14
* * *
「……夢だと思ってたの」
翌々日。
マリエールはやっと、意識をはっきりと取り戻していた。
それまでは薬を飲み、寝てを繰り返していたため、どこか記憶が朧げだったのだ。
だから。
そう。
アルノルトからのプロポーズも、夢だと思っていた。
なのに、目を覚ました後、看病に訪れた彼はなぜかとても優しく甘く、距離も近くて。マリエールは違和感を覚えずにはいられなかった。
そうして認識のずれがあったことを今の今確認し――アルノルトに不満を露わにされているところだった。
「夢じゃない。現実だよ。きみは確かに了承してくれた」
「だからそれは、自分に都合のいい夢だと思ってて――」
言いかけて口を閉ざす。しかしアルノルトは発言をなかったことにはしてくれなかった。
「〝自分に都合のいい〟? だったらきみもやっぱり僕のことを」
「……それは」
爽やかな朝の日差しの中。
ベッドの上で半身を起こしたままのマリエールは、恥ずかしくなってうつむいた。
今朝も自ら朝食を届けに来てくれたアルノルトは、甲斐甲斐しく看病をしてくれている。
(どうしよう……)
毒に侵され、夢現を彷徨っていた時、マリエールは確かに甘い夢を見ていた。
アルノルトから優しく微笑みかけられ、デートもしたし、ヘルと三人で食事もした。
だから、口移しで薬を飲ませてもらったのも、助かったのも、求婚をされたのも、全て夢だと思っていたのだ。
――こんなこと、許されるはずがない。
もしも全てを王さまにでも知られたら、首を刎ねられてしまうかもしれない。羞恥と恐怖で震えるマリエールに、アルノルトは不満を蓄積させていく。
「マリエール。こっちを向いて」
手首を掴まれ、マリエールは顔を上げた。
アルノルトのまっすぐな瞳と視線がかち合う。
「……約束は、守ってくれるよね」
どこか不安そうに言ったアルノルトは、本気でマリエールと生きようとしてくれていた。だからマリエールも、本気で応えなくてはならないと思った。目を逸らさずに、口を開く。
「……好きなのは、ほんとうよ。でもあなたは」
「身分を気にしてるなら僕が城を降りる。きみの助手になる」
「そんなのだめよ」
「もう決めた」
「……――」
アルノルトは、状況を鑑み、冷静に、理性的に判断を下す人間だったはずだ。
その彼がここまで言うなんて。
気持ちだけで言っているのではないとわかって、だからマリエールはなおのこと戸惑う。その瞬間。
「――まあ待ちなさい」
部屋の扉がノックもなく開き、国王と、背後からウベロ、エリオも入ってくる。
王はゆっくりとマリエールに近づいてきた。
「陛下」
慌ててベッドから降りようとしたマリエールを、王は片手で制した。
「ああ、よい。すまぬな、女性の寝所に断りもなく。すぐに出ていくから」
言って、王はアルノルトに向き直った。
王が入室すると同時に立ち上がっていたアルノルトは、緊張した面持ちで背筋を正す。
「父上、私は」
「――すまなかった」
しかし言葉は、王によって遮られた。アルノルトは目を丸くする。
年配の王は、いささかくたびれたように首を左右に振った。
「……フィオリアは心を病んでいたのだな。もうずっと前から」
そうしてもう一度、息子を見据えた。
「此度の件、責任は全て私にある。おまえが王室に愛想を尽かしたというなら諦めるが。私はやはり、おまえに跡を継いでもらいたい」
ウベロも、祈るようにアルノルトを見つめていた。同じ思いなのだろう。
マリエールはシーツの裾を握りしめる。
アルノルトはさまざまなものを背負い過ぎていた。
マリエールは、数刻前の出来事を思い出す。
『――お命を危険に晒し、申し訳ございませんでした』
マリエールの回復を待ち、フィオリア付きだった騎士――シャルマ・テペは膝をついて頭を下げてきた。
フィオリアを確実に捕らえるため、シャルマは、マリエールを囮に使ったのだそうだ。アルノルトとの関係は知らずに。
『処罰は如何様にも』
死を覚悟した者さながらの面持ちでシャルマは言った。
彼はかつて、アルノルトとその兄に忠誠を誓った騎士だったのだという。
アルノルトがまだ子供だった頃、フィオリアに寝返ったのは見せかけで、彼はもともと、フィオリア側からアルノルトの助けになろうとしていたらしい。
シャルマは密かにフィオリアを牽制していたのだ。
(じゃあこの人は、アルノルトの味方なんだわ)
マリエール自身も無事だったのだし、怒る理由など、どこにもなかった。
『顔を上げてください。テペさま』
『しかし』
『シャルマ――』
口を挟んだのは、それまで押し黙っていたアルノルトだった。マリエールが微笑むと、彼にも気持ちは伝わったらしい。
アルノルトはシャルマの前に片膝をつき『こっちを見ろ』と目線を合わせる。
シャルマは巨体には似合わない自信のなさそうな顔つきで、アルノルトを見つめた。
アルノルトは言う。
『フィオリアきっと、俺一人では捉えられなかった。だから……助かった』
『……』
シャルマは深々と頭を下げ、部屋を出ていった。そのあとのことは、まだどうなるかわかっていない。
――マリエールはアルノルトをそっと伺い見る。
父親を見上げるその目に、迷いはないように見えた。
「父上。今までのご恩は決して忘れません。ですが私は、この娘とともに生きたいのです」
王はマリエールを一瞥し、困ったように目元を和らげた。
「……そうか…………そうだな」
寂しげな王の様子に、マリエールは胸の奥を締め付けられた。
アルノルトは、国中から望まれている次期国王だ。それをマリエールは奪おうとしていた。
でも離れるのは嫌だと、押しつぶされそうになる。
「陛下、殿下も。そうすぐに結論を出さないでください」
声を上げたのはエリオだった。
はっとしたマリエールに、柔らかな笑みを向けてくる。
「方法はいくらでもあります。たとえばマリエール嬢を我がフィガー家の養女に迎えるなどね」
「え……?」
どういうことだろうと首を傾げるマリエールに、アルノルトはわずかに顔を顰めた。
「しかしそれは、マリエールを王家に入れるということだろう」
「ええ。後ろ盾としては多少頼りないですが、我がフィガー家も全力で殿下を……アルノルト陛下をお支えしたいと思っております」
それに、とエリオは続けた。
「マリエール嬢は薬師としても有能です。ノクティアの診療院で腕を燻らせるより、このまま王都を拠点に、存分に力を発揮していただく方がいいじゃありませんか」
場を盛り上げるように言ったエリオに、王は「そうだな」と微笑む。
「私はどちらでも構わん。アルノルト、マリエール城、おまえたちの望むようにしなさい。私は私で、大いに顧みらねばならないことがあるがな」
アルノルトが迷うように息を呑む。
マリエールも、大きな決断の前に立たされていた。
王宮にはたくさんの敵がいる。
――フィオリアは悪事が露見し、遠方で生涯幽閉されることが決まったが――これからもここに留まり続ける限り、安穏とはいかないのだろう。
そうして優しいアルノルトは、マリエールを巻き込むまいとしている。この後に及んで。
「……アルノルト」
マリエールはそっと彼を見上げた。
迷うまでもなく、心は決まっていた。
「私もいっしょに、夢を背負わせて」
アルノルトは数瞬、動きを止めた。
そして諦めたように微笑む。
「……全く、きみは…………ほんとうに」
強すぎる、と聞こえた気がした。
アルノルトは、王に向き直る。
「父上。ご期待に添えるよう、誠心誠意尽力いたします。……彼女とともに」
王はすまなそうに、眩しそうに、目を細めていた。
――それはとある、早朝のこと。
新たな王の誕生を寿ぐかのように、雲ひとつない青空が広がっていた。
* * *
それから、数ヶ月後。
戴冠式を終えたアルノルトは、婚約者の姿を探していた。
諸外国からの賓客の相手もしていたせいで、気づけば、すっかり夜になっていた。
「マリエール?」
しかし、そこにいると聞いて向かった彼女の部屋はもぬけのからで。
アルノルトは、自身の隣室に移動させたマリエールの部屋、彼女のベッドに浅く腰掛ける。
(時間がかかるとはわかっているけど――)
――エリオの提案に乗り、フィガー家の娘となったマリエールは今、貴族社会の常識を叩き込まれている最中だった。その傍ら、薬師としても働いていて、忙しない日々を送っている。
だから少しだけ、アルノルトは不服だった。
彼女と生きるために選んだ道なのに、肝心の彼女との時間が少ないだなんて。
護衛は常につけているし、食事も極力ともにとっていた。
けれど恋人として過ごせる時間は、一日の終わりのほんのわずか間だけだった。
「……早く結婚したい」
「私も」
呟きに、後ろから返事が戻ってくる。
驚いて振り向こうとすれば、背後から伸びた両腕に抱きしめられ、動きを封じられてしまった。
これでは顔が見られない。
「マリエール」
怒ったように言っても、彼女にはちっとも効いていなかった。上機嫌に、頬を寄せられる。
「戴冠式、とっても素敵だったわ。おめでとうございます。アルノルト〝陛下〟」
耳元で囁くように言われて、アルノルトはくすくすと笑った。
やっと――やっと兄の無念を晴らすことができた。
「あとは誰かが早く僕の奥さんになってくれると嬉しいんだけど」
「もう少しだから、待っててね」
回り込むように頬にキスをされ、アルノルトは痺れを切らした。
絡みつく腕を引き寄せ、そのまま押し倒すようにキスをする。
ふかふかのベッドに沈んだマリエールは、慌ててアルノルトの胸を押し返した。
「だ、だめ、式までは」
「わかってる」
マリエールの妃教育はあと半年の予定だった。
その後、ふたりは正式な夫婦となる。
――早く、早く。
けれどアルノルトは堪えきれず、求めてしまいそうになるのだ。
「……ねえ、アルノルト」
「ん?」
目元に唇を寄せた。顔を赤くしながら、それでもマリエールは受け止めてくれる。
「落ち着いたら、ヘルさんに会いにいかない……? 手紙は書いたけど、きっと喜んでくれると思うの」
肩肘をついて身を起こし、アルノルトは微笑んだ。
「……うん、そうだね」
彼が助けてくれたから、アルノルトは命を拾った。
彼が拾ってくれたから、マリエールは薬師になれた。
「いっしょに会いに行こう」
数奇な運命に、ふたりは視線を重ね合う。
――あの日は嵐だった。
けれど今夜は雲もなく、晴れた夜空が広がっている。
「大好きだよ、マリエール」
祈るように想いを言葉にすれば、腕の中の恋人はひどく嬉しそうに笑うのだった。




