第11話 回り始めた評判と、まともな装備
「あんた、その格好で大穴に潜ってんのか」
装備屋の店主は、俺の足元から頭まで一往復、目で測ってから言った。四十がらみの、太い腕の男だ。よれよれのスーツに、泥の乾いてこびりついた革靴。武器屋の客には見えないだろう。店先には革の胸当てやすね当て、籠手が革紐で吊るして並び、奥の棚には短剣やナイフ。鉄と、なめした革の匂いが籠もっている。
「ええ。これしか持ってなくて」
「よく死ななかったな」
褒めてるのか呆れてるのか分からない言い方で、店主は鼻を鳴らした。それから、思い出したみたいに俺の顔を見直す。
「待てよ。あんた、もしかして……奥でホブゴブリンやったっていう、あの新入りか」
来た、と思った。ここ数日、ギルドに顔を出すたびにこれだ。見覚えのない新人がそわそわと近づいてきて、「奥のホブゴブリンって本当に一人で」と聞いてくる。酒場の隅で、こっちをちらちら見ながら言い合っている連中もいる。倒したのは退けなかったからだ、と言ったところで面白くもないから、曖昧に頷いて流すことにしている。悪い気は、しない。評価が動き始めた手応えそのものは、嫌いじゃない。ただ、それを当てにして派手に動く気にはなれなかった。あれは、たまたま順番が嚙み合っただけだ。次も勝てる保証なんか、どこにもない。
「噂だけ聞いてます。同じ穴に潜ってたんで」
「ふうん」
とぼけたつもりだったが、店主の目は、俺の腰の貸し剣で止まっていた。ギルドの貸出の、刃こぼれした安物だ。柄に、返却用の焼き印が押してある。
「で、何が要る。腰の剣がそれってことは、まるごと一式か」
「一式、お願いします。ただ、一つ相談で」
俺は店先の鎧を一通り見渡してから、奥にぶら下がった、胸から腹まで覆う鉄の胴鎧を指した。
「ああいう、ごつい金属のやつは要らないんです。動けなくなる」
「は? 防具を買いに来て、防具は要らんと」
「軽くて、動きの邪魔にならないやつがいい。俺、近づいて殴り合うより、離れて当てるほうなんで」
火が撃てる、とまでは言わなかった。言わなくても、伝わるものは伝わる。店主は、ふん、と短く息を吐いて、奥の鉄鎧から目を離し、店先の革の胸当てのほうへ顎をしゃくった。
「魔法系か。なら鉄は背負うだけ無駄だな。重さで脚が死ぬ。あんたみたいなのは、突かれて死ぬより、逃げ損なって死ぬほうが多い。逃げ足を残す装備にしろ」
損得で喋る男だった。買う気だと分かったとたん、商売の口調に切り替わっている。俺は黙って頷いた。逃げ足を残す。まさにそれだ。
「これと、これだな」
店主が壁から二枚の革の胸当てを台に並べた。片方は分厚くて留め具が多く、もう片方は薄くて軽い。値は、厚いほうが銀貨八枚、薄いほうが銀貨五枚。
「厚いほうが守りは固い。けど、その分重いし、肩が回りにくい。腕を前に出して何か投げるなら、薄いほうだ。守りは落ちるが、当たらない側に賭けるならな」
手のひらを前に出して火球を放る、あの動きを思い浮かべる。肩が回らないのは致命的だ。俺は薄いほうへ手を伸ばし、革に指を当てて鑑定を向けた。人やゴブリンの格を読むのにずっと使ってきたが、相手は生き物じゃなくていい。物の良し悪しも、これは答えてくれる。
『なめし不良。薄い箇所あり。半年保たず。』
手を引っ込めた。見た目はきれいだが、なめしが甘い。雨に濡らせば、すぐにふやけて裂ける口だ。銀貨五枚を出して半年で買い直すなら、安くない。
「これ、こっちの棚のと変えてもらえますか。なめしが甘い気がして、長く保たなそうだ」
店主の眉が、ぴくりと動いた。素人が言うことじゃないと思ったんだろう。それでも、商売人らしく口は止めなかった。
「……目は悪くねえな。それ、行商から安く入れた口だ。表だけきれいでな。奥のは正規の革職人のだ。値は一枚高い」
奥から出してきた薄手の胸当てに、もう一度鑑定を向ける。今度は文句がつかなかった。きちんとなめされて、縫いも詰んでいる。銀貨六枚。一枚高い。けど、半年で破れる五枚より、二、三年保つ六枚のほうが、結局は安い。年あたりに割れば、こっちが半額以下になる。元会社員の頭が、勝手にそろばんを弾いた。
「これにします」
履物も同じ要領で選んだ。今の革靴は、踵がすり減って底の縫い目が浮いている。店主が出してきた革のブーツを一足ずつ手に取って、鑑定で底の革と縫いを確かめた。三足のうち一足だけ、縫いに「ほつれの兆し」と返る。残り二足から、足の幅に合うほうを選んだ。
「あんた、いちいち丁寧だな」店主が呆れたように言った。「足のサイズで選びゃいいだろうが」
「履き潰してまた買うのが、いちばん高くつくんで」
安物を買って、すぐ駄目にして、また買う。その繰り返しが、結局は一番金を吸う。地面の銅貨を一枚ずつ拾うところから始めた身としては、いい買い物と悪い買い物の差は、骨身に染みている。
最後に、得物だ。
「腰のそれ、返すんだろ。自前のを持つなら、何がいい」
店主が、短剣とナイフの並んだ棚を指した。剣らしい剣も並んでいるが、手は伸ばさない。あの貸し剣でホブゴブリンの脇腹を抜いたとはいえ、斬り合う腕なんてない。火球と礫で崩して、最後に近くの薄いところを突く。それなら、長い剣より取り回しのいい短剣だ。
「短剣で。とどめ用です。長く構えるんじゃなくて、最後に一突きできればいい」
「分かりやすくていいな」
店主が三本、台に並べた。鑑定で刃の鋼を順に確かめる。一本は見た目は立派だが、「鋼に巣あり。曲がりやすい」と返った。残り二本から、刃渡りの短い、手に馴染むほうを選ぶ。銀貨四枚。鞘付き。
全部で、銀貨十六枚。ホブゴブリンの素材と魔石が、ダグの口利きでいい値になった。あの一日の取り分は、ふだんの間引きの頭割りとは桁が違っていた。それでも、一気に十六枚を吐き出すと、残りは目に見えて軽くなる。けど、装備は稼いだ金を消すんじゃない。次にもっと稼ぐための種に変えるんだ。ここで脚と腕の自由を買っておけば、その分、長く潜って、長く生きられる。元手を回収する目算は、立っている。
「奥で着替えてけ。今のなりじゃ、せっかく買っても締まらん」
店主が、店の奥の仕切りを顎で示した。
仕切りの向こうで、ジャケットと、皺だらけのワイシャツと、革靴を脱いだ。ポケットからスマホと財布を抜いて、新しい服の内側へ移す。動かないスマホも、ただの紙きれの財布も、捨てる気にはなれなかった。死んだときから、ずっとこの格好だった。よくこの一着で、ゴブリンと殴り合い、ホブゴブリンの返り血まで浴びたものだ。脱いだスーツは、もう、ぼろ雑巾みたいになっている。少し、惜しいような、おかしいような気持ちになった。これを着ていた頃の自分が、ずいぶん遠い。
動きやすい服に袖を通し、革の胸当てを締め、ブーツの紐を結ぶ。短剣を腰に下げる。肩を回してみると、軽い。腕がよく上がる。これなら、火球を撃つのに肩がつかえることもない。脱いだスーツを渡すと、店主は布として引き取って、銅貨を二枚よこした。
「ま、それでようやく、冒険者の格好だな」
外に出ると、街の空気が少しだけ違って感じた。すれ違う誰かが、もう「珍しい格好の男」として俺を見ない。当たり前に、その辺の冒険者として通り過ぎていく。なんてことのない話だ。けど、この街で生きていく足場が、また一つ地面に着いた気がした。
ギルドへ寄って、貸し剣を返した。受付の女が焼き印を確かめて、台帳に何か書き付ける。
「ようやく自前の剣かい。Eに上がってホブゴブリンまでやって、それでもまだ貸し剣なのが、こっちは気になってたんだよ」
皮肉とも世辞ともつかない調子で言って、女は帳面を閉じた。それ以上は、詮索してこない。
ギルドを出ようとしたところで、酒場の一角から、見覚えのある声がした。
「悠さん」
栗色の髪を後ろで束ねた、リタだった。卓に、汁物の椀を置いている。一人だ。俺を見て、何か言いかけて、それから、こっちの格好に気づいて、目を丸くした。
「……あれ。なんか、ちゃんとしてる」
「ああ。やっと、まともな装備を揃えてきた」
「そっか」
リタは、椀のふちを指でなぞりながら、なんとなく、俺の革の胸当てや、腰の短剣に目を走らせている。何か言いたそうにして、口を開きかけて、結局、汁を一口すすった。それから、急に思い出したみたいに、顔を上げる。
「ねえ、それ、いい胸当て?」
「鑑定で見て、なめしのいいやつにした」
「ふうん」リタは、自分の使い込んだ革の胸当てを、無意識に手で押さえた。留め具のあたりが、すり切れて毛羽立っているのが、ここからでも見えた。「私の、もうだいぶ……いや、まだ使えるけど」
言ってから、慌てて付け足したのが分かった。すり切れた胸当てから手を離して、リタは短剣の話に戻そうとする。
「悠さん、剣も買ったの? でも悠さん、火、撃てるんでしょ。剣なんて、要る?」
「とどめ用。崩したあとに、近くで一突きするだけだ。斬り合う腕は、ないからな」
「ふうん」
リタは、何かを考える顔で、椀の中をのぞき込んだ。それから、ぽつりと言う。
「……奥のホブゴブリン。一人で、すごかったよね。あのとき」
ずいぶん遠回りして、結局そこに戻ってきた。前に同じ穴で会ったとき、火も気配も「ずるい」と拗ねていた、あの顔とは違う。もっと、何かを言いあぐねているような顔だった。
「あれは、退けなかっただけだ。あんたらが押されてたから」
「でも、退かなかったでしょ」
リタは、まっすぐ俺を見た。それから、すぐに目を逸らして、汁をもう一口すする。負けず嫌いのこいつが、こんなに素直に俺の戦いを認める言い方をするのは、初めてだった。
俺のほうも、奥のあの一戦を、まだ反芻している。前を割るやつが一枚いるのと、いないのとでは、ぜんぜん違った。気配で位置を読んで後ろから当てる俺と、前で受けて斬るリタ。役割が、勝手に噛み合った。一人で全部やろうとすると、火を撃った直後の、あの手のひらが痺れる空白が、いつも怖い。そこを誰かが埋めてくれるなら――一人より、組んだほうが、楽に決まっている。
そう思いながら、けど、口には出さなかった。出せば、こいつはまた「べつに組みたいわけじゃない」と鼻を鳴らすに決まっている。
「リタ」
「な、何」
「次の間引き、いつ行く」
リタの手が、椀の上で止まった。顔を上げかけて、けど、まっすぐは見ない。汁の表面に映った何かを見るみたいに、視線を落としたまま、リタは少しだけ、言葉を探していた。
「……明後日、かな。受付に、新しいのが出るって聞いた」
「そうか」
「悠さんも、行くの」
行く、と答えれば、たぶんこの先は、自然に決まる。リタも、それを分かっている顔だった。けど、どっちも、その一言を、まだ口にしない。汁の湯気が、二人のあいだで、ゆっくり立ちのぼっていた。




