第15話 街道の痕跡と、人間の手口
「結局、街道の口、受けるんだ」
受付の台に肘をついて、リタがちょっと意外そうな顔をした。俺が選んだのは、護衛じゃない。北の街道の手前、林の縁に出てきた魔物を間引いてこい、という地味なEの口だ。報酬は、いつもの大穴の間引きと、そう変わらない。
「護衛は受けないって、受付に言われただろ。Dの口だ」
「言われたけど。なんで、わざわざ街道のほう」
「魔物の出が、あのへんで増えてるらしい。間引きの口が出てた。それだけだ」
半分は本当で、半分は言い訳だった。襲撃のあった街道に荷馬車の死骸や血が残れば、そこに獣や魔物が寄る。そういう二次的なやつが増えて、Eの間引きの口が出る。世界はそういうふうに回っている。受付の女に依頼書を見せると、女はちらりとこっちを見て、北のほうじゃないよ、街道の手前の林だよ、と念を押した。深入りはするな、ということだろう。
「街道の手前の林、ね」リタは依頼書を覗き込んで、それから少しだけ声を落とした。「……あのへん、私が来た道のほうだよね」
「そうだな」
「べつに、確かめたいとか、そういうのじゃないけど」
「分かってる。魔物の間引きだ。報酬も出る。それ以上でも以下でもない」
俺がそう言うと、リタはふうんと鼻を鳴らして、依頼書を懐に押し込んだ。ただ、北の方角を一度だけ見たのは、こっちも見て見ぬふりをしておいた。荷だけ綺麗に持ってかれた、と潜りの男は言った。魔物が荷だけ運ぶかよ、とも。あの引っかかりを、俺はまだ口に出していない。けど、出るなら、自分の目で見られる場所まで、報酬の出る口で行っておきたかった。
街道は、思ったより踏み固められていた。
石畳ではなく、土を荷馬車の轍が固めただけの道だ。両脇に背の低い林が続いて、その向こうにまた畑か荒れ地が広がっている。風が通ると、葉の擦れる音と、土の匂いがした。リタは半歩前を、短剣の鞘に手をかけたまま歩いている。間引きの林は、この道の手前。だから、まずは道沿いに進むしかない。
「悠さん、こっち来たの、初めて?」
「ああ。街の外には、もう何度も出てるけどな。この方角は初めてだ」
「私は、ここを荷馬車で来た。あのとき、もっと荷が多くて、道も賑やかだったけど」
リタの声に、いつもの張りが少し薄い。荷馬車に乗せてもらって、この街に出てきた道だ。今は、人通りがない。それ自体が、もう何かおかしい。隊商がやられている街道を、好きこのんで通る商人はいない。
半刻ほど歩いた、林の切れ目。
そこで、気配感知の端に、何かが引っかかった。生き物の気配じゃない。動かない、固まったかたまりが、道の脇に、いくつか。
「リタ。止まれ」
俺が言うと、リタは即座に足を止めた。組んでからは、この一言で互いに何をするかが、もう分かる。
道の脇に、荷馬車が一台、横倒しになっていた。
車輪の一つが外れて、転がっている。荷台は空っぽだった。近づいて、鑑定を向ける。物の良し悪しと、来歴の手触りは、これがちゃんと答えてくれる。
『荷馬車。車軸の破断は一日以上前。荷台に積荷の擦れ跡。樽と木箱。荷は無い』
樽と木箱。荷台には、確かに重い荷を積んでいた擦れ跡が残っている。けど、その荷が、ない。獣が荷馬車を襲ったなら、馬や人を食って、荷は散らかしたまま放っていくはずだ。樽も木箱も、運べやしない。
「悠さん、これ……」
「待て。順に見る」
俺は、荷馬車の周りをゆっくり回った。元会社員の癖で、まず全体を見て、それから細かいところに目を落とす。倉庫の棚卸しで、帳簿と実数が合わないとき、いつもこうやって現場を見て回った。何が抜けていて、何が残っているか。残っているものより、抜けているもののほうが、よく喋る。
馬の死骸が、轍の脇に倒れていた。
鑑定を向ける。
『馬。死後一日以上。脇腹に刃物の傷。獣の牙・爪の痕は無い』
牙や爪じゃない。刃物だ。脇腹に、まっすぐ一突き。獣は刃物を使わない。当たり前のことだが、その当たり前が、今は重い。
「リタ。地面を見てくれ。獣の足跡じゃないやつ、あるか」
「足跡?」
リタは、しゃがんで道の土に顔を近づけた。村で羊を追っていたこいつは、たぶん俺より、こういう跡を読むのが速い。
「……あるよ。これ、人の足。靴の跡。いっぱいある。数人ぶん」リタの声が、低くなった。「あと、ここ。荷を引きずった跡。樽みたいな、丸いものを転がした跡。林の奥のほうに、続いてる」
「綺麗に、持っていったってことか」
俺は、もう一度、荷馬車の荷台を見た。獣が荒らした跡じゃない。荷台の上の擦れ跡は、荷を選んで、人の手で下ろした跡だ。重い樽は転がして、木箱は担いで。馬を刃物で殺して、荷だけ綺麗に持っていった。馬の肉も、内臓も、何も食われていない。腹が減った獣なら、まず馬を食う。食わずに、刃物で殺して、荷だけ運んだ。
「魔物じゃない」俺は言った。考えるより先に、口から出ていた。「これをやったのは、人間だ」
リタが、ゆっくり立ち上がった。さっき市場で「街道のほうが、また」と聞いたときの、あの顔だった。
「人間が、荷馬車を……襲ったってこと?」
「ああ。獣は荷を運ばない。樽を転がさない。刃物も使わない。馬を食わずに殺すこともない。全部、人間がやる手口だ」
言いながら、嫌な感じが背中を這い上がってきた。魔物を相手にするのとは、たぶん、何かが違う。
その嫌な感じの正体を考える前に、気配感知が、林の奥で動いた。
動かないかたまりじゃない。生き物だ。人間サイズが、二つ。荷を引きずった跡の、その先。こっちに、近づいてくる。
「リタ。林の奥。二人。人間だ。こっちに来てる」
「敵?」
「分からん。けど、こんな場所に、商人や旅人はいない」
俺は、半歩、リタの前に出かけた。気配で先に位置が分かれば、間合いはこっちで作れる。林の木立の隙間から、人影が二つ、現れた。革の上着に、腰に短剣。一人は手に、麻袋を提げている。荷の取りこぼしでも、漁りに戻ってきたんだろう。俺たちを見て、二人の足が止まった。
「……なんだ、お前ら」
顎の細い男が、麻袋を地面に置いた。冒険者には見えない。ギルドの証も提げていない。もう一人は、後ろで短剣の柄に手をかけている。
「ギルドの依頼で、魔物の間引きだ」俺は、できるだけ平らな声で言った。「あんたたちは?」
「間引き、ねえ」顎の細い男が、嗤った。「ガキが二人で、こんなとこに何しに来た。間引きなんて口実だろ。見ちまったもんは、しょうがねえな」
男が、短剣を抜いた。後ろのもう一人も。話は、それで終わりだった。こいつらは、荷馬車を襲った側だ。見られたから、消す。それだけの理屈で、刃物を抜いてくる。
短剣を抜かれた瞬間、俺の中で、何かが一瞬、つかえた。
相手は人間だ。魔物を焼くのとは、わけが違う。火球を放り込めば、人が焦げる。その手触りを想像して、指先が、ほんの一拍、止まった。
けど、止まったのは、それだけだった。
こいつらは、馬を刃物で殺して、荷を奪った側だ。リタを、俺を、見られたから消すと言った。見過ごせば、次の荷馬車も、同じ目に遭う。迷うのは、ここまでだ。
顎の細い男が、踏み込んできた。
速くない。大穴で皮の硬いのが振り回す腕に比べれば、ずっと遅い。気配感知で、間合いはとっくに読めている。俺は俊足で、横へ滑った。男の短剣が、さっきまで俺がいた空を突く。泳いだ男の、剣を持つ手首。そこへ、礫を一発、叩き込んだ。
ごっ、と鈍い音。男の手から短剣が落ちて、地面で跳ねた。
「ぐっ……!? なんだ、てめえ……!」
男が、痺れた手首を押さえて、よろけて下がる。火球は、使わなかった。人間相手に、いきなり焼くまでもない。礫で十分だった。軽くて、連発の効くこいつは、人間の手首を砕くには、ちょうどいい。
「魔法使いか……!」男の顔が、こわばった。「冒険者にしちゃ、聞いてねえぞ、こんな……面倒な」
面倒な、と男は言った。魔物相手に育てた俺の手札が、人間にも、ちゃんと効いている。それが分かって、つかえていたものが、すっと抜けた。
後ろのもう一人が、リタに斬りかかっていた。
けど、リタは、もうそこにいない。半身で踏み込みをかわして、男の腕の内側へ滑り込んでいる。大穴で皮の硬いのを何度も割ってきた、あの踏み込みだ。村にいた頃から毎朝振ってきた剣が、男の懐で、迷いなく動いた。短剣の腹で、男の手首を、したたかに打つ。盗賊の短剣が、林の下生えに落ちた。
「悠さん、こっちは押さえた!」
「上手い。そのまま、武器から離せ」
リタは、男の襟首を掴んで、地面に組み伏せていた。男が、暴れる。けど、剣をなくした盗賊は、もう、ただの暴れる男だ。リタは、男の腕を背に捻り上げて、動きを止めた。嬲りはしない。必要なだけ、押さえる。組んでからの俺たちは、それが、どこまでで十分か、分かっている。
俺は、手首を押さえてうずくまった顎の細い男のほうへ、ゆっくり近づいた。礫を、もう一発、手のひらに用意したまま。
「動くな。次は、足を砕く」
脅しじゃない。俺の手札は、それができる。男は、痺れた手首を押さえたまま、地面に座り込んで、こっちを睨んだ。けど、立ち上がる気力は、もうなさそうだった。
二人を、林の木に縄で縛り上げた。
縄は、リタが持ってきていた。間引きで魔物を運ぶのに使うやつだ。盗賊を縛るのに使うとは思っていなかったが、まあ、用は足りた。組み伏せられた男も、手首を砕かれかけた男も、悪態はついたが、それ以上は暴れなかった。武器を取り上げられた人間は、思ったより、おとなしい。
「あんたたち、何人でやってる」俺は、しゃがんで、顎の細い男に聞いた。「荷馬車を襲ってるのは、あんたら二人か」
「……知るかよ」
「樽も木箱も、二人じゃ運べない。林の奥に、荷を引きずった跡が続いてた。あれを運んだのは、もっといるはずだ」
男は、ふいと顔を背けた。けど、その目が、一瞬、林の奥のほうへ動いたのを、俺は見逃さなかった。倉庫の棚卸しで嘘の在庫を申告するやつは、必ず、本当のものが置いてある方を、一度見る。
「俺たちは、言われたとこに行って、言われたもんを運ぶだけだ」男が、吐き捨てるように言った。「お前らこそ、首、突っ込まねえほうがいいぜ。こんなの、俺らだけでやってると思うか。荷の行き先も、売り先も、ちゃんと決まってんだ。お前ら二人が、何匹野盗を縛ろうが、関係ねえよ」
「言われたとこ、ね」
「言うわけ、ねえだろ」
男は、それきり、口を閉じた。けど、もう十分だった。言われたとこに行って、言われたものを運ぶ。荷の行き先も、売り先も、決まっている。こいつは、自分で考えて荷馬車を襲っているわけじゃない。誰かに言われて、動いている。
俺は、立ち上がって、林の奥を見た。荷を引きずった跡が、木立の向こうへ、続いている。樽を選んで、木箱を選んで、馬は刃物で殺して、荷だけ綺麗に運んでいった。それは、ただ腹を空かせた野盗が、行き当たりばったりに馬車を襲う手口じゃない。何を奪うか、どこへ運ぶか、誰に売るか。全部、先に決まっている。
「リタ。荷の跡、どこまで続いてる」
リタは、林の奥を覗き込んでいた。村で羊を追っていた目が、跡を辿っている。
「……ずっと、奥。荷馬車が一台ぶんじゃ、ないと思う。何回も、運んでる跡。踏み固められてるもん、ここ」
何回も。一度や二度じゃない。この林の奥へ、荷馬車何台ぶんもの荷が、繰り返し運ばれている。それを運ぶ人手がいて、運び込む先があって、その先で、誰かが荷をさばいている。
縛られた男が、地面から、こっちを見上げていた。さっき、首を突っ込むな、と言ったときの顔だ。脅しのつもりだったんだろうが、その言葉は、別のことを教えていた。こいつは、自分が縛られても、何も終わらないと知っている。荷の流れは、こいつ一人を捕まえたところで、止まらない。
ただの野盗が、腹を空かせて馬車を襲っているんじゃない。誰かが、何を奪うかを決めて、こいつらを街道に放っている。荷の行き先も、売り先も、用意して。馬を刃物で殺して、荷だけ綺麗に運ばせて。
その「誰か」が、この林の、もっと奥にいる。
「悠さん」リタが、林の奥から、こっちを振り返った。いつもの負けず嫌いの張りが、声から消えていた。「これ、私たちが思ってたより、ずっと――」
「ああ」
北の街道は、林の奥で、何も言わずに、ただ昼の光に沈んでいた。けど、その奥には、荷を束ねて、人を放っている、誰かがいる。




