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恋に宿る  作者: koma
【二章】
29/30

14

 * * *


「……夢だと思ってたの」


 翌々日。

 マリエールはやっと、意識をはっきりと取り戻していた。

 それまでは薬を飲み、寝てを繰り返していたため、どこか記憶が朧げだったのだ。


 だから。

 そう。

 アルノルトからのプロポーズも、夢だと思っていた。


 なのに、目を覚ました後、看病に訪れた彼はなぜかとても優しく甘く、距離も近くて。マリエールは違和感を覚えずにはいられなかった。


 そうして認識のずれがあったことを今の今確認し――アルノルトに不満を露わにされているところだった。


「夢じゃない。現実だよ。きみは確かに了承してくれた」

「だからそれは、自分に都合のいい夢だと思ってて――」


 言いかけて口を閉ざす。しかしアルノルトは発言をなかったことにはしてくれなかった。


「〝自分に都合のいい〟? だったらきみもやっぱり僕のことを」

「……それは」

 

 爽やかな朝の日差しの中。

 ベッドの上で半身を起こしたままのマリエールは、恥ずかしくなってうつむいた。

 今朝も自ら朝食を届けに来てくれたアルノルトは、甲斐甲斐しく看病をしてくれている。


(どうしよう……)


 毒に侵され、夢現を彷徨っていた時、マリエールは確かに甘い夢を見ていた。

 アルノルトから優しく微笑みかけられ、デートもしたし、ヘルと三人で食事もした。

 だから、口移しで薬を飲ませてもらったのも、助かったのも、求婚をされたのも、全て夢だと思っていたのだ。


 ――こんなこと、許されるはずがない。


 もしも全てを王さまにでも知られたら、首を刎ねられてしまうかもしれない。羞恥と恐怖で震えるマリエールに、アルノルトは不満を蓄積させていく。


「マリエール。こっちを向いて」


 手首を掴まれ、マリエールは顔を上げた。

 アルノルトのまっすぐな瞳と視線がかち合う。


「……約束は、守ってくれるよね」


 どこか不安そうに言ったアルノルトは、本気でマリエールと生きようとしてくれていた。だからマリエールも、本気で応えなくてはならないと思った。目を逸らさずに、口を開く。

 

「……好きなのは、ほんとうよ。でもあなたは」

「身分を気にしてるなら僕が城を降りる。きみの助手になる」

「そんなのだめよ」

「もう決めた」

「……――」


 アルノルトは、状況を鑑み、冷静に、理性的に判断を下す人間だったはずだ。

 その彼がここまで言うなんて。

 気持ちだけで言っているのではないとわかって、だからマリエールはなおのこと戸惑う。その瞬間。


「――まあ待ちなさい」


 部屋の扉がノックもなく開き、国王と、背後からウベロ、エリオも入ってくる。

 王はゆっくりとマリエールに近づいてきた。


「陛下」


 慌ててベッドから降りようとしたマリエールを、王は片手で制した。


「ああ、よい。すまぬな、女性の寝所に断りもなく。すぐに出ていくから」


 言って、王はアルノルトに向き直った。

 王が入室すると同時に立ち上がっていたアルノルトは、緊張した面持ちで背筋を正す。


「父上、私は」

「――すまなかった」


 しかし言葉は、王によって遮られた。アルノルトは目を丸くする。

 年配の王は、いささかくたびれたように首を左右に振った。


「……フィオリアは心を病んでいたのだな。もうずっと前から」


 そうしてもう一度、息子を見据えた。


「此度の件、責任は全て私にある。おまえが王室に愛想を尽かしたというなら諦めるが。私はやはり、おまえに跡を継いでもらいたい」


 ウベロも、祈るようにアルノルトを見つめていた。同じ思いなのだろう。


 マリエールはシーツの裾を握りしめる。

 アルノルトはさまざまなものを背負い過ぎていた。

 マリエールは、数刻前の出来事を思い出す。


 


『――お命を危険に晒し、申し訳ございませんでした』


 マリエールの回復を待ち、フィオリア付きだった騎士――シャルマ・テペは膝をついて頭を下げてきた。

 フィオリアを確実に捕らえるため、シャルマは、マリエールを囮に使ったのだそうだ。アルノルトとの関係は知らずに。


『処罰は如何様にも』


 死を覚悟した者さながらの面持ちでシャルマは言った。

 彼はかつて、アルノルトとその兄に忠誠を誓った騎士だったのだという。

 アルノルトがまだ子供だった頃、フィオリアに寝返ったのは見せかけで、彼はもともと、フィオリア側からアルノルトの助けになろうとしていたらしい。

 シャルマは密かにフィオリアを牽制していたのだ。


(じゃあこの人は、アルノルトの味方なんだわ)


 マリエール自身も無事だったのだし、怒る理由など、どこにもなかった。


『顔を上げてください。テペさま』

『しかし』

『シャルマ――』


 口を挟んだのは、それまで押し黙っていたアルノルトだった。マリエールが微笑むと、彼にも気持ちは伝わったらしい。

 アルノルトはシャルマの前に片膝をつき『こっちを見ろ』と目線を合わせる。

 シャルマは巨体には似合わない自信のなさそうな顔つきで、アルノルトを見つめた。

 アルノルトは言う。


『フィオリアきっと、俺一人では捉えられなかった。だから……助かった』

『……』


 シャルマは深々と頭を下げ、部屋を出ていった。そのあとのことは、まだどうなるかわかっていない。

 


 

 ――マリエールはアルノルトをそっと伺い見る。

 父親を見上げるその目に、迷いはないように見えた。


「父上。今までのご恩は決して忘れません。ですが私は、この娘とともに生きたいのです」


 王はマリエールを一瞥し、困ったように目元を和らげた。


「……そうか…………そうだな」


 寂しげな王の様子に、マリエールは胸の奥を締め付けられた。

 アルノルトは、国中から望まれている次期国王だ。それをマリエールは奪おうとしていた。

 でも離れるのは嫌だと、押しつぶされそうになる。


「陛下、殿下も。そうすぐに結論を出さないでください」


 声を上げたのはエリオだった。

 はっとしたマリエールに、柔らかな笑みを向けてくる。


「方法はいくらでもあります。たとえばマリエール嬢を我がフィガー家の養女に迎えるなどね」

「え……?」


 どういうことだろうと首を傾げるマリエールに、アルノルトはわずかに顔を顰めた。


「しかしそれは、マリエールを王家に入れるということだろう」

「ええ。後ろ盾としては多少頼りないですが、我がフィガー家も全力で殿下を……アルノルト陛下をお支えしたいと思っております」


 それに、とエリオは続けた。


「マリエール嬢は薬師としても有能です。ノクティアの診療院で腕を燻らせるより、このまま王都を拠点に、存分に力を発揮していただく方がいいじゃありませんか」


 場を盛り上げるように言ったエリオに、王は「そうだな」と微笑む。


「私はどちらでも構わん。アルノルト、マリエール城、おまえたちの望むようにしなさい。私は私で、大いに顧みらねばならないことがあるがな」


 アルノルトが迷うように息を呑む。

 マリエールも、大きな決断の前に立たされていた。


 王宮にはたくさんの敵がいる。


 ――フィオリアは悪事が露見し、遠方で生涯幽閉されることが決まったが――これからもここに留まり続ける限り、安穏とはいかないのだろう。

 そうして優しいアルノルトは、マリエールを巻き込むまいとしている。この後に及んで。


「……アルノルト」


 マリエールはそっと彼を見上げた。

 迷うまでもなく、心は決まっていた。

 

「私もいっしょに、夢を背負わせて」


 アルノルトは数瞬、動きを止めた。

 そして諦めたように微笑む。


「……全く、きみは…………ほんとうに」


 強すぎる、と聞こえた気がした。

 アルノルトは、王に向き直る。


「父上。ご期待に添えるよう、誠心誠意尽力いたします。……彼女とともに」


 王はすまなそうに、眩しそうに、目を細めていた。



 ――それはとある、早朝のこと。

 新たな王の誕生を寿ぐかのように、雲ひとつない青空が広がっていた。




 * * *


 それから、数ヶ月後。

 戴冠式を終えたアルノルトは、婚約者の姿を探していた。


 諸外国からの賓客の相手もしていたせいで、気づけば、すっかり夜になっていた。


「マリエール?」


 しかし、そこにいると聞いて向かった彼女の部屋はもぬけのからで。

 アルノルトは、自身の隣室に移動させたマリエールの部屋、彼女のベッドに浅く腰掛ける。


(時間がかかるとはわかっているけど――)


 ――エリオの提案に乗り、フィガー家の娘となったマリエールは今、貴族社会の常識を叩き込まれている最中だった。その傍ら、薬師としても働いていて、忙しない日々を送っている。


 だから少しだけ、アルノルトは不服だった。


 彼女と生きるために選んだ道なのに、肝心の彼女との時間が少ないだなんて。


 護衛は常につけているし、食事も極力ともにとっていた。

 けれど恋人として過ごせる時間は、一日の終わりのほんのわずか間だけだった。


「……早く結婚したい」

「私も」


 呟きに、後ろから返事が戻ってくる。

 驚いて振り向こうとすれば、背後から伸びた両腕に抱きしめられ、動きを封じられてしまった。

 これでは顔が見られない。


「マリエール」


 怒ったように言っても、彼女にはちっとも効いていなかった。上機嫌に、頬を寄せられる。


「戴冠式、とっても素敵だったわ。おめでとうございます。アルノルト〝陛下〟」


 耳元で囁くように言われて、アルノルトはくすくすと笑った。

 やっと――やっと兄の無念を晴らすことができた。


「あとは誰かが早く僕の奥さんになってくれると嬉しいんだけど」

「もう少しだから、待っててね」


 回り込むように頬にキスをされ、アルノルトは痺れを切らした。

 絡みつく腕を引き寄せ、そのまま押し倒すようにキスをする。


 ふかふかのベッドに沈んだマリエールは、慌ててアルノルトの胸を押し返した。


「だ、だめ、式までは」

「わかってる」


 マリエールの妃教育はあと半年の予定だった。

 その後、ふたりは正式な夫婦となる。


 ――早く、早く。


 けれどアルノルトは堪えきれず、求めてしまいそうになるのだ。


「……ねえ、アルノルト」

「ん?」


 目元に唇を寄せた。顔を赤くしながら、それでもマリエールは受け止めてくれる。


「落ち着いたら、ヘルさんに会いにいかない……? 手紙は書いたけど、きっと喜んでくれると思うの」


 肩肘をついて身を起こし、アルノルトは微笑んだ。


「……うん、そうだね」


 彼が助けてくれたから、アルノルトは命を拾った。

 彼が拾ってくれたから、マリエールは薬師になれた。


「いっしょに会いに行こう」


 数奇な運命に、ふたりは視線を重ね合う。



 ――あの日は嵐だった。


 けれど今夜は雲もなく、晴れた夜空が広がっている。

 

「大好きだよ、マリエール」


 祈るように想いを言葉にすれば、腕の中の恋人はひどく嬉しそうに笑うのだった。


 

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