の声がやたらと耳に入ってくる。
「火付けはこっちだよ、種火を起こす手間がいらないって奥さん!」
声のほうを見ると、布屋の隣の小さな店で、初老の男が客に向かって指先を立てていた。指の先に、ぽっと小さな火が灯る。蝋燭くらいの、頼りない火だ。それを見て、買い物客の女がへえ、と感心したように覗き込んでいる。
俺は思わず足を止めた。
あれ、スキルだ。昨日俺が引いたやつと同じ、頭の中に名前が浮かぶ類のやつ。それを、あの男は隠しもせず、商売の看板みたいに使っている。
よく見ると、似たような光景があちこちにあった。荷物を片手でひょいと持ち上げて運ぶ男。客の前で水瓶に手をかざして、濁った水を澄ませてみせる女。彼らは自分の力を、職人が腕を見せるみたいに、当たり前に表に出していた。
隠すものだと思っていた。特別な力なら、伏せて、ここぞというときに使うものだと。けど、ここでは違うらしい。むしろ、できますと掲げるほうが普通なんだろう。それが飯の種なんだから、隠す理由がない。
なるほどな、と俺はひとつ合点がいった気がした。
腑に落ちたところで、腹は膨れない。
俺は財布の中身を思い出して、すぐに思い出すのをやめた。千円札と小銭。この街では、ただの絵の描いた紙と、丸い金属だ。鑑定するまでもなく価値はゼロだろう。
通りすがりの食堂で、客が木の椀を受け取っていた。中身は何かの汁物らしい。湯気が立っていて、それだけで腹がぐうと鳴った。店先の客と店主のやり取りに耳をすませる。
「汁、ひとつ」
「銅貨三枚」
客が小さな銅色の硬貨を三枚、台に置いた。店主がそれを受け取って、椀を渡す。
銅貨三枚で、汁一杯。
別の店の前を通ると、堅そうなパンが並んでいて、こっちは汁より少し安いらしいやり取りが聞こえた。さらに歩くと、宿らしき看板の出た建物があって、客引きの男が「一泊銅貨十二枚から!」と通りに向かって叫んでいた。
頭の中で、勝手に計算が始まる。元の仕事柄、数字を並べて損得をはじくのは染みついている。
一晩の寝床に十二枚。汁一杯に三枚。腹を満たして、屋根の下で眠るには、ざっと銅貨十五枚はいる。
そして俺の手持ちは、銅貨ゼロ枚だ。
計算するまでもなかった。
「兄さん、兄さん。見ない顔だね」
声をかけられて振り向くと、小柄な男が揉み手をしながら寄ってきていた。露店というほどでもない、布を地面に広げただけの店先に、ごちゃごちゃと小物が並んでいる。瓶やら、布袋やら、石やら。
「いい目をしてる。旅の人だろう。ちょうどいいものがあるんだ」
男は布袋の中から、紐のついた小さな瓶を取り出した。中で、薄い緑色の液体が揺れている。
「魔力を回復する薬さ。旅の途中で力を使い切ったとき、これがあるのとないのとじゃ生死が分かれる。本当はこんな値で出すもんじゃないが、兄さんの顔に免じて――銀貨二枚でいい」
銀貨二枚。さっきの計算でいくと、銅貨二百枚だ。汁が六十杯以上、宿に十六泊できる額。
高い、とまず思った。そして、こいつは俺がこの街の相場を知らないと踏んで吹っかけている、と続けて思った。よれよれの服にひげも伸びた、いかにも余所から来たばかりの顔をしている。値踏みされて当然だ。商売人なら、そりゃ吹っかけてくる。
断る材料は、勘でもあった。でも、せっかくだ。
俺は瓶に意識を向けた。
『色水。薬効なし。原価ほぼゼロ。』
……だよな。
鑑定が、勘を事実にしてくれた。緑色の液体は、ただ色をつけた水だ。薬でも何でもない。これに銀貨二枚を出していたら、俺はこの先ずっと、自分の馬鹿さ加減を恨んでいただろう。
「いや、いらない」
俺はできるだけ平坦に言った。
「魔力を使い切ることもないし、その水は俺には効かなさそうだから」
男の揉み手が、ぴたりと止まった。
「……水? 兄さん、何を言って」
「色をつけただけの水だろ。薬効はない」
言い切ると、男の顔が一瞬、固まった。それから、へへ、と笑ってごまかすように瓶を引っ込めた。
「いやいや、人聞きの悪い。まあ、いらないなら無理にとは言わないさ」
あっさり引き下がったところを見ると、図星だったんだろう。俺はそれ以上絡まず、その場を離れた。
歩きながら、ひとつ確かなことを噛みしめていた。
一銭も得していない。瓶も、金も、何も手に入っていない。それでも、はっきり勝った気がした。損をしなかった。本物が見える。だまそうとしてくる相手の手の内が、こっちには丸見えだ。この街に、銅貨一枚も持たずに放り出されたばかりの俺にとって、それはちょっとした武器に思えた。
とはいえ、武器を持っていても、腹は減ったままだ。
どこかの軒先に寄りかかって、頭を整理する。手持ちの金はない。一食すら届かない。今夜の寝床も、このままじゃ外で野宿の二日目だ。
稼ぐしかない。そして、稼ぐ当てがひとつだけある。あの衛兵が言っていた、冒険者ギルドというやつだ。登録すれば、たぶん何か仕事があるんだろう。仕組みは知らないけど、行ってみるしかない。それは明日でいい。日没までに何とかするのは無理だとしても、明日動けば、何かは始まる。
ぼんやりそんなことを考えながら、もう一度、通りの人々を眺めた。火を灯す男。荷を運ぶ男。水を澄ませる女。みんな、自分の力で飯を食っている。
ふと、引っかかった。
あの男は、ずっとあの火だけだ。荷運びの男は、荷運びだけ。一人ひとり、持っている力はひとつか、せいぜい二つに見える。そして、それで一生やっていくんだろう。生まれついての、変わらないやつとして。
俺は、違う。
昨日ゼロだった回数が、寝たら1に戻っていた。引いたら、鑑定が増えた。今日も明日も、寝れば、また引けるはずだ。言語理解、鋭敏感覚、火球、鑑定。何もなかった俺の中に、力が四つ。減りはしない。寝るたび、増えていく。
みんなのは、増えない。
その違いが、すとんと腹に落ちた。誰に言われたわけでもない。ただ、街を半日歩いて、人を見て、自分の枠を見て、そう思った。理屈は分からない。神は使えば分かるとしか言わなかったし、なぜ俺だけなのかなんて、見当もつかない。
でも、増えるなら――どこまで増える。
明日、ギルドへ行く。仕事を取って、銅貨を稼いで、まずは飯と寝床だ。それから、もう一回引く。出てくるものは選べないけど、増えることだけは間違いない。
腹の虫がまた鳴いた。その音にすら、なんだか先が楽しみになっている自分がいて、俺は半分呆れながら、人の流れのほうへ足を踏み出した。




